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N県から程なく迎えるK県は、やはり異常な蒸し暑さだ。
影響を受け易い土地の1つに、このK県が上がる事もあって一同の緊張は高まる。
行きと同様のガソリンスタンドで1度目の給油を済ませる間、由月は岩屋の車に顔を出す。
「失礼します、宜しいでしょうか?」
「あぁ、大川センセ、どうした?」
「問診に窺いました。体調に変化はありませんか?」
この気象下では、坂本の様な急性的な変化が危惧される。
眠りに関しても然り、自殺ともなればロープで拘束してでも食い止めたい。
慎重な由月の問いに、岩屋は首を傾げる。
「うーん、暑いってくらいだな。眠気もねぇし・
「脈を測らせて頂いても?」
「ああ、頼んますよ、センセ」
岩屋にとって由月は、既に【先生】の域。
当初は机『上の空論』だのと言って由月の主張を跳ね付けていた岩屋だが、研究以外にも存外働き者の姿勢に見る目を変えたらしい。
由月は岩屋の手首に触れると、目を閉じて脈を測る。
「ど?」
「不問かと」
「正常じゃないヤツはいたかい?」
「彼、中では一番若いのに脈が速くて驚きました。でも、正常と言える範囲です」
「あぁ、靖田君ね。そりゃ、キミに手なんか握られたら心臓も跳ね上がるだろ。ハハハ!」
「誤解が生じているようです。私は手を握った覚えはありません」
「靖田君にとっては同じ事だって」
「繊細なのね。それじゃ、次はアナタ」
「私?」
仁美に限っては、由月に対する苦手意識が払拭できない。
いちいち突っかかった物言いで返せば、由月は差し出した手を戻す。
無理意地するつもりは無い。
「分かりました。では、ご自身で計測してください」
「ハ? 計測って……」
「必要な事です」
「だから、やり方……」
「一般成人女性であれば、1分間に70回から80回程度。
頻脈か徐脈の判断は私がしますので、回数をお知らせくだされば結構です」
こんな事なら由月に任せた方が早い。仁美は渋々と腕を出す。
「あぁ面倒臭い! 適当にやってよ!」
「分かりました」
由月にはどんな態度も通用しない。
これが愉快で堪らない岩屋はハンドルに額をつけ、憫笑を吹き出す。
言って良いなら『もっとやれ!』と由月を嗾けたい程だ。
さて、計り終えれば仁美の脈も正常。用が済めば由月は速やかに車を降りる。
そこに、給油を終えた統也が戻る。
「大川サン、どうしましたか?」
「丁度良かったわ。アナタにも問診させてください」
由月は車を降りると、統也を後部座席に座らせ、車外から検診する。
額に汗が滲んでいるが、目立った変化は見られない。
雖も、由月にジッと見つめられては落ち着かない統也は、視線を散々泳がせた後に目を伏せてしまう。
「暑いわね。疲れが溜まっているのでは?」
「ぃ、いえっ、そんな事ありません。大川サンこそ、大丈夫ですか?」
「私の事は気になさらないで結構よ。それより、心身の不調は無いかしら?
何処か痛むとか、痒いでもダルイでも」
「うーん……無さそうです。俺、健康だけが取り柄なので」
「そう。それは良い事ね。脈を測らせて頂いても良いかしら?」
「ぁ、はい」
汗ばんだ腕をシャツで拭き、由月に手を差し出す。
そんな統也の仕草に、由月は小さく笑って手首を取る。
「アナタの服、本当に便利ね」
「ハ、ハハハハ、タオルなので、」
手首に触れる由月の指先は細く柔らかい。
か弱さが伝わるも何処か安心するのは、心から由月を信頼しているからだろう。
だからこそ、白衣の両袖口から覗ける包帯に、統也は愁眉してならない。
「手首、大丈夫ですか……?」
「言ったでしょう? アナタが気にする事では無いと」
由月は統也の手首を解放する。
「結構よ。異常は見られません」
由月が直ぐにも踵を返してしまえば、その背を目で追い、統也が無意識にも溜息を零す。




