コンゴ
幻想の如き美しい街に、私は重い足を踏み入れた。人の声が聞こえる。しかしそれは、生者のモノではないのかもしれない。幻なのか現実なのか、それはよく分からない。しかし、そこにハッキリとあるのは分かった。タルパのようなモノなのかもしれないし、本当に存在するのかもしれない。
ずっとこの場所にいても良いかもしれないなぁと思いながら、私はレンガで舗装された道を歩いていた。
「綺麗な場所だな...」
人通りの多い所を覗いた。なんだか、普通に現実のような印象を与えられる。過ぎ行く人々は、ゴーストなのかなという疑惑がありながらも本物の人間のように感じられる。そしてその人々を私を見ると、ある人は驚いた顔をし、ある人は無関心にもプイッと顔を背け、ある人は嬉しそうな顔をした。
嬉しそうな顔をした人が、通りを覗く私に近づいてきた。黒いシルクハットを被り、漆黒のスーツを身に纏い、片眼鏡をかけた男性だ。クリスマスに食べるようなキャンディーのような形の、先の曲がったステッキを持っていた。
「君! 来たまえ!」
「ちょーーうわ!」
男性に手首を掴まれ、抵抗する暇もなく私は連れて行かれた。周りの人達は見て見ぬ振りだ。男性は何かから逃げるかのように、私を若干引きずって走った。男性の力は強かったが、その中には何処か優しさを感じた。今まで私を殺そうとした人や、誘拐しようとした人とは違ってーー
彼は人目のつかない木々に隠れた家に、私を入れた。男性もその中に入った。中は暗くて何も見えない。外見は完全に他の建物と一緒で、正直どうやって自分の家の皆は見分けているのか分からない。
「さぁ、少し待ちたまえ」
しばらくすると、家の中に明かりが灯った。オレンジ色の暖かい色だ。それにより、私は男性の顔をよく見る事が出来た。凛々しい西洋人のような顔立ちをしていたが、日本人の面影も見える。ハーフ...だろうか。
「嗚呼、生者にあったのは何年振りだろうか。百年以上経っているかもしれない」
「どういう、意味で...」
「まだ話は良い。そこに座りたまえ。麗しき少女よ」
男性は、動揺した様子で片手で頭を押さえながら、白色のソファを指差した。私は彼の様子をジッと見つめながら、ゆっくりとソファに腰掛けた。ふと、家の中を見てみる。天井からぶら下がる丸いライトが辺りを照らし、私の目の前にもソファ。左を見ると、もう一つ木のドアがあった。まだ部屋があるのだろう。
「何て事だ...あの教会から出られたのか...?」
「あの...」
「っ...な、何だね?」
男性は正気を取り戻したかのように、グッと強い顔で私を見た。
「お名前を、お聞かせいただいても?」
「紺剛 英明」
「紺剛...もしかして、コンゴさんですか?」
私はあの老人の言った言葉を思い出した。コンゴと紺剛...こじつけ的だが、似ている。愛称、なのかもしれないし。
「コンゴ...あの老人から聞いたのだな。如何にも。私はコンゴだ」
「あっ...私は蛇名 リンです」
「リン、良い名だな」
「ありがとうございます。あの、この場所は....」
私はそう言ってドアを見る。あの木の板の外には、大きく美しい不思議な世界が広がっている。残酷なほど人の心をえぐる世界がーー
紺剛さんは困った様子で首を振ると、ため息をついた。
「私の家...悲しき事だが、こんな小さなモノなのだよ」
「いえ...素敵だと思いますよ」
「おや、麗しのレディのそのような事を言われると、恐縮しますな」
今の言葉は聞き流すとして、私は紺剛さんの服を見た。現代とは少し違う、何というか、大正なモダン・紳士のようだった。スーツに様々な紋章がつけてあり、そのマークは歴史の本で見た事があるような気がする。将校のような雰囲気が醸し出されていた。
...うん、粋だ。
「君は日本人のようだが、私のような人間をどう思う?」
「どう、思うと言うと?」
「私のような西洋に浸かった人間を、君は嫌悪するかね?」
「え...フッ、ハハハハッ!」
つい可笑しくて吹き出してしまった。すると彼は顔を赤くして苦々しく言う。
「笑うほど嫌いかね?」
「いえいえ! 西洋でも東洋でも、『平成』の今では何とも思いませんからね!」
「『平成』...? どういう意味だ? 『大正』のハズだろう」
「大正...やっぱり、貴方は過去の人間、なのかも...」
「過去? どういう意味だ。話してくれ!」
私は笑みを浮かべながら、「大正」から「平成」現在までの歴史を口頭で伝えた。歴史にはあまり関心がないので一部欠けている部分もあるかもしれないが、とりあえずそれでも良い。今重要なのは、何故過去の人間がこの場所にいるか、だ。
話し合えると、紺剛さんはそうか...とだけつぶやき、残念そうにうつむいた。
「私は、ある日道を歩いていたら『サイトリール』という名の世界にいた。何やら不思議な文字やら魔法やら、ワケの分からない事ばかり言われて...魔王を倒せなども」
「貴方も召喚されたのですね...」
「という事は、君もか...不思議なモノだ。地球以外にも別の世界が存在したとは。話を戻そうか。私はとりあえず言われるがままに旅に出た。魔王を倒す旅に。しかし、ある日仲間と逸れてよく分からない森の中に入ってしまった。その時、黒い馬に襲われたのだ」
「『ナイトモア』...?!」
「あぁ、あの生物は君のいう『ナイトモア』という奴なのかもしれないな」
紺剛さんは壁越しにだが、教会のあった方向をジッと見つめた。
「気がつくとあの場所に」
「あの教会のような所は、一体何なのでしょうか」
「分からないが、おそらくあれは過去の自分の恐怖を具現化したモノだと考えられる」
「過去の恐怖...」
「あれを乗り越えられる人間は少ない。何て言ったって、自分のトラウマが、完全にもっと酷い形で目の前に現れるのだからな」
道理であんな事が...
私はあそこから出る事が出来た。紺剛さんは此処にいる。つまり、あの教会から出られたという事だろうか。
「私はあまりの恐怖に自殺も目論んだ。しかし、その前に恐怖は終わったのだ。私は教会を出て、この街へ行った。そしてあのおじいさんと森で出会った」
「貴方は、生きているのですか?」
「この世界にはどうやら、時間という概念が存在しないらしくてね。私はあの時から、一切老けてなどいないよ」
「あの街の人たちは、皆紺剛さんや私のように、教会から...」
「中にもいるだろうが、ほとんどが元々存在するのだろう。あのおじいさんもそうだった」
本当にこの世界は何なのだろうか。桃源郷を思わせる美しい景色の下に存在する、この恐怖と幸福と美の結晶。図らずとも見えるこの高い高い目の前の壁は、私の行く手を完全に遮っていた。帰る方法を探さなければ。アーレイやマギ、アリスさん達の所へーー
「紺剛さん、単刀直入に問います」
「何だね?」
「貴方は、帰る方法をご存知ですか?」




