精霊魔術師アルト=ジ=コルベール
10歳で母が再婚してアブラスへ移り住むまでは、ツェリシアはアデリオールの王都で暮らしていた。
ツェリシアの父方の祖父とアルトの祖父が無二の親友だった事から、二人の婚約はツェリシアの誕生と共に結ばれた。
父が生きていた頃はよく両家で交流していたが、
それが一変したのはやはり父が流行病で亡くなってからだった。
ツェリシアが8歳、アルトが11歳の時だ。
父が亡くなったからといって婚約が無くなる事はなく、むしろ今まで以上にアルトの実家、コルベール家はツェリシアを気遣い、大切にしてくれたように記憶している。
それは母の再婚話が持ち上がりアブラス王国へ行く事になっても変わらず、ツェリシアが18歳になったと同時に婚儀を挙げれるように、支度金も既にコルベール家から母へと渡されていた、らしい。
その支度金を母と義父が自分達の遊興費として使い果たしてしまった事を知ったのは、アブラス王国で10歳になった子どもが必ず受けなくてはならない選定式で奈落の適合者だと選定され、婚約を解消せざるを得ない事態に至った時であった。
ツェリシアの事情を全て汲んでくれたアルトの両親は、支度金は返金しなくて良いと言ってくれたらしいのだが、それでは筋が通らないと、ツェリシアは選定後に養父となった魔塔主バイヤージ=グリーンに頼み込んで返金したのだった。
だってこちらの都合で婚約解消となったのに、これ以上迷惑をかけたくなかったから……。
これ以上、悪い印象のままアルトの記憶に残りたくなかったから。
子どもだったが、それがツェリシアの精一杯の矜持だった。
そして婚約解消の理由をアルトの両親にはきちんと説明したが、アルトには本当の事を黙ってて欲しいと頼んだ。
その時のツェリシアは自分がいずれ死ななくてはならない運命だとは知らなかったので別に言っても構わない筈だったのだが、国に選ばれて魔術師になるからあなたとは結婚出来ないわ、とは言えないと思ったのだ。
ツェリシアはアルトの事が大好きだったから。
そんな勝手な女と思われたくなかったのだ。
(いや、いくら辞退出来なかったからとはいえ実際勝手をしたのだが)
多分、初恋だったんだと思う。
そして多分、その想いは今も炉に残った熾火のように燻り続けている。
きっとこの想いを抱えたまま、アルトの事は幼い日の美しい思い出として死んでゆくのだと思っていたのに………
まさか、
こんな形で再会する事になろうとは。
しかも、自分を殺す[監視者]として目の前に現れるとは思いもしなかった。
『神サマもびっくりだわ』
ツェリシアは目の前の元幼馴染、元婚約者を見つめながらそう思った。
今、この中央会議室にはツェリシアを含めた
[監視者]上位六傑が揃っている。
“厄災”を監視する者はこの国の聖職者や騎士、そして魔術師なら全員である。
皆で“厄災”を常に注視し、どんな小さな変化も見逃さない為だ。
そしてそれらの者達の頂点に立つ6名の者。
それが上位六傑と呼ばれる英傑(?)達だ。
まずは自身である魔塔のツェリシア。
ツェリシアの養父であり魔塔主のバイヤージ(40)
聖騎士ブルサス(27)
国獣聖狼の加護を受けた聖女シスター・ウルフ(30)
国教会の若き大司祭ミルソン(40)
そして前任者の突然の辞退により一時不在だった6人目として、友好国アデリオールから赴任して来た精霊魔術師のアルト(23)。
来るべきその日の為に、役者が揃ったという訳である。
監視者上位六傑をまとめるのは
総責任者である王太子ウィルヘルムだ。
ウィルヘルムは皆にアルトを紹介した。
「アデリオールから六つの目の一角を担う為に来てくれた精霊魔術師のアルト=ジ=コルベール卿だ。精霊魔術とは精霊術と魔術を融合した珍しい魔術だそうだ。アデリオールとハイラムでは一般的になって来たらしいのだが……みんな、協力してやっていってくれ」
ウィルヘルムからの紹介を受け、アルトは皆に軽く会釈した。
「はじめまして、よろしく」
『………え?それだけ?』
自己紹介なんだからもっとこう、なんかあるだろう。
身長とか体重とか好きな本の名前とか趣味とか……
色々と教えてくれたらいいのに……とツェリシアは思ったが、他の皆はそうでもないようだ。
「無駄の無い簡潔な挨拶が潔いっ!しかも魔術師でありながら帯剣してるのも見どころがあるぞっ!」
とは脳筋のパッパラパラディンのブルサスが、
「うだうだ自分語りをしないところが好感持てるわね」
とはシスター・ウルフが、
「彼の為人はこれから自らの目で知って行きたいですからねぇ」
とはミルソン司祭が言った。
そんなものなのか……ツェリシアは心の中でひとり言ちた。
その後はそれぞれ名と役職を名乗り、簡単な顔合わせは終了となった。
退室前にウィルヘルムがアルトに告げる。
「卿の希望通り部屋は魔塔に用意した。分からない事は魔塔主かそこのツェリシアに聞いてくれ。二人は確か幼馴染なんだよな?」
アルトはニッコリと微笑んで答えた。
「はい。10年ぶりに再会出来て嬉しいです。魔塔主殿のお手を煩わすのは気が引けるので、滞在中はツェリシア嬢に面倒見て貰う事にいたします」
「へ?」
アルトのその言葉を聞き、素っ頓狂な声を出したツェリシアを尻目にウィルヘルムは大きく頷きながら言った。
「大いにこき使ってやってくれ。こう見えても彼女は魔塔でも古株の分類に入る人物なんだ。いつも変な本を読んだり如何わしい魔法薬の研究に没頭して滅多に塔から降りて来ない。王宮内の案内でも王都の案内でも、何でもいいから外に引っ張り出してくれると有り難い……というか、コルベール卿にツェリシアの面倒を見て貰う羽目になりそうで申し訳ないなぁ」
「へ?」
「いえ。その為に魔塔では彼女の部屋の隣を用意して貰ったのですからお気遣いなく」
「へ?」
「ではツェリシアの事をよろしく頼む」
「承知いたしました」
「へ?」
「じゃあ行こうか、ツェリ」
「へ?え?」
ウィルヘルムとアルトの間で忙しく交互に顔を動かしていたツェリシアの肩をそっと押し歩きながら、アルトは会議室を後にした。
その後も「へ?」「隣?」「どういう事?」と
クエスチョンを続けるツェリを伴って、アルトは魔塔へ入って行った。
塔に足を踏み入れた瞬間に手を掴まれ、体ごと何処かへ引っ張られた。
その馴染んだ感覚が転移魔法だと一瞬で理解する。
次に視界が開けたのは、ツェリシアの研究室があるフロアだった。
13あるフロアの内、10階目。
南側の日当たりの良い一画にバイヤージ曰くツェリシアが棲み憑いてる研究室とは名ばかりの部屋がある。
「……わたしの部屋はこの10ーAなんだけど、アルトの部屋は……」
「俺は隣の10ーBだよ」
「やっぱり」
長く隣は空き部屋だったけれども、それは曲がりなりにもツェリシアが女性だったからだ。
女性魔術師は普通は魔塔に住み着いたりしない。
それなのに仕事だけでなく寝食もここで行っているツェリシアに一応配慮して隣室の使用はしていなかった、らしいのだ。
もう片方の隣は物置である。
しかし何故アルトはこの部屋を使う事になったのだろう。
他に部屋が無いわけではないのに。
滞在するなら王宮の客室の方がラグジュアリーでブルジョアリー(意味不明)な住み心地だろうに。
ツェリシアにはわからない事だらけだった。
そして更に不可解な事が目の前で起きている。
魔塔に来てツェリシアの部屋を見るなり、アルトがツェリシアの部屋の掃除を始めたのだ。
物理的に箒や雑巾で掃除しているのではない、
アルトは魔術を使って掃除をしている。
指をぱちんと鳴らせば本や魔道具が自らの意思を持つように所定の場所へと帰って行く。
そしてまたぱちんと鳴らせば見る間に棚や床の埃や汚れが消えた。
『わ~、凄い。魔術ってこういう使い方もあるのね~』と思わず感心してしまう。
ちょっと待て、10年ぶりに再会した元婚約者に汚部屋…じゃない、お部屋の掃除をさせてどうする、とようやく我に返ったツェリシアは慌ててアルトの腕を掴んで掃除をやめさせた。
「アルト!そんな事しなくていいからっ」
「ダメだよツェリ。不潔な部屋に住んでると病気になるぞ。せめて床やベッドに物を置くのはやめよう」
そう言いながらも指をまたぱちんと鳴らし、
寝具に清浄魔術をかけた。
たちまち布団がふんわりと洗い立てのような良い香りになる。
「うわ~!清浄魔術って寝具にも応用出来るのね~って、そうじゃない!」
ツェリシアはアルトの両頬に手を当てて、自分の方へと向かせた。
「もう!友好国から来た精霊魔術師様がそんな事しなくていいからっ!」
「……やりたいんだよ」
「なんっ……で……」
掃除をやめさせたくて思わず頬を掴んでしまったのだが、アルトが一瞬驚いた顔をした後に優しく微笑んだ事に、ツェリシアは不覚にもドキっとしてしまった。
そして慌てて手を離してそっぽを向いて誤魔化す。
「とにかく!アブラス滞在中に面倒を見るのはこちらなんだから、変に気を遣わなくてもいいの!それより自分の荷解きは済んだのっ?」
ツェリシアが照れ隠しの為にわざとキツく言っても、アルトは気にしていない様子だった。
「まだ。じゃあツェリ、手伝ってくれる?」
「………いいわよ」
あまりにもアルトが昔と何も変わらずに接してくれるものだからツェリシアの方が調子が狂ってしまう。
まるで10年も離れていたなんて信じられないくらいに、接し方が昔のまんまなのだ。
その後もアルトは事ある毎にズボラなツェリシアの世話を焼いた。
寝癖でボサボサな髪をブラシで梳いてくれたり、
ソースをこぼして汚したローブの染み抜きをしてくれたり。
一度どうしてこんなに面倒見が良いのかと尋ねたら、
「精霊魔術を教えてくれた師匠がなんでも出来るくせに何もしない人だったんだ」
と答えてくれた。
『アルトの師匠ってどんな人なんだろう』
いつか会いたいなと思えども、
自分にはそのいつかは永遠に訪れないんだろうなぁとツェリシアは一人、心の中で自嘲した。