第四十二話
~SIDE ジェリアス~
ジェリアス。
優秀な軍人として多くの人に知られ、軍属でない一般人にも認知されている、タンザニアの誇りというべき人物。
遊撃部隊の面々はもちろん、軍内のほぼすべての人間が彼を尊敬しており、何かあったら頼るべき人物と皆が口を揃えて言う。
そう、皆が尊敬しているのはジェリアスなんだ。私ではない。
どんな任務でも難なくこなし、全軍の指揮をする。高い戦闘能力と抜群の指揮で友軍に被害を出させない天才軍師。
皆が思っているジェリアスという人間は、実はそんなにすごい奴じゃない。
射撃の腕はどれだけ訓練を積んでも打ち止め。これ以上どうにかなることはない。
身体も弱く、体重もなかなか増えない。身体能力も平凡。それが本当のジェリアスという男なんだ。
ジェリアスという男の才能は本来アッサムのものだ。私が、アッサムから奪ってしまったもの。
あの事件さえなければ、私ではなくアッサムこそが皆から尊敬されるタンザニアの星だったのだ。
十数年前、まだ私もアッサムも軍に入ったばかりで経験が浅かったころ。
当時、世界を大混乱させていた病魔王という存在がいた。
奴はアジアでしか発生していなかった地方病を世界全土に拡散させたり、今まで現れたことのない病原体を発生させたりと、現代の人類に大きな被害を被らせた。
飛行機や船などで行動範囲が拡大した人類に、奴のもたらした被害は絶大で、世界全体が大恐慌に陥った。
貿易によって食料を確保している国は飢餓に陥り、先進国すら食料を手に入れられない状況。
貿易大国は当然経済が崩壊し、医療崩壊も早かった。
そんな時、医学の化生が現れた。彼女は手をかざすだけで容易く病魔を取り除き、多くの人を救った。
さらに、人間にも扱える医療技術を多く提供。医学の発達している国から徐々に回復し始め、さらに病気に対する予防策も開発。
一時期世界恐慌以来のどん底まで落ち込んでいた経済は、爆発的な勢いで復活した。
きっかけは彼女が開発した抗体ワクチン。先進国がこぞってこれを購入し、研究チームは莫大な資金を手に入れた。
化生の目的は元来利益や欲といったものにはなく、人を救うことに力を注ぐ。資金を手に入れたそばから大量に使い、ワクチンの生産効率を強化。
さらに莫大な資金を手に入れ、それを貿易に使いまくったという。
人類が作るワクチンは完全なものではなく、ある程度の確率で病気を発症してしまうが、医学の化生が自ら作成したワクチンには一切の隙が無く、ワクチンの普及した国から瞬く間に貿易を回復させていった。
病気から解放された人類が次に求めるのは、当然病魔王の撃破。
古来よりこの手の魔王は多く、黒死病や天然痘、エイズやデング熱も同系統の魔王のものだ。
病魔王はとにかく人的被害が大きく、億単位で人類を殺した魔王も存在する。人類の敵という意味では間違いなく最大級。
だが病魔王本人は実はそれほど強くなく、人類でも対抗する術があった。
さらに医学の化生がもたらした魔法の技術によって国連軍は凄まじい勢いで病魔王の勢力を壊滅させ、アフリカ大陸まで追い詰めた。
病魔王は寒い地域、つまり極点に近づくほど強力になり、反対に暑い地域、つまり赤道に近づくほど弱体化する。
アジアで勢力を拡大させていた病魔王に対してロシア側から圧を掛けつつ逃げる方向を誘導。
奴が最も弱体化するアフリカで医学の化生が待ち構えていた。
私たちは国連軍に協力を要請され、病魔王が通るであろうルートの一つに待機していた。
ウガンダは当時内戦をしている最中で、政治的に安定していたケニアとタンザニアが連合を組んでこれに当たっていた。
「まさかこんなに早く魔王退治に参加できるとはな! 今回はだいぶ弱体化してるみたいだし、俺たちにも活躍の場があるかもしれないぞ」
「アッサム、あんまり油断するなよ。化生様がすぐに来るとは言え、私たちがやられてはこれまでの苦労が水の泡になってしまう」
この時の私は、一人称こそ”私”だったが、かなり気が強かった。
まだ知らなかったのだ。これから何が起きるかなんて。
まだ覚悟なんてできていなかったんだ。まだ人を守るどころか自分を守ることも、できていなかったんだ。
私たちは弱かった、絶望的なまでに。
そいつは画像で見るよりもはるかに大きく、立てていた戦術も戦略も全てを粉砕するパワーを持っていた。
怪しい紫と黒の肉体。宙を舞う大きな翼と獣の身体。竜のようなシルエットではあるが、間違いなく獣と言える。
弱体化しているはずの奴はしかし、戦車の主砲を全く受け付けず、重火器も爆発物も全く通用しなかった。
機動力の低い戦車から潰され、固定式の火器は簡単に破壊された。
私たちの任務は化生様が到着するまでの時間を稼ぐこと。逃げる先を誘導したとはいえ、完全に場所を特定することはできなかった。
飛行能力を持っている奴はアフリカ内の何処に行ってもおかしくはない。だからあらゆる地点で軍人が待機し、足止めを任されていた。
「どうなってやがる! あいつ弱体化してるはずじゃなかったのかよ!」
アッサムがライフルを撃ちながら文句を言っている。他の皆も各々叫んで自分を鼓舞しながらあれを攻撃している。
(なぜ、この状況でみんな絶望していないんだ。私には、あいつを攻撃する気力が出てこない。手が震えて狙いも定まらない。ここで逃げるのはダメか……)
撃てもしないのにライフルを構え、とにかく奴を狙っているふりだけしている。
少し視線を動かすだけで破壊された戦車が見えてしまう。あの中には昨日まで私の上官だった人が乗っていた。
向こうで血まみれになって倒れているのは、昨日ともに酒を飲み交わした友人。
視界に映るのは知り合いばかりで、いつ自分が死体の仲間入りをするのかも分からない。
こうしている間にも続々と仲間たちが死んでいく。
昨日知り合ったケニアの友。
ともに訓練を乗り越えた同期。
私を全力で教育してくれた上官。
戦えない。私が参戦したところで、やはり魔法がなければ奴を足止めすることすらできないのだ。
もう私にはどうすることもできない。
何も……できない……。
「……アス。……リアス! ジェリアス! しっかりしろ! 何ぼーっとしてんだ!」
アッサムに吹き飛ばされて我に返る。今、何が起きた?
目の前に巨大な黒い塊がいる。……こいつは、病魔王か?
アッサム? アッサムは何処にいる?
「アッサム!」
病魔王の方に目を向けてみると、そこにはアッサムがうつぶせに倒れ、病魔王にのしかかられていた。
右足からは大量に血が流れ出て、病魔王に食いちぎられた跡が見える。
なんだよ、それ。意味が分からない。なんでアッサムがやられてるんだ。なんで、俺が死んでないんだ。
血まみれのアッサムを見るほどに頭に血が上る。
殺すなら俺を殺せよ! 役に立たない俺が囮になって、強いアッサムが活躍すればいいだろ!
「ふざけるなよ、病魔王! アッサムを殺すことは私が許さない……!」
そこでようやく私は動き出した。自分が死にそうになっても動かなかったのに、アッサムを庇うためになら躊躇なく行動できた自分が少し誇らしかった。
スタングレネードを奴の目の前に投げ込み一瞬時間を稼ぐ。
その隙にアッサムのところまで転がり込んで彼を抱える。体重差約60キロ。この時の私にはアッサムは重すぎたが、根性で持ち上げ歩き出した。
とにかくアッサムを遠くに逃がし、化生様が来るまで私が時間を稼ぐ。
アッサムにこれ以上手は出させない。死んでも私が守ってみせる。
「こい化け物! これ以上、私の友も、上官も、同僚も、誰も傷つけさせはしない!」
ライフルで奴の頭を弾く。さっきまで手が震えて全然打てなかったのに、今は正確に打ち抜いている。
それを煩わしく思った病魔王が私に狙いを定め近づいてくる。
頭、特に眼球を狙って撃ち込んでいるのに、やはり魔法が無ければ奴を傷つけることができない。どれだけ弾丸を叩き込んでもひるむことなく私に攻撃してきた。
完全に見切って躱したつもりだったが、避けきれずに喰らってしまった。
防具は粉砕され、わき腹から大量に血が流れる。
……だが、こんなの足がなくなったアッサムに比べれば大したことない!
寝転がった姿勢のまま銃を連射する。私に興味をなくした病魔王は再び私に狙いを定める。
「ジェリアス!」
足がない状態のアッサムが、腹筋と腕の力だけでグレネードを投げ込んでくれた。
私にとどめを刺そうとしていた病魔王は一瞬ひるんで動きを止める。
だがその程度で傷つけることができないのはわかっている。
刹那の沈黙ののち、再び私に拳を叩きつけようと、腕を振りかぶる病魔王。
ここで終わりか。だがアッサムが無事なら悔いはない。
……、そう思ったのち、私は死ぬはずだった。
「よく頑張りましたね。ここからは私が引き継ぎましょう」
清潔感のある銀色の髪をなびかせ、美しい長身の女性が病魔王の拳を受け止めた。
さらに病魔の魔法を放つ病魔王だが、医学の化生はこれを完全に相殺。どころか奴の体内まで魔法を浸透させ、着実に身体を崩壊させていく。
さっきまで苦戦していた病魔王が、嘘のように弱っていく。
これが魔法の力! 私が求めてやまなかった絶対的な力。
誰でも救うことができて、誰でも守ることができて。最初に救うのはきっと弱い自分自身だろう。
『……ここまで、か。だが、ただでは死んでやらんぞ。お前たちに、最大級の呪いを!』
病魔王からなにやら怪しい魔法が放たれる。
医学の化生様の魔法によって多少減衰されているが、それは私とアッサムに吸い込まれ私たちに激しい痛みを与えた。
私はここで気絶し、それから先のことは全て終わった後に聞いた。