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異世界派遣社員の憂鬱  作者: よぞら
徨の章
24/36

覚醒

 綿菓子をちぎったような霧の塊が漂い、昼間でも灯される橙の街灯の光りを浴びて幻想的な景観を作り出す。

 網目のように流れる水路に浮かんだゴンドラはゆっくりと街の中を漂っていた。

 シドは霧と水の都イエロ連合王国に来ている。南西にある神の領域の国、フィーゴへ赴いた帰り道だ。

 本来であれば真っすぐ帰還するのだか視察も兼ねていた。フィーゴを治める領主バルマ=スニルが人の領域を歩いてみたいというので彼の望みを聞いたのだ。

 桃色の体毛に覆われた獣のような容姿の彼はゴンドラに揺られながら軽食を食べ景色を楽しんでいる。

 同じように甘い揚げ菓子を口に入れるシドは腑抜けた様に気落ちしていた。


「振り出しに戻りましたね。」


 無意識に零れた独り言は誰の耳に入ることもなくそよ風に溶けた。

 全ては15日ほど前に遡る。



。+・゜・☆.。.+・゜melancholy゜・+.。.☆・゜・+。



 シドはいつも通り多くの画面に囲まれて執務に励んでいた。各国に専属配置した調律師の支部からの定期連絡。神の領域に配置した調律師と協力者からの報告。

 常人であれば目を回すような量であるがシドにとってはルーティンと化した日常でありものの数分で処理を終えることが出来ている。

 全ての報告書を自動的に分別し簡略した資料に置き換えるプログラムのおかげでもある。遠い昔に作り上げた先人に感謝しかない。


「ふー。」


 一つの画面を見ながらシドは長い息を吐く。

 神の領域に配置した捜索チームからの報告書だ。

 失踪から三年。ナルはまだ見つからない。神の領域内より点々と目撃情報を得ては見失いいたちごっこのような捜索活動が続いている。

 ナルを見つけて対面した調律師は特別な訓練を受けた新式だというのに心を壊され再起不能になる。何をしたのか記録機器は全て機能を停止し、記録に残らず不気味さを増長していた。


「また、転移者を増やさないといけませんね。」


 戦闘能力が高く、経験豊富な調律師をあてがえば壊される。そんな存在に恐怖して、脱退する調律師も後を絶たない。

 新式の調律師達は地球での人生をやり直すために地球時間で100年の任務に励んでいる。精神を壊されては意味がないのだ。

 新人教育も追いつかず、人材は減る一方でキャパシティーオーバーの業務。休息もエネルギー補給も必要としない疲労のないロボットのような身体であったとしても精神を擦り減らすには充分であった。完全に悪循環に嵌っている。


「暗躍と前線業務で元気なのはアーロンとアーシーだけですか。」


 溜まった疲れをもみほぐすようにシドは目頭を押さえる。

 調律師だけでなくパイロープ帝国でも軍の暗部を使用し人の領域内で包囲網を張っているが網に掠ることすらない。

 ネブリーナ皇国もアキシオンを出動させて秘密裏に捜索を行っているようだが目ぼしい成果はでていないようだ。アキシオンは新しいタイプは出てきておらず、ナルより強固な個体もいまのところ発見されていなかった。それでも現存するアキシオンは調律師のトップ戦力を担う強者と張り合うのだから驚異的だ。

 なんにしてもナルが破壊神(アポック)に関するのか調べるまでは探し続ける必要があった。彼だけは他のアキシオンと異質であり、始祖達が執着する。

 終末日(アポカリプス)に消滅した始祖、アデルに酷似しているというが彼等の様子から似ているのは容姿だけではないのだろう。


 ビーーー、ビーーー、ビーーー、ビーーー、ビーーー。


 突如、鳴り響いた異常を知らせる警報。

 ジュビア東方連邦国の中心、旧衛星基地リビアにあるα元素浄化装置となったレイモンドの状態異常を知らせるものだ。

 シドは椅子を蹴倒して立ち上がると浄化装置空間に設置されたモニターに繋げる。空中に映るディスプレイはいつも通りのクリアさがなく、断続的に砂嵐が混じりブレていた。


 キュイッ、キュイッ、キュイッ、キュイッ、キュイッ、キュイッ。


 何が起こったのか把握する間もなくウォール諸島共和国の中心、無人島の樹海にあるα元素浄化装置となったガブリエルの状態異常を知らせる警報が音を立てる。

 シドが次のアクションを起こすよりも早くアルド公国のα元素浄化装置となったドロシーの警報、イエロ連合王国のα元素浄化装置となったメルビンの警報、パイロープ帝国のα元素浄化装置となったウィリアムの警報、ネブリーナ皇国のα元素浄化装置となったコラリーの警報が立て続けに発せられる。


「……なんだこれ?」


 原因の分からない始祖達の異常にシドは呆然と立ち尽くす。

 20年前、アデルに相似したアキシオン、ナルが現れたときのように鳴り響く警報。それ以上に轟く、強烈な始祖達の存在感。

 空気に電気が混じったようにビリビリと肌を刺激する。深淵の底の未知の怪物と目が合ったような恐怖と、姿の見えない存在に心臓を掴まれるような不安に襲われ全身から冷や汗が噴出した。

 存在感の強すぎる始祖の気配は蛇どころが八岐大蛇に睨まれた雨蛙の如く身を竦ませる。


「ううっ……。」


 あまりのプレッシャーにシドの足はガクガクと震え手崩れ落ちた。ガクンと折れた膝が体重を支え切れず、床に蹲る。

 引っ切り無しに鳴る警報と、各所から送られる通知音。始祖が浄化する各地で天変地異が起こっているのだろう。

 20年前の比ではなく起こされる始祖の異変。

 作戦中であり各地の状況把握を後回しにしたせいで何でもないかのように思えたが、瞬間的に激化した各地の異常現象が招いた被害は少なくなかった。混乱が治まるまで数節を要したのだ。

 肌で感じる異常が強すぎる。あの時以上に各国は混乱の渦に呑まれているのだろう。


≪シド、シドっ。音が聞こえます。あはは、あはははは。≫


 踊るように室内に飛んできた白い小鳥が喜びに舞い上がりながら蹲るシドの周りを旋回する。

 シドは重い頭をなんとか動かして視線を上げると、沸騰する水の中のように水泡が宙に浮かんで弾けていた。


「……レイ…一体、何が。」


 締め付けられるような息苦しさからなんとか声を出すが、シドの声が届いてないのかレイは不規則に回りながら笑い声上げて羽ばたいていた。


≪あはは、音が聞こえます。あの子の音。生きてた。あの子は生きていたっ。≫


 喜びに震えるレイは興奮冷めやまぬままシドの周りを飛び回る。

 弾ける水泡、脳髄に響く耳鳴り。レイが笑う都度空気を揺らす波動の波に鳥肌が立ち全身が硬直した。シドの視界が歪み目の前が真っ白になる。


「レイ、レイっ。落ち着いてくださいっ。」


 転がるように入室してきたペルの大声に手放しかけた意識がぼんやりと戻る。シドのぼやけた視界に飛び回る白い鳥と金色の青年が揺れる。チェリーレッドの赤はコールの髪だろう。その奥に見えるハニーイエローは最近転移した特殊訓練中の調律師の髪色だ。

 異常事態に動ける者が続々と執務室に集まっている。この中で動けるのは戦時経験のある旧式の調律師か、前線を担う戦闘訓練を受けた調律師だけだろう。


「レイっ」


 腹部の底から響かせたペルの声に、レイの狂喜した笑い声が止まった。常に落ち着いた声音で話すペルの容赦なく相手を威嚇して怯えさせるような大声にレイは極度の興奮状態から平静を取り戻したようだ。平時に怖い職業の方が恫喝するようなこの声を出されたらシドは気絶していたことだろう。

 沸き立つ気泡が小さくなって静まり、耳鳴りや緊張がおさまっていく。

 鳴り響いていた警報も一つ、また一つた鳴りやんだ。始祖の近くにいる調律師達が各地で彼らの興奮を収めてくれたようだ。


「大丈夫か?」


 未だに震えて力の入らないシドの体をコールが支えて蹴倒した椅子を正して座らせる。


「ありがとうございます。」


 自身でも驚くほど掠れた頼りない声でお礼を言うとシドは硬直の残る手を擦った。頭に軽い衝撃があり、頭皮を撫でるかぎ爪の感覚でレイが止まったのだと察する。


「レイ、説明してくださいますか?」


 額を伝う汗をぬぐいながらペルはシドの頭にとまるレイに詰め寄る。何が起こったのかこの場で原因がわかるのはレイだけだ。


≪音が聞こえるんです。≫


 何の脈絡もないレイの言葉に全員が眉をひそめた。それを気にする様子もなくレイは嬉しそうに雰囲気を緩める。


≪私達が感じ取る始祖の気配は音の旋律なんです。≫

「……音の旋律ですか?」


 例えるならば、ネブリーナ皇国を浄化するコラリーは突き抜ける高音域で奏でる行進曲のような輪郭の尖った調べ。

 パイロープ帝国を浄化するウィリアムは自然と体が揺れるロック調の強いビートで刻む軽快な調べ。

 アルド公国を浄化するドロシーは希望と幸せに満ちた祝歌(キャロル)のような花咲く調べ。

 イエロ連合王国を浄化するメルビンは濁りのない透き通ったカリンバが奏でるような切なくなる調べ。

 ウォール諸島を浄化するガブリエルは明るく華やかな中音域で遠鳴りする耳馴染みの良い舟歌(バルカローラ)のような調べ。


≪あの子の音は物静かで儚い旋律に反してドラマチックで深みのある甘い音色の調べでした。≫


 いつの日からか聞こえていた深く響く重低音が愛歌(エレジー)を囁くような哀愁を帯びる艶めいた調べ。懐かしくも血液が沸騰しそうなほど不愉快な音。アデルの音色に相似するが絶対的に異なる何かが発する雑音に埋もれていた音がくっきりと聞こえる。


≪ピアノが劇的に唄うアリアみたいなこの音はヴィーの音色です。≫


 数百年、安否すらわからず存在を諦めていた仲間の気配に始祖達は歓喜したのだった。

 それからはシドにとっても調律師にとっても目の回るような7日間であった。

 狂気に打ち震えた始祖達が起こした異常現象は各地で混乱を招いていた。

 強風の吹き荒れたネブリーナ皇国では一部の建物が倒壊。炎の渦巻いたパイロープ帝国では熱波で火傷を負う国民が多発。

 毒霧に覆われたイエロ連合王国では中毒患者で溢れ、潮の渦巻いたウォールでは船が転覆し海沿いでは高波に覆われ建物が倒壊したり海に飲まれた者も少なくない。

 水中に気泡の生じたジュビア東方連邦国では体内の気圧環境が崩れ潜水病のような症状に負われた多くの国民が病院に担ぎ込まれた。国中の植物が異常成長して花が咲き乱れたアルド公国だけは平和であったといえよう。

 シドは各国の支部長と協力しながら事態を治めつつ、事の原因を作った浄化の始祖全員に聴取を取った事でヴィーの行方を捜すという余計な仕事が増えた。ついでに始祖の気に当てられて再起不能となった調律師も多発していて人員がごっそりと減った。

 そんなこんなで飲まず食わず休まず寝ずのブラック企業も裸足で逃げ出す業務量をこなして13日が過ぎた頃だった。そろそろ殴ってでも休ませようとシドと同じく目の下に隈を作ったコールが物騒なことを考え出した頃に神の領域の国フィーゴの支部から連絡が入ったのだ。

 支店のように点在するルチア女王の眷属、花屋と呼ばれる黒強膜族(ディーアイン)の女性が統治する花屋敷呼ばれる小さな街で少女と壮年の男が保護ざれたという報告であった。

 接触した支部の調律師から送られた壮年の男の映像は特徴がナルと酷似しており、シドはジュビア東方連邦国にいるアキシオン対策専門の調律師と破壊神(アポック)とα元素を研究する調律師と神使の特殊チームを連れて翌日には足を延ばしたのだ。

 初めてナルと直接対面したシドはあまりの事に息を飲んだ。

 左目から頭蓋を貫通したような傷に皮膚を切り裂かれたような傷。

 血塗られた包帯に巻かれた冷たい体温の彼からは生気が感じられず死んでいるかのようだった。止まってしまいそうなか細い吐息と、ゆっくりと動く脈だけが生存を知らせてくれる。

 即座に研究チームがナルの細胞を採取して体の隅々まで調べた。

 結果、研究チームが取り乱して発狂してしまった。

 ナルからは破壊神(アポック)が発生させる力の残滓であるα元素は検出されれず、始祖とも調律師とも似通ると特徴も見受けられず、ネブリーナ皇国の創り出したアキシオンの特性しか存在しなかった。しかしその力も失われつつあり、通常の人間より少し頑丈な唯の人でしかなかったのだ。

 誰もが嘘だと叫びたくなる瞬間だった。実際に頭を打ち付けて叫んでいた物もいた。ナルに壊された調律師は1人2人ではないのだ。

 どれだけ嘆こうと変動することがない残酷な事実にシドは断腸の思いでナルを監視及び処分対象より外し全調律師に通達した。

 破壊神(アポック)と関係性がないならば彼はネブリーナ皇国が作り出した生物兵器でしかない。怨嗟があろうと調律師が理由もなく手を下すことは出来ないのだ。

 あれほど苦戦した存在のあっけない幕引きに、やりようのない怒りと悲しみに暮れた夜を過ごした。

 

「はぁ。」


 シドは15日間の徹夜でぼやける視界で水面を眺めている。

 赤から青のグラデーションをした鮮やかな骨が透ける透明な魚が泳いでいる。パパールと呼ばれるイエロ連合王国主都の水路にしかいない固有種だ。


「シド、人の国は呼吸が楽だな。」


 太陽を覆い隠す霧と、街灯のせいで黄昏の景色に見える街中を眺めながらバルマ=スニルが囁いた。今回、彼の協力がなければナルは神使の手によって処分されていただろう。

 彼等にとってアキシオンは残虐であり驚異の存在だ。

 始末することなく秘密裏に保護して知らせてくれた。調律師以上に恨みがあるだろうか協定を理由に手を出さないなど感謝しかない。


「私は貴方がたの国の環境も人の国とかわらないものにするためにいます。待っていてくれますか?バルマさん。」


 力なくもはっきりと言い切ったシドにバルマ=スニルは髭を揺らして笑ったのだった。

Barma(バルマ)=Sunil(スニル)…神の領域の国フィーゴの領主。桃色の体毛に覆われた獣人。

◆パパール…イエロ連合王国の固有種。赤から青のグラデーションをした鮮やかな骨が透ける透明な魚。

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