第八十八話
俺と蝗魔王との戦闘は順調に進んでいた。しかし悲劇は起こるものだ。俺の育て上げた盤面はたった一撃で砕かれる……。
蝗魔王の右腕を躱しきった俺は、即座に掴んだままの手を離し、右手に握った黒の剣でその腕を切り付ける。
やはり黒の剣の攻撃力は絶大で、雑な一撃はそれだけで奴の外骨格を突破した。しかし切断には至らず、体循環器系の操作に長けている蝗魔王の戦闘能力を落とすには足りない。
俺は黒の剣を降りぬいた勢いをそのままに背中を向け、そこに装備している銀槍で奴の両腕を拘束しにかかる。
確かに奴の攻撃は凄まじく強いが、出始めを止めておけばその威力を大きく減衰させられる。
奴の腕一本に対して銀槍三本。それでも完全には抑えきれない。恐らく一秒も持たないうちに突破されるだろう。
だがそのコンマ数秒さえあれば、一撃喰らわせられる。
今俺の身体は奴に対して背を向けている状態。ここから黒の剣を振り回して切り付けるのでは間に合わないし、何より背に装備した銀槍の精度が悪くなる。
だから選択すべきはこのままの体勢から放つ攻撃。相手に背を向けたまま放てる技を、俺は一つ獲得している。
それは、どこで習ったのかも分からない技。少なくとも軍人はこんな格闘技は絶対に使わない。
しかし俺はこれを容易に扱うことが出来た。どうやって扱うのか、どんな理論で撃ち込んでいるのか。何もわからないのに、使うための絶好のタイミングだけは分かった。
両の手を地面に、右足を振り上げかかとを奴の顎に叩き込む。手と又の間から確実に視線を通し、奴が見せた極大の隙を逃がさぬよう感覚を研ぎ澄ました一撃。
奴と俺の身長差はそう開いていない。だからこの攻撃も問題なく通用する。
もしあまりにも身長差が開いていたのなら、俺の足は空を切り手痛い反撃を喰らっていたはずだ。
蝗魔王の虚を突いたその一撃は正確に顎を捉え、これを打ち抜いた。
人間の肉体は、実は背面の筋肉量が多い。その数、まさに前面の四倍。
タングステンの重量とかかとの攻撃性を合わせた蹴りは蝗魔王の顎を破壊した。
しかし蝗魔王は人間ではない。顎を打ち抜いたからと言って、人間のように脳が震えて気絶してしまうようなことは決してないのだ。何せ、奴は頭部に刃を突き刺して爆破したとしてもまだ戦闘を継続できるのだから。
俺はそれ以上深追いせず、銀槍の拘束が砕かれると同時にその場から離脱する。
直後、俺が先程までいた場所に奴の凶刃が走った。
それは完璧なカウンター。攻撃を喰らいながらも尚俺の動きを視界にとらえ、全くと言っていいほど傷の影響を見せない速度の斬撃を放って見せたのだ。
見事な斬撃。素人目には単純に全力で降り下ろしているように見えるが、あれで俺のタングステンを切断できるのだから、蝗魔王という男の技術力の高さが伺える。
俺も刀を装備することがあるが、奴ほど上手く扱える自信などない。
間一髪、窮地を脱した俺はしかし留まりはしなかった。蝗魔王は一撃空ぶったとしても、全く予備動作を見せず追撃を放ってくる。俺には予想もできないが、あの体勢からでも何らかの攻撃が出来るに違いないのだ。
破られた銀槍を修復しつつ走り出した。しかし俺の走力では刹那ののちにも奴に追いつかれてしまうだろう。
だが俺にはその弱点を補う魔法が存在する。むしろ、俺の弱点を全て補完するために魔法があると言ってもいい。
俺は走りつつ、後方にタングステンの鎧を生成した。
確かに奴は足が速いが、この壁を突破するには『壊す』、『迂回する』、『飛び越える』のいずれかを選択する必要がある。
そしてどれを選択したとしても、確実に時間を稼ぐことが出来る。
それにこの魔法の利点はそこだけではない。
実は以前の戦いでも似たような戦術を使っているのだ。
それは岩石の牢獄で奴を閉じ込め、それが粉砕されたタイミングで奇襲するというもの。このことから、奴の壁越しの索敵能力がそこまで高くないことが分かる。
もちろん油断していたこともあるが、少なくともジダオのようなお化け索敵能力は持っていないはずだ。
俺が狙っているのはまさにその一点。前回の戦いで唯一通用した俺の作戦である。
蝗魔王は確かに経験豊富な敵であるが、奴の脳は人間のようには出来ていない。一度で正確に物事を覚えられるほどではないのだ。
複数回の経験によって、奴が信じる確定的な未来に昇格するのだ。
俺の分析を信じるのならば、この戦術を擦る利点は未だに大きい。少なくともダメージを与えられる可能性は現状どの攻撃よりも高い。
奴は俺の予想から外れることなく、壁の右側から最速で顔を出した。
俺に目線を合わせ駆けだす蝗魔王。俺はその眼前に新しくタングステンの壁を生成する。
壁を回避してきた蝗魔王に対して奇襲を叩き込むのは流石に難しい。狙うならばやはり、奴が壁を粉砕してきた時以外にない。
しかし不安要素が一つ。あまりに試行回数が増えると、奴がこちらの狙いに気づくかもしれない、というところだ。
これを回避する方法として俺が選択したのは、タングステンの壁に設置型魔法を加えるというもの。
爆雷や針山などの罠を設置することで、あくまでもこちらの狙いは相手を遠ざけつつダメージを与えることだと誤認させるのだ。
壁の側面や付近の地面、さらには空中にまで罠を設置する。融合力を使えば、かなりの集中力を必要とする空中の設置型魔法も容易くなる。流石に蝗魔王以外の敵に使えるほど余裕はないが。
壁の側面や上方から顔を出してくる蝗魔王に対して次々と爆発を喰らわせていく。針山に関しては対して効果がないようだ。
俺の感覚的な話だが、爆発の方が嫌がっている気がする。
わざわざ設置型魔法を使ってまで追撃しているのだから、当然俺自身も手を出した方がいいだろう。もしかしたら奴にダメージを与えられるかもしれない。可能性は低いが。
「薙刀」
一言つぶやいて薙刀を生成する。柄の部分はタングステン、刃は鍛えに鍛え上げた鋼でできている。
黒の剣は魔法的性質を引き出すため、柄の比較的身体に近い部分に埋め込んでいる。
壁を破壊してきた蝗魔王に攻撃を叩き込まなければいけない都合上、俺はかなり壁の近くにいた。しかし壁の横幅は俺の腕よりも長い。
それゆえ選択するのが、薙刀である。横や上から飛び出してきた蝗魔王に対して確実に斬撃を放つことができるのだ。
……ドンッ!
そうやって何度も後退しながら壁を生成しつつ奴を攻撃する機会を窺っていると、ふと背中に重たい圧がかかる。
すこしひんやりとしていて、それでいて落ち着く重量感であった。
「追い詰めたぞチャンクー! 何を狙っていたのかはついぞ分からなかったが、不利状況にされていたのはお前だったのだ!」
そう、俺は自分が生成したタングステンに後方を抑えられてしまったのだ。
それは戦闘の序盤に作り出した隆盛・銀。そこに大量にいたはずの大型種は何故か一体も見当たらず、代わりに蝗魔王の圧倒的な拳の圧が迫る。
奴が叫んだのと同時に前方の壁が粉砕される。これは本来ならば俺が狙っていた状況。だがこれは想定していなかった。どうするべきか、この一瞬で俺は選択を迫れられた。
そして選んだ答え。それは……。
「無理やりカウンター叩き込むしかねェ!! 喰らいやがれ!」
壁からさらに飛び出してきた拳に白の剣を無理やり間に合わせ、薙刀から瞬時に黒の剣を取り出す。
蝗魔王の身体が見えたタイミングで飛び上がり、顔が一瞬覗いたその隙に剣を押し付けた。
銀槍を両側の壁に刺すことで空中機動を獲得、正確に眼球を狙った一撃は奴に深々と突き刺さる。
やはり蝗魔王、この攻撃に対する解答を用意してきていなかったようだ。
「こんな……もんで、俺が倒せるかァ!!」
完全に上を取った状況。今から爆発を叩き込もうかというタイミングで、俺は何故か宙を見上げていた。
打撃を受けた感覚もなければ、地面をその背で叩いた感触もない。
「チャンクー、流石だったよお前は。俺が今まで戦ってきた中で、一番ちゃんと考えて戦闘を組み立てていた。まさに人間的な戦いであったぞ。お前の最期に、言葉を授けよう。あの世で使うと良い……」
蝗魔王が何か言っているのが聞こえた。しかし俺の頭は何故か正常にそれを処理してくれない。先程まで確実に奴の話も行動も分析できていたはずなのに。
何が起きたのか俺が理解できるまでに、戦闘中ということを考えると悠長すぎるほどに時間を使ってしまっていた。