7-88 死んだ社畜は商会の主の悩みを聞く
「あむ……もぐもぐ」
俺はパンを一口かじり、味わうように咀嚼をする。
サクサクに揚げられたパン生地とカレーのスパイシーな風味が合わさって、素晴らしいハーモニーを醸し出している。
これならば、前世でもパン屋に売られていてもおかしくはないレベルである。
「モスコさん、これ美味しいね」
「ありがとうございます、グレイン君。これもグレイン君がラグーさんをうちに紹介してくれたからですよ」
「まあ、たしかにそうかもしれないね。でも、この商品をこのレベルまでに仕上げたのは、モスコ商会のおかげじゃないの?」
モスコさんの言葉に俺は思わずそんなことを言う。
たしかにカレー屋台をしていたラグーさんをモスコ商会にしたのは俺だ。
しかし、モスコ商会に実際に交渉しに行ったのはラグーさん。
そんな彼と契約するのを決めたのはモスコ商会。
俺のおかげとなるのは最初だけだろう。
そんな俺の言葉にモスコさんは首を振る。
「正確に言うなら、ラグーさんとエミリーのおかげ、と言った方が良いかもしれませんね」
「そうなのか?」
モスコさんの言葉に俺は思わず驚く。
てっきり素直に受け入れてくれると思っていたが、まさか自分ではなく他人のおかげというとは……
そんなに卑下することでもないと思うけど……
「ええ、そうです。あの二人はこの二年間、毎日昼夜問わず【カレーパン】の研究に明け暮れていました。おそらく一日の平均睡眠時間は3時間を切っていたのではないでしょうか?」
「……そんな働かせ方、商会の主としてはよろしくないと思うが?」
モスコさんの言葉を聞き、俺は鋭い視線を向けてしまう。
前世でブラック企業のせいで死んでしまった身としては、こういうブラック体制の話を聞くと、そんな反応になってしまうのだ。
だが、そんな俺の言葉にモスコさんは慌てふためく。
「わ、私が指示をしたわけではないですよ? むしろ、しっかりと休みを取るように言ったぐらいです」
「本当か?」
「ええ、もちろんです。ですが、あの二人は「自分たちのカレーパンを早く世に出したい」という一心で毎日研究を重ね、ついに一年前に店で売り始めたんですよ」
「ふむ、良い話だな。それで、それから二人の睡眠時間は?」
「……依然として平均3時間のようです」
申し訳なさそうにモスコさんが呟く。
聞く限りはブラックな働きをさせているように感じるが、モスコさんの反応から彼が無理矢理させているのではなさそうだ。
二人の研究欲が自然とそんな生活をさせているのだろう。
とりあえず、気になったことを聞く。
「その店に従業員は?」
「ラグーさんとエミリーを除いて、10人です。その10人で1週間のシフトを回しているよ」
「ふむ……店舗の規模は?」
「1日に5000個売り上げるほどの店で、かなりの人気店だね。紙に包むことで歩きながら食べることが出来るから、その食べやすさで広まった感じかな」
モスコの話を聞く限り、そこまでおかしなところがあるとは思えない。
むしろ、どうしてその状況で平均3時間睡眠になるのだろうか?
その二人に問いかけたい。
「……ただの有名店だよな?」
「問題があるとすれば、二人の研究欲ですかね?」
「研究欲?」
「ええ。二人は自分たちの【カレーパン】は未だに完成には至っていないと思っています」
「……まあ、むしろ完成することはないだろうな」
料理の道は非常に険しい。
人に認められたからと言って、それがその料理の完成形と言われればそうではない。
必ずどこかに改善点はあるもので、それを一つずつ潰していくことで完成形に近づけていく。
だが、それはほとんどの場合が終わることのない行為である。
より良くすればするほど、さらなる改善点を見つけることになる。
妥協をすれば簡単なのだろうが、完璧にしたいという欲が妥協をしようとは思わなくなるのだ。
それが顕著なのが、ラグーさんとエミリーさんの二人なわけだが……
「朝起きて、開店前まで仕込みを行う。開店している間は常にカレーパンを揚げ続ける。閉店後は片づけをした後、二人でカレーパンの研究を続けているそうです」
「……誰が言ってたの?」
「店の従業員からの報告です。余りにも二人が働きすぎるということで、うちに嘆願書が来たんですよ」
「嘆願書が来た、ということは改善しようとしたのか?」
「もちろんです。だが、二人のカレーパンへの熱意に負けて、改善に至りませんでした」
「……なるほど」
申し訳なさそうなモスコさんの表情に俺は思わず同情の声を漏らしてしまう。
彼は何も悪くはない。
もしかすると、彼こそが被害者なのかもしれない。
何も悪く無いのに、過剰労働させていると疑われたのだから……
とりあえず、そんな彼に俺は提案する。
「とりあえず、その二人については俺に任せてくれ」
「グレイン君?」
「紹介した手前、倒れられでもしたらこちらも困る。それに、ミュール商会とはこれからも交流していきたいからね」
「うぅ……ありがとう」
俺の言葉にモスコさんが涙で顔を濡らしながら蹲る。
そんな彼の背を慰めるようになでる。
何と感動的なシーンだろうか……自分で言う事ではないだろうけど……
「もう終わった? 流石に話を始めたいんだけど……」
そして、そんな会話をばっさりとイリアさんが切り捨てる。
そんな彼女の言葉にシャル王女はどうすればいいのかわからない表情できょろきょろしていた。
ちなみに、二人は最初からこの部屋にいた。
なんせ、この部屋に連れてきたのは俺だからだ。
誰にも聞かれないような場所で昼食をとれる場所、この二つの条件を満たすのがミュール商会の一室を借りることだったのだ。
というわけで、学院でのあの一件から俺はイリアさんの馬車でミュール商会まで行って部屋を借り、あの一幕をしていたわけだ。
そして、イリアさんたちは俺とモスコさんの会話が終わるまで待っていたわけだ。
まあ、彼女にとっては全く関係のない話なので、早く自分たちの話を進めたいと思っているのだろう。
気持ちはわからないでもないが、もう少し状況を見て話しかけてほしかった。
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