第七十一話
~SIDE ジダオ~
「なるほど、偽神虫では空中での戦闘は不可能ですか。彼らは空中の移動力が低すぎますね。要改善です。それから防御力も、貴方の攻撃を防げるレベルでなかったようですね。かなり自信あったんですが」
余裕ぶった声で俺と神虫の戦闘を分析する魃魔王カンハン。しかしその目に宿っているのは余裕などではない。
俺が神虫を軽くあしらったことでさらに警戒したのか、魃魔王は俺からかなり距離を取っている。
今の俺の攻撃力ならばあいつの身体強化を突破するのはそう難しいことではない。だからこそ奴も俺を警戒しているのだ。
しかし俺の空歩はアホほど燃費が悪い。他の攻撃魔法も。距離を取られれば、こちらから近づくために更なる消費が必要となる。当然奴もそれを知っていた。
「だがなぁカンハン。どれだけ距離を取ったところで、俺の遠距離攻撃に距離や速度という概念は通用しないんだよ」
額に融合力を集め魔法を形成する。雷の魔法ならば距離など関係はない。一瞬にも満たない時で奴のもとに辿り着き、その身を破壊するだろう。
しかし気を付けなければいけないことが一つ。戦闘能力では負けていないが、技術力は俺の方が遥かに下だ。
奴らはその圧倒的な技能で、視認できていないはずの弾丸を意図も容易く回避して見せる。それだけは避けなければならない。ただ無駄撃ちを続ければ、先に力尽きるのは俺だ。
「いくらでも撃ってくると良いですよ。私に掠りでもするでしょうか」
俺の表情を読み取る自信があるのか?
狼型である俺に表情筋は存在しない。顔の中には目と口にしか筋肉が付いていないのだ。だから俺の表情を見て魔法発動のタイミングと着弾地点を予測するのはほぼ不可能である。
もしくは魔法の前兆を読み取るのか?
俺の魔法は発動されてから察知したのでは遅すぎる。そのころには既に敵を絶命させているからだ。
だが仮に魔法の前兆を察知することが可能ならば、あの自信も納得できる。
それを踏まえた上で俺ができることは……。
えぇい考えても仕方ない! 俺に小難しい戦い方は出来ん! 俺にできることはただ一つ。己の全身全霊をただ一撃に込め叩きつけるのみ!
額に込めた膨大なエネルギーを開放する。小細工はした。だが力の大部分はその威力に充てている。
ほんの僅かでも速度を上げられるよう、ほぼ影響を受けないはずの空気抵抗にまで気を使った形状。
それは当然生物の神経系では認識できない速度だ。
発射する直前、それから発射した直後においても、奴は一ミリたりとも動いてはいない。俺の索敵能力に間違いはないのだ。
奴らは俺の索敵能力を欺こうと様々な妨害をしてくるが、対策は充分にしてきた。視界に入る距離であれば、たった数ミリの動きですら感知できる。
「距離も速度も関係ない、ですか。それは私も同じですよ。貴方が魔法を撃つタイミングさえわかれば、それは私に届かない」
……驚愕した。人間の感情を具体的に理解していない俺ですらすぐにそうであるとわかった。
俺の雷は、奴の目の前で停止したのだ。そう、とても不自然なことに、落ちるでも、消えるでもなく、停止したままそこに存在し続けている。
ありえない、そう思った。だが心のどこかで、納得してしまった。
以前にもこんなことはなかったか? 俺の放った氷弾を、奴は不自然にも目の前で停止させて見せなかったか?
あの時は、全く同じ出力の攻撃によって相殺したのかと思っていたが、つまり、奴の力は……。
「驚いてくれたようで何よりです。そう、私に天の魔法は通用しません。何故か、現地球において、天の力の最高権限は私にあるからです。ちょっと前までは貴方の氷弾を止める程度の力でしたが、ついこの間強くなりました。当然ながら、偶然ではありませんよ。この世界が、世界を管理する上位の存在が、貴方を許してはいないのです。……貴方が気づかなかったら明かさないつもりでしたが」
クソッたれ! そんなの卑怯じゃないか。俺たちが苦労して手に入れた力をそんなあっさり上回るなんて。
世界を管理する上位存在……。以前から思っていたが、そいつは俺たちが今後この世界に生きていく上で、どうしても倒さなければならないものなんだな。
「天の力の最高権限だと……! 舐めてんのかてめぇ。最高権限がなんだ! それで俺たちが止まるものか! お前の余裕ぶったその目を噛み砕いてぶち殺してやる」
天の魔法が通用しないのならば、単純な身体能力で奴を出し抜けばいいだけだ。
俺よりも遥かに長い時戦いの中で生きてきた奴に俺の戦い方が通用するかは分からない。だがやるしかないんだ。
思えば、奴が俺に近づかれることを警戒していたのは、そこにしか俺の勝機が存在しないからだろう。だから俺を警戒しつつも、余裕の雰囲気を醸し出していたのだ。
奴は遠距離戦で俺の消費を誘うつもりだった。しかし俺は奴の力に早々に気づいてしまった。今日の俺は冴えてる。この好機を逃す手はない。
大気を強く踏みしめ駆けだす。俺の走りは直線的な代わりに速度は圧倒的だ。それは空中機動に慣れた魃魔王ですら警戒するほど。
奴は天の力の最高権限を持っていると言っていた。しかし俺を撃墜してはいない。そも、天の最高権限を持っているのなら、俺の魔法が発動する前に消してしまうことも可能だったはず。
つまり、奴がその力を行使するには、ある程度近づく必要があるのだ。逆を言えば、奴に攻撃を悟られた状態で迂闊に触れれば、俺は空歩の力を失うということ。一時的なものかもしれないが、空中戦を妨害されるのはそれだけで奴を有利にしてしまう。
勝負は一瞬、奴の隙を誘って気づかれずに一撃叩き込むしかない。
天の属性を纏った俺は文字通り雷の速度で駆け抜ける。先ほどの攻撃を避けられなかったということは、当然これも見えているわけではない。
しかしこのまま正面から攻撃を仕掛ければ、撃墜されるのは俺の方だ。奴は俺が駆けだすタイミング、攻撃する位置に至るまで全てを把握している。そこに自ら飛び込むほど俺は愚かではない。
もう消費のことなど考えはしない。これで俺か奴のどちらかが終わるのだ。
俺が走るのと全く同じ出力の風を発生させる。質量が限りなく小さい空気を用いて俺の走りを止めるのは尋常じゃない量の融合力を使うが、こんなところで出し惜しみはできないのだ。
一瞬停止した俺は、魃魔王に反応される前に飛び上がった。
流石の経験と言うべきか、奴はその一瞬で攻撃を仕掛けている。ほんのわずかな差で俺が速かったが、あれに当たっていたらそれだけでゲームオーバーと思うと恐ろしい。
奴の上を取った俺はしかしそのまま攻撃を仕掛けることはない。奴はそれすらも読んでいるからだ。俺はそう信じている。
上を取った状態からさらに一歩踏み出した瞬間、俺がいた場所に魃魔王の一本しかない拳が炸裂していた。それは間違いなく俺にダメージを与えられる攻撃。俺を殺せる拳。
やはり侮れない。この戦い、俺は奴に対して圧倒的に経験が不足している。奴が何処まで読んでくるのか予測しながら行動しなければならない。
俺が何処まで奴を信じられるか、そして俺の技に何処まで自信を持てるか。この勝負、判断を誤れば俺に待ち受けるは死なのだ。
この高速戦闘の中、奴はまだ自分の攻撃が命中したのかどうかすら知覚できない程度の時間しか経っていない。
だが奴の予測は、ある意味未来予知とも言える程のもの。まだ攻撃を仕掛けるべきではない。
さらに二歩、雷の速度で踏み込んで奴の側面に回り込む。
何故一歩にしなかったのか。俺の踏み込みならば一歩でも充分だったはずだ。
そう考えた瞬間、奴から強靭な金属のように圧縮された風の刃が放たれた。もし俺が一歩だけ踏み込んでいたのなら、今頃あの刃にバラバラにされていただろう。
恐ろしさを感じる反面、やはり今日の勘の冴えを実感する。大丈夫だ、今まで通り慎重かつ冷静に攻撃のタイミングを探っていれば、いずれ勝機が訪れる。
奴の権限がどのようなものかは未だに良くわかっていない。だから迂闊に魔法を使ったりはしない。それによって俺が影響を受ける可能性を捨てきれないからだ。
俺がするのはあくまでも攻撃するフリ。しかしそこには確実に攻撃するという圧がある。
奴も俺の攻撃を警戒せざるを得ないのだ。だから常に俺のフェイントに対して反応を見せている。
その状態のままかなりの時間俺たちは騙し合いをした。実際に時間を測ったら大した長さではないだろうが、この高速戦闘。極限の集中力の中ではたった一秒ですら一時間に感じる。
どちらが先に集中力を切らすのか。これはそういう戦いである。
そんな時、ほんの半歩、奴は今までより深く踏み込んだ。その半歩の距離を稼ぐことができれば、奴の拳は俺に届くというところだった。
隙とも言えない。しかし俺はここしかないと思った。
半歩深く踏み込んだ魃魔王に対して、俺はさらに深く踏み込んだ。
もう奴の拳を恐れることはない。例え空歩を失おうとも、踏み込んだ推進力を失いはしない。
大きく牙を剥き奴の頭を喰らいにかかる。
奴の毛だらけの拳は俺の胴体を掠めた。その瞬間俺は足場を失うのを感じたが、もう構いはしない。ここでやり切れなければ俺に勝ち目はないのだ。
俺の牙は空中に留まったままの奴の眼球に食いつき決して離すまいと力を込める。
奴も必死の抵抗をしてくるが、こうなった狼に対してどう抵抗しようとも意味はない。
「悪いな魃魔王カンハン。俺の脳は思考能力を補うために、基礎能力を強化されているんだ。集中力に関しては人間にも負ける気はしない。多彩な思考は俺には無理だがな」