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ブラックビート  作者: 坂戸樹水
113/140

113


 仁美に叱責され、日夏は小さく身を丸める。

然し、由月の仮説を頼りにするなら、日夏の言う撃退法は試してみる価値はありそうだ。

ただ、考慮の余地はある。

仁美の言う様に、窓を締め切った食堂内で殺虫剤を撒いては人の匂いを誤魔化す前に昏倒する者が続出するだろう。

こうなると運を天に任せるしか無いのか、

一同が策を講じている間に、スピーカーの先が一層に騒がしくなる。



 ガタン!! ガタン!! ドン!! ドン!! ドン!!



「ぅ、うあぁ……来やがったッ、来やがったぁあぁあぁ!!」

「逃げるんだ!! 早く!! 緒方サン、田島も一緒にお願いします!! 緒方サン!!」

「と、統也、すまねぇ! オレは逃げる!! 1人だって逃げるぞ!!

あんなバケモンに食われちゃ堪んねぇよぉ!!」

「緒方サン!!」



 ガチャン、ガタン、

 ――カツン……



 緒方は携帯電話を投げ捨て、逃げ出した様だ。

然し、通話は繋がった儘。食堂内の惨劇が音として伝えられる。


「きゃぁあぁ!! ここから出してぇ!!」

「助けて!! 誰かぁ!! 誰かぁ!!」

「嫌だぁ、食べないでっ、食べないでっ、許して、ごめんなさいぃいぃ!!」

「ぎゃぁあぁあぁ、――……ッッ、が、ぁぁ……」


 繰り返される阿鼻叫喚の様な悲鳴。そこに混じる、死者達の唸り声と咀嚼音。

日夏は耳を塞いで座席の足元に小さく蹲り、仁美は顔を背け、声を尖らせる。


「もぅイイから! 電話、切ってってば!!」

「……」

「統也君、」


 動きを失う統也に代わり、由月が代わって通話を切る。

車内には日夏の啜り泣く声。慰める余力も無い統也は放心するばかり。


(どうして、いつも間に合わないんだろう……

父サンも母サンも、雅之も、診療所の人達も、田島も……

これからずっと間に合わないのか?

1人残らず死ぬまで、殺されるまで、手を拱いて、絶望させられるのか……?)


「何の為に……」


 統也が呟くと、由月は柳眉を逆立てる。


「まだ全員が捕食された訳じゃないのよ。結論を急ぐべきでは無いわ」

「はぁ? 殺虫剤ネタ投下した人がなに言ってんだか……

あんなんで、どうやったら生き残れるって!?

……もう好い加減やめません? ……長生きするだけ損でしょ、」


 仁美の怒声は語尾には萎れてしまう。

あの時死んでおけば良かったと、心から後悔しているのだろう。

岩屋はフロントミラーから落胆に静まり返る後部座席を見やり、怒鳴りつける。


「だからどうすんだよ!? それでも戻るのかよ!?

ハッキリしろ、ガキ供! だからユトリは嫌い何だ!!」


 統也は両手で頭を抱え、項垂れる。



(田島……)



 眠りに落ちる前の田島が『1人は嫌だ』と、酷く怯えていた姿が思い出される。


(あぁ、何を迷ってるんだ、俺は……

約束したじゃないか……絶対に起こす、置いていかないって……)



『ありがとな、統也。お前のお陰で生き延びた……』



(田島……)



「行きます……田島を、1人には出来ない……」


 目を背け、逃げ出す事は簡単だ。だが、それをやってしまえば最後。

現実に立ち向かう勇気を、永久に手放す事になる。今生きる全ての命を諦める事になる。

それ等は1度失ってしまえば、2度と取り戻す事は出来ない。


(状況は時間を追う毎に悪化する。

僅かな希望を手繰り寄せては直ぐに綻び、向う場所も帰る場所も奪われる。

……絶望だ。絶望を迎える為に俺達は生きている。

飲まれていきそうだ、狂った世界の波に……だから思う。

後もう少し地球の心音に身を委ねる事が出来たら、楽になれるんじゃないかって……)


 ギュッと、統也の手が握られる。



「大川サン……」



 由月は統也に目を向けるでも無く、唱える様に言う。


「そんな顔、しないで」

「……」

「諦めてはいけない」

「……、」


 統也の手を一層の力で握る。



「アナタには、諦めて欲しくない……」



 由月の手は震えている。

表情はいつも通り冷静なものだが、心は大きく揺れている。

統也は小さく頷く。


「――はい、」


 その声は力ない。



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