水鞠 月子 1
丸一晩山道を歩き続けた俺と紫苑は、やっと小さな町にたどり着いた。
「もう、日が昇ったな……腹も減った」
途中コンビニがあったのだが俺は所持金が無く、紫苑に至っては車からバッグを持って出れなかった為に何も持っていない状態だ。
「もう、銀行のカードでお金下ろそうぜ。そんなにお金は持ってないけど多少はあるぜ」
「それはダメだと言ったろう。お前は強盗犯だぞ、すぐに警察にばれる」
隣を歩く紫苑もボロボロで、髪は跳ね服や靴は泥に塗れている。
この状態で警察官に会ったら確実に職質をされそうだ。
「でも、俺は実際に強盗なんてやっていないしな。例え捕まったとしてもそっちの組織が助けてくれるんじゃないの?罪をなすり付ける事が出来るんだから」
「警察に捕まるのは駄目だ。もしお前が捕まってしまっても絶対に組織がお前を助ける事はない。それよりもその冤罪が理由で一生を棒に振ることになるぞ」
紫苑の疲れも限界近いと思うが、昨日の夜からずっと俺の会話に付き合ってくれる。
今みたいによく理解できない話もあるが。
「ああー。どっかにご飯落ちてないかなー」
天に向かってそう叫ぶ。
我ながら馬鹿げたことを言っているのは、分かっている。
「おい、御手洗。気を付けろ」
紫苑が俺を注意を促したが、時すでに遅し。
「ごめん、君。全然気付かなかった。大丈夫?怪我は無い?」
俺は尻餅をついている、女の子をすぐに助け起こす。
女の子の首は小さくうなづいている。
どうやら怪我はしていない様だ。
女の子は自分の手を見ると、焦った様にキョロキョロ何かを探している。
「こ、これかな?可愛いクマさんだね」
ちょうど女の子の背中に落ちていたので見えていなかったのだろう、テディベアに似ている茶色の人形を拾って渡してあげる。
受け取るとすぐにギュッと人形を抱きしめている。
よほどお気に入りなんだろう。
「月子ーー。月子」
先の道から、誰か名前を呼びながら走っている女性がいる。
「あのお方が、あなたのお母さんね」
紫苑は膝を突き女の子と目線を合わせ話しかける。
女の子は急に話しかけられ戸惑っているのか、何故か怪訝な表情を浮かべ小さく頷く。
「怪我は無いとしてもぶつかってこかしてしまったから、一応お母さんにも謝っておくか」
そう思い母親の方を見るが、俺は違和感を覚える。
もう俺達と目と鼻の先の距離にいるが、未だに女の子を探している。
終いには俺達を交わし通りすぎて行こうとしていた。
「ちょっと、すみません」
俺はたまらず女性に話しかける。
呼びかけに立ち止まり振り向いた女性は、俺達が何故子供目線の姿勢かに気付く。
「ああ、月子ここにいたのね。あなたは本当に見つけづらいから。お母さん心配したのよ」
娘が人形をギュッと抱いていた様に、母親も娘を力強く抱きしめる。
「見つけづらいって何だろうな?目が悪いじゃなくて?」
疑問を紫苑に耳打ちする。
「確かに私も御手洗にぶつかる寸前まで気付かなかったわ。この道には誰もいないと思っていたから」
ずっと追手を警戒していた紫苑が言うならそうなのだろう。
実際に俺も目の前に人が歩いているとは思わなかった。
「それもあるけど……」
言い淀む紫苑の、女の子を見る表情は浮かない。「」
「どうした?紫苑」
「いえ、何でもない……」
らしくなく歯切れの悪い紫苑なのだが、それよりもズボンに捕まっている手の方が気になってしまう。
「つ、月子。お家に帰りましょう。兄さん達も迷惑してるよ」
女の子は母親に呼ばれているが、その小さな手は俺のズボンを離さない。
「月子ちゃんだよね。ほら、お母さんが呼んでいるよ。ほら手も汚れちゃうよ。俺達昨日、山越をしたから服が泥だらけなんだよ。ほら、隣の人を見てみて」
そう言って一緒に紫苑を見る。
彼女は昨日、寝業を決めたり石を持ったりとしているので俺より遥かにドロドロである。
「う、うるさいな。好き好んで汚れてる訳じゃないんだ」
そのやりとりに月子は少しだけ歯を覗かせた。
それを見たのかは定かではないが、母親から良ければ家に来ないかと提案があった。
「いや。それは流石に……」
見ず知らずの家に上がるほど、俺は非常識ではない。
母親はともかく乗り気になってしまっている月子に上手く断りを入れるのだが、すごく食い下がってくる。
「分かりました。ではお言葉に甘えさせていただきます。それと、電話を一本かけさせてもらえないでしょうか?実は二人共スマホを紛失してしまいまして」
意外にも紫苑がこの話に乗った。
「お、おい。いいのか?」
「この人達は大丈夫。それに会社に電話しておかなくちゃ」
「お風呂頂きました。ありがとうございます」
「いいですよ。それより月子も一緒に入って貰うなんて、すみません。いつもは一人で入るし、もう少し聞き分けがいいんですけど」
この2LDKのコーポの一階に水鞠 月子とその母の星子が住んでいる。
小ざっぱりとした内装で綺麗に掃除は行き届いている。
流石いきなり俺達を家に上げることができる訳である。
「俺の部屋なんて足の踏み場もないですよ」
「男の子の一人暮らしなんてそんなものでしょう」
そう言って星子は笑っている。
服を着た月子が母親の隣ではなく、俺の隣に座る。
その様子を見て、よっぽどお兄さんがお気に入りなのねと微笑みながら言う。
ところで、と月子は俺に話しかけてくる。
「服もサイズが合っていて、良かったです。結構上背がありますものね。少し小さいかしら」
「服まで洗濯して貰っちゃって、助かります。結構汗が匂っちゃってたから。ところでこの服は旦那さんの物ですか?」
「夫はもう6年前のこの子が6歳の時に鬼籍に入りました。……これはその……今お付き合いしている彼の物です」
月子がビクッと一瞬反応する。
この子の前でまずい事を聞いてしまった事を後悔する。
「……なんか余計なこと聞いちゃって、すいませんっす」
「いえいえ、もう私も月子も乗り越えたので」
――二人共乗り越えた?じゃあさっきの月子の反応はなんだったのだろう?
お風呂の件や月子の態度、そして星子の言い方といい疑問は増すばかりだ――
「お風呂ありがとうございます。とても良いお湯でした」
紫苑が風呂場から出てくる。
そのまま星子の横の椅子に腰掛ける。
「あら、こちらのサイズはバッチリですね。胸のサイズが小さかったらどうしようと思ってたの」
星子は紫苑にも着替えを用意していると言っていた。
俺の着替えとは違い、自分の物だと聞いていた。
「とても助かります。いつもと違うので、少し落ち着きませんが」
俺はそう話している紫苑の姿を見る。
風呂上がりだからなのか、紫苑は全然違って見える。
Tシャツとスウェットというラフな格好なのだが、先程までとは違い胸が豊かに膨らんでいた。
「やっぱりお前、本当に女だったんだな……」
見惚れてしまった俺は、つい余計なことを口にしてしまう。
「聞いてくださいよ、星子さん。コイツは私の事を男だと思っていたんですよ」
紫苑は冗談混じりに星子にそう愚痴る。
「それはいけませんね、御手洗さん。こんなにボーイシュで可愛い方なのに。スタイルも抜群ですよ」
星子がそう誉めると、紫苑は勝ち誇った顔で俺を見るてくる。
「お前な。さっきは性的な視線が苦手だと言っていたじゃねえか」
俺はその言葉を覚えていたからこそ、風呂上がりのコイツを余り見なかったのだ。
「……確かにそうだったな。不思議だ」
その時キッチンの方でアラームの様な音が流れ、その後に呼ばれる様に星子が立ち上がる。
「じゃあご飯も炊けたし、朝ごはんにしましょうか」
そう言ってキッチンに向かう星子を紫苑が呼び止め、電話を貸して欲しいと伝える。
ひとつふたつ言葉を交わし紫苑はリビングの奥にある電話に向かう。
俺と月子だけがポツンとテーブルに残された。
「明るい優しそうなお母さんだね。月子ちゃんのおかげでご飯まで食べられる事になったよ。ありがとうね」
月子はお気に入りの熊の人形を抱いて俯いたまま、首を小さく縦に振る。
「あのままだと俺達二人は、倒れてしまっていたかもしれないから月子ちゃんは命の恩人だよ」
それを聞いた月子は顔を上げ、俺と視線を交わす。
その幼さの残る可愛らしい顔。
その奥の悲しい色の瞳。
すぐ折れてしまいそうな程の小さな体。
俺は風呂場で見た月子の体を思い出す。
――星子さんは言っていた。いつも月子ちゃんは一人でお風呂に入っていると。
何故俺のお風呂に一緒に入ってきたのか?
何故俺だったのかは正直今は分からない。別に紫苑でも良かったはずだ。
だが、何故お風呂に着いて来たのかは分かる。俺に見せたかったのだ。
首から下の服を着ると絶対に見えない、無数にある殴られた痣を――
俺は優しく月子の肩に両手を乗せる。
本当は怖いのだろう、月子は身を強ばらせる。
出来る限りの優しい声て月子に語りかける。
「もう一度言うね。月子ちゃんは俺達の命の恩人だから。俺達は月子ちゃんに恩返しをしたいと思っている。もし月子ちゃんが何かに困っていたり、助けて欲しい時は遠慮なく俺達に言っていいからね。必ず力になる」
今の俺にはここまでしか言えない。
誰がやっているかは想像出来るのだが、もう一人の存在がどっちなのかが分からない。
月子ちゃんがその人に言えない理由も分からない。
デリケートな問題だけに、俺なんかでは……
不甲斐ない自分に落ち込んでいるのが顔に出てしまっていたのろうか、月子は初めて俺に声を聞かせてくれた。
「あ……ありがとう……お、お兄ちゃん……」
その声は少しの雑音でも消えてしまう細々とした声だったが、俺には月子の力強さと一生懸命さを感じた。
「つ、月子っ。あなた今っ」
テーブルの上に投げるようにお盆を置き星子は慌てて俺達の方に駆け寄ってくる。
「月子……、今……、今話してたよね」
星子は安堵と喜び入り混じった表情で膝から崩れ落ち、月子を縋り付く様に抱きしめて大粒の涙を流している。
四人でテーブルに座り朝食を食べている。
席は星子と月子が並び俺の隣には紫苑が座っている。
ご飯と豆腐の味噌汁、焼き魚と卵焼きに漬け物と三十路の女性が作るにしては、随分と渋い朝食だと思った。
少し無言のまま各々が食事を摂るのだが、空気が重く非常に気まずい。
その沈黙を破るように最初に口を開いたのは月子だった。
「この子が6歳の時に父親を亡くした話はさっき言いましたが、その頃から少し塞ぎ込むようになって……」
星子は落ち着いた口調で語っている。
「月子は口数は多くないものの、会話もあって二人で何とか生活していたんです」
俺はただ黙って月子の話を聞いている。
ふと月子を見ると、人形と一緒に心配そうに星子を見上げている。
「2年前くらいでしょうか……。お恥ずかしい話なのですが、私は仕事先の方からストーカーされるようになりまして。あっ仕事先と言っても、勤めている方ではなく取引先の方でして……」
ストーカー……と紫苑が呟く。
「そのストーカーの方は、最初は仕事の連絡や何だと私にしつこく言い寄って来るぐらいでしたので、柔らかくお断りしていました。会社の関係もありますから、私は特に会社には報告はしなかったのです」
「その時月子ちゃんは三年生ですね」
紫苑が確認を取るように尋ねる。
「ええ、そうです。小学校も終わるのが早いので、学童保育に入れてもらっていました。私もなるべく定時に仕事が終え迎えに行くようにしていました」
「ストーカーは?まだ続いていたんですか?」
俺も聞こうとしたが紫苑に先を越される。……
「その頃には、とうとう家もバレてしまっていて手紙や変な物がポストに入っている時もありました。どこで見ているのか家に帰った瞬間にメールや電話が鳴ったりして、かなり怖かったです」
星子は一息ついて続ける。
「私はもう我慢できずに警察に相談しました……。警察の方からは巡回を増やしますと言われました。警察の対応はテレビ等で知っていたのですが、自分が被害にあわないと分からないものですね」
警察は事件が起きないと、動かないってやつなのだろう。
「警察に相談した後も相変わらず続いていて、もう私達も限界でしたから思い切って会社に相談したのです。会社の対応はとても早くて、すぐに取引先の会社と話し合ってくれたのですが……」
月子は続きが言いづらいのか、口を閉ざしてしまう。
何とも言えない空気が俺達を包む。
「ストーカーはその取引先の会社をクビになったと……」
紫苑の言葉に月子は、ハッと身構える。
「そ、その通りです。とうして……」
「何となくですよ。私の知り合いもそんな感じでしたから」
紫苑はそう言ったが、俺はその知り合いがストーカーをした方なのかされた方なのかが気になる。
「で、お前の知り合いは……うっ」
話の腰を折るなとばかりに、紫苑の強烈な肘鉄が飛んでくる。
テーブルの陰で見えない星子は、何が起こったのか分からずにキョトンとした顔で俺を見ている。
「どうか、気になさらずに。続きをどうぞ」
「それから一週間位は何も起きず、穏やかに過ごせました。私はこんな呑気な性格なので、もう終わったと思ってしまったんです……。それが間違いで、ストーカーは私の油断を狙っていたのだと思います」
星子は隣に座っている小さな愛娘をそっと引き寄せ優しく抱きしめる。
月子はその時の事を思い出してしまったのか、顔を硬らせている。
俺は月子のその様子を見ていても怖がっている事を理解もしているが、正直言えば傷口に塩を塗り込むような仕打ちはやめた方がいいと思っている。
だがこの問題を解決する為にも、星子の話を聞き続けないとならない。
「紫苑……会社に連絡したんだよな。何て言っていた?」
俺はまた肘鉄を警戒していたのだが、紫苑は今度は答えてくれる。
「うん。今日中に無くしたスマホの代わりを持って来てくれるらしい」
「えっと……それだけ?」
代わりの車でも用意してくれると思っていた俺は、拍子抜けしてしまう。
「それだけだ。山に置いて来た荷物の回収やらで忙しいんだ。それに今は人手が足りていない。詳しい事は後だ」
俺は紫苑の組織が俺達を迎えに来て、この問題から手を引かなければならなくなるというのだけは避けたかった。
実際もしそうなったら俺は組織について行かないと思うのだが。
「あの……続きを話してもよろしいですか?」
星子が申し訳なさそうに言ってくる。
「すみません、こちらの会社の話でした。星子さん、どうぞ続けてください」
俺はそう言ったが、星子はさっきからやたらと時計を気にしている事が引っ掛かる。
その事を星子に尋ねようとすると、時間が勿体ないと紫苑から、二発目をもらった。
「あの……実は私もその時に会社を辞めていまして……。知り合いの紹介で、新しい職場に決まったばかりでして」
「えっ?星子さんも?辞めたのですか?」
「何かストーカーの事で会社に居づらくなったと言いますか……」
「うぐっ……また……肘」
紫苑は冷たい目で、余計な事を言うなと釘を刺してくる。
「それでその日は歓迎会があり、少し帰宅が遅くなってしまったんです。もちろんその会も20時には帰らせて貰ったのですが、自分の為の歓迎会なので中々帰りづらくって……この子も家の鍵を渡していますし、夕ご飯も朝に準備していたので大丈夫かなと思ってしまいました」
星子はまた時計の方を見る。
壁に掛かっている時計は俺の背後にある為見えないが、多分10時を回ったといったところだろう。
星子は一度深く息を吸い込んで続きを話しだす。
「お店でタクシーを呼んで貰い、急いで家に帰りました。途中で家に電話をしてみたのですが、ずっと話し中になっていて私は嫌な予感を覚えました。その時の私の様子がおかしかったのか、運転手さんがずっと心配してくださっていた事を覚えています」
星子は言い忘れてましたと言い、この話はここに越してくる前に住んでいた部屋での事だと言う。
その当時はマンションの2階にある1DKの部屋に住んでいたそうだ。
星子はそう補足をしてから続ける。
「それから電話が繋がることは無く、私は家に着きました。階段を走って登り一番奥の私の部屋に向かうのですが、玄関の前に人影が見えたんです。その時私は大声で叫びました。その人影は私の叫び声に気付くと、こっちに近づいてくるので後ずさりながら何度も叫び続けました。あと少しで捕まると思った時、男の人が助けてくれました。声を掛けてくれただけなのですが、相手には充分な効果で慌てて廊下の手すりを乗り越えて逃げて行きました。いくら二階とはいえ飛び降りるなんて、でも正直私に向かって来る方が怖かったので助かりました。顔はハッキリと覚えています。あのストーカーでした」




