第百五話
「本当にお前たちは強いな。条件次第だが、あらゆるステータスで人類種を遥かに上回る巨人を圧倒できるとは。それに、本来なら言葉を要する連携も、お前たちはアイコンタクトだけでこなす。それは、誰にでもマネできるもんじゃない」
本当に見事な戦いぶりだった。きっと彼らは俺と出会う以前から、この森で幾度となくレーシーを退治してきたのだろう。だからこそ、彼らは負けない。逆に言えば、相応の戦闘経験さえ積めば、彼らは如何な眷属にも敵うのだ。
俺も負けてはいられないな。下が育つのは良いことだが、上が現状維持を重ねていては、総戦力を引き上げるのは難しい。彼らはどう頑張っても、今の俺と同じ領域にまでしか到達できないのだ。それを超えるためには、まず俺が強くならなければ。
「あっ晴れ、そういう他ないよ。だからお前たちはもう休んでいろ。アレの相手は俺がやる。お前たちの戦いを見ていたら、どうにも身体が疼いて仕方ないんだ。それに、まだお前たちじゃアレは厳しいだろう。機動力に調整が必要だ」
「え? それはどういう……」
AAAAAAAAAAAAAAAAAAッッッ!!!!!!!!!!
突如、俺たちの耳を超高音の波が襲う。それは、並の人間なら聞くだけで失神してしまうだろう破壊力を秘めていた。ソンダビットとドラコイェストですら、平然とはしていられない様子。流石と言える。
「まさか、こんな所で出会えるとは思っていなかったよ。嬉しくもある。だが、こんなのが復活してしまうほどに、この地球は事態が進行してしまっているのだな。もう、レーシーだのという雑魚を相手しているだけでは済まなくなったらしい」
そいつは、これと言って姿を隠すこともなく俺たちの前に現れた。
ソンダビットよりも少し小さいくらい。俺よりも大きい。そんな人間の身体に、蝙蝠のような両翼を持つ怪物。眼光は鋭く、握る拳は万の力を感じさせた。
「トゥガーリン・ズメエヴィチ。スラブ神話の怪物、竜の子か。ズメイならば、ソンダビットでも勝ち目があっただろう。しかし、圧倒的な機動力を持つコイツが相手では、今の二人に勝ちの目はない。コイツの脅威は想像を絶する」
スラブには、ズメイ・ゴルイニチという巨大な竜がいる。山の子、とも呼ばれていた。
そいつは3つ以上の首を持ち、時に12の頭で敵を喰らう。火や毒を使い、地を這い人々を襲う悪の竜だ。伝承では、勇者に討伐されているのだ。
勇者というのはつまり化生のことで、ズメイ・ゴルイニチという怪物は、つまり当時の魔王の名である。大地にも嫌われ、死したその血を受け入れられなかったという、悲しい竜である。その息子が、トゥガーリン・ズメエヴィチだ。
「よく見ておけ、ソンダビット、ドラコイェスト。お前たちにはこれから、このレベルの敵と戦ってもらうことになる。中国にいる大妖怪などは、コイツとは比にならないくらい強い。だから、今のうちに戦い方を学んでおくと良いぞ」
俺の推測だが、コイツの戦闘力はトルコのバジリスクと大差ない。アイツは石化の魔眼を使ってこなかったから、格もそう高くはないのだろう。脅威度としては、中国の大妖怪よりも一歩劣る。そしてそれは、この竜人も同じだ。
奴は俺の目をじっと見つめると、突如として石弓のように走り出した。
やはりコイツの機動力は高く、俺が魔法を放つよりも先に懐まで入られてしまう。しかし、この程度で俺が後れを取ることは決してない。
「お前になど、鎧を使ってやることもない。地戴! これで充分だ」
俺は即座に地戴を発動、奴の攻撃に備えた。俺の戦い方は、決して機動力で相手に勝るものではない。魔王級の中でも速度で大きく劣る俺は、逆に相手の攻撃を避けないことで、これに対抗することにしたのだ。
実際、ジダオと機動力勝負をしても勝てるはずがない。蝗魔王だって、俺よりも遥かに高い機動力を持つ。地上戦闘が苦手だった魃魔王ですら、きっと俺よりも素早く動けるのだろう。それほどまでに、俺の足は遅い。
代わりに、防御力はピカイチだ。蝗魔王ワンの拳や、ジダオの雷氷砲などでなければ、俺の防御力を突破することは絶対に敵わない。
当然、このズメエヴィチ程度の拳では、俺の地戴を突破するに至らなかった。
何、当たり前のことだ。竜の拳では、山を砕けない。道理であろう。
山を貫き河を割る蝗魔王の拳は、やはり俺の防御を突破した。そして、火山の噴火をも凌ぐジダオの魔法も、やはり俺の防御を突破できる。しかし、良くても家屋を破壊する程度の竜の拳に、同じ芸当が出来るはずもない。
ズメエヴィチは咄嗟に拳を弾ませ身体に引き寄せようとするが、タイミングが一瞬遅い。俺は奴の拳を掴み取り、平手から炎を滾らせ、万の握力でもってこれを圧し折った。
奴は恐らく、俺に攻撃が通ると思っていたのだろう。だから、二手目の拳を用意していた。逆に言えば、それがあだとなり、俺に拳を掴まれたのだ。俺は最初から、コイツの拳など届きもしないことを知っていたから。
続けて俺は、圧し折った奴の腕を掴み自分の方へ引き寄せる。そのまま顔面に一撃喰らわせ、軽い脳震盪を起こさせた。
如何に竜人と言えども、山に匹敵する俺の拳を喰らえば、当然脳は大きく揺れる。相手が生物である以上、脳を叩けば意識が乱れるものだ。
奴は根性を見せ気絶こそしなかったものの、その場でフラフラと千鳥足を踏んでいる。
「畳みかけるぞ、磁力式破砕鎚ッ!」
俺は即座に武器を生成する。相手が混乱している今がチャンスなのだ。
取り出したるは、ビクトリア決戦で猛威を振るった磁力式破砕鎚。ソンダビットですら未だ扱えない、超重量、超破壊力を持つ自慢の武器だ。魔法で身体強化をしている相手に、無類の突貫力を有する。
俺は大上段から、未だ焦点の定まっていないズメエヴィチの脳天へと、この磁力式破砕鎚を振り下ろす。
鎚は奴の頭部を容易く砕き、そして二撃目。俺が再び持ち上げることなく、内部の仕掛けが作動して追加の攻撃を放つ。
内部構造は実に単純で、ガウス加速器を応用した磁力の追加攻撃だ。
しかし、これは摩擦力や重量の影響を大きく受けてしまうため、鎚の面を相手に押し付けた状態でなければ意味がない。それに、一度放つごとに再装填が必要になる。改良の余地はまだまだ残されているのだ。
「ふぅ、これで大丈夫だ。よく見ていたか二人とも、これが化生の戦い方だ。お前たちには、こんな芸当も出来るようになってもらわねば……ッ!」
突如、磁力式破砕鎚に押しつぶされていたズメエヴィチが、先程までとは考えられない力でこちらを押し返し始めた。見ると、筋肉量が肥大化し、頭は4又に分かれ始めている。翼も雄々しく広げ、全身が硬い鱗で覆われつつあった。
……失念していた。コイツは竜の子。スラブの伝承では、人間の姿は女性を誘惑するための姿で、戦闘時は竜の姿に変身するのだ。トゥガーリンは、本来のズメイ・ゴルイニチを取り戻す。
「けどなぁ、今もう終わった雰囲気だったろ。正直竜種の相手とかめんどくさいから。少々容赦がないが、終わらせてしまうか。なんか萎えちまったな。隆盛・銅」
俺は変身途中のズメエヴィチの腹に手を突っ込み、そのまま隆盛を発動させる。銅は蝗魔王の数多ある心臓を破壊するための魔法だが、普通の生物にそのまま使っても即死は免れない。体内で金属の塊を放出されるのだ、当然だろう。
心臓を貫かれ、ズメエヴィチは絶命した。変身は中途で終わり、異様な姿だけをその場に残している。
溢れだした鮮血は、伝承の通り。やはり大地に嫌われているらしい。土に吸い込まれることはなく、油に弾かれるようにその場を漂っていた。
思えば、俺がコイツにこんなに冷酷になれるのは、このトゥガーリン・ズメエヴィチという怪物が嫌いなのかもしれない。大地と同じ性質を持つ俺も、やはりこの怪物を受け入れられなかったのだろう。
「だけど、せめてここは伝承になぞらえておくか。『汝、母なる大地よ、口を開けて竜の血を吸い込んでおくれ』……俺はコイツが嫌いなのに、大地にはそれをさせるのか」
唱えると、血液は土に吸い込まれ消えていった。この場所には、もう何も残らない。この竜は自然に還るのだ。