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『教授も皆も、どうしかてるぞ! あんな化け物を捕らえて研究しよう何て!
大川、俺達だけでも逃げよう!』
室内に留まるのは、由月と男性研究生の2人ばかりだ。
死者を捕獲する為、研究室を飛び出した教員や研究員・学生達は混乱の渦中。
既に何が何だか分からなくなっている。
男は震える由月の手を掴み、大学を出るよう迫る。
『で、でも、何処へ?』
『警察に連絡がつかないのも気になるが……兎に角ここは危険だ!
車で移動しながら安全な場所を探すしか無い! 大丈夫、お前は俺が守ってやるから!』
『は、はい、』
研究室は二重扉になってはいるが、この騒ぎに身を置いてはいられない。
傍らにある頼り甲斐に由月は頷くと、男に手を引かれるがまま研究室を駆け出す。
だが、階段を駆け下りようとした所で男の足は失速。
由月の手首にかかる男の握力が、徐々に強まる。
『先輩、どうしました? 早く逃げましょうっ?』
『――』
『ッ……先輩、痛いですっ』
手首がヘシ折れそうだ。
由月が腕を振り解くと、男は眉を吊り上げて睥睨を強める。
『何だよ……何でいつも俺を拒むんだよ、お前はぁ』
『な、何を言っているんですか、先輩、』
男は由月を力任せに突き飛ばす。
悲鳴を上げる間も無く廊下に倒れる由月を見下し、男は奧歯をギリギリと噛み鳴らす。
白目は真っ赤に充血し、とても正常とは思えない。
『臆病者のお前を面倒みてやってんのは俺なのに……何でそうやって俺を避けるんだ!?』
『先輩、こんな時に何を……? いつ私が先輩を、』
『そうやって誤魔化すな! お前はいつも俺の助けを拒むじゃないか!
俺はこんなにもお前の事が好きだって言うのに、気づかない何ておかしいだろ!!』
『知らない、そんな……だって、』
『あぁあぁ、うるさいうるさいうるさいうるさい!!
お前は俺の物だ!! 絶対に誰にも渡さない!!』
冗談で言っている訳では無さそうだ。
前触れも無く人格を変える男の狂気に、由月は腰を引き摺って後ずさる。
然し、男に長い髪をわし掴まれ、引っ張り戻されてしまう。
『逃がさない! 逃がさないからな!』
『いっ、痛い、先輩っ、離してくださいっ、』
『お前は俺のモノだ! やっと俺のモノになったんだ! ハハハハ!!
お前の体は顔と同じで奇麗に出来上がってるんだろぉなぁ! 楽しみだなぁ!
身包み剥いで……そうだ! 内臓を掻き出して剥製にしよう!』
『!?』
『ずっと奇麗なままだ! ずっとずっと奇麗なまま俺の側にいるんだ!』
『ッ、いやぁあぁあぁ!!』
男の顔を引っ叩き、髪を解放させると、由月は全力疾走。
研究室に逃げ戻り、1枚目のドアを体当たりで閉め、施錠する。
『開けろ! 大川! 開けるんだ!!』
『うぅ、うぅぅ……いやぁ、あっちへ行ってぇ!』
『大川! お前には俺が必要なんだ!! 由月、由月ぃ! ここから出て来い!!』
『どうして……どうしてこんな事にっ、』
何が男を変貌させたのか解からない。一瞬で発狂したとしか思えない。
由月は耳を塞いで蹲るも、男は執拗にドアを叩き、叫び続ける。
『由月! 由月!
由月由月由月由月由月由月由月由月由月ぃいぃいぃいぃ!!』
『やめてぇ!!』
男の妄執を間近に、時間と共に陽は傾き、恐怖に流した由月の涙も頬の上で乾く。
数時間に渡ってドアを叩けば男も流石に疲れたか、口調ばかりは弱々しくなる。
『……なぁ、由月、開けてくれよ……さっきは怖がらせて悪かった。
ごめん……ただ、好きなんだ。一緒にいたい。由月にはそれを解かって貰いたいんだ……
由月がいなけりゃ……折角、自由になれたのに……』
何を以って『自由』を語るのか分からないが、力無い男の声色に正気を取り戻したのかと期待してしまう。
由月は躊躇いながらもドアの施錠に手をかける。
『あぁ……あれ? ……何だ? 眠くなってきた……』
『先輩?』
『あぁ、助けてくれぇ……由月、眠いよ……眠いんだ、早く開けてくれ……』
『先輩……』
『ここにも何れアイツらが来る……こんな所で寝てしまったら、喰われて……』
『……』
ドアの外は静まる。どうやら男は眠りに落ちてしまった様だ。
結局、由月がドアを開錠するには至らず、丸1日ドアに寄りかかって膝を抱え、呆然と時を過ごす。
そして、ドアの直ぐ間近で下品な咀嚼音が聞こえ出した頃、由月は呟く。
『先輩、食べられちゃったのね?』
そうなって漸く2枚目のドアを閉ざし、静かな研究室の中に1人佇む。
『研究、しなくちゃ……』




