第八十三話
~SIDE ガイトル~
火薬を用いているわけではないのに、チャンクー殿の魔法は何故か爆弾によく似た煙を出す。それに特有の火薬臭も。
ただ、彼の本質はあくまでも火山らしい。彼が直接魔法を扱う場合には、ウガンダの反対側にある赤道ギニアの火山のような臭いと煙が出るそうだ。
「痛ぇ、痛ぇよクソ。なんだその武器。俺の身体に傷を付けられるなんてなァ」
そんな煙がゆっくりと晴れていく。その内から飄々とした声が聞こえてきた。
先程の声音から、大したダメージになっていないことが予想される。だが、奴に攻撃が通用しているのは確かだ。絶望することはない。
徐々に、自然に従って晴れようとしていた煙はしかし、唐突に振り払われる。
俺は嫌な予感を察し、咄嗟に『爆裂金剛杵』を振り回していた。だが今度は先端が命中することはなく、とてつもない衝撃によって戦車ごと押し返されてしまった。
先程の衝撃、それが一個人のたった一撃によるものだと考えるとまた恐ろしい。
奴は初めから俺ではなく、戦車全体を動かすことを狙っていたのだ。戦車のフロントには拳がめり込んだ跡がくっきりと入っており、危うく動力部が破壊されるところだった。
搭乗員含め全員が落ち着いたところで奴に視線を移す。
俺程度の動体視力では魔法に吊り合っておらず何処に命中したのかもよくわかっていなかったが、どうやら胸に当たっていたらしい。その見事な筋肉に巨大な穴が開いている。
しかしながら奴の戦闘能力にさしたる影響はないようだ。その大きな傷口からは一滴たりとも体液が漏れ出していない。
人間の俺からしてみれば異様と言うしかない光景だが、生存能力を極限まで高めればああするのがベストなのだろう。チャンクー殿でも未だ実現できていない、内臓や体内循環器系の操作を武術は完璧にこなしている。
俺はあくまでも強気に、今までよりも大きく戦車から身を乗り出し自分の力を誇示する。
これには相手を威嚇するだけでなく、戦車に不足しがちな速い視点を確保するためにも重要なことである。
戦車は本来このような超近距離戦闘を見越して設計されておらず、戦車の周りを高速で移動する奴の動きを捉えるには人間の目が必要なのだ。
今、奴は俺たちから少し距離を取り、先程と同じ姿勢で構えをしている。
大したダメージは入っていないはずだが、奴にこの武器を警戒させることはできたらしい。根競べは勝てないことを分かっているにも関わらず、向こうから下手に仕掛けられないようだ。
ならば、この状況を有利に使わせてもらおう!
俺はさらに強気に、戦車の上扉から全身を晒した。そしてついには地面にその足を付ける。
戦車の中よりも安定はしているが、腰回りを支えるものは己の足以外に存在しない。分不相応な武器を担いでいる俺にはむしろ不利な場所だ。
しかし、俺に注目を向けることにこそ意味があった。
「ハァァ!!! 『爆裂金剛杵』!!」
大きな声を出して己を奮い立たせる。
正直、地面に降り立ったことはすごく後悔していた。自分を守るものはもうこの拳と武器以外にないのだと思うと、たまらなく恐ろしい。
絶対的な強者である武術の強烈な視線が戦車ではなく、俺一個人に向けられているのだと思うと、泣き出しそうなくらい力不足を実感する。
しかしそれをあやふやな『覚悟』の力で跳ね飛ばし、渾身の力をもって金の棒を大地に叩きつけた。
『爆裂金剛杵』に込められた、人間が扱うにはあまりに強力な魔法は易々と大地を粉砕し砂と岩を巻き上げる。その炎熱は、防御魔法によって守られている俺ですら目を開けていられないほどだった。
直後、戦車の主砲が火を噴く。俺と付き合いの長い部下たちは、今の一瞬で俺の考えを察してくれたらしい。
微量ながら魔法を宿した弾丸は爆炎と砂埃を突き破り、俺の攻撃を警戒していた武術向かって一直線に突き進んでいく。
奴め、相当この『爆裂金剛杵』警戒していたらしい。戦車の弾丸によって煙が一瞬晴れ、その隙間から少しだけ向こうの様子が見えた。
奴は姿勢を低く保ちつつ負傷した胸部を庇うように二本の腕でガードし、刀を右手に、左手を地面についた姿勢でその場に張り付いていた。
俺は戦車の主砲が放たれるタイミングが分かっていたためにその光景を視界に捉えることが出来た。その瞬間、戦場で高揚していた脳は高速で回転し、確実に決まるという思考を導き出していた。
だってそうだろう。ここまで完璧な連携と読みによって放たれた弾丸が命中しないはずがない。恐らく、戦車の中にいる部下たちもそう思ったはずだ。
しかし、現実はそうはならなかった。
誰が信じられるだろうか。誰が想像できるだろうか。少なくとも俺たち人間には到底理解出来ない領域だ。
驚くべきことに奴は、発砲された弾丸を見てから回避したのだ。視界は俺が完璧に潰していたから、奴らお得意の『弾を撃たれる前に避ける』という絶技はできなかったはず。
確かに放つタイミングを察して身を引いた可能性はあるが、それだけで広範囲の爆発を起こす戦車の弾を完全に避けきるのは不可能である。
それが故に、今まで近距離の戦車砲は人型種に有効であるとされてきたのだ。その前提が、今この瞬間ひっくり返された。
瞬間、背筋をなぞる強烈な悪寒を感じた。今すぐにでも死ぬのではないかいう恐怖。それが逆に俺を突き動かす。
降り下ろした『爆裂金剛杵』を再度持ち上げ、今度は横薙ぎに振るう。これが今の俺に出来る精一杯の防御行動だった。
重たい金属の棒は不快な甲高い音を立てソレと勝ちあう。
「あの程度の連携で俺を倒せると思われていたことが悲しいぜ、ガイトル! お前らは俺を過小評価しすぎだぞ。言ったろう、俺は蝗魔王軍で随一の武術を修めた男。先の先を読む技術には誰にも劣らない自信がある! ウガンダ最高の頭脳がその程度なら、俺たちに勝つことは絶対に出来ないね!」
「こちらこそ心外だな! あの程度で倒せるとは思っていないさ、武術! これこそが俺たちの狙いだ。『爆裂金剛杵』!!」
奴とのつば競り合いの状況。腕力で圧倒的に劣る俺は明らかに不利だ。そうでなくとも、その多腕を用いて殴られでもすればそれだけで致命傷になりかねない。
だから俺は早い段階からつば競り合いの勝負を諦め、身体を後ろに引きつつ金属の棒を無理やり横にスライドさせることでその場を切り抜ける。
この『爆裂金剛杵』には剣や刀と違って先端以外に目だった突起物がなく、容易に刀身を走らせることが出来た。
「ここだぁ!!」
俺はそのまま『爆裂金剛杵』の先端部分を奴の手首に叩きつける。この武器の魔法は先端の突起部分に衝撃が加わることで発動できる。
当然今回も奴の手首に触れた先端から強烈な爆発が放たれた。
先程同様前方の視界が悪くなり、俺の目には武術の姿が見えなくなる。
だが問題はない。長年の付き合いがあるあいつらならば、今度も完璧に合わせてくれるはずという信頼がある。
俺が爆裂魔法を発動させた瞬間、胸倉を掴まれる感覚があった。俺の目にそれは映っていないが、確実に武術のものだ。
狙い通り、奴は完璧に俺の策に嵌った。視界は悪い。奴は俺の胸倉を掴んだ状態。ほぼお互い拘束しあった状態と言える。
本来ならこちらからも奴の腕を掴んで確実性を高めるべきなんだろうが、それで奴に作戦を感づかれればまた失敗に終わりかねない。ここは、こちらからは何もしないことを選択する。
直後、二人を襲う暴力的な衝撃。その熱は現代の生物をほぼ確実に絶命させ、その破壊力は例え金属の塊であろうと粉砕して見せる。
我ら戦車軍の主力兵器にして、我々が最も信頼する武器。
戦車の主砲、それが密接した状態の二人を襲った。
「……完璧なタイミングだ、お前たち。もう一瞬遅ければ俺ごと粉砕していたぞ。まったく、本当に心臓に悪い賭けだったよ」
そう、あの主砲を受けて、俺は無事だったのだ。生身の人間では絶対に耐えきれない威力。それは当然のこと。今の俺が主砲を受ければ確実に死ぬと言い切れる。
では何故俺は死ななかったのか。簡単な話だ。俺は生身ではなかった、それだけである。
あの瞬間、俺は魔法の鎧をその身に纏っていた。それは『爆裂金剛杵』の魔法が発動した、たった一瞬のタイミングに発動する防御魔法。
ほんの一瞬でもタイミングを違えれば俺が死んでいた。絶対の信頼がなければ実行できない作戦である。
皆が一様に互いを賞賛する。これが我が軍の長所、互いの功績を皆で喜び合うことで一体感を高めるのだ。
高揚した雰囲気が戦場に充満する。当面の脅威はこれで除いた。今すぐにでも友軍に加勢しに行こう。
……そう、思っていた。我らは一つ、大きな解釈違いを起こしていたのだ。奴のしぶとさを誤った。戦車の主砲に絶対の信頼を寄せていたがために、想像できなかったのだ。
無防備な胸を貫く見事な太刀。不思議と痛みは突然には来ず、じんわりとしみ込むように訪れた。
溢れだす自分の体液の温度がいやに温かい。致命傷を受けたというのに、俺の頭の中には血で汚れた身と服の不快感だけが広がっている……。