国語の勉強
国語の勉強
呆気にとられるとはこういうことをいうのだろうか。わたしは腹が立つというよりもまず驚いてしまった。
「向こうの職員さんに『篠崎さん仕事してますか?』と聞かれて返事に困ったわ」
わたしが前にいた施設の文化祭の出店の打ち合わせから帰って開口一番、奴がいった。しかもにっこり笑って。
「利用者に仕事をさせるのがあんたの仕事でしょ? もしわたしが仕事をしていないのなら、それは取りも直さずあんたの職務怠慢じゃないの?」と思ったが、もちろんいわない。わたしは言語障害で込み入ったことはしゃべれないのだ。
それにしても、取りも直さず。むかし学校で「取りも直さず」という言葉を使って短文を作れという宿題を出されたことがある。こんなにぴったりな用例はないなと思った。「呆気にとられる」といい「取りも直さず」といい、つくづく国語の勉強をさせてくれる作業所だ。
作業所。そう、ここは就労支援センターという福祉施設。一般就労が難しい障害者に仕事を提供し、自立を支援する通所施設である。
あのときの報復だろうか。しばらく考えて、ふと二、三日前の出来事に思い至った。奴が作ったチラシの漢字の間違いをわたしが見つけてペンで訂正したのだ。黙って机の上に置いておいたら奴が見つけてひとしきり騒いでいた。チラシは配布済みだったらしい。
その腹癒せがこれか。
利用者の間違いを指摘して改めさせるのが職員の仕事で、職員の間違いを利用者が指摘してはいけない。そうか。そういう不文律があったんだ。
奴はいつも「より良いものを作るために」わたしがパソコンで作るチラシにダメだしするので、わたしも明らかな間違いは最低教えてあげないといけないかな、と思っていた。迂闊だった。
不文律。ほら、また難しい言葉が出てきた。
奴はわたしを褒めない。みんなが褒めているときでも決して話に乗ってこない。黙って話が終わるのを待っているか、反論することもある。それは気骨を感じるほどだ。その点については奴を褒めてあげようと思う。こういう人間がわたしのまわりに一人くらいいてもいいかもしれない。
今日も、会社宛てのメールをチェックしていると、奴が後ろから覗きこんで「なに遊んでるの?」と笑いかける。
このアドレスに来るのはほとんどダイレクトメールだが、たまに顧客から来ることもあるので、一応毎日チェックしている。奴がこの部署に来て三ヶ月になるが、まだこのメールボックスを知らないのだ。
わたしは込み入ったことはしゃべれないので、とりあえず遊んでいるということにしておこうと思った。
明日はどんな言葉を学ぶことになるのだろうか。楽しみである。