第五十六話
今回はちょっと短いですがキリがよかったのでここまでです。
岩山の質量と体積に耐えきれなかった神虫の肉体は崩壊し絶命。飛行能力を失った身体は肉片となって落下した。
当然俺にも飛行能力なんてものはない。重力に導かれるまま地面に叩きつけられるが、身体に穴さえ開いていなければ、この程度の高さ何ということはない。
勝利した。あの強大な神の獣、神虫相手に大勝利だ。奴は蝗魔王が作り出したまがい物ではなかった。やはり本来の力は発揮できないようだったが、その知能は俺を騙し反撃を受けた。
しかしそれでも俺は勝利した。誇るべきことである。俺の力が、中国に伝わる神の一角を倒したのだから。
だというのに俺の足は重い。足が鉛になってしまったかのようだ。
落下して大の字に寝転がった状態から立ち上がることができない。否、これは立ち上がりたくないのだ。
立ち上がったらどうするのか。当然軍の皆に俺が勝利したことを伝える。しかし俺が皆に伝えなければいけないのはそれだけではない。
誘導部隊隊長、クラグの戦死。皆も死ぬ覚悟はしてきているし、彼も国のために死ぬのならばとその身を張って戦ってくれた。
だから悲しむべきではない。でも俺は彼の死に、悲しみではなく喪失感のような何かを感じている。優秀で、誇り高い戦士が、こんなにもあっさり死んでしまったことが受け入れられずにいる。
彼のような戦士はあとどのくらいいるのだろうか。全ての軍人に彼と同じことができるかと聞かれれば、当然NOである。だがこの戦いに勝つには、彼のような戦士が必要なのだ。彼はこんなところで死ぬべきではなかった。
憂鬱だ。自分の考えに虫唾が走る。人が死んだというのに、俺が考えているのはその程度のことか。
しかし、やはり皆に彼の死を伝えなければ。俺の気持ちを整理するのは全てが片付いてから。もしかしたらジダオたちの方に何か起きているかもしれないんだから、さっさと本隊に戻って情報のすり合わせをしよう。
俺は重い足を叩き起こして歩き出した。神虫の身体を回収するのは後回しだ。あれは研究班行き。俺たちの仕事ではない。
俺とクラグまでの距離はそう離れてはいないが、どうにも遠く感じる。少しでも死の痛みを和らげようと小さくうずくまり、慎重に呼吸しているのが遠目にも分かった。
やはり彼ほどの戦士でも死ぬのは恐ろしいか。そりゃそうだ。彼にも家族がいるだろう。彼の死を悲しむ人もいるだろう。
俺に恨みごとを言ってくる人はいるだろうか。化生がいるから安全だと、そう思っていた人がいたら俺はその人に謝罪することしかできない。彼が死んだのは俺の力不足故だから。
クラグは俺の足音が聞こえたのか、うずくまった姿勢から少し転がってこちらを向いた。
何か、喋ろうとしている。何か、伝えようとしている!
「どうしたクラグ!」
彼が何か俺に伝えようとしていることに気づいた俺は、重たかった足のことなど忘れて走り出していた。
なぜもっと早く気付かなかったんだ。彼がああまでして生きようとしていたのは、迫りくる死が恐ろしかったからではない。何か伝えなければいけないことがあったからだ。
自分が情けない。一人自分の非力さを嘆いていたのが恥ずかしい。
彼は、今すぐ死ぬというのに、死の苦しみに耐えて情報を伝えようとしてくれていたのだ。それほどまでに彼は強い。彼の戦士としての魂は、生まれたばかりの青臭い俺とは違う。
「チャンクー殿……か。よく……聞いて、くれ。アッサム、に……気を付けろ。彼は……何か隠して、いる。それが、何かは分から……ないが、神虫は言っていた。『アッサムは自分の仕事をしっかりこなしているようだな』と。彼は危険だ」
「クラグ! それを伝えるためにお前は。苦しいだろう、死が迫っている感覚は。辛いだろう、仲間にもう会えない悲しみは。仕事のことだけでなく、仲間たちに何か伝えたいことはあるか? 俺が一言一句たがえずに伝えよう」
「そう……だな」
彼はゆっくりと呼吸を整え、残る力を振り絞って最期の言葉を紡いだ。
「貴殿と戦えてよかった。国を守れて良かった。昔から、この危険溢れる世界を変えたいと思っていた。だから俺は軍人になった。内戦に参加して国民に銃を向けることもあった。そして今、俺は国を守った。それは、ちっぽけなものだけれど、世界を救ったことにはならないだろうか。この機会を与えてくれた仲間に、家族に、貴殿に、そして世界に、ただ【ありがとう】と、それだけ」
そう言って彼は息を引き取った。最後まで誇りある戦士であった。
彼の心は自分ではなく、他者にこそあるのだ。自分がどうなろうとも他者を守れればそれでいい。全体の力になれればそれでいい。
俺には真似できないことだ。何よりも自分の命が最優先。この戦い、ひいては今後起こるであろう事件に対抗するため、という盾で自分を納得させている。
普通の人間ならばそれでもいいだろう。しかし俺は違う。人類を未曽有の危機から救い、最悪この身を捧げて誰かのために尽くすのが、今までの化生たちだった。
化生の伝説を本で読んだとき驚いた。自己犠牲。彼らにあり、俺にないのはその精神だった。
誰かのために死ぬ。それも、ほとんどの化生がそれを望んでいた。当然事件を解決できる化生もいたが、そうでない化生が最期にとる行動は決まっていた。
体内の魔力を急激に膨張させ、相手に密着した状態でそれを開放する。その威力は核融合にも匹敵し、確実に敵を撃ち倒すと言う。
どうしてそんな行動をとるのか、俺には理解できなかった。自分が存在しない世界に、一体どの程度の意味があると言うんだ。死んでしまっては、自分が救った世界も見れないのに。死んでしまっては、何もできないのに。
しかしクラグの生きざま、そして死にざまを見て分かった。
彼らは、受けた恩を返そうとしていたんだ。その究極的な選択が自己犠牲だったというだけ。その恩がどういったものなのかは分からない。生まれた恩なのか、助けられた恩なのか、はたまた別の何かか。
ただ彼らは自分が犠牲になることを簡単に許容できた。恩のためならば。
そしてそれは、化生の性ともいうべきものなのだろう。俺には真似できない。
自分が犠牲になることを許容するなど、俺にはありえない。俺は化生失格だ。人類の味方ではあるが、皆が求める英雄像とはかけ離れてしまっている。
自分の情けなさ、非力さを痛感しながら、血の通わなくなってしまったクラグを持ち上げる。
伝えよう、彼の死を。伝えよう、彼の言葉を。彼の誇り高い魂を俺の弱い心で汚してしまわないよう。
そして俺は決意した。彼のような漢になると。守るものがあって、曲げられない思いがあって、自分の命を賭しても構わない。そんな誇り高い戦士になろう。
彼の死を絶対に無駄にはしない。彼の守りたかったものは、これからは俺が守ろう。そして彼の夢を叶えよう。この危険な世界は、俺が救って見せる。俺が変えて見せる。彼の誇り高い魂に誓って。
【クラグ】とは、アフリカーンス語で力を意味します。Krag
そのためクラグは神虫を投げ飛ばすほどの膂力を発揮していたんですね。
プロローグ後半で話していた名前の持つ運命の力。今後も少しづつ明かされていきますよ。(語幹だけで名付けたキャラクターも多いです)