5-40 死んだ社畜はスカウトされる
「おや、グレイン様ではないですか?」
「ん?」
メインストリートを歩いていると、どこからか俺を呼ぶ声が聞こえてきた。
そちらを向くと、そこには恰幅の良い優しげな顔をした男がいた。
着ている服は貴族のような高級な服ではないが、だからといって安物ではない。
そこそこ儲けている商人と言ったところだろうか、俺の知り合いだとすると……
「お久しぶりです。【ミュール商会】の会長のモスコでございます」
「ああ、本当に久しぶりだね」
俺が名前を言う前に向こうが自己紹介をしてきた。
彼は自己紹介の通り──【ミュール商会】の二代目会長であるモスコ=ミュールだ。
ミュール商会は先代であるモスコの父親が設立した商会で、たった一代でリクール王国でも有数の商会へとなったのだ。
そんな偉大な父親の後を継いだモスコだったが、二代目就任当初はなかなかうまくいかなかった。
先代の方が凄かったということもあったためか、今まで懇意にしていた相手からも契約を切られるなんてこともよくあったらしい。
一時は商会の中でも中の下あたりの評価まで落ちぶれていたことがあり、かなりやばい状況だったらしい。
そんな状況下で彼はそんな落ちぶれた状況を脱するものと出会う。
それが俺が考案した【リバーシ】と【チェス】である。
彼は他の商人たちに先んじて二つの素晴らしさに気付き、カルヴァドス男爵家と専属契約を結んでその二つを世界中に広めたのだ。
そのおかげでミュール商会は再びリクール王国有数の大商会へとなり、カルヴァドス男爵家の財政も潤ったわけだである。
ちなみに、俺がティリスやレヴィアと出会うきっかけになったのもモスコのせいだったりする。
彼がビストやアビスに売り込んだおかげで、リオンやルシフェルが俺に興味を持った。
そして、父親についてきた二人が俺と出会い、いろんなことがあって婚約者になったわけだ。
もしかすると、俺がチェスやリバーシを考案しなければ、婚約者なんていなかった可能性があったわけだ。
まあ、スローライフを送るためにはある程度の資金が必要になるだろうから、結局はミュール商会との契約は必要だったので、これは避けられない運命だったかもしれなかったな。
「ところで、最近調子はどうなんだ?」
「ええ、大変好調ですよ。年々、売り上げが右肩上がり──いずれはリクール王国どころか世界でも五本の指に入るぐらいの商会になるんじゃないでしょうか? それもすべてグレイン様のおかげですね」
「はははっ、あまり持ち上げないでよ。僕はあくまで商品を考案しただけなんだから……」
「そのおかげでここまで再興できたわけですから、もうグレイン様に足を向けて眠れませんよ。あと、グレイン様が新しく考案した【トランプ】というものもなかなか評判がいいですよ?」
「それはよかった」
どうやらミュール商会はかなり調子がいい様だ。
まあ、娯楽の少ない異世界で地球の娯楽を広めれば、人気になって当然だろう。
地球でも不朽の名作なわけだから、異世界でも人気にならないはずがない。
そう思った俺は一年ほど前にモスコに【トランプ】を伝えたわけだ。
「しかし、まさか紙に数字とマークをかくだけで、あそこまで人気になるとは思いませんでしたよ?」
「まあ、それを言うならばチェスとリバーシも盤と駒だけの遊びだからね。遊びなんてものはシンプルなもので出来てるものだよ」
「そういうものですか?」
「下手に難しすぎると逆にとっつきづらくなるからね。初めての人にも楽しんでもらえるように最初は単純なものの方が良い。ある程度みんなが遊び慣れてきたころに、どんどん複雑なものを発明すればいいんだよ」
「ほう、なるほど……」
俺の説明を聞いたモスコが驚いたような表情を浮かべる。
これは考えていなかったのだろうか?
別に彼のことを馬鹿にするつもりはないが、この程度のことを思いつかなかったから後を継いでから低迷していたんではないだろうか?
おそらく、ミュール商会を大きくした先代はこれぐらいは思いついてそうなものだが……
そんなことを考えていると、モスコが何かを思いついたのか嬉しそうな表情を浮かべる。
「そうだ。グレイン様はたしかカルヴァドス男爵家の次男でしたよね?」
「ん? ああ、そうだけど……」
「では、後を継ぐ可能性は?」
「シリウス兄さんがいるからほとんどないな。長男がいるんだったら、長男が継ぐ方がお家問題になることが少ないはずだからね」
モスコの質問に俺はここぞとばかりにシリウスがカルヴァドス男爵家の次期当主であることを広める。
卑怯だと思うかもしれないが、こういうのは先に情報を流した方が勝つのだ。
情報の真偽などどうでもいい──とりあえず、それっぽい理由をつけて情報を周囲の人間に本当だと信じさせ、気付いた時には外堀を埋められた状態にするわけだ。
とりあえず、俺はそうやって婚約者から逃げられなくなったわけだ。
若干気持ちが落ちてしまったが、気にしない方向で行こう。
ちなみにそんな俺の言葉を聞いた女性陣は「またか……」といったような呆れた表情を浮かべていた。
これも気にしない方向で行く。
そんな俺の言葉を聞いたモスコが嬉しそうな表情を浮かべる。
一体、どうしたのだろうか?
「では、グレイン様。将来はミュール商会で働いてみませんか?」
「え?」
いきなりの言葉に俺は驚きの声を出してしまう。
それも当然だろう。
何の前触れもなく、そんなことを言われたわけだ。
むしろ8歳の子供相手にそんなことを言うと考える方が難しいだろう。
だが、モスコの表情は嬉しそうでありながらもいたって真剣そうだった。
おそらく、本気なのだろう。
「グレイン様は我々では思いつかないようなヒット商品を考える才能があるはずです。
現に子供でありながら3つも人気商品を思いつきましたし、今もまだ案があるのではないですかな?」
「……まあ、あるかな」
「でしょう? さらにカルヴァドス男爵夫人からお聞きしたのですが、4歳のころから勉強を始め、6歳のころには大人顔負けの知識量があるとお聞きしました。つまり、計算などもそのレベルだと考えられるわけです」
「……たしかにそうだな」
モスコの言葉に俺は頷く。
別に否定することでもないし、俺だって特段凄い事をしているつもりがないからだ。
俺には前世の記憶もあるし、この世界でも学問は日本にいたころに比べて数段劣っている。
一度だけ王立学院の入試問題を見せてもらったことがあるのだが、難しい問題ですらせいぜい中学生レベルの問題だったのだ。
この程度の問題であれば、俺のようにできる者が現れてもおかしくはないだろう、と思ったわけだ。
実際はそんなこともなく、俺は天才だとか神童だとか呼ばれる原因を作ってしまったわけだが……
「ならば、他の商会に取られる前にグレイン様に入っていただこうと思いまして……」
「断る、と言ったら?」
「どうしてですか?」
俺が断ろうとすると、モスコがまるで理解できないとばかりに澄んだ目でこちらを見てくる。
いや、なんでそんな表情をするんだ?
大不況で就職先も見つからない就活生だったらともかく、まだ8歳の子供が就職してみないかと言われて頷くと思ったのだろうか?
それに俺は前世ではブラック企業で働いたせいで死んだような人間だ。
仕事というものにあまりいい印象は持っていないわけだが……
「もちろんグレイン様は特別待遇をさせていただきますよ?」
「む?」
モスコの言葉が少し気になってしまった。
【特別】待遇、だと?
そんな俺の様子に気が付いたのか、モスコは口角を少し上げる。
「グレイン様は他の者たちと働く必要はありません。専用の部屋でのんびりしていて構いませんよ」
「ほう」
「グレイン様には【人気商品の開発】と【商会の会計の確認】の二つの仕事を担当してくだされば問題ありません。この二つで他の人より給料が良ければ、いいのではないですか?」
「……たしかに」
前世で過剰労働により命を落とした身のため、働くことに対する拒否反応がある。
しかし、それはあくまで前世のブラック企業の話である。
この世界ではブラック企業なんて話はあまり聞かないし、ミュール商会は国内有数の商会であることからそういう面はあまりない気がする。
つまり、本当にそのような待遇で受け入れられるかも。
そう思った俺は……
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