第百十話
タングステンでできた戦車の裏より、一人の男が飛び出す。
それは、人類最高峰の実力を持つ男。攻撃力というただ一点において、場合によっては化生である俺をも凌ぐ強さを持つ男。ソンダビット。
跳躍だ。とても、とても高い跳躍だ。凄まじい重量を持つラズルシェーニェを両手に握りしめ、ソンダビットは天高く跳躍した。それは、巨人族である蚩尤レプリカの脳天にも届きうるほどの高度であった。
「ッラアアアアアアアアアアッッッッ!!!」
裂帛の気合を込め、ソンダビットは大上段から大剣を振り下ろす。
ラズルシェーニェは攻撃力に特化した剣。ソンダビットの体格、魔力量と合わされば、考えうるほぼ全ての物体を切断できる。何を隠そう、あの大剣には、俺の自然力も一部含まれているのだから。
しかし、こちらの常識が通用するほど、紀元前より活躍していた魔王の系統は甘くなかった。
白刃取り。百人中百人の達人が驚嘆するだろう、見事な白刃取りであった。神速で振りぬかれたソンダビットの大剣は、奴の眼前で停止していたのだ。
そしてそのままソンダビットは後方へ投げ出される。いくら長身のソンダビットと言えど、相手は巨人族だ。スケールが違う。あまりの体格差に、抵抗する間もなく弾き飛ばされてしまった。
しかし、投げ出されたままでは追撃を喰らう。蚩尤レプリカのリーチは、人間のそれを大きく上回るのだ。立ち止まることはすなわち、奴の攻撃を抵抗せず受け入れることと変わらない。人間であるソンダビットにはあまりにも危険だ。
彼もそれが分かっているのか、着地するよりも先に右腕で地面に接触し、体勢を整え両足でしかと地面を踏んで見せた。超リーチ、超質量をもつラズルシェーニェを左手に抱えながら、良くあのような動きができるものだ。
……だが、蚩尤レプリカの方が一歩上手であった。
タングステンの戦車を持つ俺を素通りし、奴はソンダビットの元へ走り出していたのだ。たった三歩、それだけで蚩尤レプリカはソンダビットに追いついた。
現状、俺に蚩尤レプリカを絶命せしめる攻撃はない。黒の剣はあらゆる物体を切断・貫通できるが、如何せん刃渡りが短いのだ。巨人である蚩尤レプリカに致命傷を与えられない。かと言って、味方が大勢いるこの場所で、ド派手な魔法を使うわけにもいかない。
であれば、蚩尤レプリカに致命傷を与えうるラズルシェーニェと、その持ち主ソンダビットだけが脅威たりえるのだろう。そして、奴もそれが分かっている。俺ではなく、ソンダビットを先に潰すつもりなのだ。
いくら高い身体能力を持っていようと、人知を逸脱した攻撃力を持っていようと、ソンダビットは人間だ。真正面からやり合って、蚩尤レプリカの動きに対応できるはずがない。仮にも、奴は魔王蚩尤の形質を受け継いでいるのだから。
「鎧解除! 地戴解除! 突貫戦車解除ッ! 爆裂金剛杵!」
俺の判断は早かった。こうなっては、突貫戦車など何の意味も持たない。
自分の体重を少しでも軽くするため、地戴も鎧も解除する。これで、少しでも俺の機動力を向上させるのだ。
そして、右手には爆裂金剛所を装備する。俺の武器の中でも取り回しがよく、素早く高い攻撃力を生み出せる武器だ。黒と白の剣が銀槍に装備されているからこそ、俺は手に別の武器を持つことができる。
一歩踏み込むと同時に、黒の剣を装備した銀槍を奴のアキレス腱へ放った。
黒の剣は期待を裏切ることなくそれを切断し、周囲に人間と同じ色の血を撒き散らす。
あくまでも人間と似た容姿を持つ蚩尤レプリカは、当然ながら筋肉の構成や役割も似通っている。昆虫そのものであった蝗魔王と巨人族では、生物としての領域が違うのだ。
ゆえに、アキレス腱を切断すれば歩けなくなる。痛いからとか、血が出ているからとかではなく、筋肉の構造上不可能なのだ。腱を切断して、筋肉が正しく動作するはずがない。
そして続けざまに、奴の動きを拘束するよう八本の銀槍を放つ。
大蛇のごとく四肢に巻きつく銀槍は、如何に巨人の膂力と言えどそう簡単に振り切れるものではないのだ。タングステンと水銀の重量をこれでもかというほど活かし、奴を拘束せしめた。
チラと奥を見ると、蚩尤レプリカに迫られていたソンダビットは驚いたことに、平静そのものであった。今の状況をじっくり観察し、ラズルシェーニェを構えなおしている。その表情に、恐怖や緊張と言ったものは一切含まれていない。
「身体強化、火山の種……!」
溢れだす炎の濁流。ソンダビットとラズルシェーニェの間を、炎の形質を持った自然力が循環していく。何度も互いを行き来し、その度に力は増していくのだ。
冷静に、次の一撃で蚩尤レプリカに引導を渡そうとしている。
「失敗、ですね。蚩尤のように、真正面から化生に戦いを挑んだのがいけませんでした。それも、仲間を引きつれず単独で。……しかし、どうして蚩尤が敗北したのか良くわかりましたよ。ですので、感謝はしています。蚩尤の無念を痛感しました」
瞬間、奴を拘束していた銀槍が緩まる。いや、圧力をかけられなくなったのだ。
柔らかい、まるでタコのような柔軟さで、奴は銀槍の拘束からいとも容易く抜け出して見せた。骨がないのかと思わせるほどの動きに、俺はすぐさま対応することが出来なかった。
折れた刀に、捻じ曲がった短槍。そして芯がむき出しの棍と、赤く腫れあがった五つの拳。奴に残された武器は、そのどれもがボロボロで、とても戦闘が続行できる状態ではなかった。だというのに、奴の目だけは、闘争を諦めてなどいない。
「やはり、私は蚩尤レプリカ。蚩尤のようには成れない。しかし、誰もが望む蚩尤という虚像を示すことは出来る。一人で戦うなど、土台無理な話だったのですよ。まして、龍の眷属を引きつれた化生には」
蚩尤レプリカはその場で大きく息を吸い込み、口から超特大の霧を吐き出した。
通信や磁力を妨害し、視界も塞ぐために狙撃手からの援護も期待できなくなる。まさに、三寸先も見えぬほど深い霧であった。
『チャンクー、我をソンダビットの元へ連れて行け。そうすれば、奴を倒せる。お前は今まで通り足止めをしてくれ』
「アララー? それは構わないが、いったい何をするつもりだ?」
『我を信じろチャンクー。正義の龍、アララーを信じろ。我は、数多といる悪魔の弱点を示す化生、アララー。時に敵を貫く武器となり、時に敵の弱点そのものとなる。変幻の龍。今は……当代の化生の眷属器だ』
脳に響く、アララーの声。久し振りに聞いたが、やはり安心できる。彼が助言をくれるだけで、俺が今どうするべきなのかわかった。化生の導き手アララー。
俺は黒の剣を銀槍から外し、左手に持つ。今からこれは、蚩尤レプリカの攻撃を払うための武器ではなく、奴を絶命させる最終兵器となるのだ。
左手に黒の剣を、右手に爆裂金剛所を持ち走り出した。
深い霧の中、ソンダビットの位置もわからない。しかし、俺は走った。我武者羅に。
ソンダビットの性格上、こういう場合あまり派手に行動するタイプではないのだ。その場に留まり、攻撃に対して迎撃の構えを取るのが彼のスタイルである。
四方八方、知覚できないあらゆる方向から、蚩尤レプリカの巨大な拳が飛んでくる。霧を貫き俺のもとへ。
上に避け下に避け、右に左に、時に爆裂金剛所で迎撃しつつ、無理に対応しすぎることなく俺は走った。
少し進むと、ソンダビットとラズルシェーニェを繋ぐ炎の明かりが見えた。この状況でも、ソンダビットは冷静に力を練っていたのだ。
「ソンダビット! アララーを受け取れ。足止めは俺がする。今度こそ、お前がトドメを刺すんだ!」
「もちろんっス。次こそ、一撃で葬って見せるっスよ」
ラズルシェーニェにアララー黒の剣を差し込み、その真価が発揮される……。