第五十七話
クラグを抱えて歩いていると、装甲車のけたたましい音が聞こえてきた。
振り返ってみると、誘導部隊の装甲車だったようだ。アッサム達ではない。つまり、この戦士の直轄の部下。
俺は彼らに辛い報告をしなければならない。しかし、この戦士の魂にかけて、報告しないという選択はありえない。
彼らも装甲車の中から、俺が抱えている人物に気づいたらしい。明るかった車内は、途端に雰囲気が重くなった。
そりゃそうだ。やっとのことで神虫を倒し、勝利の笑みを浮かべて迎えに来たら隊長が戦死している。
しかも彼らは直接戦闘に参加できていない。神虫が現れてから、彼らは近づくことさえできなかった。近づけば、彼らが無駄に死ぬのは目に見えていたからだ。
しかしそれでは彼らの気持ちは収まらない。戦闘に参加できなかった彼らにできることと言えば、命を懸けて戦った仲間を笑顔で迎えてやることだったのだから。
笑顔でクラグを抱きしめ、彼の掴んだ勝利をともに喜ぶことこそ、彼らができる最大限のことだった。
「隊長……!」
一人、また一人と車両から降りてくる。その足は重い。
悲しいだろう、辛いだろう。彼らの心の痛みは俺の比ではない。今すぐ泣き出してしまいそうな者もいる。
しかし彼らは軍人。こんなご時世だ。死ぬ覚悟は誰よりもできているし、近しい人が死ぬかもしれない危険は常に傍にある。
実際、蝗害によって戦死した者も多い。ウガンダも人的被害は免れていないのだ。仲間が死ぬのを間近で見るのは、一体何度目なのだろうか。
「クラグは死んだ。神虫の足を破壊し、そのまま体内に突き刺して大ダメージを与えてくれた。彼が大きな隙を作ってくれたからこそ、俺は奴に勝てた。彼の力が無ければ、俺はもっと苦戦していただろう」
「隊長……。隊長は最期に、何か言っていましたか?」
……この質問。彼が死に際に何か伝えるのを知っていたのか。クラグは、最初からこの戦いで死ぬつもりだったのだ。
自分の命を投げ捨てて戦う。死んだ後のことは、全て彼らに引き継いでいたのだろう。全員、何か悟ったような顔をしている。
「皆に、ありがとうと。彼は夢を叶えて死んでいった」
「そう、ですか。やはり隊長は、この世界を好きになれていたんですね。彼は少し前まで、この世界が大嫌いでした。とても危険で、誰かの思惑によって遊ばれているような、そんな世界が。でもきっと、貴方のおかげで少しだけ、世界を好きになれた。強大な思惑になんて従わない。何処までも抗い続ける貴方に、憧れていたんでしょう。彼はきっとカッコつけて『国のために戦った』とか言ったと思いますけど、貴方のために戦ったのだと思いますよ」
な、なんだと。俺のために戦ってくれていたのか。何ということだ。じゃあ結局、彼を殺したのは俺だ。彼を死に突き進ませてしまったのは俺の失態。
クラグ……、彼にそんな思いがあったとは。
しかし、人類は上位存在に気付いているのか。俺も詳しいことは分からないが、俺を作り出した存在、俺の身体を改変した存在、今まで人類を護っていた存在の三人がいることは分かる。
一体あと何人上位存在がいるのか知らないが、そいつらは危険な奴らなのだろうか。魔王を作り出している奴は間違いなく危険だ。
しかし人間であるという視点を捨てれば、蝗魔王はバッタたちにとって救世主のような存在。むしろ俺たちが奴らにとっての魔王と言える。
上位存在は、いったい何のために俺たちを作り出しているんだ。
そんな思考をしていると、通信機がやたらと雑音を放ち始めた。
何か叫んでいるが全く聞き取れない。
俺のだけでなく、ここにいる全員の通信機から雑音が聞こえる。全体通信用の回線だけでなく、分隊や個人規模の回線も全滅しているようだ。
「マズいな。この回線は本隊からか。どうやら向こうで何かあったらしい。俺は先に向こうに行く。お前らはクラグを連れて追いかけてきてくれ」
誘導部隊の面々にクラグを預け俺は先に本隊へ走り出す。俺の走力はジダオほどでないにしろ、装甲車などとは比べ物にならない。
それにトップスピードに至るのも俺の方が遥かに早い。
いったい何が起きているというんだ。
まさか、本当にアッサムが裏切ったのか? 彼はジェリアスが信用を置く人物。経験豊富なクラグも彼には一目置いていた。
俺には彼が裏切るなんて信じられない。真面目で、視野が広くて、謙虚。誰が見ても【優秀】と評価する人物。当然俺も彼のことは高く評価している。ジダオとも仲が良く、いつも隊員とともにジダオと雑談しているのを知っている。
彼への疑問が俺の足をさらに加速させる。早く本隊に行かなければ。俺はアッサムのことを信じたい。だけどクラグの言葉を疑うことができない。直接戦った神虫の言葉をないがしろにできない。
俺はいつの間にか風よりも早く駆け抜け、弾丸にも至ろうかという速度で走っていた。遠かった本隊は目の前になり、俺の視界におぞましい光景が広がっていく。
本隊が壊滅している。血まみれの銃がそこら中に転がっていた。人の頭が雑に落ちている。その表情はほとんど恐怖に染まっていて、クラグのような達成感や安らかさを感じさせるものではない。
しかしここで分かったことは一つある。彼らを殺したのはアッサムではない。もしもアッサムがやったのならば、彼らは困惑の表情を浮かべているはず。
それに彼は強い。味方である軍人を殺すのに、困惑から恐怖に感情が変わる隙なんて与えるような奴ではない。
アッサムは何もやっていない。少なくとも今は。俺の深読みかもしれないが、アッサムを擁護する材料が見つかった。
少し安心した。俺には人を見る目がないのかと思った。アッサムは良い奴のはず。無抵抗の味方を殺すような奴ではない。
その後も散らばる死体の中を突き進む。ひどすぎる。誰もかれもが恐怖の表情を浮かべているのが実に恐ろしい。何があったらこうなると言うのだ。
そうして周囲を見渡しながら歩いていると、不意に音が聞こえた。くぐもった打撃音。注意深く耳を澄ませなければすぐにとり逃してしまいそうだ。
身体強化で部分的に聴力を高め、その方角に向かって再び走り出す。やはり俺の五感はジダオほど鋭くはならないが、それでも十分何処でその音が聞こえるのかわかった。
俺は焦っていた。アッサムを擁護する材料を見つけたとはいえ、クラグの言葉を信じずにはいられない。
もしもアッサムが裏切ったのなら、今戦っている何者かのところにいるはず。そう思って走った。
アッサムのことを疑いたくない。でもクラグのことを信じたい。不幸にも、両者は完全に対立してしまっている。
そうして無我夢中に走っているうちに、ようやく現場にたどり着いた。しかし、どうにもおかしい。
炎だ。そこからは、炎が噴き出していた。今回の戦場に火炎放射器を持ち込んでいる者はいない。
だがその打撃音は炎の壁の内側から聞こえてきていた。
俺ならば炎の壁だろうと問題なく突き進むことができる。無理やりこれを突破して、中の者から何か聞き出そう。
もしかしたら爆雷のようなトラップが仕掛けられているかもしれん。慎重に手から触れて魔力の流れを確認するべきだろう。
こんな不自然な炎、魔法でないわけがない。
! 触れてみて気づいた。これは俺の力? そう、間違いなく俺の力だ。俺の炎の力がこれを生み出している。
しかしどういうことだ。いよいよもって分からない。俺の水銀を持っているのはクラグだけ。それもさっき使い切った。
まさか、ジェリアスか? いや、彼はかなり遠くにいる。戦闘が即片付いたとしても、まだここには到着できない。
ならば、何なんだ!
焦りと疑惑から俺は警戒もそこそこに炎の中へ飛び込んだ。そこにいたのは!?
「隊長! もう止めてください! アンタが死んじまう」
「うるせぇ! 俺がやってるのは裏切りの裏切りだ! もう引くわけにはいかないんだよ! てめぇら助けてジェリアスの馬鹿に説教こくまではな!」
アッサムが、手から炎を出して人型種をボコボコにしていた。