賢者の弟子
「10年前ぶりですね。私の事を覚えていますか?」
ツェリシアが奈落の力で厄災の元凶となる負のエネルギーを吸い込む瞬間から遡る事数ヶ月前、魔塔主バイヤージの私室に突如転移してきた青年がそう言った。
転移をされる魔力の気配も魔法陣の前触れも何もなく突然現れた青年に、バイヤージは目を見張る。
一瞬の沈黙の後にバイヤージはその青年に言った。
「……言葉使いは丁寧になったが、人の部屋に勝手に転移して来るのは相変わらずのようだな。その赤い髪、確かに覚えているぞ。10年前に生意気な事を言うだけ言って消えた小僧だな」
迂遠な言い回しをしながら不敵に笑うバイヤージに、青年は表情を変える事もなく淡々と告げた。
「アルト=ジ=コルベールです。出身はアデリオールですが、とくにどこの魔術師団にも騎士団にも属しておりません」
「コルベール……というと精霊使いの一族か」
まぁそうであろうという予測は既に10年前にしていた。
「はい。そしてツェリシアの婚約者でもあります」
「……ツェリシア本人は婚約は解消されたと思っているぞ?」
「しかし解消はされておりません。向こうの元親からは何も言われていませんからね、婚約は現在も結ばれたままです」
「それはそれは……で?確か10年前に力を付けて戻ってくると言っていたが。大言を吐いたほどの実力を身につけて戻って来たのだろうな?」
「ええまぁ。とある方の元で10年、師事しました」
抑揚もなく話すアルトにバイヤージは年若い青年を若干揶揄うように言った。
「官民問わずどこかしらの魔術師団や精霊騎士団に属せずに教えを乞える相手がいるとは。貴殿の師匠とやらは余程のお方なのだろうな。モグリかそれとも公には属せないワケアリの者か……その師匠とやらの名を訊いても?」
「バルク=イグリード」
アルトがその名を口にする。
バイヤージは耳にしたその名を理解するまでに、しばしの時を要した。
「…………………………は?」
「バルク=イグリード、ご存知ないのですか?」
「いやご存知に決まっているだろうっ!!この世界の魔術師でその名を知らない者はいない!!」
バイヤージは思わずムキになって返してしまう。
そして咳払いをしてもう一度尋ねた。
「バルク=イグリード?」
「はい」
「大賢者と呼ばれる、あの?」
「はい。本人はただのチャランポランな変人ですけどね」
「……それを信じる証拠は?」
「証拠、ですか?」
アルトはしばし「ふむ」と考えてから、懐から懐中時計を取り出し、そしてバイヤージに渡した。
懐中時計を受け取ったバイヤージがその表蓋に刻まれた紋章を見た途端に顔色を変える。
「こ、これはっ……文献で見たイグリードの紋章っ!?」
「裏に“実際に目の中に入れたら痛いけど、目の中に入れても痛くないほどに可愛い弟子のアルトへ”と書いてあるでしょう?」
「あ、ああ……しかし……ホンモノ?」
と、まだ半信半疑だったバイヤージにイラっとしたアルトが、瞬時に強制転移で世界一周に処すほどの魔力を見せつけて、それでようやく無理矢理納得させたのであった。
それからすぐに、正式にこのアブラス王宮に勤められるようにアデリオールに要請を出させたり(アデリオール側には父を通して話を付けていた)、六傑のひと枠を用意させたりと、バイヤージに諸々の手配を頼んだ。
そうやって様々な下準備を終えてやっと、
ほぼ10年ぶりに婚約者ツェリシアとの対面を果たす。
実は時々、陰ながら様子は見守ってきたのだが、正面から会話をするのは実に10年ぶりだった。
大人になってもツェリシアはツェリシアで、アルトが妹のように面倒を見てきた頃のツェリシアと何ら変わらないまま成長を遂げていた。
妹なんて思った事は一度もないが。
アルトが持つ一番古い記憶は3歳の時で、
ベビーベッドで眠るツェリシアを、これが将来のお嫁さんだぞと言われた事だ。
それからツェリシアの父親が亡くなり、母親が再婚のためにアブラスへ行くまでの9年間、常に近くで大切に守ってきたのだ。
それを奪われ、必ず取り戻すと誓ってから早10年。
ようやく面と向かって話が出来た。
ツェリシアは本当に可愛くて面白くて、自分にとって特別な女性だ。
しかしそのツェリシアの体に埋め込まれた“奈落”と呼ばれるブツは、やはり碌でもないものだった。
厄災よりも何よりも、アレを何とかせねばツェリシアに未来はない。
本当はツェリシアに辛い思いも苦しい思いもさせたくはない。
だがアレと引き離す為には、一旦はアレの望むようにするしか方法はなかった。
決してそんな姿は見たくはないのに。
見たくなかったその光景が、今現実のものとなってアルトの目の前で繰り広げられている。
『ツェリ……!』
ツェリシアが亀裂から噴出した膨大な“負”のエネルギーをその身に吸い込んでいるのだ。
実際に喰らっているのは奈落と呼ばれるパーツだが、ツェリシアの体を使ってそれを行っている事に途轍もない憤りを感じる。
『ツェリシアが望んでいなければこんな国、どうなっても良かったのに』
正直なところ、それがアルトの本心だ。
しかしそれでは……この国の民を見捨てれば、ツェリシアが悲しむ。
だから至極……いや超絶困難な相手との折衝に奔走したのだ。
片目を失っても。
ツェリシアの為ならそれは瑣末な事だった。
魔鉱石から発生し、数十年かけて溜まり溢れ出したエネルギーだ、その量たるや半端ではない。
半端ではないはずなのだが、ツェリシアは…違う、奈落はいとも簡単に吸い込んでゆく。
呼吸をせずに延々と吸い続けるその行為はさすが人外の成せる技と言えよう。
『いつまで続くんだ……!』
アルトは思わず目を逸らしたくなる。
しかしツェリシアがまさに命懸けで頑張っているのだ。
自分は最後まで見届けねばならない。
アルトは一つだけになった目でしかと見据えた。
どれくらい時が経ったのだろう。
誰も何も言えずにただ黙ってその光景を見ていた。
そして、やがてとうとう、ツェリシアの中の奈落が厄災の元凶を全て喰らい尽くす。
嘘みたいに静かになった辺り一帯。
誰もがツェリシア一人に視線を向ける。
一人の女性がその体内に巣食うモノを使って、
この国の厄災を防いだのだ。
そして次に起こる悲劇を、誰もが知っている……。
誰一人としてツェリシアに対して言葉掛けする事など出来なかった。
ただ一人を除いては。
「ツェリ」
誰に呼ばれるよりも一番好きなその声に呼ばれて、
ツェリシアは微笑みながら振り向いた。
「もうお腹いっぱい。満腹感なんて、10年ぶりに感じたわ……」
ツェリシアの言葉にアルトは優しく微笑みかける。
「ツェリ、お疲れ様」
「……本当に……疲れた、わ……」
そう言った途端にツェリシアの膝が力なく頽れる。
それでも難なくアルトは間に合い、
ツェリシアを包み込んだ。
「ツェリ……」
「アル、ト……ねぇもういい?もう眠ってしまってもいい……?」
「いいよ。寝て起きたら、全てが終わってるよ」
「ふふ……ホントね……全て、終わる……アルト、後はお願いね……出来ればこのまま……眠ってるうち、に……」
自分を抱きしめるアルトの顔を心に刻みつける。
役目を無事に終え、責任を果たし、皆を守れた安堵感を味わいながら好きな人の腕の中で安らかに逝く。
『なんて理想的な最期……アルト、みんな、ありがとう……』
そう心の中で呟いて、ツェリシアは意識を手放した。
今し方起きた事を考えれば、すぐに気絶しなかったのが信じられないくらいだ。
アルトはぎゅっと腕の中の大切な存在を抱きしめた。
そんなアルトに師匠、イグリードが声をかける。
「おかえりアルト。ギリギリだったね。随分手間取った様子じゃない、ナニそれ。片目をどうしたのさ」
アルトは疲れた顔をして師匠を仰ぎ見た。
「アレだけでは足りないと、体の一部を贄として差し出すよう要求されました。本当は心臓を所望されたのですが、ふざけんじゃねぇとアイツの羽を一枚燃やしてやってから、これで我慢しろと片目を置いてきましたよ」
「無茶をするなぁ……」
イグリードが困った顔をして微笑む。
「しかしアレで足りないと豪語するとは。僕たちの10年分の魔力だよ?なんて欲深いんだ。どちらかというと“強欲”の方が正しいんじゃない?」
イグリードの意見にアルトは力なく微笑んだ。
いつもは素直になれないが、
やはりこの人の顔を見ると安心する。
そしてアルトは次の瞬間には真剣な眼差しをイグリードに向けた。
「師匠。こちらの事、後はお願いしてもいいですか?俺はこのままツェリを連れて向こうに行きます」
「そうだね、出来るだけ早くツェリーちゃんを楽にしてあげよう。こっちの事は心配しなくていいよ。後始末はやっとく。あ、でもアレ、アブラス国王は承認したの?」
「はい。そこにいる王太子が証人です」
アルトはイグリードの近くに立つ王太子ウィルヘルムにちらりと目線をやりながら答えた。
弟子の言葉にイグリードは嬉しそうに目を輝かせる。
「あはは!承認の証人だ!」
「はいはい。では師匠、頼みましたよ」
半目で告げるアルトにイグリードは拗ねた。
「ちぇーっ、アルトくんてばドライなんだからぁ~わかったよ。ここは任せて行っといで」
アルトは深々と師匠イグリードに頭を下げた。
そこへいきなり、ウィルヘルムが膝をついて訴え出た。
「っ頼むっ……!せめて苦しまないように楽に死なせてやってくれっ……」
大量の涙を流しながらアルトに懇願する。
その姿を見て、思わずといった態でシスター達六傑の皆も涙ながらにアルトに頭を下げた。
「俺からも頼むっ!!」
「彼女は本当はこんな死に方をしていい人ではありません。だからどうか、どうかせめて安らかに……」
「私は、貴方がツェリシアちゃんを好きなのを知ってるから心配はしていないわ……彼女の事、よろしく……ね……」
皆が心底、口惜しそうに、そして身を引き裂かれるかのような面持ちで告げている。
アルトがこのままツェリシアを連れ去って、どこかで封緘者として始末するのだと思い込んでいるらしい。
まぁそういう決まりになっているのだからそう考えても仕方ないのだが。
それをただ黙って聞いていたアルトは、ツェリシアを横抱きに抱えたまま端的に答えた。
「ツェリは死なせません。なんのために俺が10年も踏ん張ってきたと思うんですか。余計な心配する暇があったら、封印後の事でも考えるんですね」
「え?それってどういう……」
アルトが告げた言葉の意味を問い正そうと誰かが口を挟むも、アルトはそのまま何も言わずに何処かに転移して行った。
「ちょっ……!」
皆が要領を得ない顔をして先ほどまでアルトが居た方に手を伸ばす。
しかしその手は虚しく宙を彷徨うだけだ。
そして、皆が一斉にイグリードに向き直る。
「ど、どう言う事なんですかっ!?ツェリシアを死なせないって!?」
「え?何?封印って言ってた?何封印って!?何事!?」
「ていうか貴方誰ですか!?」
「コルベール卿の師匠って言ってました!?」
口々に捲し立てられ、イグリードは可笑そうにお腹を抱えて笑い出した。
「あははははっ!!
ナニ皆んな必死っ!!皆んなの顔ったら!あははは!!」
何がそんなに可笑しいのか、イグリードが大笑いする。
しかしその場に残った者は、
愉快そうに笑い続けるイグリードを呆気に取られてぽかんと見ている外なかった。
ひとしきり笑い終えた後、イグリードは涙目になった自身の目をレースのハンカチで拭きながら、皆に言う。
「ぷぷ、じゃあこれから質問コーナーに移るよ♪
何でもじゃんじゃん質問して。じゃんじゃん答えてあげるからさ☆」
そしてイグリードが指をぱちんと鳴らす。
するとそこには……
学校の教室のような部屋が現れた。
次回、イグリード先生が色んな謎に答えてくれるそうです☆




