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首をはねたら恋をした  作者: 茶月ちゃこ
大釜の部屋、一回目
1/7

仄暗い大釜の部屋にて

 こめかみに刺さる鋭い痛みに、私は眉をひそめて意識を浮上させた。

 激痛に閉じていた目蓋の裏側で、弾けるように光が飛んでいる。


 「った…」


 身を捩って痛みを拡散させようとするが、上半身が動かせないことに気が付いた。正しくは、両腕が背中に回され固定されているようだ。引くことのない頭痛は知覚してしまえば気分は萎える一方であったし、それに耐えながら片目を開けて現状を把握しようとした私には、己に何が起きているのか理解するのに時間が要った。


 「な…」


 頭痛にかまけている余裕はない。何せ、私は宙に浮いていたのだから。いいや、違う。胴体を締め付ける荒縄が天井へと伸びて、古びた梁に括り付けられているのだ。そうして、私は宙に吊るされている。


 (な、なんなの…?)


 前傾姿勢で空を蹴るように藻掻いて、天井を見上げる。くるくると仕掛けオルゴールのバレリーナのようにはなれずに滑稽な様相でその場で回転していると、吊るす梁が軋む音がした。私は慌てて動きを止める。


 (なにこれ、なにがあったって言うの?)


 仄暗い、光も通さぬ高い三角屋根は闇を孕んでこちらの様子を窺っているよう。採光の為の窓もないから、今が昼なのか夜なのかすら分からない。

 暗闇は沈黙を保ったままでいるらしく、私は上ばかりを見上げていた首を下へと動かしまた狼狽えた。


 (なにこれ、意味が分からない!)


 案の定、私は荒縄で縛られていた。そして、宙ぶらりんの私の体の下には真っ黒で大きな鍋がぶくぶくと七色の(あぶく)を生んでは弾けさせていた。

 工場にしかないような大きな鍋の如く、煤で真っ黒になったそれは満足な手入れもされていない。吸い込まれそうな深い黒は魔女か魔法使いかが使うような大釜のようだと思った。

 そんな、人ひとりなど取るに足らないと言わんばかりに一飲み出来そうな巨大な鍋が、私の足元の下で七色の粘性のある液体を沸騰させている。


 (なになに、なにこれ!)


 血の気が引いて鳥肌が立ち、私は強硬状態に陥った。

 どうして、何故。

 弾けて消える疑問と頭痛は、私に正解を教えてはくれない。


 「え、なに私は材料かなにかなの!?」


 悲壮感もへったくれもなにもない、つんざく痛みと恐怖を発散させる為に出た叫び声は、ぼこぼこと音を立てる鍋に吸い込まれて行った。



 誰がなんと言おうと命の危機だが、見たところ吊るされているだけなので今すぐ熱湯に落ちる心配は一先ず横に置いておこう。縄が千切れないことを祈る。

 そもそもの話、私はどうして吊るされている?一体何があったと言うのだ。

 記憶を辿って現状に至る原因を探ってみたけれど、肝心なところがごっそり記憶の引き出しから抜け落ちている。煮え立つ七色の泡から出た蒸気が甘くて酸っぱくて苦い臭いをさせて思考を鈍らせているのだ。そういう意図があるのなら、私はこの鍋の持ち主に花丸を進呈したい。先にこんな仕打ちをしたことに対して鳩尾に一発かましてからでいいのなら。

 そんな強気な行動が許される空気では無さそうだけれど。


 「誘拐?拉致?」


 小さく呟いた単語に首を振って自己否定。

 そんなはずない。

 私は利用価値のあるような人間ではない。

 どこにでもいる平凡な、という常套句は好ましくない。しかし、私はとてもとても凡庸な人間だと思う。

 誘拐や拉致をしても悲しむ家族は居ないし、金目のものを要求出来る相手も居ない。性別は女だけれど平坦な肉付きと着飾ることも億劫になった色のない人間。不健康で青白い肌で目の下に隈を育てているような人間を望むような輩が存在するのだろうか。

 とても理解し難い。しかし現に、私はこうして吊るされている。


 「需要と供給が上手く回った結果なのかしらね…」


 私の名前は花村エリー。

 平々凡々という名札を付けた、ただの疲れた人間だ。

 ただし私は、体の自由は奪われようともまだ生きていて思考を巡らせることが出来る。ならば、思い出すべきだ。


 〇*〇*〇



 例えばあの道行く主婦は、例えばあの缶コーヒーで一息ついているサラリーマンは、例えばあの無表情で俯いているコンビニエンスストアのアルバイト店員は、彼等の大なり小なり抱えているものと、私が抱えているものの違いはそう大きくない。

 ただ少し、心が折れることもあるというお話なのだ。ポキリと小気味良い音がした幻聴を、後頭部斜め上辺りから聞こえた気がしたのだ。


 (仕方ないから、タイミングが悪かった、私に悪い部分があった…って何回自分を慰めたんだか)


 ヒステリックに怒る不安定な精神状態の上司が、怒りやすい、当たりやすいからと自分を狙って八つ当たりをしていることも理解はしていた。

 理不尽な怒りをぶつけられていることも溜め息一つも飲み込んで胃がキリキリと悲鳴をあげる音も無視した。

 よくある話だと、無理矢理に納得して。


 ただし、ポキリと折れることもあるわけで。

 自他ともに認める折れやすさは有しているが、立ち直りの早さにも定評がある己を慰める為、二十四時間営業のスーパーマーケットでアルコールを調達しようと残業帰りに立ち寄ったのが運の尽き。

 老人に見間違えられそうな程丸まった背中で、カートに両肘を付いて明るい歌声の店内放送を遠くに聞きつつヨロヨロと歩いていた。


 時刻は日付変更線を跨ぐ手前。買い物客は疎らで油断していた。曲がり角の近くにカートを置いて、安値が売りのまずい麦酒もどきの棚の前でしゃがみこんで膝を抱えて冷気を浴びる。

 ぼんやりとこのまま心地好い冷気の中に飛び込んでしまいたい衝動に襲われたことにまた溜め息。

 一番安い輸入品の缶を一つ摘まんで立ち上がった。


 瞬間、ぐらりと視界が回る。

 貧血だと足に力を入れて踏ん張ろうとしたと同時に、親とはぐれた子供が突っ込んで来た。ただ子供が一人ぶつかって来ただけならまだ踏ん張れた。しかし、何故か曲がり角に置いていた私のカートをわざわざ押して突っ込んで来た。


 (ああ、これはまずい)


 咄嗟に安酒の缶を投げて子供が怪我をしないようにカートを押さえようとして、目測を誤る。

 思った以上の速度で腹部にカートがめり込み意識が飛んだ。


 (お子様、まじお子様…)


 投げた安酒の缶は、落下したら割れてしまうかもしれない。

 スーパーマーケットの店員の仕事を増やしてしまう罪悪感と、私に明日の英気を与えるはずだった一本へ、己が使命を全うさせられぬ不甲斐なさに未練を感じながら落とした意識を取り戻したら、私は宙に吊られていたという顛末である。



 〇*〇*〇



 (最近のスーパーは迷惑掛けた客を拷問部屋に案内するのかと思ったわよ、一瞬)


 己の不運を省みようとした時だった。

 ゆっくりと扉の軋む音を立てて、臙脂色のローブで頭から足先まで隠した一人の人間が大釜の部屋に入ってきた。

 周囲の観察を怠り呆けていた自分の毛の生えた心臓っぷりに少しだけ自己嫌悪。

 蝋燭の点った燭台を木のテーブルに置いて一度だけ私を見上げたが、ローブの中身は闇に染まって表情も垣間見れずに終わる。


 (ああ、どうしよう。私どうなるんだろう…)


 ローブからは呼吸音すら聞こえない。男なのか、女なのかも分からない。そもそも、話の通じる相手かどうかも怪しい。だって、現代日本でローブを着込む慣習はない。


 (話し掛ける?いや、様子を窺うべき?)


 時間稼ぎはせねばならない。ローブはきっと、何かの目的の為に私をこうして吊るしているのに違いないからだ。

 でもダメかも。

 喉がひりつき上手く声が出てこないのだ。


 (私って案外小心者だったのかしら。いや…熱気で喉が渇いてるだけかもしれない)


 足元の大釜から届く熱さは存外に不快で居心地は最悪。出来ることならすぐにでも下ろしてもらいたいが、それを頼んで叶えてくれる相手だったなら、きっと最初からこんな風に私を吊るしたりしない。


 (考えなきゃ、考えて…)


 この状況を打破する一手は、私の命を救うはず。

 そう希望的観測で鼓舞する私をよそに、蝋燭の光も届かぬ壁際の棚に並んだ様々なものを検分しては、ローブの人物はこちらを見向きもせずに瓶ごと大釜に投げ入れている。


 (あっつ…!雑、扱いが雑!)


 瓶を投げ入れられて飛んだ飛沫に怒りが沸くが、大釜の中味が変化していっている様子は楽しくない予想が立つ。


 「あ、あの、待って。待って下さい、あの…」


 じたばたと動いて大釜の上空から逃げようともがくが、天井の梁が軋んで荒縄がきつく絞められ、自分の状況が悪化するだけだ。


 「やだ、待って。お願いだから」


 いつの間にか大釜の脇に併設されていた階段を上がって来ていたローブの人物に、エリーは慌てて首を振って情けを乞う。どこから出したのか、ローブは左手に大きな鉈を携えていた。


 「嘘でしょ。ねえ、や、やめて、お願い…」


 どうすることも出来ないままに、私は死んでしまうと言うのか。大して幸福ではなかった人生だけれども、少なくともこんな訳も分からぬままに死ぬ為に生きたのではない。

 けれど大きな鉈は振り上げられていて、私の願いもむなしく喉元を刃が勢いよく通り過ぎた。

 首と一緒に斬られた縄は、重力に逆らうことなく落ちていき、私の切り離された頭と体は大釜に吸い込まれていった。



 そうして、私は死んでしまった。

 いいえ、死んだはずだった。

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