警報
「珍しい。貴方がお一人なんて。」
≪ちょっと前まではずっと一人でしたよ。≫
石造りのオブジェに止まりながら雨を眺めるレイにペルはそっと話しかけた。
見上げる空には水面のように波紋が揺らめき、不規則に水が滴り落ちる。何かを守るかのように水が半球体のドームとなり、内側は常に雨が降っていた。
他の浄化の始祖と同じようにジュビア東方連邦国の浄化を初めて60年。レイの周辺でも異常現象が起きているのだ。
「統括の傍にいなくて良いのですか。」
≪ずっと忙しそうにしてますから。≫
シドが転移してもうすぐ170年の時が経とうとしていた。
世界横断鉄道が一般利用化されて30年。ジュビア東方連邦国の人口は莫大に増えた。
人口の増加と共に職人と技術者も増えて開発した大量生産型の機械を導入したことで、百年計画で進んでいたアルド公国とパイロープ帝国の城壁は瞬く間に完成した。
各国最新設備を次々と導入し人々の暮らしは劇的に変わり地球の21世紀文明のレベルへと突入したのだった。
軍の設立も国際プロジェクトにすることにより各国から入軍希望者が集まり順調に進んでいた。予定より大規模な軍になったことは嬉しい誤算でありアルド公国やウォール諸島共和国など戦力に乏しい国だけでなく全ての国に派遣軍の駐在を行ている。
それにより調律師の表立った防衛任務が皆無となり過去の英雄たちも人々の記憶からも薄れつつあるため史実は夢物語のような伝説へと変わりつつあった。
「文明は着々と進んでいる中、塩化症候群の治療法は治験結果が芳しくないとうかがいましたが。」
正確には現存する治療法以外の治療法が見つからないのだ。衛星基地のデータベースに残る恒星文明を誇った医学ですら通用しない。一部のα元素変異体しか治療が出来ない現状だ。罹患者と治験者の犠牲は少なくない。
≪原因がα元素ですから浄化の始祖なら可能かもしれないけど一般人に会うことなど不可能ですからね。≫
「人々が稀人の現存を知ったら混乱が生じる事でしょう。」
それ以前に異常現象を起こすほど浄化の力が溢れて出ている空間に常人が入ればどのような副作用がおこるか見当もつかない。
打つ手がない状態だ。そもそも調律師の中にも始祖の中にもα元素について詳しく理解しているものがいないのだ。一定の人数で研究を進めているが頓挫するのも時間の問題だろう。
「レイさんは破壊神について何もご存じないのですか?」
≪破壊神に会った始祖は全員消滅しましたよ。≫
美しい歌声を響かせながら壊れ行く世界。建物も自然も生物も消えていった。
≪あの日は、ミサを思い出しましたよ。≫
神聖な静寂の中、心穏やかになる讃美歌。仄かな優しい光に包まれて降臨した破壊の神は人々を魅了しながら命を奪った。
≪破壊神を目にした人々も消えてしまいました。運よく生き残った方もいましたが正気を失ってました。≫
目にして生き残った者たちは気がふれたように美しい破壊の神を称える歌を歌い、祈りながら生涯を終えたという。彼らの歌とわずかな会話から破壊神の想像図が幾種類も描かれた。
≪たった一日で世界は壊れました。各国の人工衛星から送られた当時の映像が残ってます。興味があるなら案内しますよ。まぁ、体験者でなければ終末映画にありがちな破壊映像ですが。≫
人類滅亡の危機をテーマにした映画を誰もが一度も見たことがあるだろう。目にした景色は現実離れしていて現実として受け入れる事を拒否してしまう映像だ。
レイの皮肉な提案にペルは首を横に振った。
「僕はこの世界の過去に興味ありませんから。」
ペルは旧式の調律師だ。地球での未来もR-0009での未来もない。自身の時を止めたままR-0009に存在するだけのものなのだ。
「命の限り、貴方を守る事だけが今の僕の生きる理由です。」
忠誠を誓うように胸に手を当ててペルは頭を下げた。神の領域との抗争が落ち着いた今、ペルはレイの専属護衛としてジュビア東方連邦国に留まっている。管理調律師の働きで侵略者などおらず半隠居生活のようなものだ。
≪ペルは話し相手にもになってくれて助かりますよ。シドはおしゃべりには付き合ってくれませんから。≫
「統括は対破壊神用の調律師の捜索なんて無謀なことまでなさるから多忙になるんです。」
不機嫌そうな声をだすレイにペルは呆れたような息を吐く。
現在破壊神の対策として特殊なプログラムに順応するの調律師の捜索と転移準備をしている。
並行作業として世界中に設置された10万機におよぶ自立飛行型のα元素濃度計測装置。所によって変動するが微々たるものであった。今のところ破壊神の手がかりは皆無だ。しかしながら旧式の調律師でも新式の調律師でも対抗できる人材はいない。
調律師の力はレイに付与されたモノ。つまりレイの力の欠片に過ぎない。α元素によって変異した生物には対抗できるが浄化の始祖ですら適うことはないだろう。
ビーッ。ビーッ。ビーッ。ビーッ。
穏やかに話している中、不安を駆り立てるような音調の警報音が鳴り響いた。
≪これって。≫
警報音の意味を察知したペルとレイはシドの執務室へと急いだ。
「統括っ。」
壁の一面全てがディスプレイとなりR-0009の世界地図が映っている。各所に大小の異なる赤い円。北北西の海に位置する円が大きく点滅しながら警告音を放っていた。
「……これは。」
神の領域に位置する海のど真ん中でα元素濃度が跳ね上がったのだ。唯でさえ濃度の濃い場所で更に濃くなるなど自然現象ではありえないことだ。
「世界は私たちに都合よくは動いてくれないみたいですね。」
破壊神を探し始めて50年。まだ何の準備も対抗策もできていないのだ。もしこの反応が本物だったとしても打つ手がない。
今、破壊神が目覚めて暴れられればR-0009は滅びの歌を聞きながら崩壊するのだろう。対抗できる存在も動ける始祖のいないのだから。
≪シド、ローズレイアを知っていますか?≫
なにか打開案はないかと思考を巡らせるシドにレイは問いかけた。
「ああ、不老不死に嘆いた始祖が生涯を閉じる為に造った自害兵器の事ですか?」
≪ええ、最大出力ではR-0009と同質量の星が消し飛びましたから起動実験で一度しか使われないままお蔵入りされた衛星軌道上にある兵器です。≫
悪魔的な破壊力を持つ兵器がまだ現存しているという。始祖を消すために造られた兵器なら対抗策としては万全だ。しかし破壊力が強すぎる諸刃の剣という難点が大きい。
「この星ごと破壊神を消し飛ばすつもりですか?」
≪破壊神を転移させたのはオリガですが能力が違うだけで転移の過程で変化した体内構造は我々と同じはずです。計算上、最小出力で5発程直撃させれば始祖も消滅させられるんですよ。半径200キロメートルほど壊滅しますが。≫
「世界規模で気候変動おこりませんか?」
半径200キロメートル壊滅する破壊力など800メートル級の隕石が墜落するような災害だ。大気中に塵が舞い上がり数年間気候が変動する事だろう。神の領域である汚染地帯はただでさえ苛酷な状況だというのに気候まで変動してしまえば絶望的だ。
≪浄化の始祖がいる人の領域は大丈夫だと思いますよ。神の領域は元々壊滅しているようなものです。何を気にする必要が?≫
「レイ、α元素変異体といえでも命。人型の変異体は我々と同じ知性も感情もあるんです。そもそも神の領域にある街や集落の存在を知らないとは言わせませんよ?」
人の心を失ったような機械的な提案にシドは諭すように話す。あまりに無情な発言にペルは頭を抱えていた。
「ひとまず調査隊を派遣します。反重力装置搭載の小型作業船を出しましょう。」
扱いに慣れているシドは淡々と打開案を並べるのだった。
まずはα元素濃度の急上昇した原因を確かめなければ対策のしようがないのだ。
◆ローズレイア…R-0009と同質量の星が消し飛ばすほどの兵器。衛星軌道上に現存する。
シドの作戦は冷酷で過激だけど、レイさんは更に過激。