5-36 死んだ社畜は年の功の凄さを感じる
「「……」」
一時間後、朝食の席は緊迫した雰囲気に支配されていた。
すでにこの部屋には屋敷にいる者たちが勢ぞろいしているし、食事の準備もできている。
すぐにでも朝食を始められる状態なのだ。
しかし、誰も目の前にある食事に手をつけることはできなかった。
それはこの緊迫した空気を作り出している人物のせいである。
「……お父様」
「……なんだ?」
この空気を作り出しているのはクリス。
彼女は氷のような冷たい視線を自身の父親に向けていた。
まるで軽蔑しているような──一部の世界では【ご褒美】と呼ばれそうな視線ではあるが、あいにくとこの場にあの視線を喜ぶような性癖の持ち主はいない。
いや、いないと信じたい、というべきかな?
とりあえず、そんな娘の視線にさらされている伯爵様は気まずそうな表情を浮かべている。
おそらく、なぜそんな視線を向けられているのかは気づいているのだろう。
「……なんでグレイン君を怪我させたの?」
「い、いや……それは訓練で……」
「……訓練で自分の孫を傷つけるの?」
「わざとじゃないぞ? 仕方がなかったんだ」
クリスの言葉に伯爵は言い訳をしようとする。
しかし、その言葉は余計に娘の機嫌を損ねるものだった。
「なんで昨日会ったばかりの孫を傷つけたの? しかも、魔法を使うのを禁止したそうじゃない」
「いや、私も魔法は使っていなかったし……」
「そういう問題じゃない。魔法を使えない八歳児に対して、大の大人が恥ずかしくないのかってこと」
「うぐっ!?」
クリスの言葉に伯爵は言葉を詰まらせる。
まあ、クリスの言っていることは完全に正論だ。
伯爵は俺の近接戦闘の実力を見るために魔法を禁止していた。
それ自体は別に悪い事ではないはずだ。
魔法を含まない純粋な身体能力を見たいのであれば、当然の行動であろう。
その実力を測るのに実際に模擬戦闘をするのもさしておかしい事ではない。
しかし、今回はその行動自体が問題だった。
いくら年老いたとはいえ歴戦の猛将と言われている男が8歳の少年相手に戦ったわけだ。
普通に考えれば、問題しかないだろう。
俺だからこそどうにかなったものの、普通の8歳の子供ならばリュコの助けが入る前にボロボロになっていた筈だ。
まあ、俺だからこそこんな訓練になったとも言えるが……
「まあまあ、クリス落ち着いて。伯爵も反省しているようだし……」
「リズは甘い。お父様はそんな簡単に反省はしないわ」
この空気をどうにかしようとエリザベスがクリスに話しかけるが、クリスは全く止まる様子はない。
本気で自分の父親の行動に憤っているようだ。
自分のことでそこまで怒ってもらえるのは嬉しいが、俺としてもこれ以上はこの空気に耐えられない。
伯爵に助け船を出すとしよう。
「僕が訓練で本気になってくれるように頼んだんだ」
「「「えっ!?」」」
会話をしていた三人の視線が俺に向く。
いや、この部屋にいた全員の視線も向いているな。
まあ、とりあえず説明することにしよう。
といっても、この場を乗り切るための嘘ではあるが……
「伯爵は僕の実力を見たかったみたいだから木剣で打ち合っていたんだけど、より本当の実力を見せたかったから頼んだんだよ」
「……それは本当?」
「う、うん」
クリスの冷たい視線がこちらに向き、少し怖気づいたがしっかりと答えることはできた。
そんな俺の行動に伯爵はまるで感謝しているような表情を浮かべていた。
うん、嬉しいのはわかるけどそんなあからさまな行動は止めてほしいな。
クリスに見られたら、確実に嘘だとバレてしまうだろうから……
「でも、流石にこれはやりすぎ。一歩間違えば、大怪我だったかもしれないわ」
「まあ、たしかにそうかもしれないけど……」
そう言われると、俺は反論する余地はない。
今回の怪我に関しては俺がギリギリを攻めていたとはいえ、そうさせた伯爵に責任があると言えるだろう。
普通はそういう行動を止めないといけないのは伯爵なのだから……
さて、どう言えばいいか──そんなことを考えていると、会話に入ってきた人物がいた。
「まあまあ、落ち着きなさい」
「お母様、けど……」
リナリアさんがクリスを制止する。
その表情は笑顔ではあったが、どことなく気迫のあるように感じる。
それはクリスも同様に思ったのか、すぐに口をつぐんだ。
そんなクリスの様子に満足したのか、リナリアさんは話し始める。
「確かに今回の件はお父さんが悪いけど、こんな朝食の前にするような話じゃないわ。みんなも待っているわ」
「う……たしかに……」
「グレイン君のことが大事なのはわかるけど、もう少し周りの状況に気を配れるようになりなさい。貴女は昔から思い込んだら突き進む癖があるから」
「そ、それは……言わないで……」
リナリアさんの言葉にクリスが恥ずかし気に顔を赤らめる。
おお、普段から無表情な彼女のそんな表情は初めて見た。
これはレアな表情かもしれない。
しかし、流石は母親である。
娘の行動を理解しつつも、しっかりと納得させている。
これも年の功と言ったところだろうか?
「ふぅ……」
そんな二人の様子を見て、伯爵がこっそりと息を吐いていた。
先ほどからずっと説教をされていたのだから、息が詰まりそうだったのだろう。
現に他の人たちも緊迫した空気が溶けたのを感じて、ちらほらと緊張を解いていた。
「今は朝食を食べましょう。せっかくクリスたちが来てから初めての朝食なのに、冷めた状態で暗い雰囲気で食べたくないわ」
「うっ……たしかに……」
リナリアさんの言葉にクリスが少し後悔した表情をする。
せっかく久しぶりの家族との食事なのに、自分のせいで空気を悪くしたと感じているのだろう。
表情にはあまり出さないが、責任感がある人だ。
それも仕方がないだろう。
そんな彼女のことをよく知っているリナリアさんは優しげな表情を浮かべ、彼女に慰めの言葉をかける。
「お父さんを糾弾するのは朝食が終わってからでも十分でしょ? なら、今は食事を楽しむべきだわ」
「お母さんっ!」
「なっ!?」
リナリアさんの言葉にクリスは嬉しそうな表情を浮かべ、対照的に伯爵は驚きの表情を浮かべる。
こうして朝食後に糾弾されることが決まった伯爵は終始しかめっ面で食事を口に含むことになってしまった。
流石にこれは俺にもどうすることはできなかった。
ブックマーク・評価等は作者のやる気につながるのでぜひお願いします。
勝手にランキングの方もよろしくお願いします。




