ジェスロでの暮らし
「いつまでやってるんですか、朝メシが出来ましたよ。ツェリも、その人の相手してたらキリがないよ?」
ジェスロ市街13丁目小高い山の上1一1の赤い屋根の家の朝は早い。
というかこの家の住人は誰も眠らない…いや眠れないのだから、朝が早いのは当然なのだろう。
この家の家主バルク=イグリード(職業大賢者)の弟子である、アルト=ジ=コルベールがエプロン姿で居間で夜通しボードゲームをやっている
二人に言った。
イグリードが興奮冷めやらぬ様子でアルトに言う。
「だって凄いよアルト!ツェリーちゃんてばゲーム鬼弱っ!何度やっても僕が勝つんだ!」
「バルちゃん酷い!わたしが弱いはず無いもの!だってアルトに一度だって負けた事がないのよっ」
「ぷ☆それってアルトが手加減してたからでしょ~。アルトってばツェリーちゃんには砂糖漬けのアプリコットよりも甘いもんなぁ~☆」
「違うもの!アルトはそんなズルをする人じゃないもの!今すぐ証明してみせるからもう一度勝負よ!」
更にヒートアップしたツェリシアがもう一度サイコロを振ろうとするのをアルトが制した。
「ストップ。ツェリ、朝ごはんの時間だよ。それに今日は料理教室に行く日だろ?」
アルトに言われて、ツェリシアはハッとした。
「あ、そうだったわ。すっかり忘れてた。教えてくれてありがとうアルト」
「エプロンはもうアイロンをかけておいたよ」
「わ、ありがとう!」
「どういたしまして」
とろけるような優しい眼差しでツェリシアに微笑むアルトに、師匠であるイグリードが言う。
「アルト!僕も今日は精霊占術師ダイになる日なんだ!占い師のマントにアイロンをかけといてくれた?」
それを聞き、アルトがジト目で師匠を見やる。
「なんでマントにアイロン掛けが必要なんですか、生地が傷みますよ。第一あなたは魔法でちゃちゃっと出来るでしょう」
「や~ん僕にも優しくしてよ~」
「ったく、弁当は作っておきましたよ」
「わーいやったぁ!ありがとうお母さん☆」
「誰がお母さんだコラ゛」
「ぷっ…ふふふ」
二人のやり取りが可笑しくてツェリシアは思わず笑ってしまう。
ツェリシアが精霊王の愛し子になって早三年。
結婚式を終えた後からこのジェスロにあるイグリードの家でツェリシア夫婦は暮らしていた。
結婚式はアデリオールの王宮にほど近い聖堂で執り行われた。
ツェリシアのウェディングドレス姿はそれはそれは美しく、パールホワイトの艶やかな白いドレスが黒髪のツェリシアにとてもよく似合っていた。
結婚式とは普通、一番よく涙を見せるのは花嫁だと思う。
しかしツェリシアとアルトの結婚式では、参列した王太子ウィルヘルム、苦楽を共にした上位六傑の面々、そしてコルベールの義母アミシュと義姉アシュリ、と、ほぼ全員がバージンロードを歩くツェリシアをぎょっとさせ、同じく式に参列したイグリードを大笑いさせる程の大号泣であった。
中でも共にバージンロードを歩いた養父の魔塔主バイヤージが普段のドライなイメージからは信じられないくらいの泣きっぷりだった。
静かに、とめどなく涙を流しながらバージンロードを共に歩くバイヤージに、ツェリシアも思わず胸熱になって涙が滲んだ。
天国にいる実父とコルベールの義父、そしてこの養父バイヤージ、自分には三人もの父がいる。
その幸せを噛み締めながら一歩一歩、祭壇の前に立つアルトの元へと歩いて行った。
アルトが慈愛に満ちた眼差しで自分を見つめている。
世界中で一番大好きな人。
アルトは昔からツェリシアのヒーローだった。
そしてアルトはヒーローに相応しく、ツェリシアを救い出してくれた。
途絶える事のない道を作ってくれた。
決して叶う事はないと諦めていた結婚式を挙げられるのも、全て彼のおかげなのだ。
司祭の前で、皆の前で永遠の愛を誓った瞬間はきっと、まさに永遠に忘れないだろう。
ツェリシアはあの日、間違いなく世界で一番幸せな花嫁であった。
そして新婚旅行を終えた後、そのままここでの暮らしが始まった。
精霊王の愛し子が三人も集う暮らし。
眠らない者が三人もいるものだから、ついつい夜はゲームや魔力念写映像鑑賞などでよく盛り上がる。
かくして昨夜も夜通しでボードゲームに興じていたわけだ。
アルトが用意してくれた朝食を食べながら、それぞれ今日一日の予定を話す。
「アルトは?今日の予定は?」
ツェリシアが尋ねると、紅茶にミルクを入れながらアルトが答えた。
「俺は今日はハイラム政府の要請で見つかった古代魔道具の分析に行ってくるよ」
「へ~ご苦労様だねアルト。頑張ってね☆」
と応援を口にするイグリードを、アルトは冷ややかな目で睨め付けた。
「もともとはあなたへの要請だったと思うんですがね?アルフレッド殿下が嘆いてましたよ、少しは賢者らしいところも臣下達に見せて欲しいって」
「え~嫌だよ面倒くさい」
「近頃のハイラム王宮では、あなたが大賢者だと知らない官吏たちが増えてるそうですよ?時々やって来てはおかしな事していくただの変人だと思われているそうです」
「あはは!変人!イイね☆いよっ大変者の弟子!」
「……やっぱり今日の依頼は師匠、あなたが行って下さい」
「え~っ!嫌だよっ!今日はもう占い師モードなんだからっ」
「いや行け、絶対行け、行って変人の汚名を雪いでこい」
「出た!アルトじゃなく悪人!」
「ぷっ!あはははっ!!」
師弟の言い合いにツェリシアはたまらず吹き出した。
二人のやり取りはいつもこんな感じで、どちらが師匠かわからないような会話が繰り広げられる。
その度にツェリシアは可笑しくて腹筋が崩壊しそうになるのだ。
けらけらと笑うツェリシアの口元にアルトの指先が触れる。
「ツェリ、パンの欠片が付いてるよ」
そう言って口元に付いた欠片を取ってくれた。
「ふふ」
くすぐったくってツェリシアは思わずまた笑う。
「ほらフルーツも食べて。このオレンジ、瑞々しくて甘いよ」
「ありがと」
そんなツェリシアとアルトの様子を眺めながらイグリードがニヤけながら言う。
「甘いのはオレンジじゃなくてアルトだよね☆ツェリーちゃんにはホント甘いよね」
「俺は充分あなたにも甘く接してますよ。そうでなかったらいつも無視して放置です」
「ぎゃっ、良かった☆優しい弟子で♡」
「でも今日の依頼は師匠が行って下さいよ」
「えーーーっ!!酷いっ!」
「酷くないです。もう決めました。ツェリ、今日は料理教室が終わる頃に迎えに行くよ。久しぶりにデートしよう」
「えっ嬉しいっ!……でもバルちゃんが半泣きになってるわよ?」
ツェリシアがイグリードの方をちらりと見る。
するとイグリードは愛用のレースのフリルで縁取られたハンカチで目元を押さえながら言った。
「いいんだツェリーちゃん。僕はカッコよくて素晴らしい大きな賢者だからね、依頼なんてサクっと片付けて僕の偉大さをハイラム王宮のみんなに知らしめてくるよ」
「頑張ってねバルちゃん」
「ツェリーちゃん優しい……!」
感激したイグリードが思わずツェリシアを抱きしめようとする……も、アルトにより強制転移でどこかに飛ばされた。
おそらくハイラム王宮だろう。
「ツェリに触れる事は例え師匠でも許さん」
「もう、アルトってば……」
結婚してわかった事だが、アルトはかなり独占欲の激しい性質のようだ。
相手がイグリードでなければ、他の男と二人で一緒の空間になど居させないと豪語している。
ツェリシアが通う料理教室も女性の講師のところを探し出して来たものだ。
それどころか今、アルトは医療魔術師としての勉強を始めている。
ツェリシアの主治医になって、普段の診察も子どもが出来ての出産も全て自分が診るとまで言っていた。
医療魔術師は魔力量だけでなくかなり難しい勉強もしなくてはならないので大変な筈なのに、まるで近所に買い物でも行くような簡単な感じで言う。
まぁアルトなら難なく取得してしまうんだろうなぁとツェリシアは思っているが。
『子どもか……』
子どもの事は結婚した時に直ぐに二人で話し合った。
ツェリシアもアルトも精霊王の愛し子であるが、
生まれる子どもは普通の人間である。
それでもツェリシアの胎内にいる間に多少なりともデューフィリュスの血の影響を受け、他の者よりは寿命は長いだろうとアルトは推察した。
ツェリシアもアルトも出来れば子どもが欲しいと考えている。
将来、子どもの方が先に旅立つという辛さは待ち受けていたとしても、この世界に迎え入れてあげたい。
そして美しいもの、美味しいもの、楽しいもの、その世界の素晴らしさを教えてあげたいのだ。
なので自然に任せて、授かった時は産んで大切に育てようという事になったのだ。
まだ授かってもいないのに、
イグリードは「僕が名付け親になるからね!」とはりきっている。
その時のアルトの嫌そうな顔は今思い出すだけでも笑ってしまう。
きっとアルト自身も敬愛する師に名付け親になって欲しいと思っている筈だが、イグリードのネーミングセンスを信用していないらしい。
どんな名前を付けるつもりなのか事前に入念にチェックして、変なものばかりだったら何度もリテイクさせると言っていた。
その日が早くくればいいなとツェリシアは思っていたのだが……
後になって思えば、そんな事をふと思い出したのは虫の知らせだったのだろう。
料理教室へ行く時間が近くなり、そろそろ着替えなくてはならない頃なのにツェリシアは胸のムカつきを感じて気持ち悪くなってきた。
ソファーに置かれたクッションにもたれて悪心感をやり過ごす。
いつまでもぐずぐずしているツェリシアに気付いたアルトがソファーの前にかがんでツェリシアの顔を覗き込んだ。
「ツェリ?どうした?具合が悪いの?」
「うん……なんだかムカムカしてぎぼぢわ゛る゛…い゛……」
喋ると吐きそうになる。
アルトはツェリシアの額に手を当て体温を調べてから脈も測る。
「もしかして……」
アルトがそう呟いたと思ったら、いきなりソファーから横抱きに抱き上げられた。
「わっ、アルト?」
「ツェリ、ちょっとだけ我慢して」
アルトがそう言ったかと思った瞬間、転移魔法で何処かへと連れて行かれた。
どこに転移したのかと辺りを確認するとそこはアルトの実家、コルベール家の居間だった。
アルトが珍しく慌てた様子で母を呼ぶ。
「母さんっ」
突然家の中から離れて暮らす息子の声が聞こえて、驚いた様子でツェリシアにとって義母となったアミシュが居間に入って来た。
「おはよう!どうかしたのこんなに朝早くにっ、ツェリちゃんがどうかしたのっ?」
どんなに慌てていても挨拶を欠かさない義母に和むツェリシアを他所に、アルトがアミシュに言った。
「おはよう母さん、女性の産科医療魔術師に往診を頼みたいんだ、女性の!今すぐにっ」
「!」
アルトもちゃんと挨拶をしてエライな~と思っていたら、産科医療魔術師という言葉を聞いてツェリシアは目を丸くしてアルトを見た。
アミシュも同様で、一瞬目を見開いていたが、直ぐさま行動に移した。
「わかったわ!あなたはツェリちゃんを客用寝室に運んで!」
「わかった」
親子はそう言い合い、それぞれ動き出す。
ツェリシアがえ?え?え?と狼狽えているうちに、
あれよあれよと壮年女性の医療魔術師が連れて来られ、あれよあれよと診察を受けた。
結果は………
やはりおめでたであった。
「おめでとうございます。ご懐妊ですよ」
とアルト二人、女性の産科医師魔術師に告げられて呆然とした。
そして次の瞬間にはベッドに座りながらアルトに抱きしめられていた。
『え?え?え?おめでた?赤ちゃん?』
と驚き過ぎて直ぐには理解できなかったツェリシアたが、
「ツェリ……!やった……!ありがとう、ツェリっ……」
とツェリシアを抱きしめながら言ったアルトの言葉を聞いて、じわじわと喜びが滲んで溢れ出して来る。
「赤ちゃん?わたしと、アルトの?」
ツェリシアが確認するように言うとアルトが答えた。
「そうだね。そうじゃなかったら俺は悪魔以上の存在になりそうだよ」
「わたし、お母さんになるの?」
「うん」
「アルトはお父さん?」
「うん、ありがとうツェリ」
「っ……~~~~どういたしましてっ!!」
「わっ」
途端に喜びが爆発したツェリシアがアルトに飛びついた。
アミシュが「お父さまに知らせないと!」
と大喜びで部屋から出ていく姿が視界の端に映る。
家族みんなでこの慶事を喜んだ。
イグリードの喜びようはそれは凄まじく、
「絶対!絶対名前は僕から贈るから!」と言い張った。
そして案の定アルトにリテイクを何回も食らうも、それでもめげずに幾つかの名前候補を上げてくれた。
候補は全てアルトのお許し(笑)が出たもので、その中のどれを選んでくれるのかツェリシアはとても楽しみにだった。
そして季節は巡りそろそろ木々が色づき出す頃に、
ツェリシアは元気な男の子を出産した。
赤い髪の可愛い男の子。
ツェリシアとアルト、待望の第一子だ。
出産を終え、初めて我が子の顔を見た時、涙が止まらなかった。
涙と同時に愛しさも溢れ出て、これが親としての愛なのかとその心情に感動する。
アルトの目にもキラリと光るものがあった事を、ツェリシアもイグリードも見逃さなかったが何も言わないでおいた。
お互いオトナである☆
イグリードは「愛し子の愛し子だ☆」と笑みを浮かべながら、
「最上の幸多き人生歩めるように。
キミの名前はトワ、“道”だよ。東方の言葉の“永久《とわ》”という意味もあるんだ。トワ、健やかに成長してね♪」
ツェリシアとアルトは師に心からの感謝を告げる。
「ありがとうございます」
「凄い……バルちゃんカッコいい…賢者っぽいです」
「でしょーーーっ☆」
「ふふふ」「ふっ」
やっぱりいつもの調子の大賢者に、ツェリシアとアルトが笑った。
こうしてジェスロ市街13丁目小高い山の上1ー1に新たな家族がまた一人増えた。
幼いバルク=イグリードがかつての魔術の師匠と共に暮らし、その後数100年に渡って一人だったその小さな家に、今では愛弟子とその妻子が共に住んでいる。
これからはきっとその家に、未来永劫賑やかで明るい笑い声が響くに違いない。




