あの日の事
あの日の事を、よく覚えているような覚えていないような。
そんな記憶の捉え方なのだからやはりよくは覚えていないのだろうとツェリシアは思う。
母の再婚に伴い移住したアブラス王国で、ツェリシアは早々に10歳児検診を受けさせられた。
最初は町の小さな教会で。
その後すぐに王都に連れて行かれて、なんだか身分が高そうで偉そうな大人達に囲まれてもう一度魔力をアレコレと調べられた。
今となって記憶を反芻してみればその偉そうな大人達とは、現在は病気で伏せっている国王と、国教会の大司教、そして後に養父となる魔塔主バイヤージだった事がわかる。
「キミの魔力は国にとって宝ともいえる稀有なものだ。どうか国の為にその力を捧げて欲しい」
最初にツェリシアにそう告げたのは国王だった。
そして3名の大人が次々と10歳だったツェリシアに頭を下げた。
その時のツェリシアには稀有だという自分の力がどういったものなのかはわからなかった。
よく分からないが、ここ何十年とツェリシアのような魔力を持つ者が見つかっていないという説明を受け、自分の魔力がどれほど特殊なのかはわかった。
すぐにでもツェリシアの身柄を国の庇護下に置きたいと、国側は母と義父に話をしたそうだ。
義父は国が提示した金額に難癖を付け、更に金額を上乗せをさせた後にツェリシアの親権を喜んで手放したという。
そうしてツェリシアの身柄が親元から国に移されてすぐに、ツェリシアはとある魔術を施された。
施術後、何か体調に異常は無いかと尋ねられた。
体調は悪くないが体の内側が空洞になったような、反対にオバケを中に入れられたような、そんな変な感覚がする。
そして異様にお腹が空く。
それ以外は元気だとバイヤージに告げた。
思えばその時に奈落を体に入れられたのだろう。
ツェリシアの体は拒絶反応を示す事もなく、すんなりと奈落と適合したようだ。
それから少しして、ツェリシアはある事実を突きつけられる。
適合者に選定された者は決まりにより結婚出来ないと言うのだ。
当然、既に結ばれている婚約も解消せねばならないと。
まだ10歳だったツェリシアにとっては結婚出来ないという事よりも、アルトとお別れしなくてはならないというその事実の方が辛かったのだ。
大好きだったアルトとの突然の別れ。
それもこちらの都合で一方的に。
しかもツェリシアは何一つ望んでいないのに。
拒否権も決定権も自分にはない。
母はもう、ツェリシアに関する権利を全て放棄したという。
ツェリシアにはどうする事も出来なかった。
でもせめて……せめてアルトには嫌われたくなかった。
アルトの記憶の中で、いい思い出として自分が残る事を願った。
そしてアルトが何処かで幸せに暮らす事を心から願った。
やがていつしか時が経ち、
ツェリシアは成長するにつれ自分の役目を知ってゆく事になる。
緩やかに。
穏やかに。
ツェリシアが自分自身でその力の意味を、役目の意味を、死の意味をしっかりと咀嚼して飲み込めるようにと、真実はゆっくりと知らされていった。
最初からお前は厄災をその身に封じて死ななくてはならないと話された訳ではない。
様々な事を学びながら、沢山のパズルのピースを渡されてゆく。
その受け取り続けたパズルのピースがある時全てピッタリと嵌る瞬間が訪れた。
『あぁ……そうなんだ……』
自分はその為に生きて、その為に死んでゆくのだと、何故かツェリシアの中でその答えは落ち着いた。
不思議と凪いだ心で、その完成したパズルに描かれた光景を見つめる事が出来たのだ。
魔塔主バイヤージの養女となり、王宮の魔塔で暮らすようになってから兄のように接していた王太子ウィルヘルムが、時折苦しそうにツェリシアを見るのも、
養父バイヤージが一度だけぽつりと
「全てを捨てて逃げるか……?」と呟いた事も、
その時に全てその意味を知る。
だからこそ、不思議と悲しみも怖さも感じなかった。
全てを知ったツェリシアはあの日、全ての事を捨て、全ての事を受け入れた。
自分の命に限りが有り、
その死に意味があるのなら、せめて最後まで懸命に生きよう。
心を鉄のように強くして。
ツェリシアはあの日、そう思ったのだった。
◇◇◇◇◇
「ツェリシア、この前頼まれた本が届いたぞ」
久しぶりに魔法薬でも作ろうと、王宮内にある薬材庫に向かっている最中に王太子ウィルヘルムに声をかけられた。
「あ!もしかして魔術師千一夜物語(18禁)の初版本?」
「そうだ。じゃーーんっ!」
王太子自らわざわざ効果音を付けて、一冊の大きな本をツェリシアに手渡してくれた。
「嬉しい!初版本の装丁の美しさは有名だけれど、本当に綺麗なのね」
「……しかし内容はえげつないぞ。本当にそんなの読むのか?」
「読みますよ♡ワタシはもうオ・ト・ナですからね。というか殿下も読まれたんですね」
「そりゃ~まぁ、一応な」
「スケベ」
「お前が言うな!」
そんないつもの調子でやり取りをしながら王宮内を共に歩いてゆく。
その後ウィルヘルムは薬材庫にも付き合ってくれた。
ウィルヘルムが一緒なら薬材を持ち出す所定の手続きも王太子付きの側近や侍従がしてくれるので楽チンなのだ。
ツェリシアは欲しい分の薬材を受け取り、後の書類手続きを任せて魔塔へと戻った。
読みたかった本と欲しかった薬材を運びながら、ルンルンで魔塔へ繋がるだだっ広い中庭を歩いて行く。
その広い中庭の一画で、向かい合って話す男女の姿が目に付いた。
『……アルト』
アルトがアブラスに赴任してからというもの、
何度か目にした事のあるこの光景。
時にはどこかの女性文官だったり、
時にはどこかの令嬢だったり。
呼び出されるのか呼び止められるのか、どちらかは知らないがアルトはこうやってよく想いを寄せられる女性から愛の告白を受けていた。
『ホントにモテるわね』
ツェリシアは邪魔しないように、気付かれないようにこっそりとその場を離れる。
魔塔には遠回りして戻ろう。
どうかさっきの女性がアルトのお眼鏡に適いますように。
そして、アルトが幸せになれますように。
こういう時、自分の中で認めたくない感情がある時、ツェリシアは鼻歌を歌う癖がある。
今もツェリシアは流行りの歌を口遊みながら歩いた。
頭の中を違う考えで満たすようにしながら。
『魔法薬は何を作ろうか。“鼻先に塗ると、悪臭をシャットアウトしてくれる薬”を作ってシスターにプレゼントしようかな。それとも“服用すると物静かになる薬”を作って会議中のブルサスに飲ませようか』
そんな事を考える。
その時、ふいに抱えていた本と薬材がツェリシアの手から消えた。
「え?」と思って前を見ると、その二つを手に持つアルトが立っている。
「アレ?アルト?え?アレ?」
ツェリシアは目を丸くしながら後ろを振り返ったり前を見たりと忙しなく首を動かした。
今さっき中庭にいたアルトがなぜ目の前にいるのか。
アルトは小さくため息を吐いた。
「ツェリ。見かけたならちゃんと声を掛けてよ」
「か…掛けられないわよ、あんなシチュエーションでっ」
思わずムキになって言ってしまう。
「ツェリが俺に声をかけちゃいけない時なんて一瞬だってない」
「……あるわよ。いくら幼馴染でも、運命の相手かもしれない人との時間を邪魔しちゃいけないわ」
「運命の相手?」
「そう。将来結ばれる運命の相手」
「もう出会ってる」
「えっ?じゃあさっきの女性がそうだったの!?」
「違う。そもそもさっきみたいな相手の都合も考えず一方的に気持ちを押し付けるような人間は好きじゃない」
「そ、そうですか……じゃあ、」
じゃあ誰なんだろう。
もしかしてアデリオールにいるのかも。
アルトの師匠さんの娘さんとか……。
一人で悶々と考えてしまうツェリシアを見て、アルトはふっと微笑んだ。
「ちゃんと気にしてくれてるんだな」
「え?」
「なんでもない。さぁ戻ろう、今日は薬を作るの?」
「う、うん。会議の時にブルサスが静かになる薬なんてどうかな?」
「所構わず服を脱いで筋肉をひけらかさなくなる薬はどうだ?」
「ふふふ、イイかも」
アルトの運命の相手が誰なのか、
もちろんツェリシアにとっては非常に気になる事だ、
非常に気になるが、知らない方がいいとも思う。
知ってしまえばその人に申し訳なくてアルトの側にいられなくなる。
せめてもう少し、もう少しだけ側にいる事を許してほしい。
きっともう時間は残されていないから。
ツェリシアがそう感じたのは虫の知らせだったのか。
“負”の魔力の噴出口の裂け目が大きく広がったと報せを受けたのは、それから1週間後の事であった。
物語は後半へ。
いよいよ厄災へのカウントダウンが始まります。




