第八十七話
切り裂かれた磁力式破砕鎚を呆然と眺める。
まさかまだこれほど実力差があるなんて思っていなかった。
奴の長所である圧倒的な攻撃力を完封するなら、俺の長所である防御力を鍛えることだと思って今まで訓練してきた。
磁力式破砕鎚はその終着点とも言える魔法だ。耐久力はこの全身鎧にも劣らず、重量に至っては最高クラス。戦闘中に欠損することは絶対にないと思っていた。
それがこんなにもあっけなく崩壊するなんて……。
正直、手詰まりだ。俺が建てていた作戦も、こいつの攻撃数発耐えられることを想定してのものだった。しかし今のを見せつけられては、そうもいかなくなる。
「お前、武術のなんたるかは理解してるのに、対策が結構おろそかだよな。今の攻防、まさか俺がパワーで全て押し切ったとか思ってるのか?」
蝗魔王が何か話しかけてくる。だが今はそれどころじゃない。後にしてくれ。
戦闘中だというのに、俺の中にそんな思考が過った。
これじゃあダメだ。策に溺れて、準備してきたことだけを信じ込んで。それじゃあ勝てない。戦う前から分かっていたことだろ。
蝗魔王ワン。それは出会った時から俺の予想を大きく上回ってきた、絶対に超えなければならない壁。
戦闘中奴がどんな動きをするのか、どんな魔法を繰り出すのか。予想が的中したことがあっただろうか。仮にあったとしても、それは戦局を大きく動かすようなものではなかったに違いない。
ならばこそ、今この場で強くなる。今この場で、あの高い高い、高すぎる壁を踏破して見せる。
それが出来なければ、今度こそ俺は死ぬのだ。ずっとそうであるように、俺が死ねばこの場の人類に未来はない。敗北は許されない。
「そうだよな、お前は俺が推し測れるような存在じゃない。お前の実力を予想して作戦を立てるなんて、土台無理な話だったんだ。出来ることなら、昨日に戻ってより有効で合理的な作戦を考え直したいところだ。だがそれは出来ない。覚悟を決めろ、俺」
俺は自分にだけ聞こえるような小さな声でつぶやいた。
それは自虐。自分の考えの甘さを責め立てる自虐だ。しかし言葉にするだけで、少し頭の整理がついた。もう戦える。奴に勝てる。
「武術、そうだよな。お前は俺たちに比べれば圧倒的に魔力は少ないし、最大出力も高くない。それを経験と技術と、そして武術で昇華させているんだ。俺も軍で格闘について学んだが、お前ほど上手く戦える奴を知らない。これは俺の失態だ」
それに今思えば、情報に常に気を使っている蝗魔王が、俺の磁力式破砕鎚を知らないはずはなかった。大型種の群れの中であっても、新しい情報を逃すまいと俺の戦いを観察し続けていたに違いない。
だからこそ、奴はすぐには仕掛けてこなかったのだ。
磁力式破砕鎚二段目は本来、直線方向にしか作用しない。しかしあの時、奴の身体は大きく持ち上がり地面から足を離した。
それこそが蝗魔王の武術なのだ。
上方向に衝撃を逃がしダメージを抑え、かつ俺に有利状況だと錯覚させた。本当は絶対的な体幹を持つ奴の必殺の間合いだということに気づかず、そこに飛び込んでしまったのだ。
「本当に見事というほかないよ、お前の武術には。やっぱり俺の付け焼刃の作戦じゃダメだったらしい。だからこっからは作戦なし、ぶっつけ本番だ。俺の戦闘センスだけでお前と戦い、そして打倒して見せる!」
決意を固めた俺は再び動き出した。
奴との距離はそれほど離れていない。2m前後と言ったところだ。一歩踏み出せば拳が届く距離。ともすれば、次の瞬間には蝗魔王の拳が飛んできている。そんな距離間。
本来ならば激しい心理戦に持ち込むべき局面だが、絶対の集中力を持つ蝗魔王相手にそんな無謀な勝負は挑まない。
例えカウンターの餌食になるリスクがあろうとも、俺から動き出さなければ一方的にいたぶられるだけだ。
せめて白の剣が二本あればと心底思うが、今それを言っても仕方がない。
刀の間合いは広い。対して俺の黒の剣はと言うと、刀の二分の一にも満たないだろう。速度で俺が上回っていれば奴を翻弄しつつ切り付けられただろうが、あいにく俺は奴に比べれば鈍重で、機敏さの欠片もない。
の、わりには耐久力が奴の攻撃力に吊り合っておらず、防御に任せて突撃することもできない。
だから一手目はやはりリーチの長い攻撃だ。速さ、攻撃力に関係なく相手にダメージを与えられる。
しかし先程はあくまでも長い得物を用いて攻撃しただけ。今回は違う。
すなわち、遠距離攻撃だ。中でも、蝗魔王ではなく『隆盛』を登ってきた大型種を迎撃するのに開発した魔法。その名は『転向榴』。
この至近距離でまっすぐに射出された転向榴は猛烈に回転し、蝗魔王の刀にけたたましいを音を叩きつけた。
転向榴はタングステンで出来た徹甲榴弾である。しかしそれは徹甲榴弾にしてはかなり小さく速い。
それはそうだ。徹甲榴弾は戦車や戦艦に穴を開け、爆発の追撃を食らわせるためのもの。そのためかなりの重量と強度を要求される。
だが俺の場合、融合力を用いて無理やりタングステンの重量を増大させられるため容易に小型化できるというわけだ。
約2mという超至近距離から放たれた転向榴。蝗魔王はそれを刀で叩き落したが、問題は次だ。外殻の一部が破壊されることによって発動する超小型の設置型魔法、爆裂。
それは奴の足元で炸裂。その足場を大きく乱した。
その隙を見逃す俺ではない。すぐに一歩踏み込み追撃の構えを取る。
しかしその場で銀槍を後方に突き刺し急停止する。こちらの方が足で停止するよりも速いし効果的だ。
俺が踏みとどまったすぐ先。そこに蝗魔王の右拳が飛んできていた。もしあの状況からもう一歩踏み出していたら間違いなくこの攻撃を受けていただろう。
蝗魔王の拳は上位飛行種の突撃よりも強く、俺の鎧を一撃で粉砕する可能性が高い。だからまともに受けてやるわけにはいかないのだ。
しかし蝗魔王、やはり理論的な動きをする。流石、人型種の大本になってる存在だ。
奴の動きはとにかく最速。反撃に出るときは一瞬の間もない。
だが今回はそれが俺の手助けになっている。奴の動きは最速であるがゆえに、俺が注意していれば次の行動がある程度把握できるのだ。
俺は突き出された奴の右腕を掴む。すると奴は拳をさらに押し込み、俺の顔面を狙って攻撃を放ってきた。
しかし直前に腕を抑えていた俺は奴の攻撃の方向を変換。これを回避することに成功した。
奴は絶対的な経験を持っているし、それに対する信頼も厚い。今まで奴が戦ってきた化生の中には当然俺のように奴の性質を見抜いて対策した奴もいただろう。
だからこそ、それに対する返答も必ず用意しているはずだ。
俺が考える中で最も有効な反撃がこれ。腕を引き寄せることなく足腰の力で衝撃を生み出す技だ。本来ならば腕が伸びきった状態では放てないが、奴ほどの身体操作ならばそれが可能なはずだと信じていた。
もしも奴がそれ以外の返答をしたとしても、刀は間合いが狭すぎて充分な威力が発揮できず、肩軸がぶれた状態では左手が間に合わない。だから俺は一瞬だけでも反撃の猶予を作り出せるのだ。
対して右手でそのまま攻撃された場合、俺がそれを察知してから避けるのは難しく、確実性も薄い。
そのため俺は先手を取って右手を無力化することを選択した。
相手の攻撃を先読みする。圧倒的強者である蝗魔王相手には、これが出来なければ即死もあり得る。
完璧な読みによって作り出した戦況は見事の一言。
右手は俺の横を通り過ぎて伸びきっている。あれでは攻撃を繰り出すのにワンテンポ遅れる。
拳を押し込んだがために奴の身体は先程よりも前進しており、完全に刀の間合いではなくなっている。少なくとも刃で斬られることはないだろう。
残る脅威は左拳と奴の蹴り。これさえ気を付ければ、ここから反撃が出来る!