絵本の勇者
「大変申し訳ありませんが、竜を倒していただきたいのです」
私の言葉に青年は唖然とした。
そして、丹精なその顔から生み出された言葉は、
「そっただこと、無理だぁ」
……思ったより、訛っていた。
「いやいや、そうおっしゃらずに、是非にお願いしたいのです」
「あんた、何言ってんだべ。なしてそっただおっぞろしい事言うべ」
「……そこを何とか、お願いできませんか?」
必死に頼み込む。
だが青年は首を横に振るばかり。
「大体、あんた、何だべその格好は。おっかしな格好してるべ……一体、どこの国から、」
「いや、私の話はいいのです」
それを語り出したら面倒くさい。
大体、理解もできないだろう――この物語の外の世界から来たのですと言っても。
ここは物語の中の世界だと言った所で、意味が通じるわけがない。
問題はそこではない。ここ外だろうが中だろうが関係ない。
誰かに竜を倒してもらわなければならないのだ。
「お願いします」
「嫌だべ」
……だが、この男にやってもらうしかないのだ。
口調は訛っているが、見た目は悪くない。体裁を整えれば、先生好みのイケメンと言えよう。
主人公はイケメン男子。打ち合わせの段階から先生はそこを譲らなかった。
次の話は、子供たちがドキドキワクワクするような冒険活劇。残忍な竜に勇者が立ち向かっていく物語!
……になるはずだった。
しかし。
……締め切り3日前、先生が逃亡した。
LINEの連絡は来た。今からアイルランドに行ってくると。
なぜ真冬の今、アイルランドへ行くのか。しかも締め切り3日前だ。なぜ今なんだ???
……わずかな希望を頼りに先生の仕事部屋へ押しかけたが、ノートパソコンに打たれていたのは書きかけの原稿。
しかも、冒頭しか書いてない!! 竜が暴れ狂ってるシーンで止まってる!!
あの女はっ……、いや、待て。落ち付こう。
幸いにも、私には特殊能力がある。物語の中に入る事が出来るのだ。
小さい頃からこの能力を活かし、様々な経験を積んできた。初めて酒を飲んだのは竜宮城だった。桃の残骸を拾ってきて腹いっぱい食べた事もあったし、妹の誕生日には拾ってきたガラスの靴を渡した事もある。幼稚園の七夕の時には竹を持って行って「何か違う」と周りにドン引きされたし。……ああ、ファーストキスは、確かリンゴを盗み食いしたせいで眠りこけて……どっかの王子が仕方なくついでにしてくれたんだったな……。
まぁとにかく何でもいい。
そういう特殊能力を活かしたく、出版業界に入った。今では、人気絵本作家の担当をしている。
締め切りまで時間がない。先生がいないなら、私が物語を進めるしかない。
「お願いします」
「嫌だっつっとるべ!!」
どうしよう、困った。ビジュアル的には問題ないのだが。
「竜を倒していただけたら、お姫様と結婚できますよ」
「姫様? おらがか? とんでもねぇ、おっそろしぃべ」
まぁ確かに、何か恐ろしい気もする。
「じゃあ……そうですね……何か、願い事を叶えるというのは?」
「願い事?」
青年の目が少し輝いた。
「ほんとかや?」
「本当です」
「だったら……おら、一度でいいから、……め、めんどさん?」
「???」
「めんどさんがいる、かっふぇぇで、かっふぃぃさ飲んでみたいべ」
「……??????」
「め………めんどさん、メンドさん??」
……えーと。
「あー……メイドカフェに行きたいと?」
「んだ」
「……わかりました」
何か……世界設定がまったくわからんな。
先生……一体どんな話を書こうとしていたのか……。本当に子供向けの絵本を書くつもりがあったのか、少し疑問に思った。
まぁいいや。メイドカフェの件は先生に任せよう。
◇
「とりあえず武器を調達しましょう」
というか、本当はまず身なりから整えたい。
こんな原始人のような勇者、見た事ない。第一、こんな勇者を用意したとなったら、あの面食いの先生がまた逃亡しかねない。
先生はスーツフェチだ……あの人のためにスーツでも着せるべきなのか……いや、でも、それで竜が倒せるのか?
そもそもスーツ屋がこの世界にあるのか……。私は絶対に貸したくない。
「あ、武器屋がある」
フラフラと町を歩いていると、武器屋を発見した。
「いらっしゃい」
うむ。中々勇猛そうな親父である。
むしろこの親父をさらって竜の前に連れて行けば、それなりに戦ってくれるような気もする。
だがいかんせん、ビジュアルに問題がある。
先生のイケメン好きを呪いたい。
「何かいい武器はありますか」
「あんたら運がいい。今日仕入れたばかりのこの剣、実は大陸の向こうの勇者が持っていたという剣で――」
「おお、それは素晴らしい」
是非この青年に……と振り返ると。青年はガタガタと震えていた。
「おっそろしい……!!」
何だ何だ、今度は何事だ。
「そっただ恐ろしいもん……持てないべ!!」
張り倒してやろうかと思った。
「いや、あなた、これから竜を倒しに行こうって言うんですから。これくらいの剣、持っていただかないと」
「おら、行きたくて行くんじゃないべ!!」
「いや……大丈夫大丈夫、こんなん、ただのでっかい包丁ですから。何てことないです」
軽くなだめようとしたが。
「おら……刃物恐怖症で……」
蹴飛ばしたろうかと思った。
「おら、それでいいべ」
と、青年が手に取ったのは、〝おなべのフタ〟だった。
「へい、10ゴールドです」
「んだ」
「……………」
先生を呪いたい。
先生がイケメン好きでさえなければ……。
◇
まさか竜を相手に、鍋のフタで戦うわけにもいかない。
せめてこん棒を持たせたろうかと思ったのに、青年は意外にか弱く、こん棒一つ持てやしない。
女子なのかと、突っ込みを入れたくなった。だが、屈強な女戦士が巨大なアックスを担いでいるのを見たのでやめた。
……どうやってこいつに竜を倒させるのか……。
未だかつてないほどに、私は悩んだ。大学入試の時よりも、会議で編集長に絡まれた時よりも、今カノと一緒にいる時に元カノとバッタリ出くわしどうやって逃げようかと思った時よりも。
とにかく悩んだ。
「……作戦を立てましょう」
竜はこの先の渓谷にいる。
まずは、町で仕入れた眠り薬を飲ませる。眠った所を、青年が縄で手足をグルグルに縛り上げ、辛うじて装備できたひのきの棒でタコ殴りにする。
完璧な気がした。
「ど、どうやって眠り薬を飲ませるんだ?」
「この地図を見てください。池がある。竜が水飲み場にしているという情報もある。……池に大量に睡眠薬を投与するのです」
町中の睡眠薬は買い占めてきた。青年が背負っているリュックにぎっしりだ。
「夜を待ちましょう。朝日が出る前に池に行き、薬を溶かすのです」
「ん、んだ」
青年は神妙に頷いた。
「あ、そいえば……あなたのお名前は? 聞いていませんでした」
「おらか? おらの名前は、ゴンスケだべ」
「……えーと。わかりました。今日からあなたはトム・クルーズで」
「へ? 何だべ?」
「とりあえず改名しましょう。トム、夜まで宿で休みましょう」
「いや、おら、ゴンスケだべ……」
いや、オーランド・ブルームの方がいいだろうか……? まぁいいか、とりあえずトムで……。
私も決戦に備え仮眠を取る事にした。
トムが何やらしつこく言っていたが、睡魔が勝り、次第に聞こえなくなって行った。
◇
夜が来た。
ついにこの時がきた。竜との対決の時だ。
「眠いべ」
「トム、しっかり歩いてください」
「ゴンスケだべ」
トムの装備を改めて見直す。
服屋の主人に無理矢理言って作らせた黒のスーツを着せ、手にはひのきの棒と鍋のフタを持たせている。
そして背負ったリュックには大量の睡眠薬。
……今だかつてない勇者が出来上がったが、気にすまい。
竜を倒せばいいのだ。竜さえ倒せばいいのだ。
締め切りまでに原稿さえ仕上がれば、万事OKなのだ。
原稿がすべてだ。
そしてそれが、私の仕事のすべてだ。
しばらくして問題の池に到着した。
「さあ、トム。睡眠薬を!!」
トムはブツブツ言いながらリュックから薬をばらまき始める。
「あちらの対岸からも……、そちら側にも。まんべんなくまいてください」
一瞬、児童向けの絵本なのに「睡眠薬で竜を眠らせて縛り上げて……」という展開は大丈夫なのか心配になったが。
後の事は後で考えよう。何か問題があったとしても、原因は高飛びをした先生にある。
トムがノロノロと薬をまき終わった頃、空が明るくなり始めていた。
黒一色だった空が滲むように薄らぎ始めて行く。
やがて夜明け来るだろう。
夜空に色を薄めて流れて行く雲海が、徐々に明確な姿を見せ始めて行く。
絵本の中にも世界があり、雲が流れ、夜明けがくる。
そこには確かに世界が存在している。
物語の中に入るたびに思う……世界が生まれるきっかけはなんと単純で。
そして、美しいのかと。
今自分は、何かの誕生を前にしようとしている。
まだこの先は何一つ刻まれていない。
白紙のページの前に自分達は立っている。
次に刻まれるのは何か。そこに刻まれる想いは何か。結果は誰が導き出すのか――。
「腹が減ったベ……」
夜明けよりも先に、トムの腹が鳴った。
「あんた、何か持っていないべか」
「何もありませんよ。あんた、さっき宿屋で無理矢理握り飯作ってもらっていたでしょ」
「足りないべ。腹減ったべ」
「……仕方がないな……水でも飲んで膨らませてください」
「仕方がないべ」
そう言ってトムは池の水を――。
「あ」
と思った時には遅かった。
「眠いべ」
トムはひっくり返った。
アホかこいつは!! と思ったが。
その瞬間だった。……空から竜が舞い降りたのは。
「起きてください、トム!!!」
呼べど叫べど、起きやしない。
鍋のフタを枕の代わりにして眠るトムを、タコ殴りにしたい気持ちに駆られた。
しかし問題は今、目の前だ。
……竜がいる。
竜を見るのは初めてではない……どこかの物語で見た事がある。
だが久々だ。そして何度目だろうと、恐怖は変わりない。
竜が水を飲んでいる。
だが一向に、トムのように眠ってはくれない。
薬の量が足りなかったのか? それとも、トムが睡眠不足だったのか?
「クソ……」
どうする?
竜を倒さなければ、原稿が仕上がらない。
しかし肝心の勇者は今、睡眠薬で眠っている。
今この瞬間何とかしなければ、締め切りに間に合わない。
何のためにこの世界にやってきたのか。
今できる事は何だ?
「……やるしかないか……」
スーツの上着を脱いで、シャツの腕をまくり上げる。
念のために武器屋で仕入れておいた剣を――どこかの勇者が使ったという剣を握りしめる。
剣を持つのはいつ以来だろうか。
……桃から生まれた泣き虫の男の子のために鬼を倒した時だろうか。
……イバラに阻まれて困っている王子の代わりに、踏み分けて行って魔女を倒した時だろうか……。
牛の妖怪をなぎ倒し……。
ああ、豆の木の上にいた巨人とも戦った……。
竜を倒したのは……いつだろう……。
――自分の力は。
世に語られる英雄たちを。誰にも助けを求められない、鉄壁を求められるヒーローたちと。
物語と原稿を守るために。
「……行くぞ」
選んだこの仕事は、天職だ。
空が白みを見せ始める。
竜の前に躍り出る。
剣の重みは、どこか懐かしく。手になじむほどで。
吹き抜けた風に、想いを馳せる。
先生、風が吹いていますと。
あなたが生み出したこの世界に、今、風が吹いていますよと。
――竜が咆哮を上げる。私の剣に反応をしている。切っ先をグルリ弧を描き、
どの世界にも夜明けがあるのですよ。時間が流れるのですよ。
文字の中に命が宿り、映像の中に真実がある。
――剣と牙が交差する。一瞬走る銀の光は、太陽ほどは眩くないけれども。
走る光は、生きている。
「オォォオォォォッ!!」
いい剣だ。
足が跳ねる。思ったよりも腕の一閃が早く左右を裂いた。
その先にあった竜の鼻面から、鮮血が噴いた。
悲鳴に似た叫びが上がる一瞬前に、足を串刺し、距離を置く。
痛みに暴れ出した竜が、幸せそうに眠りこけているトムを踏みつぶそうとしている。
間一髪でトムを引っ張り、茂みの向こうへ放り投げる。
その瞬間、視線がまっすぐ竜の腹に止まる。
直線状にあるならば、迷わず絶て。
ピッと薙いだその剣は、思ったよりも深く入った。
竜が倒れ込んだ。
その瞬間を上から突けば終わりだ。
「……」
竜は唸り声を上げているが、暴れる事ができない様子。
じっと自分を見ている。
思いもしなかっただろう。これほどあっけなく動けなくなるなど。
「……」
剣を構える。
……だが、結局いつも通り。
「……いいか。どこか遠くの空へ」
「……」
世の人々は知らないだろう。
鬼ヶ島の隣の島で、和気あいあいと暮らしている人々の事を。
魔法すらも跳ね返した影の英雄に敬意を表して、姿を消した魔女の事を。
雲に帰りたいと泣いた巨人と共に、山の上まで登った者の事を。
そして、どこか遠い世界の竜が、今日も変わらず、空を求めて羽ばたいている事を。
「行け」
動かなかった竜が、何かに弾かれたように空へと飛び立った。
傷口は直に塞がると。……見えない文字で、どこかに記そう。
◇
「先生、お帰りなさい」
「ただいま」
「原稿、出しておきましたので」
「……」
帰国した先生は、アイルランドではなく日本で凍り付いた。
「ご確認ください」
と、プリントしといた原稿を差し出す。
「あ、れ……? 私……?」
「原稿を仕上げてから旅行に行かれたんですよね。さすがです先生」
「……はぁ……」
納得いかない表情のまま、先生はペラペラと原稿をめくる。
――昔ある所に勇者がおり、竜を退治したという物語。
「あら、イケメン」
「ありがとうございます」
「スーツを着た勇者……?」
「……」
「どこかで、見た事あるような」
最終頁、勇者は美しい女性たちに囲まれて幸せに珈琲を飲んだそうな。