3. 心
レージェス侯爵家領を突破してベルフェリート国内へと侵入したラーゼリアの軍勢は西側からヴェルトリージュ辺境伯家領へと攻撃を仕掛けるが、数ヶ月にも及ぶ防衛戦の末に辺境伯家は攻撃を全て防ぎ止めた。
埒が明かないことを理解したラーゼリア軍は備えの兵を置くとそのまま西へと向けて進軍を開始する。
それに対し現宰相の私兵も遂に編成が完了し、遂に本格的に両者が衝突を開始していた。
今のところは現宰相の側がかろうじて優位に立っているようだが、ラーゼリア側も順次兵を送ってくると思われ、そうなれば次第に戦況は互角になっていくことだろう。
こちらへと向けられる圧力が減った今が好機であるので、積極的に動き始めた私達。
私もまた、しなくてはならないことが出来たために麾下の騎兵五千のみを率いて出陣していた。
今回の出陣における私の目的とは、領地に残っている両親を迎えに行くことだ。
そもそも我が実家であるオーロヴィア子爵家の領地は、この国のやや東部寄りに存在しており、ラーゼリア軍の東進によって戦場が徐々に領地へと近付きつつある。
なので、このままでは父も僅かな兵を率いて従軍することとなってしまう可能性があった。
そうなる前に迎えに行き、地理的に当面は戦火の恐れが無く安全であるレールシェリエへと連れ出さなくてはならないのだ。
幸いにも普段は官吏として各地を飛び回っている父も現在は領地に戻っているという連絡をアネットから受けているので、二人を説得して南方まで護送すればいい。
そのために麾下のみを率いて出陣した私は、船でルヴジェントへと降り立つとそのまま北東へと駆け続けた。
機動力を重視している我が軽騎兵は単独であれば一日にかなりの距離を進むことが出来る。
しばらく進み続けると、程なく私はオーロヴィア子爵領へと帰還した。
広がる森と小麦畑、そしてその間を縫うようにして流れる小川。
どれもとても懐かしい光景だ。
しばらくぶりに目にする生まれ育った地の光景に少し感動を覚えつつ、私は街道を進み続ける。
小貴族である我が家の領地はお世辞にも広いとは言えないため、領民の中には領主の一人娘である私の顔を知っている者も多い。
彼らは私の存在に気付いたようで、畑で農作業をしていた領民達が道の両側に集まって歓声を上げる。
爵位や領地の広さにもよるがこの国では貴族と平民との間の身分差は絶対的という程に大きなものではなく(むしろある程度の教育が行き届き財力的な余裕もあるので平民の力がそれなりに強いと言うべきか)、少なくとも私達のような小貴族であれば領民と言葉を交わすようなこともそれなりにあった。
彼らからの歓声の言葉に答えつつ、両親が暮らしている屋敷へと向かう私。
こうなれば私が勝手に内乱の渦の中に飛び込んでいたこともそれを両親に意図的に隠蔽していたことも伝えなくてはならないので、まず間違いなく二人から怒られるだろうと思いつつも、しかしそれ以上に心の中では久しぶりに父と母に会えるという想いの方が強かった。
然程広い領地ではないので、領内に入ってしまえば屋敷に到着するまでは大して時間を要しない。
大騒ぎが起きているのを訝しんで様子を確かめに出てきたらしい両親と、屋敷の前で向かい合う。
「お久しぶりです、お父様、お母様。お迎えに上がりました」
数人の家臣と数十人の私兵、そして母の侍従と共に騎乗して外に出てきた二人に対し、そう言って馬上から礼をする私。
私の背後にはカルロだけでなく麾下の兵五千もいるので、それを見て皆驚いているのが分かる。
「サ、サフィーナ、これは一体どういうことだい?」
それに対し、困惑したように私に尋ねる父。
彼の反応も無理はないだろう、何しろ五千の兵といえば中規模の伯爵家の全軍にも匹敵する程の兵力なのだ。
そのような兵力は小貴族であるオーロヴィア家には無縁の代物であり、それを何の前触れも無く突然娘が率いているのを目の当たりにすれば驚くのも当然である。
「驚かせてしまい申し訳ありません。せっかくですし、親子でゆっくりと話しませんか?」
領地を一時的に離れるよう説得するにしても、その舞台として屋外であるこの場では相応しくない。
一刻を争う危急の事態という訳ではないし、せっかく久々に会えたのだから親子水入らずで一日くらいゆっくりと過ごしたいというのもあり、私は屋内に入ることを提案する。
もっとも、現状の説明をする中でいろいろと怒られる覚悟はしておかなければならないが。
「そうね、経緯はともかく、サフィーナが戻ってきたのだからささやかですが祝いの席を設けましょう。そこの貴方も共にいらっしゃい」
「は、はい、奥方様!」
私の提案に対して頷いた母が身内だけの宴の席を開くことを宣言し、貴族身分であることを見て取ってか副官として私の後ろで馬に乗って控えていたユーフェルに対しそう声を掛ける。
突然声を掛けられたことに驚きを見せつつも、それに対し返答をする彼。
母に促されて、館から出てきていた一団はまた中へと戻っていく。
私達もそれに続き、兵を率いて館の方へと向かう。
オーロヴィア家は私兵が百人と少ししかいない小貴族であるが、援軍を得て籠城したりする際に備えて館を囲む城壁の内側に建てられた兵舎は五千人程度ならばどうにか収容出来るくらいの広さに作られている。
門番の兵に礼をされつつ城門を潜ると、解散の命令を出して彼らを兵舎で休ませていく。
まず馬を厩舎に預けてからなので全員が兵舎に入るまでにはそれなりの時間が掛かったが、それが終わると私もヴァトラを厩舎に預け、そしてカルロとユーフェルと共に館の入り口の方へと歩いていく。
「お待たせ致しました、お父様、お母様」
入り口のところで私を待っていてくれた両親に対しそう礼をした私は、そのまま彼らの後に続いて屋内へと入る。
その途中で目にする内装は、学園に入学するために王都へと旅立つ前と何一つ変わっていない。
見慣れている、しかし久々に見るそれらを眺めながら、私は居間へと進んだ。
居間に入ると母によって手早く侍女達への指示が下され、宴の準備が進められていく。
出席者は六人だけなので簡易的なものではあるが、皆がソファーに腰を下ろして巨大なテーブルを囲むと、その上に侍女が運んできたワイングラスが並べられる。
急なことだったので未だ料理は来ていないが、今頃母からの命を受けた料理人が厨房で急ぎ作り始めているだろうし、少しすれば運ばれてくるだろう。
「サフィーナには聞きたいことが多くあるのだけれど……。その前に、そちらの貴方の名前を教えていただけるかしら」
グラスを置き終えた侍女達が退出すると、そのうちの一つを手に取った母がそうユーフェルへと尋ねる。
その表情は、普段通りに温和なままだ。
「はい、私はお嬢様の副官を務めておりますユーフェル・アヴェインと申します。よろしくお願い致します、子爵様、奥方様」
「アヴェイン家のご子息なのね。私はソフィア・オーロヴィア。この子の母です。こちらが私の夫で現オーロヴィア子爵のフェルミールよ」
「よろしく、ユーフェルくん」
ユーフェルが自らの名を告げながら挨拶をすると、グラスを傾けながらそれを聞いていた母も名乗り返す。
続いて父のことを紹介すると彼もいつもの優しげな表情でそう口にする。
そうして挨拶が交わされると、グラスを置いた母が表情をそのままにこちらへと視線を向けた。
「それにしても、副官……。サフィーナには聞きたいことが多くあるけれど、しかしそれは後にしましょう。久々に貴女が戻ってきたのだから、今日くらいは楽しまなくてはね」
「ありがとうございます、お母様」
副官とユーフェルが自己紹介した時点で私が偽りを伝えていたことは明らかであるし、解散の指示を出しているところを見ていたのだから私があの軍勢を率いていることも分かったはずだ。
その時点で間違いなく詰問され怒られるだろうと思っていたので、予想外の展開に少し戸惑いつつも、私は母に対して感謝の言葉を述べる。
そして入室してきた侍女が厨房から料理を運び、私達が囲んでいるテーブルの上に配膳していく。
皿の上に並んでいる料理の数々は急な注文を受けて大急ぎで作られたとは思えないくらいに見栄えが整えられており、湯気と共に立ち昇る香りと共にこちらの食欲を煽り立てる。
「さあ、食べましょうか。ユーフェル君、せっかくだから貴方も楽しんでね」
「は、はい!」
母から声を掛けられ、何故かかなり緊張したような声で返事をするユーフェル。
彼女の言葉を合図として、私達は料理に手をつけ始める。
机上に並んだそれらは予算などの都合で当然ながら学園で出されていたものと比べれば豪華さなどの点で言えば見劣りするが、しかし一流の料理人によって作られたものであるので味の方は全く遜色が無い。
加えて、久々に家族で過ごす団欒というものは他の何かには代えられないものがあり、そういった意味でこの時間はとても楽しいものである。
当然学園に通った経験のある両親と学園での暮らしなどについて会話を交わしつつ、私達は夜遅くなるまで小さな宴の席を楽しんでいた。




