第七十話
~SIDE ジダオ~
雷光の速度で戦場を駆け抜けた。向かう先は当然、宿敵、魃魔王カンハン。
俺の天の力の下位互換であるにも関わらず、その圧倒的な経験と技量で常に俺を上回り続けた女。あれほど屈辱的な瞬間は、これから先絶対に訪れさせはしない。
生物の目では視認できない速度で駆け抜けていた俺だが、奴に対して少し距離を置いた位置に停止した。
奴は以前とは違い、地面に足を付けた状態でそこに存在している。
一本の足に一本の腕。蝗魔王ワンから受け取った昆虫の羽が背中に四枚。全身が毛に覆われていて、どこが正面なのかは判別できない。
口と鼻は意味不明な位置についていて、牙か角か分からないものがある。
相変わらずの異形。放つ威圧感はバッタの変異種とは比べ物にならない。
「よぉカンハン、久しぶりだな。てめぇをぶち殺すために強くなって帰ってきたぞ。ついでに不快な害虫どももな」
「飛蝗たちはついでですか。化生ともあろう者が、人間を救うことではなく私怨で戦うとは。……おっと、私も人のことを言えた身ではありませんね。それに、私も貴方が来るのを楽しみにしていましたよ。今回はワンがとても活き活きしている」
奴の発言で思い出した。そうだ、こいつは元は魔王であったにもかかわらず、当時最大戦力であった化生黄帝に力を貸した身。
こいつという存在が良く示してくれている。俺たちが人間を救うための装置でないことを。俺たちは固定的な意志だけで動いているわけではないことを。
「ですが貴方には先に彼らの相手をしてもらいます。今回は新しい眷属の実験も兼ねているので」
奴がそう言い放つと、地面が大きく隆起してそいつらが現れた。
それは四枚の羽に八本の足、鬼のような形相を持った異形の虫。そう、まさにチャンクーから聞いた神虫の特徴と一致していた。
そいつらはそこに現れると同時に攻撃を仕掛けてくる。
チャンクーから聞いた神虫よりも動きが鈍いが、何せ数がいる。全部で五体か。神虫の姿をしていることから、きっと奴らは破壊種よりも強いのだろう。
「それらはワンの作り出した試作品。間違いなく最強格の虫である神虫を模して作り出した眷属。貴方にはそれらの戦力テストに協力してもらいます」
「なるほど、神虫の複製体か。それは脅威だ。だが勘違いするな。言っただろう、俺は以前よりも遥かに強くなっている。その神虫のまがい物とついでにお前も容易く屠ってやろう」
言い放ち、敵が動き出す前に俺は駆けた。昆虫程度に視認されるような速度ではない。俺とチャンクーの融合力は、生物の限界などとうに超えているのだ。
正面にいた偽神虫に拳を叩き込む。それだけで奴の肉体は砕け散り霧散した。
俺の力は燃費が悪い代わり、最大出力に秀でている。典型的な短期決戦型。俺の拳は山河をも砕き、電光は地面を一瞬にしてガラスに変えるのだ。
「これは……私も油断できませんね」
俺の火力を見た魃魔王カンハンは溜まらず宙に飛び上がった。奴は基本的に空中での戦闘を得意としている。
だが先ほども述べた通り、俺は典型的な短期決戦型だ。逃げられ続け時間を稼がれれば不利になるのは俺。だからここは、俺も同じ土俵に立とう。
「……空歩」
天の魔法において最も不可思議な魔法。自分の体重がまるで無いかのように宙を舞うのではなく、空を踏みしめて駆ける。
以前咄嗟に使えたときはまだまだ制御が甘かったが、今では普段走るときに地面の代わりとして扱う程度には使いこなしている。俺の走力では地面を踏みしめただけで破壊してしまい、前方に対する推進力が不足してしまうのだ。
大地から階段を上るように大気を踏みしめ駆けだす。奴に距離を取らせはしない。
俺が宙を走り出すと同時に、残る四体の偽神虫が羽ばたき始めた。
そりゃそうだよな。あの大型種が宙を舞って大移動していたのだから、そのさらに上位であるこいつらが飛べないわけがない。
魃魔王カンハンは流石、宙を飛び慣れている。大地に立っているのと変わらない機動力を持つ俺ですら追いかけるのに難儀する飛び方をしている。
対して偽神虫の飛び方はヘタクソとしか言いようがない。機動力は低いし飛行スピードは俺に遠く及ばない。
まずは偽神虫から片付けるべきか。相手の数が多いとそれだけ複数の戦術を取られる。時間を稼ぐのなら敵の数が多いのは不利となる。
大気を踏みしめ偽神虫に急接近した。空中に出たことでさらに機動力の低下した偽神虫は当然俺の踏み込みに反応することはできない。
正面の一体を先ほど同様拳で仕留め、続く二体目を電光で撃墜した。
あぶねぇな。腐っても変異種。俺が一体目を倒した時点で後続の二体目が攻撃を始めていた。もし俺が電光ではなく拳による連撃を狙っていたのなら、二体目の攻撃で袋叩きにされていただろう。
まがい物とは言え、仮にも神虫を模しているのだ。その攻撃力は破壊種を超えると思っていて間違いないだろう。
だが少々俺の融合力の総量が心配になってきたな。先ほどチャンクーと合わせて極大魔法を撃ったばかりなのだ。あれで俺の融合力の三分の一ほどごっそり持ってかれた。
この後カンハンと戦うことも考えたら、もっと短期決戦を意識しなければならない。
空歩は自分の体重と踏み込みの全てを支えるためにかなりの量力を使う。こうして空中に留まっているだけでも消費は免れないのだ。
攻撃力に関しては全く問題ない。だからあとは、どうやって残りの二体を片付けるのか。
既に三体仲間がやられたのを目にした偽神虫は酷く俺を警戒している。目に見えて外骨格が変形し、より一層硬いものになった。
今まで通り正面から突っ込んで拳を食らわせれば、次は続く二体目の攻撃を避けることはできないだろう。
一端電光でお茶を濁しておこう。
距離を取っている相手にわざわざ近づいて攻撃する必要はない。俺には充実した遠距離攻撃がある。
電光は比喩なく目にもとまらぬ速度で偽神虫まで辿り着きその身を焦がした。外骨格が変化した影響か予想以上に出力が必要だったが、電光でも問題なく奴を殺すことができる。
片方死んだのならもう遠距離攻撃に頼る必要はない。
俺は敢えてギリギリ目に留まる程度の速度で大気を蹴り上げ接近してみた。
視認さえできていれば奴は攻撃が可能なようで、八本のうちの腕を四本をがむしゃらに叩きつけてきた。
速度を制御していた俺は当然ながらそれを躱して奴の側面に入り込み、腕を振り上げたことでがら空きになった胴体を叩き壊して見せた。
「さて、やっとこれでお前を直接叩くことができるな。この程度の数で長期戦を仕掛けるつもりだったとは、俺の評価が低い証拠だ」
魃魔王カンハンは俺に対してさらに距離を取っている。俺が移動のために常に融合力を消費しなければならないのを知ってのことだろう。少し面倒だ。
だが逆に言えば、奴はそんなこともしなければマズい状態、ということだ。もちろん奴の罠の可能性もあるが、精神的有利を獲得していると思って問題ないだろう。
魃魔王カンハン、お前への私怨をここで晴らす。