雑草狩り
今年の夏は、例年以上に暑い。この異常な暑さは一体なんだんだ。
鎌を持つ手を休め、首にかけたままの手拭いで額から流れる汗を拭きながら、ティティは恨めしげに空を睨んだ。
「嫌だなぁ、嫌だなぁ。こんなに暑いとますます野菜がやせ細る」
止まらぬ汗がさらにティティの苛立ちを募らせる。太陽が雲ひとつない空の真上に鎮座しているのを見て、そろそろ正午なのだと知った。そうすると、朝一から没頭していた畑の雑草刈りで一杯だった頭にも、女衆が水場で準備している昼食のメニューはなんだろうか、と雑念が顔を出しはじめ、暑さも相まり、やる気がどんどんと削がれていく。
このまま昼休憩まで手を止めてしまおうかと鈍った考えが脳裏を過るが、ティティの邪な企みは呆気なく看破された。
「ほれ! 昼メシはまだ先だぁ。休むな、娘っ子」
畑のど真ん中で嘆いたティティに、畑と畑の間にある小道の脇で竹かごを編んでいた老婆から声が飛ぶ。
「リリアのとこの婆様か」
「口ばっか動かさねぇで、手を動かせ。手を」
ここは山麓にある村なのだが、生憎と畑は土地の開けた場所にあり、仕事をサボるには不向きの場所だった。視界に入る範囲でここら一帯にある遮蔽物と言えば、初秋に訪れる季節風から畑を守る防風林くらいなもので、ティティの自己判断による小休憩はあっけなくばれた。
「すまねぇ。婆様。あんまりにも暑いもんで」
「確かに今年の夏はいつも以上に暑いでな。んでもな、今は子らだって仕事に駆り出されてる。大人が一瞬でも仕事に手を抜いてしまったら、子らに示しがつかねぇ」
「見てみぃ」と老婆が皺くちゃの指先で家屋が建ち並ぶ方角を指し示す。
その先には、数えて八つ九つ頃の子供が小枝をつめた籠を背にしょって家路へ急いでいた。小枝は火を起こす為のものだろう。
更に奥の家の軒先では、片言をしゃべり始めた幼い妹や弟の面倒を見る、これまた十つ頃の少女の姿が遠目に見えた。
「……」
「子らが文句言わずと働いてる。かわいそうなことだが。子らの背中をわしらがせっつくなら、わしらはもっと働かねば」
「……俺だって、大差変らないさ」
「だども、娘っ子はもう“大人”だ」
ティティも年若い娘だ。夏が過ぎればやっと十三になる、娘っ子だ。
都会であれば――いいや、もう少し豊かな村であれば、親元から国立の学校なり地域の手習い所なりに通い、文字や簡単な算術を学んでいる年頃だ。職人希望の少年ならば弟子入り先を探し始める頃合いだが、それは例外中の例外で、多くの十三前後の少年少女は、まだ大人に甘えていい年頃なのだ。
けれど、ティティが物心ついた時から住んでいる村では、そうはいかない。
この村は貧しいのだ。
十数年前まであった隣国との戦争で、働き盛りの男達が皆死んでしまった時から、貧しさはより深刻になった。
慢性的な人手不足は今だ解消されず、老人や病人、子どもや、乳飲み子を抱えた女を除いた村人が総出で労働に励み、ようやく、村人達が冬を越せる分の食糧と、山を越えで三日ほどの歩く距離にある街に居る領主様への納め物を確保している有様だ。
村には農耕用の馬や牛は一頭もいない。村共有の納屋に保管されている農具のどれもこれもが古めかしい。
それでも、ティティが家屋の方角に居る子らと同年だった頃は、労働に励む大人たちを尻目に友人と駆けっこやかくれんぼに興じても、怒られることはなかった。村で成人と見なされる前であれば、日中は遊んでいても良しとされていた。
それなのに、今はどうだ。
たった数年前までは遊んでいても良かった年頃の子らが、親から、村人から、「働け、働け」とせっつかれている。
この村の去年の収穫量は隣の村の七割程度。ただでさえ少ない手取りが、連日続く暑さのせいで、今年はさらに少なくなることを誰しもが予想していた。水滴ひとつ落とさぬ空には、最早、恨み言葉も出てこない。苦肉の策として村を取り仕切る女衆の指示のもと、定期的に山の小川から水を汲み畑に撒いているが、それも気休め程度の対応だった。日に日にやせ細っていく農作物を見る度に、村人達は「今年は無事に冬を越せるのか」と不安をこぼす毎日だ。
何とか冬を越す為に、数少ない村の男達は町や王都へと出稼ぎに行った。村の主要な労働力が居なくなった穴を埋める為に、労働を免除されていた子どもたちに「出来ることはやれ」と村長は心を鬼にして告げたそうだ。
老婆とて、幼子達があくせく働く姿を嬉々として見ている訳でもあるまいに。
「……本当にすまねぇな。昼休憩が終わる前にここの雑草を刈ってしまわねぇと」
「だな。頼んだぞ」
ティティは止めていた手を再び動かした。額から流れる汗に、もう構ってなど居られない。
「ああ、そうだ。なぁ、婆様」
「なんだ?」
「俺の髪は、村の為に使った方がよかったんじゃないのか?」
雑草を見つけ、鎌の刃で地面を抉り、反対の手で雑草を引き抜く。
それを繰り返しながら、ティティは唯一自身の自慢どころだった黒髪のことを思い出し、手慣れた様子で竹かごを作っていく老婆に問う。
年に数回しか来ない商人が、ティティの切られた黒髪を嬉々として大金を叩いて買っていったのは、つい先日。腰まであった髪の毛をためらいなく断ったティティの首元は、村の女の中で、一際涼やかなものへと変貌した。右隣に住まう幼馴染が、納得いかないといった顔で「なあ、ティティ。何で髪を切っちまったんだよ」とへそを曲げるぐらいには、美しく艶があったティティの黒髪。
長年丁寧に愛しんだ黒髪は、年若いティティが一人で管理するには荷が重いほどの値がついた。あまりの金額にティティは恐れをなし、村長にその金を渡し、ティティが金の必要を感じるときまでの管理を依頼したほどだった。
そうだ、あの金を村の為に使えば。
「駄目だ。死んだ母さんの遺言は守らねば」
「でもさ」
「村長にも女衆にも言われただろう? あれは娘っ子の銭だ。娘っ子や、娘っ子の母さんのために使う銭だ」
老婆は「もう、銭の話はせん」と言ったきり口を閉ざした。それ以降、もくもくと竹かご編みに集中し、目線すらティティにくれてやらなかった老婆は大した頑固者であろう。
ティティもこれ以上の問答は無意味だと悟り、雑草刈りに専念した。
昼休憩まで続く沈黙の中。ティティは、自身を取り巻く環境の不遇さに心の内で、納得がいかないことばかりだ、と悪態をついた。