第九十一話
今回で長きにわたった一章、アフリカ編は終了です。まだもう一話エピローグ的なのを書くかもしれませんが、ひとまずここまで。
てか自分の作品の一章ラストで泣きそうになってる奴おる!?
戦場を漂う火薬のにおい。最近すっかり嗅ぎなれてしまった。火山から生まれ、火山そのものの性質を持つ俺にはとてもいい匂いに感じる。
よく耳を済ませてみれば、そこにはまだ弾丸や砲弾が飛びかう音が聞こえる。
よく周りを見てみれば、そこにはまだ命を賭して戦う兵たちがいる。
蝗魔王は既に虫の息。もう戦いは終わりに差し掛かっているのに、俺と蝗魔王以外の者たちはまだ一進一退の攻防を繰り返していた。
それもそうか、蝗魔王の眷属は確かに彼に忠実だが、人型種でもなければ蝗魔王が死んだかどうかなんて関係ない。奴らはただその本能に刻まれた通り人間を襲うだけだ。
人型種は少しでも多くの変異種を生かそうと指揮を執り、強力な者たちはそれに追随して未だ人間の被害を拡大させていく。
これに対抗するため人間たちも死ぬ気で戦い、そして命を散らし、または大切なものを助けていく。
例え蝗魔王を倒そうともこの攻防が終わることはない。ただ敵側の主力がいなくなるだけなのだ。
目の前に横たわる蝗魔王。
その身からは、今までにないほど体液をまき散らしている。
俺が最後に放った魔法によって、奴はその高い魔法制御能力を維持できないほどのダメージを受けた。
今までであればどれほどの傷を負おうとも、それこそ頭部を粉砕されたとしてもその絶対的な体循環魔法で耐え切って見せていたのに、今は何も出来ず地面に伏しているのだ。
蝗魔王はその場からゴロリと転がり仰向けの姿勢になる。
たったそれだけの仕草であっても、彼は全身の傷口から大量の体液を溢れさせてしまっていた。
「……、行かなくていいのか、化生様?」
傷だらけの蝗魔王から発された言葉。それは今までのように飄々としたものではなく、かと言って奴が本気になった時の鬼気迫るものでもなかった。
「大丈夫さ、もう少しはな。互いに命を賭して身を削り合った仲だ。軍人も、お前の最期の言葉を聞き届ける時間くらいは許してくれるだろう」
まさに虫の息と言える蝗魔王。彼のこんな弱々しい姿を見ることになるなんて、何故か俺には想像できていなかった。
そんな彼から紡がれる最期の言葉。聞き逃すことも、聞き流すことも許されない。それが、俺が最後にできる、死にゆく者への敬意の払い方だ。
「……フン、そうか。見事だったぞ、チャンクー。今回こそは勝てると思っていたのに、まさか最後の最後であんな択を通してくるとはな。まったく、運命の力はどうしても俺を許してくれないらしい」
「お前こそ、間違いなく強者と言える存在だった。俺の攻撃は通用しないのに、お前は俺の自慢の防御をいとも容易く突破してくる。正直、最後の賭けが決まらなければ俺に勝ち目はなかった。きっと今から100戦したとして、そのすべてに俺は負けるのだろう」
蝗魔王は強かった、間違いなく。
奴の攻撃力は凄まじく、鎧なんて着ていない方が良いんじゃないかとも思った。
奴の耐久力ははかり知れず、どれだけ攻撃を食らわせようともただでは崩せなかった。そもそも機動力で俺を圧倒する蝗魔王に攻撃を当てること自体一筋縄ではいかなかったのだ。
今後、これ以上強い敵が現れることが想像できない。
全てのステータスにおいて俺を上回り、さらに途方もないほどの経験値を持つ魔王。こんなのがそう何体も出てくるはずがない。
「いやいや、今回の勝利はチャンクーの知力によるものさ。お前はこの戦いが始まる前から、あらゆる準備をしてきたんだろう。俺に力量を悟られないよう眷属との戦い方を変えたり俺に有効だろう魔法をいくつも準備してきたり。この魔法だってそうだろう。お前の鎧を見ればわかる。最初っからこれを狙っていたんだな」
……蝗魔王、さきほどからだんだん普段の飄々とした口調へと変わってきている。俺の目からも明らかに無理しているのが分かった。
奴は元々人としゃべるのが好きなんだろう。だから少しでも話しやすいようにと柔らかい口調を続けている。
本当はもう今すぐ死んでもおかしくない。そんな状態で口調にまで気を使うのがどれほど大変なことか。俺には想像もできない。
蝗魔王の言うとおり、俺の着ている鎧には戦闘開始時から変化が起きていた。
頭部がはじけ飛んでいるのだ。まさにここを狙ってくれと言わんばかりに素顔をさらけ出している。
俺が最後に放った魔法、隆盛・銅。神虫を仕留めたときから発想を得た魔法である。
蝗魔王は脳と同等の性能を持つ臓器を複数持っており、それを切り替えつつ使うことで生存能力や戦闘能力を高めていた。
しかしここで勘違いしてはいけないのが、脳を並列に動かして処理を軽くしているわけではないということだ。
三つの脳を同時に動かし、少ないリソースで複雑な行動を可能にしているわけではない。
三つ脳があったとして、一つの脳が潰れたら次、またそれが潰れたら次という風に切り替えているということだ。
そのため脳を一つ壊したからと言って奴の戦闘能力が下がることはない。
一番最初にこいつと戦った時はこれにやられた。頭部を完全に破壊したはずなのに手痛い反撃を受けてしまったのだ。
そこで作り出した魔法が、隆盛・銅。隆盛シリーズの最終版である。
蝗魔王の体内で解き放ち、俺とジェリアスとジダオの三人で構築した『蝗魔王の脳が多いだろう場所』へタングステンの針を叩き込む魔法である。
三人で夜を明かして考えた魔法は見事に炸裂、奴の脳の全てをほぼ正確に打ち抜いた。
しかしこの魔法、蝗魔王の体内に放つというのが最もネックだったのだ。
神虫の時はそうでもなかったが、本来魔力的性質を持つ生物の体内に直接魔法を撃ち込むには、その生物を遥かに上回る魔法制御能力が必要なのだ。
これが、俺が蝗魔王の防御を突破できない理由であり、蝗魔王がいとも容易く俺の防御を突破できてしまう理由なのだ。
これを解決するために昔開発したのが乱魔拳、および乱魔波である。
属性を持たない魔力を意図的にぶつけることで相手の魔力を誘導、ほんのわずかではあるが制御を乱すことができる。
無属性の魔力は属性を持つ魔力を引き寄せる性質がある。それこそ水と水がくっつくような弱いものだが、それでも確かに有効な魔法なのだ。
現に俺はこの魔法で一度ジダオに勝利している。
だがジダオの魔法制御を突破出来たからと言って、蝗魔王のそれを突破できるはずがない。
だからより綿密に精製した無属性の魔力を用意し、これまた確実な計算によって蝗魔王に有効なように放つ必要があった。
しかし当然そんなもの戦闘中に一瞬で作り出せるはずがない。だが戦闘中、いつその攻撃を放てるタイミングが来るかも予測できないのだ。
だから俺は、これを鎧に忍ばせることにした。
戦闘が始まる前に精製をはじめ、これを鎧の中で最も強度の高い頭部に仕込んだのだ。対して腹部は敢えて脆く作っておいた。
最初の攻防で腹部の方が壊れやすいことを理解させ、奴からの攻撃のほとんどを腹部に誘導する。そうすれば精製した魔法を乱されることなく戦闘を続行することができた。
こうして緻密に作り出した作戦は一度も崩されることなく見事成功を納めたのだ。
「それと、悪かったな。右腕、さっさと拾ってくっつけないと一生治んなくなるぞ。アララーの力ならそのうちくっつけられんだろ」
「は?」
言われて初めて気づいた。俺、あいつの刀で腕を切断されていたんだ。
少し視線を落とすと、そこには見事に平坦な切り口をのぞかせている右腕が転がっている。
それを認識した途端、脳内を支配していた戦いの高揚感と快楽が引いていき、代わりに果てなき痛みが訪れた。
いや、痛みは確かに感じていたのだ。奴の斬撃を受けたその瞬間に、俺は間違いなく痛いと感じた。しかしそれを身体のどこかで抑え込んでいた。
何故かは分からない。蝗魔王との会話を邪魔しないためか、俺の感覚がバグってしまったのか。
とにかく俺は蝗魔王に言われた通り右腕を拾って肩の切断面に貼り付ける。アララーの力で患部を接合し、いったん軽くくっつけておいた。
「痛いだろ、それ。ホントに悪いな。アララーも、すまなかった。今となっちゃあ分かるぜ、お前がどうして俺じゃなくチャンクーを選んだのか」
「貴様が謝るようなことはないぞワン。これは我の選択だ。我だって間違うことはある。だが、いつの時代だって絶望的な状況を覆してきたのは後先考えないバカな若者たちだっただろう? 我らは少々長生きしすぎたようだ」
姿の見えないアララーから声が発せられる。
俺には分からない、歴戦の猛者同士の噛み合った何かがあるのだろう。彼らの目的が何なのか、何故化生と魔王がこうも手を取り合っているのか。これから全てを突き止める必要がある。
「なに、貴様も百年もすれば新しく生を受けるだろう。その時には全てが終わっている。今回くらいは若い世代に任せて、神域に侵入せず深い眠りについたらどうだ?」
「……そのことなんだがな、アララー。悪い、俺は今回までなんだ」
その言葉を聴いたとき、アララーから今までに感じたことのない緊張が走る。
その言葉にどんな意味があるのか、その言葉にどんな思いがこもっているのか。俺にはその一切を読み取ることが出来なかった。
ただアララーから発せられる怒りにも似た感情に圧倒されていた。
「今回……まで、だと? どういうことだ? カンハンはどうなる? あいつの思いは? 神虫はどうなる? あいつはどうしたんだ! 応えろ蝗魔王ワン!」
アララーの必死の叫び。しかし蝗魔王はこれに全く取り合う気がない。
やはりアララーも魃魔王や神虫のことは知っていたようだ。
だが神虫の最期は知らないのか? あの時もこいつは俺とともに戦っていたはず。
「引継ぎは全て済ませた。あとはチャンクー、お前に全て託す。最期に一つだけ、言わせてくれ」
蝗魔王はそこで一呼吸置く。慎重に一言一言言葉を紡ぎ始めた。
「『新しい時代の化生。お前が奴らに一矢報いろ。そしていつの日か、俺も、魃も、神虫も、全員救い出して見せろ』」
「『蚩尤……?』」
その言葉は、何故か俺の口から自然に漏れ出していた。
どうしてそんな言葉が出たのか全く分からない。ただ俺の口から、なんの淀みもなく零れ落ちたのだ。
「! 黄帝、お前なのか? 神域の檻から……! なら、お前にも伝えておこう。先に向こうで待ってる。それと、礼は言わないぞ。俺も蚩尤もお前に言いたいことが山積みだ。蚩尤との再会が楽しみで仕方ないよ」
蝗魔王は最期に、本当の最期に薄く朗らかな笑みを浮かべた。
たったそれだけの言葉を遺して、ついに彼は息絶えてしまったのだ。
戦いは終わった。まだ変異種が人間を襲って回っているが、俺と蝗魔王の決闘は俺の勝利で幕を閉じたのだ。
だが俺はその場で立ち尽くしている。勝利の雄たけびを上げるでもなく。
ただ一人、ただ、ただただ頬に一筋薄い雫をたたえて。
いかがだったでしょうか、※パラレル地球の救い方※第一章アフリカ編。ここまでの内容で評価感想を付けていただけると嬉しいです。
さて、ここまで読んでくださった猛者の皆様なら知っているでしょうが、今回取り上げたような事柄は、だいぶ脚色されていますが現実に存在します。
超大規模の虫の群れ、蝗害。これは世界中で起きており、今もアフリカは数千億のバッタに襲われています。日本も例外ではありません。日本には夜盗蛾という恐ろしい害虫が存在します。
そしてこれらは近年、気候変動の影響でかなり悪化しているようです。アフリカでバッタが劇的に増えたのも、本来冬季に死滅するはずだったバッタの多くが生存してしまったことが原因だと僕は思います。
この作品の登場人物は沢山いましたが、アフリカ出身者は多くが戦死してしまいましたね。彼らの死はとても悲しい。作者も人が死ぬシーンを書くたびに手が震えて作業が止まってしまいます。
そんなことが、今アフリカでは起こっている。彼らの命は簡単に捨てられていいものではなく、行動を起こそうと思えば今すぐにでも彼らを助けられるんです。
このパラレル地球にはチャンクー君やジダオ君がいましたが、当然現実にはいません。彼らの力を借りずに、今いる私とあなたの手で救うしかないんです。
人間は、たった一人の力で難題に立ち向かうことはできないんです。