第三十五話
水銀を鉄の容器に入れ、蓋をする。自然力を大量に含ませた。接続用のチューブを通せるように二つ穴を開けておくのも忘れない。
「はいよ、これで良いか?」
「問題ありません。調整はこちらでします」
ここは魔法系の研究チーム用テント。
俺たちの戦いによって、彼らが今まで研究していたサンプルとは比べ物にならない量の自然力が放出され、全員忙しそうにしている。ただ分解される前の自然力は魔力とは違う。ここの即席の設備ではすぐに手詰まりになるだろうな。
「頼んだ。俺はお隣さんに顔出してくる。調整が終わったらジェリアスとしばらく試し打ちしてくれ。俺の自然力を流しこんだから、魔力とは違う反応が起きる可能性がある」
「分かっていますよ。事故が起こらないよう最善を尽くします」
よろしく、と声をかけてテントを後にする。隣にあるテントは蝗害対策研究チームだ。FAOが発表した一週間分のバッタの行動予測を基に、現地でバッタの動向を観測した結果と照らし合わせてバッタを先回りするための機関。
または変異種やバッタそのものを研究する機関。
だが……、
「まただ、また行動予測が外れた! 何故だ」
「このバッタの動向、こっち側の予測を知っているとしか思えませんね」
「人型種がどこかの国の研究機材を手に入れたってのか? クソ、何処の国がそんなへまを」
そう、これが今回の蝗害で一番厄介な点。向こうさん、どうやらFAOの行動予測の情報を持っているみたいだ。相手の行動を予測して先回りするのが人間側の対策。それを事前に知られてしまってはこっちにできることはない。流石にアフリカ全土に殺虫剤をまくわけにもいかん。
「あっ、チャンクーさん。昨日は最前線で戦ってくださり、ありがとうございました。チャンクーさんは人型種の指揮官と対話したんですよね。何か情報をお持ちですか?」
研究者の一人から声をかけられた。彼らの研究はかなり長いこと停滞している。少しでも新しい情報が欲しいのだろう。
う~ん、だがなぁ。戦闘中にそんな情報引き出すような駆け引きは俺にはできない。それにあの指揮官は馬鹿じゃない。何をしても、死ぬと決まったら一つも情報は漏らさなかったはず。
「悪いな、あいつはその手の情報を一つも吐き出さない。情報を扱うことの重要性を奴らはよくわかってる」
「そうですか。では、奴らの目的などに心当たりはありますか?」
「奴らの目的、か」
そういえば、あいつらは何のために人を襲っているんだ?
群れを養うためではない。群れを養うためなら、わざわざ産卵の時期を早めてまで固体を増やす必要はない。
じゃあ蝗魔王の趣味とかか? いや、どちらかと言えばあいつは、自分の手で強い奴と戦うのが好きなタイプだ。軍を率いて戦術バトルするのが好きなタイプじゃない。
どちらかと言えば魃魔王カンハンの役回りだろう。
だが実際に群れを率いているのは蝗魔王ワンだ。
ならやっぱり、人類を滅ぼすため? だが人類を滅ぼした先に何がある?
今のやり方では、人類を滅ぼした後のアフリカ大陸は完全な不毛の地になる。アフリカ大陸の植物は食いつくされ、種も残らない。
食料がなくなればバッタは生きられない。それはどんな生物も同じこと。それが分からない蝗魔王ではない。
あいつら、なんのために戦っているんだ?
俺たちが戦うのは奴らに対する恨みと使命のため。使命、使命か。
なら、奴らも使命に戦っている? 奴らを創造した神の指示? なら、そいつは何故人類を滅ぼすことを指示しているんだ?
訳が分からん。人類を滅ぼすことに、どんな意味があるというんだ。
『飽きてしまったんだよ、彼らは。だから自由になった途端に食いついてきたんだ』
ッ!! 誰だ今のは!?
「おいお前、何か言ったか?」
「いいえ何も」
……嘘は言っていないようだ。気のせいか? あんなにはっきり聞こえたのに?
なんだったんだ今のは……。
「……とにかく今考えても分かることはないな。外れてもいいから、今後のバッタの行動予測を見せてくれないか?」
「ええ、良いですよ。ただ今までの傾向から、一週間後のバッタの位置が予想通りになる可能性は相当低いですけどね」
研究員は自嘲的にそう言って予測結果を見せてくれた。
ふむふむ。今のバッタの群れの位置がこの辺か。だいぶ広範囲に拡散しているみたいだな。大規模な群れには変異種が混ざっているとして、これだけの数変異種が混じった群れがある。
南側や西側には人型種か飛行種が確定でいるらしいからそれを含め、今まで変異種を倒した日数を考慮して計算すると……。10年単位で解決に当たらなきゃいけねぇじゃねぇか!
「不味いなこれは。一刻も早く先進国から魔法技術を輸入し、一般の軍人も変異種に対抗できるようにしないといけない。これ以上時間をかけてしまえば事態の収拾は難しくなる」
「そうですよね。化生様のおかげでこの辺りはかなり落ち着いてきましたが、まだまだ事態の解決までは1%未満。せめて軍人の重火器が人型種に有効なら良いんですが」
人型種の戦闘センスは俺達でも目を見張るものがある。これ以上身体能力が高く、魔法の扱いが上手ければ苦戦を強いられる。
一般の軍人では、死ぬのを覚悟でゼロ距離射撃をしなければ当てられないし、それで確実に殺れるとも限らない。
「まぁ今考えても仕方ない。そこは他国も事情あってのこと。参考になったよ、ありがとう。お前たちのことは俺が守る。安心していろ」
それだけ伝えてテントを後にする。ジダオにこの情報を伝え、意見を聞くべきだろうな。あいつの索敵能力と分析能力は凄まじい。FAOの予測とは別に行動予測を立てられれば、バッタを先回りするための参考程度にはなるだろ。
「おーいジダオ! って、何してるんだ?」
「あ? 見ての通り、釣りだよ」
見ての通り、見ての通りか。俺にはデカい犬が木の棒で遊んでるようにしか見えなったが。
「あっ、チャンクーさん。お疲れ様です!」
声を変えられて視線を向けると、簡易的な釣竿を湖にたらしている遊撃部隊のメンツがいた。
「おお、お疲れ。ちゃんと寝れたか?」
「はい、元気いっぱいですよ」
「ビクトリア湖で釣りなんて久しぶりで楽しいですね」
「こんな岸からナイルパーチは釣れないですけどね」
「バッカ、俺はこの辺りで釣ったことあるぞ」
みんな釣りを楽しんでいるようだ。食料が送られてくるまで空腹を紛らわす手段はないし、釣りは良いかもな。
「ジェリアスは一緒じゃないのか?」
「ああ、隊長はウガンダ軍と連絡を取っていますよ。いろいろ話しておくことがあるみたいです」
そうか。全体に休暇命令を出したのに、あいつは大変だな。
「俺にも竿を一本くれないか?」
「あ、チャンクーさんもやりますか? どうぞ。まぁ今のところ全然釣れてないんで、雑談してるだけですけどね」
竿を受け取ってジダオの隣に座る。ジダオは竿の扱いなんてできないから、魚をビビらせるだけでこいつの隣で釣りなんてできるわけないが、目的は釣りじゃなくてゆっくりジダオと話すことだからいい。
「チャンクー、あそこが見えるか?」
「あん? 何処のこと言ってんだ?」
ジダオは自分の感覚が人間とは違うことをいい加減学んだ方がいい。あそこ、とか言って簡単に異常を見つけられるわけないだろ。
「あの草に引っかかってる魚の骨。あれ、おかしくないか?」
「誰かが食べて流したんじゃないか?」
「違うな。あれは多分、バッタたちが食べてたんだろう」
バッタが? 何故だ? あいつら魚を食うなんてことはしないはずだろ。
「この辺の木が倒されてるだけで言うほど食われてないからおかしいと思っていたんだ。多分奴ら、魚を捕まえるすべを手に入れたんだ。通常種だと植物性のもの以外を好んで食べることはあまりないと思うが、変異種、特に大型種なんかは植物を食べるよりも栄養効率がいいのかもしれない」
「なるほど、奴らの文明レベルは着実に上がってきていると。似たようなことで、俺もお前に言っておかなければならいないことがある」
釣りをしつつ、さっきテントで聞いた話をジダオとともに考察する。
今後のバッタの動向。
どうすれば範囲の拡大したバッタを殲滅できるのか。
目先の目標は何か。
話しておくべきことが多すぎる。