6. 花の導
殿下と茶を飲みながら会話を交わしてから数日が過ぎ、私はまた麾下の軍勢を率いて出撃していた。
その際には両親からかなり心配されたし引き止められもしたが、とはいえ二人も含めた大切な人々を護るために私は戦わなければならない。
これ程までに想われているのだから、必ず無事に戻ってこなくてはならないと決意を新たにしつつ、レールシェリエを発った私。
ルヴジェントより北進して王国の中心部へと進んだ私達は、そのまま北上を続けて現宰相側の支配地域の奥深くへと行軍していく。
この辺りまでは未だに隣国であるラーゼリアの軍勢が到達しておらず、故に現宰相側の勢力圏であることが揺らいでいないのだが、しかしそんな中で彼らに対して抵抗を続けている軍勢があるそうなのだ。
報告によればベルクール伯爵家の家紋が描かれた旗を掲げているというその軍勢は、周囲を転戦しながら近隣の現宰相側貴族の私兵を撃破して回っているという。
ベルクール伯爵家の当主といえば学園で私の教室の担任をしていた青い髪の彼に他ならないのだが、少し前に起きた王都の城門を破壊した事件の当事者であることが既に分かっており、また反ベルファンシア公爵の姿勢を鮮明にして兵を挙げた彼はこちらの味方に他ならない。
なので援軍を出す必要性があったのだが、敵地深くまで進まなくてはならない都合上、その役目を騎兵のみの編成であるために機動力が最も高い私の軍勢が請け負ったのだ。
街道を行軍する私達の左右には主要な野菜の一つであるキャベツ畑が広がっており、その奥には長大に続く石造の水道橋の姿も見えた。
国中にくまなく街道が張り巡らされたベルフェリート王国であるが、道が敷かれそこを通る商人や旅人などが増えれば、必然的に宿場の役割を果たす町や村がおよそ馬車で一日程度の間隔ごとに生まれることになる。
しかし、そこが栄えて規模が大きくなり人口が増えれば、必然的に近隣の開墾も進んでいく。
そのような経緯によって、基本的に街道の両側には国中どこでも何らかの作物を育てる畑が広がっていた。
また、文明レベルがある程度高いこの国においては上下水道も整備されており、都市や街道沿いの井戸の無い町村へと飲用や農業用などさまざまな目的で用いられる水を水源地から運ぶための水道橋が国内のあちこちには作られている。
これもまた街道建設と並ぶ程の巨費と労力を費やした大プロジェクトであったそうだが、しかしベルフェリート王国が現在のような繁栄を出来ているのも過去のそうした投資のおかげに他ならなかった。
間近で見れば巨大であるそれもここからではそれなりに小さく見え、進むにつれて徐々に後方へと流れていく。
街道の両側に広がる一面の畑の中では農民が農作業を行っている姿が垣間見え、中には時折こちらに視線を向ける者もいるが、しかしすぐに畑へと視線を戻して作業を再開する彼ら。
晴れ渡る空と心地よい風に包まれながら、私はそんな戦乱の最中にもかかわらず普段と変わらない平穏な景色の中を駆けていく。
宿場町は馬車で一日に移動出来る距離を目安に(別に計画的に作られた訳ではなく自然にそうなったのだが)作られているので、軽騎兵である私達の軍勢は一日にもっと長い距離を進むことが出来る。
急ぎの用であるし、敵地にいつまでも留まっているのは愚策なので、いくつもの村や町を素通りしつつ北へと進み続ける私。
街道の両側は基本的に畑として開墾されているが、しかし例外ももちろん存在する。
そもそも、あまりに広大な国土を持つ上にその大半が穀倉地帯であると言えるこの国においては、農作物の生産量は十分以上に足りており、作物によっては有事への備えとして備蓄しても更に余った余剰分が国外へと輸出されている程だ。
小説が流行する程の識字率の高さや文化への関心の高さからも分かるように民衆の生活もかなり豊かであり、そのために彼らにとっては新たに畑を開墾する必要性が薄く、故に各地には林業のための利用を除けばほぼ人の手が入らずに手付かずのままになっている森も多く存在している。
なので、場所によっては街道の近くであっても森が広がっていることも珍しくなかった。
近くとは言っても、狼や熊などの人を襲う獣が街道上に出現したり、盗賊が森に隠れて道行く荷馬車を襲ったりするのを防ぐために街道の端からある程度までの間にある木々は全て伐採されているので、街道から森までの距離はそれなりに離れているのだが。
ともあれ、そうした事情によって両側に畑ではなく森が広がっている地域を進んでいる私達。
やがて間道と表現すればいいのだろうか、地元の領主によって森が切り開かれて道が作られてはいるが正式な街道ではない道へと入り、街道とは違って森がすぐ側にあるので獣に注意しつつ行軍していくと、ふと木々が開けその向こうに広い平地が姿を現す。
農地が十分以上に足りているこの国においては、人里近くの平地といえども開墾されているとは限らない。
森の先に広がっていたそんな平地では、二つの軍勢が戦闘の最中だった。
こちらから見て右手にはベルクール伯爵家の家紋入りの旗を掲げた軍勢が、左側には近隣の諸侯の旗が何本か翻る軍勢が。
現在到着したばかりの私達であるが、その趨勢、優劣は火を見るよりも明らかだった。
ベルクール伯爵家は名だたる大貴族から無名に近いような小貴族に至るまで、この国に存在する全ての貴族を並べたとすればおよそその中央に位置するような規模の家である。
故に彼が動員可能な私兵はおよそ二千から三千程度であり、ここから目測で見る限りこの場にいる軍勢の数もそれくらいだろう。
対して現宰相側に味方している近隣諸侯の連合軍は優に一万を上回っており、ざっと眺めただけでも五倍の兵数はいるだろうことが分かる。
しかし、にもかかわらず戦況は圧倒的に伯爵の側に傾いていた。
視界に映る光景を的確に表現するならば、押しまくっている、といったところだろうか。
当然のことではあるが、急造の連合軍には連携の乱れが出ることは避けられない。
そうした隙を巧みに突いては打撃を与えて壊乱させ、それによって生まれた隙を更に突いていく。
巧みな用兵術によるその繰り返しによって兵数で勝る敵を押し込み続けていた。
寡兵で大軍を翻弄する彩やかな指揮は見ていても見事の一言であり、いっそ美しいと表現しても不適切ではない程である。
伯爵が高名な学者であることは知っていたが、まさかこれ程までに指揮が上手いとは思ってもいなかったので驚きつつも、しかしその手腕に頼もしさを覚える私。
とはいえ、元の兵力にはかなり大きな開きがあるため、圧倒的な優勢にもかかわらず完全に壊走させることは出来ていなかった。
現宰相側の軍勢にはいくつもの私兵部隊が存在するために、そのうちの一つ二つが壊乱して後ろに下がったとしても代わりの部隊が前に出て戦い、それもすぐに壊乱させられるものの、今度はその間に体勢を立て直した部隊がまた前へと出てくる。
その繰り返しで埒が明かないらしい。
このままであっても最終的には勝利出来るだろうが、それまでにはかなりの時間と犠牲を要するだろう。
―――となれば、この状況で私がすべきことは一つしかない。
「旗を掲げなさい。このまま突撃するわ」
麾下の軍勢に向けてそう指示を下す。
直後、旗手によって紅いダリアが描かれた巨大な旗が翻り、それを合図として私を背に乗せたヴァトラが気高くも疾駆を開始する。
私の後を追うようにして続々と同じように疾駆を開始する騎馬隊。
一頭の獣のように平野を駆け始めた私達が目指すべき場所は一つしかない。
こちらに無防備に晒されている敵軍の横腹だ。
これまでは行軍のために抑えられていた速度が一気に解き放たれ、瞬く間に最高速へと達する。
凄まじい速度で後方へと流れていく風景。
彼我の間に存在した数百メートルの距離は敵が対応はおろか反応さえもする暇のないうちに縮められ、私達はこちらへと晒されていた敵陣の横腹へと突入する。
接敵したにもかかわらず、皆無であると言っても過言ではない抵抗。
それも当然だろう、ただでさえ伯爵の軍勢に押され続けて劣勢に陥っていたのだ、そこに横合いから奇襲を受けてはまともな抵抗など望めるはずもない。
敵の軍勢は一瞬にして崩壊して敗走を始める。
通常であれば追撃を行って敵兵を捕らえたりするところであるが、現状の兵力ではそうした捕虜をレールシェリエにまで護送する余裕が無いので追撃する意味が無い。
その認識は伯爵も同じであったようで、彼の率いる軍勢も追撃の動きは見せなかった。
算を乱したまま逃げ去っていく敵勢の姿が完全に消えたのを確認すると、私はベルクール家の私兵部隊の方へと近付いていく。
翻る旗のすぐ近く、周囲に纏まっていた兵達が道を開けたその先には、彩やかに青い髪に眼鏡を掛けているのが特徴的な、久々に目にする伯爵の姿があった。
こちらの姿を認めた彼もまた馬を進めてくる。
「お久しぶりです、ベルクール様。こうして共に戦えましたこと、とても光栄ですわ」
「ああ。久々だな、サフィーナ嬢。救援の程、感謝する」
久々に言葉を交わしたが、彼の様子は学園で最後に顔を合わせた時と何も変わっていない。
それだけを見れば、伯爵が王都の城門を破壊して脱出し、そのまま領地に戻って兵を挙げて戦っている人間とは思えない程だ。
「王都を逐電した件に関しては叱責しようと思っていたが、私も同じことをしたからには何も言うことは出来ぬな。だが、くれぐれも安全には気をつけるように。貴嬢は今でも私の生徒だ」
「お気遣いありがとうございます。その節は申し訳ありませんでした」
教師と生徒ということもあってあまり深い交流があった訳ではないが、しかし心配してくれるというのは素直に嬉しい。
伯爵の指示を無視して王都から出奔した件に関しては怒られるかもしれないと思っていたが、怒られなかったことに少し安堵しつつも彼に対して謝罪の言葉を伝える。
「……その旗は?」
だが、私が旗印としている紅花の旗を目にした伯爵の表情が変わる。
両親をレールシェリエに招いた以上もうオーロヴィア家の家紋入りの旗を使っても問題は無いのだが、しかしこれまでクララ達に広めてもらっている戦果の噂はこの旗とも結びついているため、今でもこれを使い続けているのだ。
もっとも、今でも使い続けている理由はそれだけではなくもう一つあるのだが。
「大麗花ですわ。個人的に気に入っておりますので、旗印として用いております」
「ふむ、そうか」
「どうかなさいましたか?」
「いや、問題は無い。だが、これは……」
私が答えると、少し眉を顰めて何やら思考に耽り始める伯爵。
訝しんでどうしたのかと問い掛けると何でもないという答えが返ってくるが、しかしその言葉とは裏腹に彼はなおも物思いを続けている。
それに対して私が抱く怪訝さは更に大きくなるが、とはいえここは敵地の只中でありいつまでも悠長にしている訳にはいかない。
ひとまず軍勢を集結させ、そのまま南下していく伯爵と私の軍勢。
その道中においても、彼は何やら考え事をしている様子を見せる時間が多かった。




