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継承式を終え領地へと戻った私は、早速内政へと取り掛かっていた。
幸いにも現代日本で暮らしていた記憶とそれに伴う現代知識という他の貴族には無い大きなカードがあるので、それらを上手く使えば領地を発展させることが出来るだろう。
とはいえ、さすがに短期間で劇的な結果を出すことは不可能なので、数年単位のスパンで進めていくことになるだろうが。
そのことを念頭に、私は今後の治世のための計画を考えていく。
領内の地図を眺めながらしばらく立案を続けているとやがて日が暮れ、夕食を取る時間となっていた。
ひとまず今日はこの程度でよいだろうと思いつつ、書類を執務机の引き出しに入れて鍵を掛け、椅子から立ち上がる。
部屋から出ると、多くの美術品が飾られた廊下を通り、一階にある食堂を目指していく。
この国の貴族が在住する屋敷の構造は慣習として決まっているためにどこも同じように建てられており、一階には食堂及び厨房と晩餐会や舞踏会のための大広間と住み込みの使用人達のための部屋が、二階には書架や物置などの主に所有物を置いておくための部屋が、三階には屋敷内に暮らす貴族が普段寝起きする私室及び客を招いた時のための客室のような私的な部屋が、四階には執務室や有事の際に軍議に用いたりする会議室などの公的な色彩の強い部屋がそれぞれ配置されている。
このような大まかな構造に関してはどこの屋敷でも同じ(建てられた時代や用途、また建物の規模によって例外が無いことはないが、少なくともここ数百年のうちに建てられた屋敷に関しては例外はほぼ存在しないようだ)であり、当然我がロートリベスタ家の屋敷も例外ではなかった。
廊下のあちこちに飾られているものの数々に関しては私が初めて部屋の外に出た頃から変わっていないため、もうすっかり見慣れているが、だからといってその素晴らしさは変わることはなく、いつも私の目を楽しませてくれる。
それらを眺めつつ然程傾斜の激しくはない階段をしばらく下ると、一階へと辿り着いた。
階段を下りた先には廊下が続いており、私は右手の方向にある食堂へと進んでいき、目の前で立ち止まると扉を開けて中に入る。
「こんばんは、お母様」
「ええ、メイナージェ。今日も元気がいいわね」
入室した私に対し、先に食事用の長机の前に座っていたまだ幼さを色濃く残す金髪の少女がそう声を掛けてくる。
私が手ずから縫って作った白いドレスを纏う彼女が口にした二人称からも分かるように、この少女は齢七つになる私の娘であり、名をメイナージェ・ロートリベスタという。
私の娘であるということはつまり侯爵家の次期継承者であることを意味しており、私がかつて母にそうされたようにこの子にも貴族としての礼法を教え始めている。
そういえば、この子にもそろそろ侍従を付けてやらなければならないな。
まだ礼法が完璧ではないのだが、その辺りに非常に厳密だった母とは違い私は侍従を付けるのが礼法を覚え終えた後でなければならないとは思わない。
既にある程度は身につけているし、この段階であればもう十分だろう。
侯爵家に仕えてくれている者達の子息や、傍流の同年代の男子の中から候補のピックアップはある程度済んでいるので、後は誰にするかを決めて娘と顔合わせをさせるだけだ。
そんなことを考えつつ長机へと近付いた私は、メイナージェと向かい合わせの位置の椅子に腰を下ろす。
夕食のメニューに関しては、あらかじめ厨房に連絡を済ませている。
私が席へと着いたのを合図としたように、屋敷の侍女達が料理が並べられた皿を持って姿を現し、机上へと配膳していく。
この国で食される主食は大麦と小麦と蕎麦の三種類に大別されるが、大麦を米のように炊いたものが今宵の主食であり、菜として我がロートリベスタ家で生産された豚肉を香草と共に焼いたものや、トマトをメインに用いたスープなどが用意されていた。
まず私は食欲を刺激する香りである豚肉へと食指を伸ばし、それを口へと運ぶ。
王宮で雇われている一流の料理人達に全く劣ることなく、この屋敷で雇っている料理人の腕前もまた素晴らしいものである。
彼らによって調理され味を付けられたそれは、礼法にもとるので態度には出さないが思わず目を瞠りそうになるくらいに美味しかった。
私の視線の先で食事をしている娘の仕草もすっかり板についてきており、少なくとも食事面に限るならばもうこれ以上何かを教える必要は無さそうだ。
娘の成長を微笑ましく眺めつつ、私はなおも食事を続けていく。
食事を終えた私と娘は、揃って椅子から立ち上がる。
そして廊下へと出ると、そのまま階段を使って彼女と共に三階へと向かう。
目指している先は三階に用意されているメイナージェの私室であり、勉強を教えるためであった。
子女の教育は家庭教師に任せるのが一般的ではあるが、別に私とて教えられない訳ではないので親子としてのコミュニケーションを取るためにも自ら教えているのだ。
言うまでもないことであるが、この子に私という母親がいるということは同様に父親もいるということである。
メイナージェの父親はアズレト・リュシュネという人物であり、彼は私の政略結婚の相手でもあった。
リュシュネ伯爵家の当主である彼は現在は愛人と共に向こうの屋敷で暮らしており、この子が生まれたことによって義務を果たしてからは顔を合わせるのも夫婦として出席する必要のある式典の時くらいである。
政略結婚であったこともあって彼との間に初めから愛情は無く、個人的には結婚から始まる仲もあると思うのだが、彼には私と必要以上に関わるつもりも無いらしい。
この結婚を決めたのは父であり、こちらの方が爵位が高いこともあって、彼と私の間の子供は全てロートリベスタ家の血筋として扱われる契約になっている。
貴族の最大の義務とは後継者を作ることに他ならないが、つまり彼が伯爵家の当主として跡取りを作るには私以外の女性との間に子供を設ける必要があることを意味していた。
元々互いに愛情があった訳ではないし、そういった事情もあるので彼が愛人と暮らしている点について私は特に思うところは無いが、しかし娘であるこの子にとってはそうではない。
メイナージェは彼の顔を知らないし、この子に対して与えられる愛情は私の分だけなので、少しでもこうして側にいて親としての愛を注ごうと思っていた。
「メイナージェ、私は本を取りに向かうわ。先に部屋で待っていなさい」
三階に着くと、私は彼女にそう告げて勉学を教えるのに使う本を持ってくるために普段寝起きしている私室へと向かう。
現在教えているのはこの国の美術史に関してである。
彼女の勉強を見ている時間は一日数時間程度であり、最低限覚えておくべきことが多岐に上ることを考えればそれなりにスローペースではあるが、王立学園に通っている子女が卒業するのが十八歳であることを考えればそれまでに終わっていればよい計算であるので特に問題は無い。
私には侯爵としての執務もあるのであの子と一緒にいられるのは夕食の際と勉強を教えている時くらいなのだが、そうしている時間はとても幸せだった。
目に入れても痛くない、というのはこのようなことを言うのだろうか。
自室に入った私は、棚の中から史書を取り出すとそのまま娘の部屋へと向かう。
部屋の一つ一つが広いので距離はそれなりにあるが、しかし同じフロアであるために然程時間は要しない。
廊下を歩いていると、ロートリベスタ家に武官として仕えている男が前方からこちらに走ってくる。
「何事かしら?」
そして近くで立ち止まると荒い息を吐きながら跪いた彼に対して私はそう尋ねる。
通常の報告であれば手続きを踏んで行われるものであるし、そうでない時点で何か緊急の事態が起きていることは明らかだった。
「非礼の程申し訳ございません。北方の国境沿いで大規模な戦が発生する機運があります」
「報告ご苦労様。では、すぐに私兵を動かせるように準備を始めておきなさい」
「はっ。仰せのままに」
そう言うと立ち上がり、来た方向へと同じように走り去っていく男。
何やら不穏な情勢であることは感じていたが、ここまで差し迫っていたことは少し予想外だった。
いずれにせよ、仮に開戦すれば我がロートリベスタ家の軍勢は主力として戦うことになるため、準備をしておかなければならない。
残念ながら、しばらく娘の勉強を見ることは出来なくなりそうだった。
私がいない間の勉強はどうするべきかを思案しつつ、私はこれから勉強を教える予定が駄目になってしまったことを謝るために彼女の部屋を目指した。




