第百十四話
すまなかった
~SIDE ソンダビット~
あれだけの血を流しながらも、どういうわけか俺の頭はスッキリしていた。恐らく、これもアララーの能力なのだろう。失った分の血液は、今彼の魔法で補完されている。この戦闘中だけは、力尽きることはないのだ。
吹き飛んだ左腕に目をやると、そこにはアララーによって再生成された光の腕がある。
あらゆる部位欠損ダメージを一時的に無効化するその能力は、実際に効果を受けている俺ですら驚愕するほどのものであった。
何せ、生身の腕よりも遥かに勝手が良いのだ。今まで重苦しく感じていたラズルシェーニェが、今は左腕一本で軽々と持ち上がる。ともすれば、両手剣として扱うよりも取り回しが良いほどに、この魔法の腕には凄まじい筋力が宿っていた。
しかし、これが良いこととは言い切れない。当然ながら、この腕は一時的なものだ。魔力が尽きれば消滅する。俺の腕は、もう一生戻ってくることはない。
確かに強力な能力ではあるが、これを使いたいがために腕を一本切り落とすほど、気概のある者はそういないだろう。
『随分と落ち着いているが、追撃が来るぞソンダビット! 気を付けろ!』
アララーに声をかけられ、目線を左腕から正面にいる蚩尤レプリカに移す。
俺が左腕を吹き飛ばされあばら骨まで露出する大けがを負ったのに対して、奴の肉体は無傷そのものであった。まるで、俺の攻撃など通用しないと見せつけているかのよう。
チャンクーさんからもらった炎の自然力は、今もしつこく奴の腕から肩までを焼き続けている。しかし、出力が足りていないんだろう。その肉体が炎に犯されることはなく、先程までと変わらない力強さを示している。
右手は前に、左手は顔と腹を守る。先程とまったく変わらない構え。
奴からしてみれば、先刻の攻撃などジャブでしかないんだろう。事実、ボクサーが放つそれとほぼ同じ動きであった。
だが、俺目線ではそうもいかない。奴の軽いジャブひとつで半身を消し飛ばされたのだ。
殺傷力、スピード、予見のし辛さ。全てにおいて人類には脅威過ぎる。だからこそ、この場で倒しておかなければならないのだ。被害が拡大する前に。
「アララーさん。さっきはジョークって言ってましたけど、実際頭と心臓以外ぶち抜かれたとして、この左腕みたく魔法で補完することは可能っすか? 場合によっては、戦術の候補とさせてもらうっス」
『もちろんだ。我はアララーの龍。英雄を導き、悪魔の弱点となるもの。奴の武器がその攻撃力と武術だというのなら、その弱点は恒久の戦士。真名魔法を極めれば、このくらいのズルはできる。ちなみにお前は……』
話の続きを聞かず、俺は走り出していた。アララーさんは自分語りが凄い。最後まで話を聞いていたら、戦いが終わってしまうだろう。
先程、ひとつ学んだことがある。奴の攻撃に対してどれほど後方に避けようとも、意味がないということだ。分かっていたことだが、奴の一歩は俺の跳躍よりも大きい。いくら距離を取ったところでまったくの無意味なのだ。
だから俺は、敢えて前に出る。そりゃそうだろう。後ろに行けないなら、前に突っ込むしかない。ラズルシェーニェを左手上段に構え、右手を前に突き出して盾にする。ラズルシェーニェの攻撃力を失うくらいなら、右腕を失う方がマシだ。
これに対し、奴は左脚でステップを踏みつつ右脚を振り上げた。
奴にしてみれば、軽いカーフキックくらいのつもりなのだろう。膝よりも下を撃ちぬくくらいの、ほんの小さな蹴りだ。それが、俺目線では絶望的なまでに巨大な壁の攻撃に変貌する。
いやらしいことに、奴は俺の思惑を理解していた。右こぶしをまっすぐ放ってくるのなら、先程同様俺の右手を犠牲にこれを相殺し、吹き飛びざまにラズルシェーニェの斬撃を一発でも叩き込めたのだ。
それが、右脚の蹴り。つまり俺から見て左手側から迫る攻撃は、どうあがいても右手が間に合わない。安全を取るのならば、ラズルシェーニェでガードする以外に方法はないのだ。しかし、それをしてしまえば俺はなぶり殺しにされる。武器を取り上げられ戦闘能力を取り上げられ、抵抗する術なく殺されるのだ。
そんな未来を迎えるくらいならば、俺は勝負に出る。中国を代表する武芸の魔王を打ち破り、史上最強の人類として勝利を勝ち取るのだ。
奴のカーフキックは高い。そのつもりはないだろうが、隙間はあるのだ。
そこを狙って、俺は全力で倒れこんだ。走るスピードはそのままに、草原の上を滑走するように頭から倒れこんだのだ。
ちょうど、奴の右脚が俺を通り過ぎようとしたとき、素早く反転し左腕でラズルシェーニェを持ち上げる。右手は添えない。狙いは正確でなくなるが、こちらの方が速いのだ。あとは、俺の大剣技術に全てを賭けるほかない。
右脚の親指。下段から上段に振り上げたラズルシェーニェは、奴の親指を切断した。本当は足ごとぶった切るつもりだったが、奴のあまりの重量に流されてしまったのだ。しかし、ついに俺は攻撃を当てることに成功した。
だが、ここで油断してはいけない。コイツは武芸の達人。その反応速度は人知を超えているのだ。俺の攻撃に対して、カウンターを放ってくるに違いない。
俺は蹴りのパワーを利用してラズルシェーニェを回し、その場を退いた。
瞬間、先程まで俺がいた場所には大質量のかかとが振り落とされた。
その一撃は地面を砕き、揺らし、幾多の命を震わす。当然、ただその場を退いただけの俺も余波を受けて大きく吹き飛ばされた。
カーフキックというのは、いわゆるミドルキックやハイキックとは違う。相手を昏倒させたり殺したりするのではなく、足の後ろ側にある細い骨を折るためのキックだ。ゆえにパワーと正確さの両方が求められる。
奴のカーフキックは、まさに正確さを貫いたものだろう。
振り抜く瞬間俺の動きに反応し急停止、そのまま超質量のかかと落としを放ってきた。絶対的なバランス感覚と身体操作が無ければ、到底不可能な技術だ。
「だが、今度は立場が逆になった。さっきは自分が一撃もらってそっちが無傷でしたけど、今はこっちが一撃入れて、逆に自分は無傷っス」
ダメージ量を考えれば、まったく吊り合っていない。こちらは腕一本に対して、向こうは右脚の親指一本だ。
しかし、それを人間の俺が為したのだと思えば、これ以上ない功績だ。蚩尤の系譜を継ぐ者に、流血ダメージを負わせたのだから。
視線を向けてみると、蚩尤レプリカは右脚の親指を庇うように、かかとをピッタリ地面に付けて立っている。あれでは、得意のフットワークは出来ないだろう。カーフキックも封じることが出来た。次は指ではなく足を切断できるのだから。
「本当にお強い。人間にしておくのがもったいないくらいです。当時の蚩尤の力があれば、貴方を妖怪にしてしまえたものを。残念です。ここで殺さなければいけないのですから」
一撃入れたと言っても、奴の戦意は失われていない。むしろ、ここからが勝負だ。
奴の握りこぶしに、先程よりも力が入っているのが分かる。しかし、腕は脱力していた。これが出来る武芸者は中々いない。
本来、俺程度の人間を殺すのに攻撃力を意識する必要はないのだ。そう、彼が今やっているような技術は、まさに攻撃性を高めるためのもの。
しかし、彼は慣れているのだろう。その構えに。普段から攻撃性を意識しているがために、難しい技術を使う方がかえって動かしやすいのだろう。本気で俺を殺しに来ているのがわかった。そして、今までのは本気でなかったことも。