24. 古城の宿した記憶(2)
城内が全て制圧され、オルタナシア城を手中に収めた私は三階にある適当な一室へと入るとそこを居室とし、そのまま防衛のための準備を整える。
この城は建てられてから七百年もの時間を経ているとはいえかなり堅牢であり、防衛のための兵が一万人程度入っていれば陥落させることは容易ではない。
攻撃を受けているところに救援に向かうならばまだしも、既にこちらの手に落ちて防衛の態勢が整っているところに現宰相側が攻め込んでくることは、少なくともラーゼリア軍の侵攻への対応に追われているうちはないだろう。
何しろ、レールシェリエ付近は東の国境からは距離があるので私達は(辺境伯家の領地を除けば)当分ラーゼリアの軍勢とは衝突しないが、現宰相は二正面作戦を強いられるのだ。
こちらのようにあらかじめ知っていて準備をしておかなければ、とてもすぐに対応出来るとは思えなかった。
兵の配置や諸侯の部屋割りなど、城などの拠点を占拠した後にはしなければならないことが指揮官には多くある。
それらの雑務が終わった私が昔王子より貰った機械時計を確認すると、元々建物の内部に入った時には既に二十時を過ぎていたこともあって、既に夜半近くとなっていた。
普段であればそろそろ眠る時間であるし、眠気も襲ってきているのだが、私には行かなければならない場所があるのでまだ眠る訳にはいかない。
そもそもオルタナシア城には初代国王が建国前に本拠として用いていたというベルフェリート王国において特別な意味があるが、もう一つ、二百年前のクーデターによって実権を奪われた当時の国王であるフォルクス陛下が幽閉されたまま命を落とした地であるという意味をも持つ。
そんな、二重に特別な歴史を持ったこの城には、当然彼が最期の時まで暮らしていた部屋が存在している。
初代国王もかつては日々を送っていたという、城の最上階にある王族にのみそこで生活することを許された部屋。
私は、これからそこへと向かわなくてはならない。
カルロが開けた部屋の扉を通り、私は廊下へと出る。
もう時刻は夜半であることもあって、諸侯は皆眠りについているようで、窓から射し込む蒼い月光が淡く照らし出す廊下はとても静かだった。
床に敷き詰められた柔らかな絨毯に消されて歩を進める靴の音さえも響かない静寂の中、遠くに巡回中なのだろう王家の制服を身につけたメイドの後ろ姿が見えるのが唯一の生の気配だろうか。
部屋を出た私はそんな廊下を右へと進み、しばらく歩き続けると突き当たりの右側にある階段を上へと向かう。
この城は七階まであり、最上階である七階はフロアのほぼ全てが王族が暮らしを送るための一つの部屋となっている。
現在は使われていないし使う予定も無いが、建国が宣言されると共に現在の王都へと遷都されるまでは政務などはこの城で行われており、四階から六階まではかつてそのために使われていた場所だった。
今はそれらには用が無いので、途中にある階は通り過ぎて真っ直ぐに最上階を目指す。
薄暗い中に浮かび上がる無数の花が描かれた青地の絨毯の敷かれた段を注意深く踏み締めていくと、元々軍事拠点として作られたが故の傾斜の大きさに少し疲労感を覚えつつも、やがて六階へと辿り着く。
「ここまででいいわ、カルロ。この城が外から攻撃されない限り、絶対に誰も上に来させないで」
「畏まりました、お嬢様」
私は彼に七階へと続く階段の下で待っているように伝え、一人で階段を上っていく。
一段昇る度に深紅のドレスが衣擦れの音を立て、小さなそれは他に何の音も存在しない周囲へと響き渡る。
一度踊り場へと立ち、そこから折り返すように続く段を更に上ると、視線の先には背後から注ぐ月明かりに照らされて厚い石の壁の中央にある大きな扉が七階の奥に浮かび上がっていた。
そもそも、七階はその全てが城の持ち主の居室として作られており、即ち厳密に見ればこの階には部屋は一つしか存在しない(室内に仕切りとなる壁などは存在するが)。
そんな七階と外とを隔てているのが、段を上りきって数歩先にある厚い扉だった。
目の前に立った私は鍵を差し込んで捻ると今までこの階を閉ざしていた錠前を解き、そっと丸いノブを回す。
石で作られた扉は建造から七百年が過ぎた今も風化することなくその姿を残しており、前回目にした時と何も変わっていないそれを手前に引いて開けていく。
木製のものと比べていささか重いそれを開けると、その向こうに広がっているのは闇の中に薄く浮かぶ広い部屋だった。
扉の軋む小さくも甲高い音が静寂を上書きしていくのを耳にしながら、私は室内へと向けて歩を進めると後ろ手に扉を閉める。
いくら前世では実質的な宰相職にあったとはいえ、さすがにここに入ったことは無く、足を踏み入れるのはこれが初めてだ。
フォルクス陛下が崩御されて以来誰も足を踏み入れることが無かったのだろう、暗い部屋の空気は埃っぽく、ぼんやりと見える家具の上などには埃が積もっていた。
その澱んだ空気をどうにかしようと、まず私は真っ直ぐに奥に進むと内開きになっている窓を開ける。
カーテンさえ開け放たれたままになっていたためにそこを通る光が部屋の様子を露わにしていた窓が開かれると、その向こうから夜の冷たくも新鮮な空気が流れ込み私の肺を満たす。
ふと上空に見えた今宵の月の色合いは蒼く、そして微塵も欠けることなく満ちていた。
随分と空気が変わったのを感じながら、振り返った私は周囲の様子を見渡す。
月と星の明かりがあるとはいえやはり薄暗く視界は制限されており、こんな時に懐中電灯でもあれば便利なのだがと思いつつ観察すると、どうやらここは食事を取るための部屋であるらしい。
中央には大きなテーブルが、壁際には食器や茶器などの入った棚が置かれているが他にこれといったものは無く、陛下がここで生きておられた痕跡も見当たらなかった。
この部屋にいても意味は無いだろうと思い、壁で仕切られた右隣の空間へと向かう。
視界を遮っていた壁の向こうに広がるそこはどうやら書斎であったようで、壁面を覆うように作られた本棚には様々な書物が所狭しと並べられている。
窓を背にするように置かれている木製の執務机はとても大きく、本来であれば木の色をしているはずの甲板は埃で白く染まっていた。
それだけでなく、本棚の上やそこに収められた本の上にもまた雪のように厚く積もり、遠目にも分かる程になっている。
二百年にも渡り誰の手も加えられなかったのだから、こうなるのも必然だろう。
同時に、それは以前に私が生きていた時代からこの部屋が何も変わっていないことを意味しており、いかに長い時間が過ぎているのかを改めて実感させられる。
ひとまず執務机を通り過ぎて硝子窓を開けるとそれによって部屋の空気が少しよくなり、本棚へと近付いた私は、陛下がこの場所に幽閉された後に読んでいたであろう本の数々を眺めていく。
一つの階の全てを一つの部屋と見做しているこの部屋は当然ながら非常に広く、また壁により左右を区切られたこの空間もそれに比例して広いため、壁際に作られた本棚に並んでいる本は全て合わせれば優に千冊は超えるだろう。
そこに並ぶ、話にしか聞いたことがないような希少な本や建国当初にまで遡る程に古い本に関心を奪われつつ、無数の背表紙を一つ一つ目にしていく私。
身長が足りないので棚の最上段にある本が非常に見辛く、改めて懐中電灯があればいいのにと思う。
しばらくそうしていると、窓側から見て左に当たる本棚の部屋の中央近い位置の下段に、背表紙に何も書かれていない本が一冊差し込まれていることに気付く。
何だろうか、と思いながら緑色の装丁のそれを取り出すと、上に積もっている埃を手で払ってから中身を開いた。
「……まさか」
中身を目にして、思わず呟く私。
幾度も目にしたことのある筆跡、二百年前には盛んに使われていたが現在は既に使われなくなった助詞、そして特徴的な言い回し。
それらが、この本が紛れもない本物であることを私に確信させる。
空白になっている最初の一ページを捲り、続く二ページ目から記されていたのは、ベルフェリート王国のかつての国王であり私の主であったフォルクス・レストリージュの手記だった。
逆クーデターに失敗してこの城に幽閉されてから書き始められたらしい手記にはその日に読んだ本の感想や食事の味などが書かれており、ここで陛下がどのような日々を送られていたのかが脳裏へと鮮明に浮かぶ。
身の回りに困ることは無いとはいえ外に出られない暮らしはやはり退屈であられたようで、それに関する愚痴や窓から眺めた外の景色の変化に関する記述なども多い。
まるで何かに取り憑かれたように、一心不乱に手記を読み耽る私。
だが、半ば無意識に動いていた紙を捲る手があるページを目にして止まる。
そこには、私のことが書かれていたからだ。
ロートリベスタ侯爵家当主、そして宰相補佐であったダリア・ロートリベスタ。
かつてはそう呼ばれていた私に関する記述から始まるページ。
彼女には国政の改革を任せて無理をさせ、最後には命を落とさせてしまった。
もし私にもっと力があれば彼女を死なせることはなかった。
いや、もし彼女を登用しなければきっと彼女は家族と共に幸せな日々を送り続けることが出来ただろう。
彼女の幸せと命を奪ってしまったのは私なのかもしれない。
そうした後悔の心情が記されている文章を一行読み進める度に、私の手が震える。
どうして、どうしてそのようなことを仰るのですか、陛下。
悪いのは私なのに。
悪いのは現代知識という強大な武器を持っていてなお、私自身やあの子のことも、陛下のことも護ることが出来なかった私なのに。
少しずつ身体の震えが強くなり、止められなくなった涙が頬を伝って流れ落ちていく。
ドレスと床に敷かれた絨毯とをそっと濡らしていく雫。
そして、潤んだ視界で読み進めて行く文章は遂に最後、手記の終わりでもある一行に差し掛かる。
愚かな私を許してほしい、ダリア。どうか精霊の御許では君が幸せであるように―――。
最後に記されていたのは、彼の謝罪と、そして私の幸せを願う言葉だった。
それを読み終えた瞬間、私は嗚咽が止められなくなる。
「ああ、陛下……。申し訳ございません……!」
なおも涙は頬を流れ続け、先程までより量の多くなった雫が遂には手記までもを濡らしていく。
手記がここで終わっているということは、つまり陛下が崩御されたのはこれを記したすぐ後なのだろう。
あのお方は、最期の時まで私のことを考えてくださっていた。
陛下のことをお護りすることが出来なかった私のことを。
そのことを知った私の内心に、大きな悔いが生まれる。
それは陛下をお護り出来なかった後悔であり、生まれ変わってから心の底で燃えていた暗い憎悪の炎のままに生きてきたことへの後悔だ。
私は、前世では何も護ることが出来なかった。
―――だからこそ、たとえ誰が相手であろうともどのような困難があろうとも今度こそ絶対に護りきってみせよう。
陛下が心から愛されたこの国を。
そして、私の周囲にいる大切な人達全てを。
私はそう心の中で決意する。
一体どのような仕組みで転生したのかなど私には分からないが、それこそが私の生まれ変わった意味だ。
時計を確認しなかったのでどれくらいの時間が過ぎたのかは分からないが、やがて流し続けていた涙が自然に枯れた頃。
泣き疲れた私は、月光にのみ照らされた薄闇の中でいつしか眠りへと落ちていた。




