13. 謀略(3)
矢が届かない程度の距離を挟んで、十万を超える大軍同士が向かい合う。
無数の旗が翻る彼我の陣営の中央にはどちらにも同じ王家の紋章が入った旗が風に靡いており、形式上とはいえこれが王族同士の戦いであることを示していた。
とは言っても、両軍の間には大きな兵力差があるため、余程のことが無い限りはこちらの敗北は必至である。
その際のための準備は既に済ませているので、これ以上私に出来ることは何も無い。
後はもう、開戦を待つのみであった。
機が熟する。
少しずつ前進していた両軍の先鋒が遂に衝突し、戦闘の幕が開けた。
当然と言うべきか、あちらは三倍近い兵力差を生かして私達を押し包むように布陣しており、大きく広がるような陣形でこちらに迫っている。
こちらとしても包囲されてしまわないように陣形を広げるのだが、そうするとどうしても軍勢の厚みが薄くなるので押されてしまう。
あらかじめ予想していたものの、やや苦しい幕開けであった。
しかしながら、まだ開戦したばかりとはいえ思った程の劣勢には陥っていなかったし、それ程押し込まれてもいなかった。
未だに第三騎士団が動いていないことと、敵の左翼の動きが目に見えて悪いためだ。
中央と右翼はそれなりの動きでこちらを押してきているのに対し、左翼に関しては戦意があるのかすら疑わしいような有り様で受ける圧力がほとんど無い。
それどころか、むしろこちらが逆に何十メートルも押し込んでいる程だ。
当然だがそれにも何らかの理由はあるはずであり、一体何故なのかを考えなければ最悪の結果に繋がる可能性もある。
私は敵陣を見渡してその理由を考察するが、答えはすぐに見つかった。
言うまでもないが中央には現宰相の私兵十万がいるのだが、左右の翼に関してはそれ以外の諸侯の軍勢の連合軍となっている。
動きのいい右翼がクラスティリオン伯爵家やリュシュネ伯爵家を中心とした現宰相の派閥と言える諸侯の私兵から成っているのに対して、戦意のかなり薄い左翼には特に現宰相と近くない貴族の旗ばかりが翻っているのだ。
それが戦意の低い理由であることは明らかだった。
そして、敵陣の左翼に翻っている旗は先日伏兵に遭った際の軍勢で見た旗ばかりである。
今度はそのことの意味を思案しつつ、私はヴァトラの背で戦場を駆け回っていく。
私の麾下の五千は騎兵であり、歩兵に混じっていてはあまり役に立たないし、敵の騎馬隊を抑えなければならない。
何しろ、敵軍には騎兵の数も相当に多いので、一度突撃を許せば本隊が一気に突き崩されてしまう可能性もある。
故に軍勢から離れ、私はベルファンシア家の騎兵およそ二万と対峙していた。
同じように、テオドールや他の諸侯の騎兵も戦場のどこかで敵の騎馬隊と対峙しているだろう。
未だ動かない第三騎士団に不安と警戒を強めつつも、そちらから注意を逸らさないようにしつつ私は四倍の敵勢と高速で駆け引きを繰り返す。
騎兵の駆け引きとは、いかに相手に背後を取らせないか、取られても素早く振り切って距離を取れるかである。
背後を取られないだけならば一定の距離を保ちつつ守勢に徹すれば容易いのだが、しかし現状ではそれをするとこちらを無視して本隊に突撃されてしまう危険があり、故になるべく距離を詰めながら攻める姿勢を見せ続けなければならなかった。
つまり初めから時間稼ぎに専念しているのだが、そのために距離を詰めて戦うということは、私が一つ間違えれば大損害を受けかねないということを意味している。
第三騎士団の動きに注意を払いつつ(もし動けば眼前の二万を放置してでもそちらに当たらなければまずい)目の前の敵との駆け引きにも神経を払わなければならないというのは、さすがに大変な部分があった。
とはいえ、それくらいのことが出来なければ誰も護ることなど出来ないだろう。
ヴァトラの背に揺られつつも、私は戦場を絶えず駆け続ける。
それからしばらくの間同じことを繰り返し続ける私。
さすがに精神的な疲労が徐々に大きくなってきたことは否めないが、しかしたかがこの程度で泣き言を言ってなどいられない。
馬を駆けさせ、敵の背後を取り、そこから円状に後ろに回り込まれ、そして距離を取る。
ひたすらにその繰り返しだ。
本隊の方に目を遣ると、そちらでは一進一退の攻防が続いている。
現宰相側の方が兵力はずっと多いのであるが、しかし敵の左翼があまりにも戦意が薄いために、それと正対している味方の右翼から他に兵を割くことが出来、故に残りの二方向でもどうにか前線を支えることが可能となっていた。
だがそんな折、視界の端で第三騎士団の旗が大きく揺れたのが見える。
それは即ち、彼らが動き出す予兆を示していることに他ならない。
今までしてきたのと同じように今度は彼らを相手にしなければならないかと思いヴァトラの首筋を撫でかけた私であるが、しかし統一された全身鎧に身を包んだ集団の動きは私の危惧とは異なっていた。
第三騎士団は突如として動き始めると、そのまま高速で疾駆して北東の方向へと向かい戦場を離脱したのだ。
予想もしなかった敵の行動。
手薄になった王都で何か重大な問題が発生したのか、一時態勢を立て直すために活発ではなくなっていたラーゼリア軍が再び動き始めたためにそちらの救援に向かったのか、もしくは我が方の拠点のどこかを攻撃しに向かったのか、大きく迂回してこちらの背後を突く気なのか。
理由は咄嗟にいくつも考えつくが、しかし正解を導くための判断材料が一つも存在しない現状では正しい理由がどれかを判断することは出来ない。
警戒を新たにした私であるが、しかし戦場を揺るがすような更なる出来事が起きる。
明らかに戦意が皆無に近かった敵左翼の動きが突如として活発化し、そのまま味方であるはずの敵中央、即ちベルファンシア家の軍勢へと配置されていた全軍が襲い掛かったのだ。
突然の寝返りにより、戦況は一変する。
敵左翼の兵力は八万。
それがこちら側に寝返ったことによって、彼我の兵力がほぼ拮抗したのだ。
とはいえ総兵力で言えば未だあちらの方が多いのだが、しかし彼らは正面だけでなく側面にも攻撃を受ける形になっているので陣形という意味で見れば我が方が優位にある。
加えて言うならば、突然の事態により敵軍は混乱をきたしているので、こちらの方がかなり押し込み始めていた。
しかしながら、その優位を保つことが出来るのはしばらくの間のみであろう。
時折観察していたが、現宰相の指揮は飛び抜けて優れている訳ではないが決して悪くはない。
あちらの方が未だ兵力が多い以上、時間が経過すれば態勢を立て直して再び激戦に陥るだろう。
私がこれまで向かい合っていた二万の敵騎兵も、予期せぬ事態を察して混乱し始めており動きが落ちている。
―――仕掛けるならば今しかない。
ヴァトラの柔らかな首筋を撫でると私達は疾駆し、紅いダリアの旗を翻しながら一気に敵を引き離す。
そして、そのまま敵右翼の側面から敵陣へと突入した。
数が減ったとはいえ未だ二十万もの大軍ともなれば、その横幅は長大である。
柔らかな抵抗を突き崩しながら、私はひたすらに前へと駆け続けた。
そして一瞬感じていた抵抗が無くなり、続いて再び同じように抵抗を受けるようになる。
敵右翼を突っ切って、そのまま敵中央へと到達したのだ。
ここが敵陣の只中である以上、決して足を止めてはならない。
なおも駆け続けると、やがてベルファンシア家の旗が翻る敵本陣が見えてくる。
それを目印としながら、真っ直ぐにそちらへと駆け続ける私。
この機に本陣を突くことが出来れば、一気にこちらの勝利が確定する。
非常に危険ではあるが千載一遇の好機でもある、ここで手をこまねいて見ている気は無かった。
徐々に本陣との距離が近付くが、しかしいくら混乱しているとはいえそれによって受ける抵抗は次第に強くなっていく。
しかし、それでもなお前へと向けてひたすらに進み続ける。
ヴァトラが地面の土を強く蹴り、そしてカルロが隣で剣を振るう。
それを何度繰り返しただろうか、私達は遂に敵本陣へと到達した。
言うまでもなく、そこは最も受ける抵抗が強い場所である。
本陣と限定してもその面積は広大であり、敵が密集している中を進むこちら。
旗までの距離がどんどんと近くなり、これまでに顔を合わせたことが無いので分からないが恐らくは現宰相であろうと思われる人物の姿も遠目に見えてくる。
もうここから見える旗のサイズはかなり大きくなっており、現宰相であるベルファンシア公爵へと手が届くのではないかという場所にまで迫ることが出来ていた。
だが、受ける抵抗が大きくなるにつれて、必然的にこちらの速度も少し落ちることとなる。
一歩進む度に抵抗が強くなり、抵抗が強くなる度に速度が落ちていく。
……それによって、このままでは公爵のいる場所にまでは届かないことが分かってしまう。
現在地は敵陣の最も奥深くであり、無為に留まっていては全滅するしかない。
私の執心に部下達を、そしてカルロを巻き込む訳にはいかなかった。
口惜しさを強く感じつつもまだ引き返せるうちに転進を決意した私は、最後に一度正面に攻撃を仕掛けてから北西方向へと馬首を翻す。
その際にかなり近くなった現宰相の顔がはっきりと見えたが、彼の表情は突撃してくるこちらへの恐怖に染まっていた。
それを確認して、自らの唇が歪み吊り上がるのが分かる。
そもそも、私がダリアの旗を掲げているのは、それが理由の一つなのだ。
二百年前のクーデター以降ベルファンシア家の歴代当主が実権を世襲してきたこの国においては、公爵家の当主が宰相位を世襲してきたことについてその正当性を主張する偽りの理由が創作されて広められていると共に、私の前世であるダリア・ロートリベスタという人物は歴史から抹消されている。
公に流通する歴史書にはその名は書かれておらず、学園でも当然教えられることはない。
故に、中小貴族はおろか殿下や第二王子ですら存在を知らないだろう。
しかし、現宰相に限っては違う。
ダリア・ロートリベスタの存在を抹消して歴史を改変したのがベルファンシア家なのだから、家の人間にだけは正しい歴史が教えられているはずなのだ。
つまり、現宰相は前世の私の存在と、今も大きく翻るこの旗の意味を知っている。
―――亡霊に怯えるがいい。
内心でそう思いながら、突入したのとは別の場所から敵陣の外へと離脱する私。
そしてそれから程なくして、現宰相の軍勢は撤退を開始したのだった。




