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友人がことごとく捕まらなかったので、ぼっち飯でもしようかと第七校舎の屋上に上がった。我がエルクール王立学園は王国一デカい学校である。校舎の数、なんと十七。昼食は景色の良い中庭で食べる生徒が多いので、屋上は隠れた穴場だ。
鼻歌を歌いながらドアを開けた。青い空、小さな物置。ペンギンを落とそうとしている男。うんうんいつも通り…。そう思いかけて、ふと歩を止めた。
ペンギンを落とそうとしている男……?
通り過ぎた場所を振り返る。男は屋上のフェンスに足を引っかけて、今にもペンギンを落とそうとしていた。ぱたぱたと小さな黄色い足が動いている。つまり、ぬいぐるみでもなんでもなくて、生きてる動物。
「…いやいやいや!!!待て待て!!!ちょっと待って!!!!」
急いで男の元へ駆け寄る。フェンスはそれなりの高さがあって、ほぼ真上を見上げる形になった。どうにか足首には届きそうだ。がっしりと掴んで、再び叫ぶ。
「なにしてんの!?まさか落とさないよね!?そのペンギン!!」
「キミ、煩いぞ。俺は今実験してるんだ。観察するのはいいが、もう少し黙ってろ。」
落ち着いた声が降ってくる。取り合えず降りてきてよ、という間もなく、その男はペンギンを離した。離してしまった。ここは五階建て校舎の屋上。そんな高さから落ちたら絶対に死ぬ。
「ば、ばかっ!!!!!」
校則がなんたらと言ってられない。弁当を放り投げ、身体能力強化魔法を唱えると、一気に床を蹴った。そのままフェンスを越えて、ペンギンをキャッチしようと態勢を変える。だがしかし。私の襟が誰かに引っ張られた。
「うぐっ。」
「おい、落ち着け。」
「ハァ!?」
「あれを見ろ。」
指さされた先───下を見る。そこにはまるで水の中を泳いでいるように空中を飛ぶ、例のペンギンがいた。思わず唖然とする。ポカーンと口を開けていると。上からのんびりとした声が聞こえた。
「実験成功だな。ふんっ、ペンギンだって空を飛べるんだ。」
ペンギンがスイスイと昇ってきて、男の頭の上に着地する。引き上げられたかと思うと、私はフェンスの内側へと投げられた。
「うわっ。」
一回転して着地をする。頭を上げて文句を言った。
「一声ぐらいかけなよ。」
「キミは体幹が良さそうだから大丈夫だと思った。騎士科だろう?」
「な、なんで分かったの。」
「女子がスラックスを履くのは騎士科だけ。」
たしかに。
男は少し大きめの着地音を立ててフェンスから飛び降りる。濃灰色の髪に深い青色の眼。私と同じ三年生らしく、上履きの色は赤だった。
「…で、なにしてたの?」
「だから、実験だ。聞いてなかったのか?」
男は足元に置いてあったノートらしきものを取ると、そこに何か書き込む。
「『ペンギンは空を飛べない』という小説を読んだんだ。支離滅裂な文の上、気に入らない主張をしていたから、空を飛べるようにしてやった。」
「……。」
「もう少し滑らかに動けるように改良が必要だな…。」
ぶつぶつと呟く男の横で、私はその頭の上を凝視した。つぶらな瞳。綺麗なフォルム。黄色い足。さっきは必死すぎてあんまり考えなかったけど、なんでここにペンギン?あれ、ペンギンって寒い国の動物じゃなかったっけ?というか、ペット?ペットなの?この学園、ペットの持ち込み禁止じゃなかったっけ?
「えーっと、そのペンギン……。」
「よく聞かれるが、こいつはペットじゃない。俺の鞄だ。」
「か、鞄?」
何言ってるんだろう、こいつ。顔を引き攣らせると、あろうことか、男はペンギンの腹に手を突っ込んだ。
私は真顔になった。
しばらく手首を動かしていたかと思うと、引っこ抜く。そこにはなんと、教科書が握られていた。
「……。」
かつてないほどコメントに困った。ペンギンは相変わらず男の頭の上にのっていて、つぶらな瞳をキラキラとさせている。不思議なことに、まったく落ちそうなそぶりを見せない。……ただの鞄にも見えない。私は眉間の皺を揉むと、分かった、と呟いた。
「……私はオリヴィア・ムートン。騎士科の三年。…実験の邪魔してごめん。」
「ノア・カークランド。魔道具科三年。まったくだな。何度でも言うが、観察するんだったら静かにしろ。」
「りょーかい。」
「なんだその気の抜けた返事は。」
魔道具は魔力がなくても発動する機械のことだ。ここ百十数年で発達した技術で、この学園には魔術具科ってところもある。入学も卒業も、結構大変だと聞く。このノアという男は多分、優秀なんだろう。
ノアはペンギンを頭からおろし、床に転がっている包みを拾い上げた。
「キミのか?」
「あ、忘れてた。」
私が放り投げた弁当だ。中身をチェックすると案の定、蓋の端のほうがぱっきりと割れている。
…買い換えたばっかりなのに。げんなりとしていると、ノアが腕をつかんできた。
「見せろ。」
素直に差し出す。しばらく割れた部分を指でなぞっていたノアは、ふむふむと頷いた。駆けた部分をはめて、懐から香水の瓶のようなものを取り出し、ワンプッシュ。見る見るうちに弁当の損傷部が消えていった。
「え…す、すごっ!」
「このボトルは魔道具なんだ。水を入れて振りかけると、固形物の割れやヒビを完璧に修復する。原理は……説明しても無駄か。キミに理解できるとは思えないしな。」
「めっちゃ辛辣じゃん。」
「テスト前夜に勉強し始めて、結局範囲の半分までしか終わらないタイプだろ?」
おっしゃる通りです。
私はえへんえへんと咳をして、ノアが持っている魔道具を見つめた。透明な香水瓶で、底のほうだけ金属だ。よく見てみると歯車や魔法石が埋めてあった。
「凄い便利だね。どこで売ってるの?」
「売ってない。これは俺が去年の夏休みに作った試作品だ。特許を取って売ろうと思っていたが、やめたんだ。」
「な、なんで?」
「原価がクソ高い。」
…あまり詳しい値段は聞かないでおこう。私は神妙な顔で頷いた。
「でも、お貴族様とかは買いたがるんじゃない?」
「ふんっ。」
ノアは鼻を鳴らして手を組んだ。ヤレヤレと頭を振る。
「俺は貴族に売りたいんじゃなくて、民間人に売りたいんだ。だから安価で大量生産できないと困る。」
そっかぁ、と呟いた。少し低めの声に何か事情があることが伺えたが、深入りは良くない。取り合えず弁当の蓋のお礼を述べた。
ぐーっとお腹が鳴る。私はフェンスのそばにある縁に腰掛けると、弁当を広げた。「いただきまーす。」と手を合わせて卵焼きを口に運ぶ。落としたせいか、中身はぐちゃぐちゃ。甘いはずの卵焼きが野菜炒め味になっていた。ぺしぺしと衝撃が来たので足元をみる。ペンギンが期待したような目でこちらを見ていた。
「あー…。これは食べられないんじゃないかな…。」
苦笑しながら抱き上げた。私の膝までしかないサイズ。両腕をパタつかせているのが可愛らしい。四人分くらい離れたところに座って、ノートに書きこみをしていたノアに言った。
「ねぇ、この子の名前は?」
「ない。」
「つけてあげなよ。ペン子とか。」
「そいつはオスだ。」
興味なさげな感じだ。私は続けた。
「なんか取り出してみてもいい?」
「……ちょっと貸せ。」
片手を差し出されたので、近づいてペンギンを渡す。ノアはペンギンの腹に手を突っ込むと、がさごそと何か操作した。
「──いいぞ。先に言っとくが、手に激痛が走ったり、感覚が無くなったときはすぐに引き抜け。」
「え?中に何が入ってんの?」
「……。」
「無言なところが怖い。」
私はペンギンのお腹を撫でると、すっと手を滑り込ませた。毛皮にスリットを入れたような感じで、中は暖かくも冷たくもない。本や瓶がごろごろと手にあたる。
「これ目で見えないけど、何かを取り出したいときどうするの?」
「強く思い浮かべると、それそのものが手に吸い付いてくる。」
「何を入れたか忘れない?」
「おおよそは覚えているから問題ない。」
「すっごいなぁ。」
面白くて暫く手を動かしていると、何か金属質なものが当たった。かちっと音がして、慌てて手をひっこめる。
「うわ!ごめん、なんかボタンっぽいの押した!」
「ん?さっきの操作で危ないものは全て別に…。」
ノアの言葉は途中で途切れた。というのも、ペンギンのつぶらな瞳が澄んだ黒から赤に変わったのだ。瞳が赤というのは魔物の特徴。
ノアは表情を消し、スッと掌でペンギンの両目を覆った。
私は真顔でその手首を掴んだ。しばらく引っ張り合いが続く。
「…お前は何も見なかった。いいか、何も見なかったんだ。」
「ちょ、無理ありすぎでしょ!?」
諦めたのか、掌をどけるノア。やっぱりペンギンの瞳は林檎のような赤色だった。
「……。」
私は眉間を揉んだ。魔物とは魔力を持っている動物のことをいう。魔法を使い、人間や家畜を殺して食べることから問題視されてきた。自然発生のため、幼少から人間に慣れさせ、飼うのは困難とされている。それをどうやったのかは分からないが、この小さなペンギンからは『敵対心』というものがまるで感じられなかった。
「人を襲うような魔物じゃない。」
ノアはバツが悪そうだった。ペンギンの瞳の色を元に戻すと、小脇に抱える。私は溜め息をついた。
「別に言わないけどさ、そのペンギンが人を襲わない確証でもあるの?」
「こいつは俺が八歳の時から十年間一緒にいる。一度も暴走したことがない。」
「そっか…。」
ノアの脇に抱えられて、足をパタつかせているペンギンを見る。澄んだ黒い瞳と目があって、うっとなった。
「わかったよ。言わないでおく。」
「……。」
ノアは暫く口をもごもごとさせていたが、斜め下を向きながら口を開いた。
「明日、俺の研究室まで来い。第十校舎二〇一号室だ。」
「え、なんで…。」
「いいから。」
時間はいつでもいい。そう言うと、あっという間に屋上から姿を消した。キーンコーンカーンコーンというチャイムが鳴り、慌てて弁当の中身を口に詰め込む。ガガッというノイズの後に流れた放送を聞き、私は思わず噴き出した。
『騎士科三年、オリヴィア・ムートン。貴殿の校則違反を確認した。至急風紀室まで来られたし。貴殿の恩師であるゴルゴン師範がお待ちである。繰り返す───』
しまった、ペンギンを助けようとしたときの身体能力強化魔法だ。さぁ…っと血の気が引くのを感じた。弁当を抱えると急いで屋上から降りる。ゴルゴン師範は私たち騎士科の護身術を担当する先生だ。ゴリッゴリのムッキムキな怖ーい先生で、風紀の顧問だからか、校則違反には滅茶苦茶厳しい。全力疾走で校舎の間を駆け抜ける私に「なんだあれ。」と声が上がっているが、かまっている余裕などない。これから課されるペナルティを想像して、心なしか足が重くなった。
屋上では魔物のペンギンを連れている男に会い、これからゴルゴン師範に説教されに行く。
とんだ一日だ。
私は深い溜め息をつくと、足を速めたのだった。