↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
56/172

20. 巻狩

 風に揺れる木々のざわめき、そしてそれを掻き消すかのような多数の人間の足音。

 ヴァトラに背を預けて周囲を見渡す私の視界の先には、奥深い森を取り囲む兵士達の姿があった。

 自身の所属する部隊によってそれぞれ違った衣装や色の装備に身を包んだ彼らは、大きく広がって手にした弓矢を森へと向けている。

 そして、私のすぐ左側には巨大な白馬に跨った燃え盛るように赤い髪の青年の姿。

 これから、王子が自ら指揮を執る巻狩が行われようとしていた。

 現代日本に生きていた私の価値観からすれば狩りは専業の猟師が生活のために、或いは上流階級が一種の娯楽として趣味で行うものであるという印象があるが、しかし未だ手付かずの自然が数多く残り、民衆の暮らしのすぐ側に自然が息衝いているこの国においてはそうではない。

 人の手が入らない森林が数多く存在し、それでいて人々の生活においては森の存在が必要不可欠であるこの世界であるが、森が開拓されたり管理されたりされていないということは、つまりそこに棲まう生き物達もまたそのままであるということを意味している。

 美しい歌声を聞かせてくれる鳥類や狐や猪、熊など様々な生き物が森の奥にはおり、その中には人間にとって危険なものも少なくないが、それらのうちで最も危険であり警戒されているのが狼だろう。

 日本語の狼という言葉が「大噛み」という合成語に由来していることからも分かるように、彼らの鋭い牙による咀嚼力は人間にとっての脅威である。

 群れで行動し、戦術的な狩りを行う高い知能を持ち、家畜を襲うことがよくある上に時には人間にも襲い掛かる。

 日本では既に明治期に絶滅しておりその姿を見られないが、この国においては自然の中に多数生息している狼という獣は、民衆の間では忌まれると共に恐れられていた。

 それ故に、兵を動員して人里近くにいる狼を狩りその数を減らすことは、領民を護るための領主としての義務の一つなのである。

 王子は貴族ではなく王族であるが、狩りを行うことは即ち現在支配下にある民衆を護る姿勢を見せることを意味しており、彼の支配権の正当性を諸侯や民衆へとアピールすることにも繋がるので、こうして狩りが行われることとなっていた。

 狩りが行われるのはここ一箇所のみではなく、各地の守備に当てている兵力からも動かせる分の兵を動かして私達が支配している地域の森の複数で同時に行われている。

 ちょうどレールシェリエに留まっていた私は王子と共にこの森へと配置されることが決まっており、こうして彼の隣で兵達が動く様子を眺めていた。

 どうやら王子は以前遠乗りに誘われた際と同じで久々に外に出られたのが嬉しいらしく、見るからに機嫌よさげな様子で手には弓を掴んでいる。

 剣の腕前の凄まじさは知っているが、果たして弓の腕前の方はどうなのだろうかと思いつつ、私は森の方へと視線を戻した。


 樹木に遮られて見通しが悪いのであまり遠くまで見える訳ではないが、数人ずつ纏まった兵達が散開して広大な森へと散らばっていく。

 農業に適した平地が多いのでわざわざ開拓せずとも農地には困っていないという事情もあって、この国の森林の大半は未だ人間の手が入っていないが、しかし自生する薬草や木の実などの採取や木材の伐採など、人々の生活のためには欠かせない場所でもある。

 獣を狩って肉や毛皮を売ることを生業とする狩人を除けば人間が足を踏み入れるのはせいぜい外周部のほんの浅い場所までなのであるが、しかしそうした人々の安全を護るためには兵を動員した定期的な狩りは必要不可欠だった。

 狼の鋭い牙、そして跳躍力は確かに人間にとって脅威であるが、しかし当然鉄を貫けるはずはないので全身を鎧に包んでいれば取り立てて危険は無い。

 時折王子へと届く、狼の群れを追い立てているという報告を隣で耳にしつつ、私は退屈そうに首を動かした愛馬の首筋を撫でた。

 私には懐いてくれているが、誇りが高く本来は気性の荒い馬であるヴァトラは疾駆するのが好きであり、共に広大な平原を駆けた時にはとても楽しげに身を震わせる。

 だが、残念ながら今日に限って言うならば並ぶ者がいない程の駿馬である彼女の出番は無さそうだった。

 そんな折、現在は私の側を離れて調査に赴いているクララの部下である密偵が右側からこちらに近付き、上半身を振り向かせた私は報告を受ける。

 かねてより書簡を送ったりして説得を続けていたヴィラルド侯爵が遂に私達の側へと味方することを決意したとのことだった。

 本人から渡されたというその旨を記した手紙を差し出され、確かに報告通りの内容が記されたそれを読み終えると、私はすぐ後ろで自らの馬に乗り控えていたカルロにそれを手渡す。

 本来であれば読み終えたらすぐに燃やしてしまうのが最もよいのであるが、さすがにすぐ近くに王子がいるこの場で火を起こすことは出来ないので、彼に預けておいて帰った後に暖炉にくべればいい。

 それにしても、一体ヴィラルド侯爵と現宰相との間にどんな対立があったのかは知らないが、依然としてこちらが劣勢にもかかわらず味方をしてくれるというのだから余程関係は差し迫っており、身の危険を感じていたのだろう。

 そして、手渡されたそれをカルロは懐へと仕舞い、報告を終えた密偵の男はここから離れていく。


「殿下、先日より交渉を致しておりましたヴィラルド侯爵様が兵を挙げられるそうですわ」


 私は態勢を元に戻すと正面にいる王子にそう報告する。

 二メートルを優に超えるだろうサイズの弓を手遊みながら森の方を眺めていた彼は、それを耳にしてこちらへと振り向く。


「御苦労。また功績が増えたな、さすがはサフィーナだ」

「身に余るお言葉、恐縮ですわ。ですが、此度の儀は兵を率いて軍勢に加わってくださっているユーフェル・アヴェイン様のお力によるものです」

「ユーフェル・アヴェイン……。確か、学園でお前と偶に共にいたあいつか?」

「ええ。アヴェイン家の私兵を率いて私の軍勢に参加してくださっておりますの。素晴らしい軍才をお持ちの方ですわ」


 せっかくなので、この機に王子にユーフェルのことを紹介しておく。

 彼には協力してもらっている借りがあるし、それを返すためにも功績を多く得られるよう図っておかなければならない。


「ほう、お前がそう評価するならばさぞ有能なのだろうな。アヴェイン家がこちら側に着くとは予想外だが」

「ええ、彼は義心によって……」

「殿下! そちらに狼の群れが!」


 興味を示した様子の王子に対して私は更に言葉を続けようとするが、しかし不意に私達の会話を遮るように誰かの叫びが響く。

 咄嗟のことなのでそれが誰によるものかなど確認出来るはずもないが、その言葉に反応した私と王子が森の方へと視線を向けると、確かに六頭程の狼が地を疾駆してこちらへと迫ってきていた。

 こうした狩りの際には当然指揮官の方に獣が向かわないように追い立てるものであるが、しかし陽射しを遮られた森の中は昼間であっても非常に薄暗いので見通しが悪く、しかも相手が獣であるとなれば行動を完全に制御するのは不可能であるので、古来よりこうした不測の事態が起きることは多くある。

 そのために、指揮官の近くにもある程度の備えをしておくのだ。

 ある程度の数は近くにいた兵が食い止めたようだが、それをこの六頭が突破したらしい。


「カルロ、お願い」

「いや、いい」


 言うまでもなく、こちらに高速で迫る狼を王子の元へと到達させる訳にはいかない。

 私がカルロにそう声を掛けると彼が前へと進みかけるが、しかしそれを王子が止める。

 その言葉に従いカルロは私の後ろで動きを止めるが、どうするつもりなのかと思い王子を見ると彼は靭から矢を六本纏めて引き抜き、そのうちの一つを番え弓を引いた。

 一瞬で放たれた矢は、凄まじい速度と威力で空中を進み、狙いを過つことなく先頭の狼へと命中する。

 王子はそれを確認することすらなく弦を引く右手の指の間に挟んでいた矢を素早く番えると、次々と矢を連射し、その全てが標的へと正確な狙いで的中した。

 彼の持っている弓は二メートルを優に超える巨大なものであるが、弓というものは長さに比例して弦を引き絞るのに必要な膂力もまた大きくなっていく。

 ましてやこの国の弓は和弓のような馬上での使用を前提とした上下非対称の特殊な形状をしていないし、騎射という概念がそもそもほぼ存在しない(隣のラーゼリア国内に住んでいる騎馬民族は騎射を盛んに行うが)この国ではそのための短弓も作られていないため、今彼が手にしているのも当然歩兵が使うことを前提とした上下対称の合成弓であり、いくらその場に止まっているとはいえ馬上で用いるには極めて高い技量とバランス感覚が必要となる。

 にもかかわらずいとも簡単に連射をし、しかも全てを命中させてみせた彼の弓術の腕前は並外れていると言って過言ではないだろう。


「お見事ですわ、殿下」


 その腕前に感嘆した私が思わずそう言葉を掛けると、彼はそれを合図としたように構えていた弓を下ろして集中を解く。

 純粋に心配だというのはもちろんのこと、彼が怪我でもすればただでさえ窮地に追い込まれている趨勢が更に悪化してしまうので内心では肝を冷やしていたが、そうした心配を彼は自らの力で払拭していた。

 ちょうど森の中でもこちらに迫っていた残りの狼を狩り終えたようで、それらを担いで戻ってきた兵達が王子によって射られたものも持ち上げて荷車の中へと入れていく。

 予期せぬハプニングはそうして無事に解決し、私は時折王子と会話を交わしつつ、それからも続いている狩りを眺めていた。









 やがて日が傾きかけると、王子の命で森に入っていた兵がこの場へと戻り、全軍が無事に集まると巻狩が終了する。

 昼間でも薄暗い上に足場が不安定であり、かつ危険な獣もいる森の中に日が暮れても入り続けることは極めて無謀な行為であるためだ。

 狩りが終わったために各軍勢がレールシェリエへと戻るために動き始めるが、戦闘をする訳ではなく街からそう離れた場所でもないために特に隊列等は無く、それぞれ好きに戻り始めていた。

 そんな折、ふと私が何も伝えていないにもかかわらずヴァトラが森の方へと進み始める。

 私の愛馬である彼女はとても賢いのでこちらからの合図無しに行動したことがこれまで無く、どうしたのだろうかと不思議に思っていると、森のすぐ手前で足を止めて首を地面の方へと近付け、何かを口で咥え上げる。

 何だろう、と思いよく見ると、灰色のそれはどうやら狼の子供のようだった。

 ヴァトラがそのままこちらの方に首を向けると、私は差し出された子狼を受け取る。


「そういえば、貴方が平原を駆けたい以外の意思を伝えてくるのは初めてよね……。いいわ、せっかくですし連れて帰りましょうか」


 決してよくあることではないとはいえ、貴族が狼を飼うことは無い訳ではない。

 私の愛馬が走りたいという以外のことを伝えてくるのはこれが初めてであるし、きちんと管理をすれば連れ帰ったとしても特に問題は無いだろう。

 手元でこちらをじっと見上げる子狼の温もりを感じつつそう伝えると、再び私の軍勢が待っている方へと戻り始めるヴァトラ。

 そして私が狼と共に戻ると、遠目にもはっきりと分かる燃え盛るような赤髪の持ち主、王子がこちらへと近付いてくる。


「サフィーナ、街まで俺に付き合え」

「畏まりました。お供致します」


 外に出る機会が貴重なので楽しみたいのだろう、いつかのように、共に全力で駆けるよう誘われる。

 彼の愛馬と互角に駆けられるのがヴァトラだけであり、本気で速度を出せば駿馬が揃っている護衛達でさえ到底追いつくことが出来ないためだ。

 そうなると護衛からは離れることになってしまうが、ここからレールシェリエまでは平野が広がるので身を隠すような場所が無いし、もしも不測の事態が起きたとしても私と王子の愛馬の脚ならば危険から逃れることは容易い。

 頷いた私がヴァトラの首筋をそっと撫でると、横に並んだ二頭の馬は護衛達を振り切るようにして爆発的に加速する。


「狩りをしたのは久々だが、やはりよいものだな。お前と一緒ならばそれも一入だ」

「殿下の心が安らがれたならば、私も嬉しく存じますわ」


 瞬く間に後方へと流れていく景色の中で、私は王子と会話を交わす。

 そうして私は一日を終え、レールシェリエへと戻ったのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。