第百十一話
昨日投稿できなくてすいませんでした。待ってる方……がいるのかわかりませんが、お待たせいたしました。一日遅れで投稿です。
今後また金曜投稿ができない場合もあると思いますが、その時は土曜か日曜に投稿するので、安心してください。詳しくは主のTwitterへどうぞ。
深い、深い霧。目の前の地面すら見えないほど劣悪な視界の中、俺はソンダビットを背に庇い蚩尤レプリカの攻撃を防ぐべく爆裂金剛所を構えていた。一瞬の油断もできない。俺が一撃でも後方に逃がしてしまえば、その時点でソンダビットは死ぬのだ。
俺はジダオのような超感覚を持ってはいない。聴覚も、視覚も、嗅覚もいたって人間的である。霧の奥に潜む奴の鼓動を知覚できるほどの五感は備わっていなかった。
まして、狼のように磁力で敵を察知するなど、できるはずがない。アレは獣の特権なのだから。
霧の内から、ガランという金属の音が響いた。それも、ひとつではない。
恐らくだが、手に持っていた壊れかけの武器を放棄したのだろう。この局面では、俺の防御力を突破するよりも、より素早い攻撃でソンダビットを屠ることが優先される。超重量、超リーチを持つ金属の武器を手にしていては、あまりにも不利であった。
後ろをチラと確認する。俺には聞こえないが、ソンダビットとアララーが脳内で会話しているのだろう。目を閉じ、ラズルシェーニェと接続された黒の剣へ手を置きながら、何やら集中している様子だった。
一言、二言。喋れないはずのフランス語で、ソンダビットが何やら言っている。
アララーはフランスとスペインにまたがる龍。彼に影響されて、知らない言語を使えているのだろう。あれこそ、アララーの力を引き出す言葉の魔法。誰でも簡単に扱える、現代よりも遥かに古い時代の魔法である。
どうやら、ソンダビットの方は大丈夫そうだ。恐らく数分もしないうちに、ラズルシェーニェと黒の剣は完全に融合する。それは、あの蚩尤レプリカも絶命せしめる必殺の一撃となるだろう。であれば、俺が心配する必要などない。
集中すべきは、やはり霧の中にいる蚩尤の方か。既に約一分間、何の攻撃も仕掛けてはきていない。この霧は奴の腹から出でたものであり、蚩尤レプリカは俺たちの居場所を完全に把握しているはずなのに。攻撃してこないのは何故か。
……考えてもわかるはずはないか。それが理解できるのならば、俺はエスパーか何かだ。
残念ながら、俺は超人であってもエスパーではない。推測は出来ようとも、100%確実な未来を見通すことなど出来はしないのだ。それは、人間の領域ではない。
ならば、考えるべきは奴の思考ではなく、姿かたちの方だ。
奴が今、どんな構えを取っているのか。俺をすり抜けソンダビットを狙い撃つなら、果たしてどのような構えが必要なのか。
はたまた、奴が既に背後へ回っているとして、ソンダビットを攻撃する際にはどのようにするのか。俺の反撃を警戒し最速の拳でもってソンダビットを殺し、俺が拳を撃ち返すよりも先に、霧に紛れて逃走するはずだ。そのための構えは?
例えば、側面から奴が攻撃してくるとして、いったいどちら側に潜んでいる可能性が高いか。俺の利き手は右だ。しかし、白の剣を持つ銀槍は左側にある。奴の警戒は果たして、右手と白の剣どちらに傾いているのか。
見えてきたぞ、蚩尤レプリカ。俺の中で、既にお前の姿かたちはできている。
どれほど巧みに霧へ隠れようとも、俺の目にはお前の姿が見えている。どのくらい距離が離れていて、どのような構えをとっているのかも。武器を何処に置いてきたのかも。
「……先手必勝。反撃ではなく、先制攻撃でもって防御とさせてもらうぞッ!」
振り抜くは、リーチの長い銀槍ではない。先端にほど近い場所を握りしめた、爆裂金剛所である。
一瞬の轟音、そして閃光と衝撃。火薬にもよく似た火山の香りが、霧を通り過ぎて俺の鼻を刺激する。手に響く振動は、その威力の高さを物語っていた。
ビクトリア決戦で猛威を振るったこの武器は、如何な敵にも通じうる。
ゴトリ。音とともに落ちたのは、予想通り。蚩尤レプリカの右手であった。
人間と同じ赤色の血を垂れ流し、人間とは違う痛みの感覚を味わう蚩尤レプリカ。表情は霧に隠れて見えないが、きっとさほど悪くない顔をしているのだろう。
「まさか、私の居場所に気付いているとは思いませんでしたよ、化生チャンクー。あまつさえ攻撃まで仕掛けてくるとは。しかし、致命傷にはならなかった。何せ、私の腕は貴方の身長よりも長いですから。死ぬはずがありません」
右後方、立ち込める霧の中から声が聞こえた。
俺の予想通りだ。先程武器を落とす音は、左前方から聞こえていた。その時点で、真正面から移動しているだろうことは想像できていたのだ。
ではいったいどこに行ったのか。最初は、武器の近くに潜伏しているだろうと思った。
ソンダビットを攻撃した後、俺の追撃から逃れるには、使い捨ての道具が必ず必要になるからである。俺が無限に武器を作り出せるのだから、当然であろう。
だが、それで武器と同じ方角にいるというのはあまりに安直である。
決め手は、やはり白の剣であった。奴は白の剣を警戒しているのだと、予想するのはさほど難しくなかった。
一般的な格闘家は、相手の利き手や、攻撃力の高い方の腕を良く気にかける。そして、そちら側には立たないように、あるいはわざと大ぶりの攻撃を誘発するなど、とにかく身体に対する側面を意識するものだ。
しかし、八つの腕に四の目を持つ蚩尤レプリカは、果たして一般の格闘家と同じ思考を持っているのだろうか。
答えは否だ。ほぼ全方位を知覚し、またあらゆる方角からの攻撃に対処、反撃できる彼にとって、利き手などどうでも良いだろう。
それに、彼自身が攻撃に回った場合も、相手の利き手など意に介す必要はない。
彼には、誰もおよびつかないほど卓越した武術がある。そして、恵まれた体格がある。二つが合わされば、如何な防御も容易く突破できるだろう。ゆえに、利き手や利き足など気にしたこともあるまい。
ここまで分かっていれば、奴の居場所などすぐにわかる。
奴はソンダビットを攻撃したのち、素早く武器を拾って俺から逃れるつもりだったのだ。であれば、武器は必ず対角線上にある。加速が乗った状態で走りざまに武器を拾う方が、一度停止するよりもずっと速いからだ。
そして距離間だが、銀槍よりも外側にいないことは分かっていた。
銀槍は強力な武器だが、神経が通っているわけではない。奴の身体に接触したとしても、それが感覚的に伝わるわけではないのだ。俺の目と勘で扱うしかない。
それは奴も理解しているのだろう。四つも目があるのは、その観察眼を鍛えるためだ。
最初に銀槍を見せた時点で、奴は動きのぎこちなさを看破していた。だからこそ、銀槍の内側まで大胆に入り込んでいたのだ。そこから手を伸ばせば、ソンダビットを殴り殺すのに丁度いい距離間だろう。
「いやはや、本当に強い化生だ。もしここにロシア兵がいなければ、私は貴方の火山魔法で木っ端みじんにされているのですから。いくら霧を使おうとも、武器を整えようとも、自然の怒りの前には焼け石に水。それが、冷静な判断力と対応力まで兼ね備えているとは。歩き思考する火山。如何に強力か良くわかりました。……ですので、私も得意な方法で掛からせてもらいます」
突然、地震でも起きたのかと思うほどの衝撃が足元を襲った。
それは、留まる気配など一切見せない。力強く大地を駆け抜け、足を付けるもの全てに対して平等に揺らぎを与えた。
正体は、考えるまでもない。奴は蚩尤レプリカ。超大規模の軍団を率い、鬼や巨人を従える魔の王を祖に持つもの。その力を解放すれば、自然現象と見紛うほどの災害など簡単に起こせるだろう。事実、当時の中国では蚩尤ら一派など災害そのものでしかなかった。
鬼と巨人の軍隊。それは、霧の中でロシア兵を振り切り、全てがソンダビットと俺の周りへと集結し始めていた。