クラスマッチの恋心
何もかも、あの場所に置いてきた。
思い出も、想いも。
俺は、振り返らない……つもりだった。
高校卒業とともに、俺は日本を離れた。
もともと外国に興味を持ってはいたが、このタイミングで日本を飛び出すとは、高校に入る頃には考えていなかった。
きっかけは、二つ、いや、三つかもしれない。
他人が聞いたら納得してくれるのか分からないが。
一つ目は、海外への修学旅行で知った外国の同い年くらいの子たちの意欲的な姿勢だった。
日本の大学に留学するために、日本でいう高校を卒業して、さらに留学のための学校で日本語や専門科目の勉強をしているという話に、俺はなんだか感動してしまった。
そして、「大学に入るため」に勉強している自分に疑問を感じた。
二つめは、その疑問が膨らんで破裂してしまったということだ。
今やっていることが、「大学に入るためだけの勉強」に感じてしまった俺は今の方向とは違う、別の道を探すことにした。
もちろん、日本にいて別の道を探すのは簡単かもしれない。学校を辞めて「自分探し」をすればいいのだから。
でも、周りは「高校は卒業しなさい」と説得してきた。
俺には考えがあった。
外国で、全部一から勉強して、自分を鍛える。言葉も、文化も、全て。
それこそ高校卒業にこだわる必要もない気がしたが、俺を高校に引き留めた要素があった。
三つめ。
俺は、クラスの女の子に恋していた。
彼女とは2年の頃から同じクラスだったが、最初は全く気にしていなかった。
その頃の彼女は部活のために学校に来ているようなものだった。朝練を終えた後ギリギリで教室に現れ、ホームルームが終わったら一番に教室を飛び出していくような子だった。
「本当に、授業終わったらすぐいなくなるよな」
恋心とか、そういうものはその頃は全くなかった。ただただ、感心していた。俺は何の部活にも所属していなかったので、それだけの熱意を部活に傾けられる彼女に感心するだけだった。
その感情が、恋心へ変わってきたのはいつのことだろうか。席替えして、席が隣になって、話すようになってからだろうか。
実は、俺と彼女は中学の頃からの顔見知りだった。
このクラスにも、そういう奴が何人かいる。地元大手の進学塾で同じクラスにいて、この高校を志望した奴は数え切れない。だから、彼女のことは全く知らなかったわけではなかった。
でも、話をするうちに、彼女のことをより知っていくうちに、俺はだんだん彼女に惹かれていったのだろう。
俺が自分の感情、彼女への恋心をはっきり自覚したのは、2年のクラスマッチだった。
男女別で行われるクラスマッチ。ソフトボールをしていた俺たちは、バレーボールの試合の間に来てくれていた女子の応援を受けていた。
俺が打席に立つ。男子のみならず、女子も打席に立つ一人ひとりに応援の声を向けてくれる。
その時だ。俺は、急に目に痛みを感じた。何だ……? 何が起こった?
試合が中断している。俺はやっと、自分が顔面に打球を受けたことに気がついた。
俺は保健室に、そして念のために病院に連れて行かれた。検査を受けて何も異常はなかったが、週末の土日は安静にしているように言われた。
週明け。
何もなかったように登校してきた俺を「大丈夫だった? コンタクト使ってるって言ってたから、目に当たったって聞いて、心配してた」と話しかけてきたのが彼女だった。
「何もなかったよ。ありがとう。心配かけてごめん」
「何もなかったんだ、よかった! 当たった場所が目だったから、見えなくなっちゃうのかとか心配しちゃってた」
ちょっと過剰な心配のようだったが、彼女の気持ちがひしひしと伝わってきた。
俺はこの時、間違いなく彼女に恋していると自覚した。
でも、俺は何もできなかった。
高校2年、周りはカップルだらけだ。付き合っていなくても、誰が誰を好きだというのは情報として入ってきたり、様子を見ていれば分かる。嫌なことに、俺はそういうことに関してかなり敏感なようだ。
そして、彼女には恋している相手がいるという情報を手に入れた。といっても、すでに相手に告白して失恋し、その痛手を引きずっているとの噂だった。
俺なら、その気持ちを、彼女の感情を、真っ直ぐに受け止めるのに……。
でも、毎日を忙しいながらも楽しそうに過ごす彼女に、今の生活に疑問を感じている俺は、想いを告げることはできなかった。告げる資格がないと、思っていた。
そうしているうちに、俺らは高校3年になった。
担任は、「世界に出ていろいろなことを知りたいなら、その前にできるだけのことを勉強しておいたがいいんじゃないかな。その方がどこに行っても、きっときみの力になるだろうから」と言った。
それもそうかもしれない。何も知らないでどこかに飛び出すより、何か知っていた方がこれから先の役に立つだろう。だからこそ、大学に受かるための勉強じゃなくて、今からもっといろいろな深いものを見ていくような勉強をしよう。
偶然か幸運か、俺は再び彼女と同じクラスになった。学校に行けば彼女がいる。それだけでも、俺は学校へ行く気になれた。
彼女は3年になった春、彼女は大失恋をしたようだった。もう、このまま追い続けても無駄なんだと悟ったようだ。
部活も引退した彼女は、否応なく受験生モードに入ったようだ。
今なのか、想いを告げるなら、今なのか。こんな俺を、彼女は受け止めてくれるのか。
やはり、俺は直接想いを告げることはできなかった。
その代わり、彼女に好意を示していくことにした。
2年の時にできなかった、積極的な好意を示していく。
それで彼女が気づいてくれれば……完全に受け身な気持ちだったが、今の俺は、彼女に拒絶されてしまったら完全に学校にも行けなくなると思った。
言葉は悪いが、彼女はニブい。誰にもミエミエな付き合っている奴らのことですら、彼女は「全然気がつかなかった!」と言っている。本気でそういうことに気がついていないようだ。
だから、俺はあからさまに見えるような行動もとることができた。
周りは「お前、本当に好きなんだな、あの子のこと。お前のやり方かなりあからさまなのに、よく気づかないよな彼女も。ニブいっていうか」と言う。
女子からも、「好きなんでしょ、あの子のこと」と突っ込まれるくらいだ。
それくらい、俺はわかりやすい好意を示している……つもりだった。
夏が終わり、秋を迎えた。学園祭でもあからさまに一緒の仕事をしてみたが、彼女は自分に任されたことで一杯一杯のようだった。
「学園祭で彼氏ができるとか、羨ましい!」
教室に彼女の声が響き渡る。声が通りやすいのか、ただただ大声で叫んでいるだけなのか、あるいは俺に彼女の声しか聞こえないフィルターでもかかっているのか。
気づいてくれよ……結構、俺、わかりやすい好意を示しているはずだけどな……?
その想いが、ようやく通った……気がしたのがその後だった。彼女と目が合ったら、そらされる。それも、何度も。
もしかして、もしかしてか?
俺はそれだけでも、嬉しかった。
彼女に好意を気づいてもらえた気がした頃。俺は来年から日本を離れ、外国の学校で一から勉強する環境を整えた。一度日本を離れたら、しばらくきちんと帰国するつもりはない。自分のやりたいことはそれだったから、本気でやるつもりだった。
彼女のことも、忘れるつもりで。
冬。ひとまず、センター試験は受けておいたが、もう気持ちは日本の大学にはない。
俺は誰にもこのことは話していなかったから、ひとまず私立大学や国公立大学の前期と後期試験を受ける用意はしていた。
こういう試験の存在が、俺の人生を変えたのかもしれない。この年齢ならば、人生を左右しかねない試験だ。試験に翻弄されなければ、もしかしたら俺は、彼女と一緒にいるという道を歩んでいたかもしれない。でも、それは俺が選ばなかったから。要は、俺がヘタレだっただけだ。
彼女も、ほんの少しながら、好意を示してくれていたと言うのに。
そして迎えた卒業式。
全てをみんなに伝える時だ。
一人一人教壇に立ち、自分の言葉で今の気持ちを伝える。
別れを悲しむ子、笑いを取ろうとする子、真剣に将来について語る子。それぞれだ。
彼女は「クラスのみんなに支えられて何とか今日までやってこれました。皆さん、ありがとうございました。とても、楽しい充実した3年間でした」と言って、泣き出してしまった。泣いている子は他にもたくさんいる。ハンカチで涙を拭った彼女は、最後は笑顔で席に戻った。
俺の番だ。俺は「留学します。短期間じゃなくて、一から外国の大学に入るつもりで行きます。皆さんありがとうございました」と言った。
みんなが驚いている。彼女を見ると、赤くなった目をまん丸にして驚いている。
これで、これでいいんだ。何もかも置いて、俺は行く。
最後のホームルームが終わった後の騒がしい教室。
俺は彼女に呼び止められた。
「留学するんだね、びっくりした」
「みんなには、今日まで黙ってたけど」
「ずっと、あっちにいるの?」
「たまに帰ってくるかもしれないけど、基本的には」
「うまく言えないけど、頑張ってね。一緒に試験受けに行く話……」
そう、俺は後期試験の志願先を彼女と同じ大学にしていた。周りにそこを受けに行く子がいなかったから、俺らは二人で試験を受けに行く……はずだった。
「俺は、試験には行かない。ごめん」
「分かった。2年間、ありがとうね、いろいろ。嬉かった」
周りから見たら、どちらかが後一押ししろよという状態だっただろう。そしたら……と言う空気が流れた。
「こっちも、ありがとう。2年間、楽しかった」
そして、彼女は行ってしまった。
これでいいんだ、これで……。
かきむしりたくなる胸の痛みをこらえながら日本を離れて約3年。新しい土地での生活にも大分慣れ、こちらの大学の入学試験を受けられる資格を手にした俺は、高校3年のクラスの同窓会の知らせを聞いて、一時帰国することにした。
衝撃的な知らせから3年、あいつが帰ってくると言う知らせが広まっていたらしく、同窓会にはクラスの子が大分集まっていた。もちろん、そこには彼女の姿もあった。
俺が現れた途端、みんなから歓声が上がる。
あっちの生活や、学校のことなどいろいろなことを聞かれるが、俺が気になっているのはやはり彼女のことだった。
地元の大学に進学したと言う彼女は、大学生になっていながら、あの頃の雰囲気はちゃんと残していた。
みんなに大分お酒も回ってきた頃、いつの間にか俺の隣に彼女が座っていた。どきりとする。
「あっちの生活、どう?」
「まあ、楽しくやってるよ。大学に入る資格の試験を受けられるようになった」
「すごい! こんな短期間で、そんなになったんだ!」
素直に驚いている。
「そっちの大学に入ったら、もうなかなか戻って来ないよね?」
「そうだな」
彼女の表情に少し、憂いが見えた気がした。
伝えるなら、今しかない。どんな結果になろうと、伝えないで後悔するよりははるかにマシだ。
俺はトイレに行くふりをして、彼女と二人になった。気づいている奴もいるようだが、あえてスルーしてくれる。
「大学、どう?」
俺からも尋ねてみる。
「やっと、慣れたよ。3年目で」
「もしかしたら、大学でまた同級生になれたかもしれないのにな」
彼女が口を結ぶ。
「同級生に、なりたかった……。一緒に、もっと一緒にいたかった……」
「俺の勝手だ……ごめん」
彼女の口から、ぽつりぽつりと言葉が漏れる。
「好きだったよ。ずっと……言えなかったけど」
「俺もだ……好きだ」
「今も?」
「こっちに何もかも置いてきた……つもりだった。でも、やっぱり、あの時からの気持ちが抑えられなくなった。本当は、俺から伝えなきゃいけないことを、言わせちゃったな」
「うん……実は、待ってた。もし、自分が想いを伝えて、拒絶されたら、私はこの先の戦いを、頑張れなくなると思ったから。だから、告白されるのを……待ってた。でも、突然あんな形でいなくなるなんて思ってもいなかったから……。あの後、すごい後悔した。卒業式っていう、最後のチャンスをどうして生かせなかったんだろうって。だから、もし、次に会える日が来たら、今度こそは絶対に想いを伝えようって、決めてた。私、何でも納得できないと次に進めないから、結局ずっとこの気持ちを引きずってて。そして、今日が来た」
胸が痛む。自分の勇気のなさが、彼女を傷つけてしまっていた。
俺も伝えないといけない。あのクラスマッチの時から、ずっと心の中で燃え続けていた、恋心を。
「2年のクラスマッチのこと、覚えてる?」
「うん、顔にソフトボールが直撃した時だよね。目の前で顔面にボールが当たって、運ばれていったのは衝撃的だったもん。後で病院にまで行ったって聞いて、心配で仕方なかったよ」
「その時とか、その後も凄く俺のこと心配してくれたのが、嬉しかったんだ。そこで、好きになった……んだ。もっと、早く伝えるべきだったな」
「私も、なんでこんなに心配なのか、分からなかった。その日のうちに大丈夫だったって聞いてるのに、心配で仕方なくて……。その時だったのかな。自分が、村山くんのことが、すごく気になるし、もしかしたら好きなのかもって、気づいたのが。そしていつだったかな、あんまり覚えてないんだけど、いつも村山くんがそばにいてくれてることに何となくだけど、気がついた。それがすごく嬉しかったし、頑張ろうっていう気になれた。ああ、やっぱり村山くんのことが好きなんだって、自分でも分かった。今までのもやもやした気持ちが全部吹っ切れて、村山くんしか見えなくなってた。受験生だったのにね」
俺は驚いた。はじまりは、あのクラスマッチだったから。
「俺、頑張る。頑張って、あっちの大学卒業して、自分のやりたい仕事ができるように頑張る。今日こうして、自分の想いが小浜さんに、伝わっただけで、頑張れる」
「私、待ってる。村山くんのこと、待ってる。いつか、ここに帰ってくるまで」
「待ってて……くれるのか? 」
「うん。せっかく想いが伝わったのに、諦めるなんて、できない。だから、待つよ。でも、たまには会いに来てほしいな……なんて」
嬉しかった。けど、俺の都合に彼女を振り回していいのか。それだけが気がかりだった。
「本当に、待っててくれるのか? いつここにきちんと帰れるか、まだ今は言えないのに」
「だったら、私がそっちに行く。……なんて。もちろん、今すぐにじゃないし、村山くんも、いろいろあるだろうから。でも、それくらいの気持ち。あっ、酔ってるから言ってるんじゃないよ。5年も……想い続けてたんだから」
「俺、それなら……ここに帰ることができるような道も考える。小浜さんが、待っててくれるなら。こんな可愛い彼女を、いつまでも待たせちゃダメだしな」
「村山くん……」
俺はずっと我慢していた。今、指一本でも彼女に触れてしまったら、俺はもうあっちに帰る気が失せてしまうだろう。ずっと彼女といる道を、探してしまうだろう。でも、それはダメだと思う。何のために俺は全てを置いて、ここを飛び出したのか。目的を失ってはいけない。
「ひとまず、みんなのところに戻ろうか。あまり二人で消えてると、怪しまれる」
「そうだね、そろそろ戻ろうか」
俺たちは、みんなのところに戻った。何もなかったかのように。
「おっ、二人とも、いい顔してるじゃん。さては……?」
「カップル誕生ってやつ?」
「由美、おめでとう! 私たち、村山くんの恋が成就するまで、このクラスを卒業するわけにはいかないって、言ってたんだよねー」
「とりあえず、飲めよ! 今日は、村山と由美のお祝いだ! 俺らも、やきもきしながら村山のこと、見守ってたからな」
確かに彼女にはわかりやすい好意を示していたが、クラスのみんなにこんなに応援されていたなんて、自分のことながら気がつかなかった。
「あたし、お酒あんまし飲めないんだけど……」
「大丈夫、潰れたら健太郎が家まで送ってくれるから」
「おい、村山、送り狼になるなよー」
自分たちのことでこんなにみんながお祝いムードになるなんて、思ってもいなかった。
短い間だけど、ここに帰ってきて、本当によかった。
数日後。
俺と由美は、空港にいた。
帰りの飛行機も予約していたし、都合でこれ以上ここにいる時間が取れなかった。
俺たちは、買い物をしたり、食事をしたりなど、名残りを惜しみながらいわゆる初めてのデートというものを楽しんだ。
「またしばらく会えなくなるな」
「今は海外とも通話できるアプリとかあるし、話したい時には話せるよ。昔ほど、日本と海外の距離は感じなくなったんじゃないかな。……たまには、やっぱり直接顔を見て話したいとかも思うだろうけど」
「帰れるときには、帰るようにする。俺も、直接会いたいって思うだろうからな」
俺たちは、さっき一緒に色違いで買ったスマホケースを取り出す。同じ機種でよかった。
「これ見たら、由美のこと思い出すんだろうな」
「うん、私も、健ちゃんのこと思い出すよ」
飛行機の時間が近づく。国際線だから、時間に余裕を持って行かなければ。
「じゃあ、俺、行かないと」
由美の目が潤んでいるようにも見えた。
俺は、思わず彼女を抱きしめる。人前だろうと、今は気にしなかった。
「また帰るから。今度は、長く帰れるようにするから」
「いってらっしゃい。気をつけてね。……頑張って」
「ありがとう」
俺は搭乗手続きへと向かった。
クラスマッチの恋心という種は、長い時間がかかったが、こうして花を咲かせることができた。
彼女の笑顔という太陽のそばで、さんさんと。
※この小説の登場人物・場所・団体等はすべてフィクションです。
作者です。
ここまでお読みいただいてありがとうございました。
これまではかなりの長編ばかりを執筆してきたため、これくらいで完結する小説を書いてみたいと思っていました。
短編にしては長くなりすぎた感がありますが。
現在執筆中の作品も、めどが立ったら連載していく予定です。
そちらも投稿が開始したら、よろしくお願いいたします。
また、完結済みの作品もお読みいただけると幸いです。