雁と過ぎ去りし刻
彼女と約束した1年間はとっくに過ぎて、気がつけば5年という年月が流れていた。
最初の国での内戦が終わり、生き延びた俺は別の戦場へと流れていった――帰る巣の無い雁のように。時には政府軍に雇われ、またある時は反政府勢力に参加していた。もちろん、それらはすべて所属している民間軍事会社を通じて、だ。
しかし、世間というやつは俺たちハネっかえりの存在を疎ましく感じるらしい。もっとも、その気持ちも分からなくはない。あいつらからすれば、信念もなく国のためでも民主主義を守るためでもなく、ただ金のためだけに戦う、野蛮の徒なのだろう。
だが俺に、いや俺たちに言わせれば、正規軍のくせにまともに戦えない連中、人の後ろに隠れて安全なところから声高に反戦を掲げるブタどもに何ができると云うのか。奴らは何一つとして理解しようとしないし、理解する気もない。ただ自分たちの主義と理想に酔い痴れているだけにすぎない。
戦いは非情で残酷だ――それは間違っていない。人類がこの地上に現れて以来、ずっと争いの連続だ。だからこそ、俺たちのような人間が存在するのだ。
とはいえ――長く戦い過ぎた疲れがでたのか、それともヤキが回ったのか。
東欧の某国での戦闘に参加して生死をさまよう憂き目に遭ったが、天はまだ俺を見放していなかった。体の半分以上を機械化することで死の淵から生還した俺に、会社は多額の見舞金と休養を兼ねた長期休暇をくれた。最新AIを搭載した無人機による戦闘が主流になってきているとはいえ、会社にしてみれば戦歴の兵士は貴重かつ重要な道具だ。簡単に潰すわけにはいかない、というのが本心だろう。
久しぶりに母国へ帰ろうと決めたのは、彼女との約束をふと思い出したからだ。だが、申し訳ないとかそんな感情は欠片も無かった。
数年ぶりに母国の大地に足を降ろす――やはりなんの感慨深さも湧いてこない。
この国の退屈さは、相変わらずとしか言えない。ただ大きなショッピングモールや巨大なマンション、新しい道路が開通など街の変化には驚かされた。その反面、人間たちの考え方が、以前とほとんど変わっていないことだ。人なんてそう簡単に変わるものじゃないなと、あらためて実感する。
俺は空港でタクシーを使ってかつて住んでいた町を訪れた。しかし彼女に会うためでなく、今はもう亡き両親の墓参りのためだ。
墓参りを住ませた後に友人を訪ねる。フリーランスの生活を続ける、この男は何年経とうとも――頭の白いものと顔の皺を除けば――なに一つ変わらない。顔を合わせるなり、眠そうな表情で「生きていたか」が挨拶なのだから。その日は友人の自宅に泊まり、二人で夜遅くまで酒浸りだった。
翌朝、二日酔いの頭痛に悩まされつつ、俺は自分の住み家に向かった。不在の間は、友人がときどき来て管理してくれていたから、特に不具合は見受けられなかった。
ただポスト受けまでには、どうやら気が回らなかったらしい。ポストの蓋を開けると中から何通もの手紙が、一斉に飛び出してきた。一部の広告を除いて、手紙はすべて彼女からだった。
俺は机上で山積みになった手紙を一つずつ、開封して内容を読んだ。全部を読み終える頃には、すでに陽が西の空へと傾きかけていた。
失った時間を取り戻すように、俺はかつて彼女と一緒に歩いた道を今度は独りで歩いていた。感傷など俺らしくもない、と自分に言い聞かせながら。
彼女からの最初の手紙は、俺が旅立った年の——ちょうど今ぐらいから始まっていた。そこから毎月一通ずつ手紙が続いていた。内容は他愛のない日常のことや嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったことなどが綴られてあった。そして最後の文面にはかならず『一日も早く帰って来てくれるのを願ってます』とも。
俺がいない間、彼女も一日一日を精一杯生きていた。また俺に逢える日が待ち遠しいと感じながら、日々を過ごしていたのだろう。字面から彼女の様子が想像できた。
しかし今年初めを最後に、以後の手紙は切れた糸のようにぷっつりと途絶えてしまった。
考えるより先に、俺の指は主の意思とは関係なく、勝手に友人の番号に電話を掛けていた。
『どうした?』
いつ掛けても友人は眠たげな調子だな、俺は苦笑しながら
「むかし俺によく懐いていた娘がいたろう? 憶えているか」
『ああっ――よく憶えてる。子犬みたいにじゃれついてた、あの娘だろ?』
「あの娘はいま、どうしてる?」
『——————』
俺の問いかけに友人はしばらく沈黙していた。電話の向こうで友人がバツの悪そうな表情でいるのが、目に浮かんだ。
「…………そうか。忙しいところ、すまんかった」
相手からの返答も待たず、一方的に電話を切った。彼女に何があったのか、俺には知る権利はないし、今さら知ったところで何ができると云うのか。
時間に忘れられたままの、あの古い大きな欅は、同じ場所で悠然としていた。
その上を雁たちが編隊を組んで飛び去っていく。あの雁たちも、あの頃と同じなのだろうか。本当はあの日の時間は止まったままで、俺が戻ってきたから時を刻み始めたのではないか、そんな妙な錯覚に陥りそうだった。
ふと目の前を幼子を抱えた一組の若い夫婦が談笑しながら通り過ぎていく。子供は母親の腕に抱かれて、安らかに気持ちよさそうに眠っていた。
その親子の姿が見えなくなった後で、俺は来た道を戻る。
すれ違い様、母親と一瞬眼が合ったような気がした。なんとなく、彼女の面影があるように感じられたが、俺の勘違いかもしれない。
「……お久しぶりですね……」
懐かしく聞き覚えのある声が耳元に流れたが、俺は振り返らなかった。
小道のわきには、濃い紫色の都忘れの花が咲き乱れていた。
中秋を過ぎた風が冷たかった。
(了)
まとまり悪くなってしまいましたが、これにて終了です。
後日、別のところにて完全版・・・ではないですが、加筆・訂正版を公開していきます。




