12. 雲蒸竜変(2)
降伏したバルトシュ伯爵とベドナーシュ伯爵、及びその私兵を拘束した私は、そのままエヴァンジェリスタ伯爵の軍と共にレールシェリエへと向かって進軍していた。
平民である兵士達はともかく、貴族である両伯爵は捕らえられていても捕虜としてではなく貴人としての待遇を受けることになる。
兵に囲まれて自由こそ奪われるものの、供される食事などは私のそれと全く同じものであるし、もちろん手綱は兵が取っているが馬に乗って移動することも出来ていた。
これは王族や貴族は敵に捕らえられたとしても身代金を払えば釈放されるという慣習によるものである。
もっとも、今回は彼らは王家に叛逆した逆賊という扱いであり、それを捕らえたのが討伐の軍勢を率いた私であるために身代金を払う余地など無いのだが、とはいえ二人が貴族であることには変わりはない。
謀反という扱いであれば討伐軍が送られる前にまず爵位の剥奪が決定されることも珍しくはないが、この場合は現宰相側についた貴族にも経緯上やむを得ない部分もあるし、何より向こう側についた貴族の地位を全て剥奪していては内戦が終わった後の国家運営に重大な支障をきたしてしまう。
なので、現宰相派の中でも積極的に政権に参加して恩恵を受けている中核的な貴族に関しては厳罰を与えざるを得ないとしても、そうではない者達については当主を交代させる程度の軽い罰に留めるか、もしくは王子の即位式を理由に恩赦を与えて水に流すことが決まっていた。
ともあれ、当然内戦終結後の論功行賞でこちら側についた貴族には活躍に応じて新たな領地の授与やより高い爵位への叙任、王宮の役職への任命などそれなりの恩賞が授けられることになるので、そういった面において現宰相側に味方した貴族達に対しては間接的に罰が与えられることになるのだが、それは致し方がないことだろう。
そうした事情により貴族として扱われる両伯爵の護送をしつつ、しばらく南東へと進むとルヴジェントの街並みが見え、兵と捕虜を合わせて総勢が六千人に上る一行は数時間を掛けて複雑な構造をした市中を通り、城内へと入っていた。
「戦勝お祝い申し上げる、サフィーナ殿。祝宴を用意しているが、どうなさる?」
「ありがとうございます、アルヴィドソン様。まだまだ逆賊は数多いので、申し訳ありませんがこのまま船を使わせていただきますわ」
「承知した。では、早速用意をさせよう」
門を潜ると、この地の指揮官であるバルブロ・アルヴィドソンが騎乗して私を出迎える。
私は馬上で礼をすると、そのまま船を利用する旨を彼に伝えた。
陸路では数日を要する距離も、水路であれば物資の輸送が楽だというメリットがある上にずっと短い時間で進むことが出来る。
ましてやこちらは上流に当たり、レールシェリエへと向かうためにはただ水流に船を任せればいいだけなので、今日中に到着することも可能だろう。
兵力で劣る私にとっては時間は何よりも大切な味方なので、ここで宴をしているよりもレールシェリエに到着することを優先させたかった。
勝利を祝うのは、全てが終わり王子が即位した時でいい。
軍人なのでそんな私の思考がよく理解出来たのだろう、彼はあっさりと頷くと兵に命じて船の準備をさせる。
河を背にして半円状に広がる城壁の内部には他の地域の城塞と同じように執政府や兵舎などの建物があるが、しかし違うのは船を留めておく船小屋と水上に迫り出すように作られた木製の埠頭が存在しているところだ。
これが日本にあるような川であればあっさりと渡河されて城内への侵入を許してしまいそうだが、しかし私と王子が最初に逃げ込んだ山脈を源とするこれは地球で例えるならばアマゾン川にも劣らないようなかなりの大河である。
軍船が活用可能な最北端の地であるこの街から北に行くと急速に川幅が一キロ程にまで狭まり水深も浅くなるものの、ここではまだ十キロを超える(更に南へ向かった国境付近では数百キロにまで及ぶ)程の広さがあるので、それが自然の盾となってくれていた。
南方の人間と違い他の地域の人間はあまり水に親しんでいないので泳げない者がほとんどであり、数十メートルの水深がある中を現宰相側の軍勢が生身で渡河することは不可能であるし、水軍はこちらが抑えているので万が一にも河の側から攻撃を受ける心配は無い。
そんな私達の強い味方である河の上へと、この地に駐留する兵達が船小屋の中から運んできた軍船を浮かべさせていく。
ベルフェリート王国の水軍で用いられている船には大別するとガレー様式とジャンク様式の二種類があり、それぞれ使い方が分かれている。
船底に竜骨があり船首に衝角を取りつけられている前者はほぼ戦闘用であり、水戦の際に横腹にぶつけて敵の船を沈めるために用いられ、三段櫂船のような超大型のものを中心に建造されていた。
上流を確保している我が国の水軍は南方諸国との過去の戦いにおいて、この船の数を揃えた上で流れに乗って敵の船団に突撃することにより大戦果を挙げたという記録が残っている。
一方で竜骨や衝角を持たない後者はガレー様式に比べて河の航行に適しており、最高速度や積載可能容量でも勝っているので物資や兵を輸送したり、戦場においては接舷して敵船に斬り込む際に使われていた。
用途に応用が利く上に性能面でも優れているため水軍ではこの様式の船が主に使われており、一隻に三千人程の兵が乗る戦闘用の大型艦から数人乗りの伝令用の小船まで様々な規格が存在している。
今回用いるのはもちろんジャンク様式であり、一隻辺り千人が乗り込める兵員輸送船が六艘並んで水面へと浮かべられた。
あちらの準備が終わると私達は埠頭へと進み、そこから船内へと乗り込んでいく。
巨大な船の内部には厨房や船室などの人間が生活するためのスペースの他にも厩舎としての機能を与えられた部屋や馬に与えるための飼葉を貯蔵するための部屋が存在しており、乗り込む前にヴァトラの背から降りていた私は縦に六層にも及ぶ船内の最上層、甲板から船内に降りて少し進んだ先にある部屋へと彼女を預ける。
そして、同じ層の中心部にある貴族用の船室へと向かったのだった。
陸路であれば三、四日近くを要する距離であっても、船を使えば早ければ半日で進むことが出来る。
その圧倒的な速度こそが水路を用いる最大のメリットであり、また陸路に比べ遥かに大量の物資を一度に運ぶことが可能であることもあって、南方諸国との貿易はベルフェリート王国に莫大な利益をもたらしていた。
生憎と私には船団を指揮した経験は無い(二百年前の時点で既に南方諸国とは友好関係が築かれていたのだ)ものの、ルヴジェントに駐屯する水軍の兵に指揮を任せることが出来たのでこれといった問題が起きることはなく、その日の夕方には目的地であるレールシェリエへと到着した私達。
城壁の外側に作られた港の軍用の区画に船団が泊められると、ヴァトラと共に埠頭へと降り立つ。
そのまま麾下の兵及び捕虜と巨大な城門を潜り、前方に見える執政府へと向けて商店が所狭しと立ち並ぶ大通りを進んでいく。
この街を出立した時よりも多い兵数で凱旋した私達の長い隊列に、市民達が歓声を上げてくれ、思わず自らの表情が緩むのが分かる。
私だけではなく、振り返れば兵達もまた自らへ与えられる賞賛に嬉しそうな表情を浮かべていた。
封建制国家であるこの国においては貴族に大きな権限があり、貴族が戦場で得た捕虜や物資の扱いに関してはそれを得た者に決定権がある。
逃げ去った者を除いて三千人程の捕虜を取ることが出来た中から私とカルロとで素質がありそうな者を選抜して軍に加え、更に捕獲した馬をそのまま運用することによって私の指揮下の兵は歩兵と騎兵が千人ずつの合わせて二千人となっていた。
騎兵の機動力の戦術的価値は孟珙と並び中国史上最高の名将である唐の李靖が証明しているので、本当はもっと騎兵を多く編成したかったのだが、それ程馬を鹵獲出来なかったのだからこればかりは仕方がない。
残っている二千人の捕虜に関しては戦果報告と共に王子に預け、彼の直轄の兵力の中に加えてもらえばいいだろうと考えている。
少なくとも現時点においてはこちら側の陣営内における王子の力が少しでも高まってくれた方が私にとっては都合がいいし、その点において彼我の利害は一致していた。
そして執政府を囲う城壁の門を通り抜けると、左右にある兵舎と厩舎の間の広場で近衛隊の将校が立ちこちらを待っているのが見える。
護送してきたバルトシュ、ベドナーシュ両伯爵の身柄の引渡しを求めているのだろう。
私は兵達を停止させて彼らを近衛隊へと引き渡すと、二人は貴族としての丁重な扱いを受けながらも執政府の方へと連れられていく。
「さあ、これより明日の夕刻まで休暇とするわ。解散」
それを束の間眺めてから振り返り、私は馬上から兵達に一日の休暇を言い渡す。
兵は拙速を尊ぶとは言えども、当然ながら彼らにも休みは必要である。
出立直後から夜間行軍をして兵達に負担を掛ける必要は無いので、明日の丸一日を休暇にして別に集合は明後日の朝でもよかったのだが、明日の夜に少ししたいことがあるので夕刻まで約一日の休暇としていた。
解散を伝えられ、歩兵達はそのまま右手にある兵舎へと入ったり街の方へと向かっていき、騎兵達は自らの愛馬を預けるために左側に建てられた厩舎へと進んでいく。
私もまたヴァトラの首筋を撫でて同じように厩舎へと向かい、入り口の近くでその背から飛び降りると開かれた扉から中へと足を踏み入れる。
諸侯の兵も私と同じように味方の救援のために出払っている今は先日と比べてどこか寂しげではあるが、しかし相変わらず藁の独特の匂いが漂う薄暗い屋内には多数の馬が繋がれており、柵と柵の間にある通路は今しがた帰還した私の麾下の騎兵達で賑わっているが、しかし元から十分以上の広さがあるために通行に苦労することはない。
馬達がヴァトラの威容に恐れをなして道を譲っていくのだからなおさらであり、私は入り口の側から見て四列目の柵の中央付近に彼女を繋ぐ。
少し離れた場所には王子の馬が繋がれており、あちらもまたヴァトラに劣らぬ威容を周囲に振り撒いていた。
そして近くでカルロが彼の馬を繋ぎ終わるのを少し待つと、それを終えた彼と共に広い通路を通り外に出、空の明るさに束の間目を細めつつ奥にある執政府の建物を目指す。
そもそも南方地域の要であるレールシェリエの執政府を囲う城壁の内側にある兵舎や厩舎にはそれぞれ数万の兵と馬が収容出来るように作られており、当然建物自体も相応の広大さがあるのだが、その間にある広場もまた一万や二万の兵が集まった程度では混乱しない程に広い。
つまり執政府まではそれなりの距離が離れており、私は石畳で舗装された地面の上をカルロと共に歩いていく。
「お疲れ様、カルロ。貴方も今日はゆっくりと休みなさい」
「お嬢様こそ、あまりご無理はなされないでください」
「大丈夫よ、殿下に謁見したら私も休むつもりだもの。もし疲れているなら先に部屋に行っていても構わないわ」
「いえ、問題はありません」
そんな言葉を交わしながらしばらく進むとやがて執政府の入り口が近付き、そこへと続く白亜の階段を上っていく。
それ程高さがある訳ではないので階段の段数も大したことはなく、乗馬靴の硬い底が石を打ち鳴らす音を束の間響かせると扉の前へと辿り着いた。
左右に兵が歩哨する間を通り抜け、数日振りとなる中の風景を目にする。
直轄領のそれは王都から派遣された人間が市内を統治するので執政府と呼ばれているが、その構造や機能に関しては貴族の館と別に変わらない。
入ってすぐの場所にはまずホールが存在しており、正面には二階へと続く階段が、見上げた先には絢爛に飾られ蝋を灯されたシャンデリアが吊られている。
一階には厨房や使用人の控え室(これだけの規模の建物を維持するためには当然かなりの数の使用人が必要となる)などが置かれており、貴族が立ち寄ることはあまり無い。
私も特に用件は無いのでそのまま様々な絵柄が繊細に描き出された絨毯の上を進み、正面にある階段を進む。
先程とは違い重厚で柔らかい絨毯に足音を殺されながら上っていくと、上りきったすぐ目の前に奥へと伸びる廊下があり、左右にはホールを囲うようにギャラリーが続いている。
ギャラリーの途中には扉が多くあり中の部屋へと続いているが、私が向かおうとしているのは王子のところであるのでそちらには進まず、奥の廊下へと足を踏み出す。
壁には以前私が生きていた頃とは異なる雰囲気の絵画が多数飾られており、それらを眺めながら奥に進むと左手に三階へと続く階段が現れ、迷わずそれを上る。
三階にはこの地を訪れた貴族を迎え入れるための客室があり、今は参集した貴族達の居室として使われていて、私の部屋もまたその中にあった。
現在は住人が皆出払っている(どうやら帰還したのは私が一番乗りらしい)ので廊下には巡回のメイドの姿しかなく閑散としているが、それだけに建物の巨大さがはっきりと実感出来る。
王子がいるのは四階にある居室か執務室のどちらかだと思われるので、窓から差し込んでくる紅い夕日に照らされながら階段を上り続けていく。
「そこの貴女、殿下は今どちらにいらせられるのかしら」
「はい。殿下は現在居室にいらせられます。ご用がおありでしたらお繋ぎさせていただきますが」
「そうね、お願いするわ」
四階に到着すると廊下にいたメイドを呼び止めて王子の居場所を尋ね、ついでに面会を求める旨を取り次いでもらう。
このフロアには執務室や軍議に用いられる会議室などの極めて重要性の高い部屋がいくつも集まっており、それ故に四階の廊下を巡回するメイドもまた他のフロアと比べて使用人としての位が高い者ばかりとなっている。
位が高いということはそれだけ権限や信用も高いということであり、王族に対して貴族達からの話を取り次ぐことも許されているのだ。
レールシェリエのような地方都市の執政府であればそうでもないが、これが王宮で働く上位の使用人ともなれば職務の中で国家の重要事項を知ることが出来たり王族と貴族との間を取り次ぐことが出来たりと、かなりの重職であったりする。
封建制国家であるこの国においては通常であればそういった重要度が高い仕事は貴族がするものであるのだが、もしもこれが貴族の役職であれば江戸幕府において側用人が幕政の実権を握ることがあったように任じられた者が強大な権力を握ってしまう可能性が高いために、敢えて使用人の職務となっていた。
もちろん使用人であっても取り次ぎ専用の人員を設けてしまえばその者が下手な貴族よりも上に立ってしまいかねないので、機密情報の管理のために一定以上の位の者に限られるが通常の場所と同じようにメイドが交代で廊下を巡回するようにし、権限が一人、或いは特定の複数に集まらないように工夫されている。
ともあれ、そのようなことがあるくらいにこのフロアを巡回することが許されているメイドの位は高く、当然皆それ相応の能力を持っていた。
私の言葉を受けた彼女は非の付け所の全く無い美しい仕草で礼をすると、背筋をまるで定規で線を引いたように真っ直ぐに伸ばしたまま王子の居室の方へと向かっていく。
カルロと共にその背中に続き、壁際に置かれた彫刻などを眺めながら右に進むと、しばらくして彼女は王子の居室の前で立ち止まる。
少し離れた場所で立ち止まった私は、扉を手で打ち鳴らして室内に入っていった彼女を見送り、その場で少しの間待つ。
「どうぞお入りください」
「サフィーナ・オーロヴィア、ただいま帰還致しました」
程なくして内側から扉が開き、室外に出ると扉を手で開けたまま抑揚の無い口調でこちらにそう伝えてきた彼女の言葉に従って私は室内に入り、背後で扉が閉まる音を聞きながら数歩歩いたところで跪くと、赤い絨毯に描かれた紋様へと視線を送りながらそう口にした。
数秒間だけ視界に映った奥の円卓には王子が腰を下ろしており、その彩やかに赤い髪が印象に残される。
この部屋は王族専用の部屋であり、使われるのは王族が執政府を訪れた時のみであり普段は使われることなく管理と掃除のみが行われていた。
カルロは室内に入れないので扉のすぐ外で控えているし、先程のメイドさんも廊下の巡回に戻っているはずなので、室内には私と王子の二人きりだ。
「顔を上げろ」
「はい」
「さて、報告は既に聞いている。ほとんど犠牲を出さずセラフォンテの救出と二人の捕縛に成功したそうだな。―――よくやった」
「お褒めいただき光栄です。他の戦線の現況はどうなっているのですか?」
私は顔を上げて王子がくれた言葉に礼を述べると、同じように味方の救援のために出陣していった貴族達の戦況を尋ねる。
クララの部下からの報告は受けているので大体の情勢は把握しているが、まだつい先程戻ったばかりであるし、知らない振りをしてそう尋ねておく。
「あまり芳しくはないな。兵力差で劣勢になっている場所が多いらしく、全体で見れば五分五分といったところか。戦闘を避けて撤退してもいいとは伝えてあるが、それも簡単ではないだろうからな」
「厳しい戦いになりそうですね」
救援に一定規模の軍勢を派遣した時点で王家としての義務は果たしていることになるので、仮にどこかの戦線で友軍が救援対象もろとも全滅したとしてもそれによって王子の声望が落ちることはない。
その代わりに王子の軍は弱いだとか王子は頼りないといった印象や風説が諸侯の間に広がってしまうのでそれはそれでまずいのだが、私が派手に勝利を収めたのでたとえ各地で何度か敗北したとしても印象の悪化は抑えられるだろう。
私が騎兵を可能な限り多く運用しようと思っているのはその機動力の高さももちろんだが、騎兵という兵科の派手さもまた理由の一つである。
例えば歴代の中国王朝は遥か夏の時代から北方の遊牧民族に苦しめられ、その来襲を恐れてきたが、それもまた派手さが一因だろう。
何しろ馬という大質量の物体が数千数万もの数で轟音と共に凄まじい速度で迫ってくるのだ、こちらも騎兵を用いれば前漢の霍去病がやってみせたように遊牧民族の軍勢を撃破することは簡単だと思うが、馬に乗っていない歩兵や民衆が半ば本能的な恐怖を覚えてしまうのは仕方がない。
そんな派手な騎兵という兵科をメインに用いて敵を撃破すれば、歩兵中心の軍勢で戦果を挙げた際と比べてより大きく武名を轟かせることが出来るし、それが極まれば私の掲げるダリアの旗を見ただけで敵が恐慌するという事態も十分に起こり得るのだ。
今回の勝利は、その一歩としてひとまずの成功であると言える。
「殿下、此度の戦いで捕らえた捕虜およそ二千を献上致しますわ。殿下の兵としてお役立てください」
「感謝する。お前からの好意はきちんと役立てさせてもらおう」
王子に捕虜を献上する旨を伝える私。
この国においては勝利によって得た捕虜は自らの軍に組み込むのが普通であり、つまり捕虜を献上するということは即ち兵を献上するということとほぼ同義である。
彼もまだ若いとはいえ王族としての教育を受けた人間であるからには、お互い口に出しはしないが相手の意図をある程度理解し合っている。
こちら側の陣営の内部において自らの力を高めることが急務であることは努々分かっているだろうし、一種の借りになることもそれによって私が副次的に利益を得ることも理解しているだろう。
だからこそ、事が落ち着けばその分の見返りをくれることを期待出来る訳だ。
舞台が貴族社会である以上名誉という要素が多分に関わってくるとはいえ、基本的には政治的な駆け引きとはいかに相手と利益を共有してよい条件を引き出すかという問題であるので、日本人だった頃には流通部門の責任者として外部との商談に明け暮れていた私にはその辺りの感覚が分かりやすい。
「では、私はそろそろ居室に戻らせていただきますわ。明日の出陣に備え、少し休んでおきたいのです」
「また出るつもりなのか?」
「ええ。共に殿下をお支えする皆様が苦戦されているとあっては、座して傍観などしていられませんわ」
「それなら呼び止める訳にもいかんな。今日のうちにゆっくりと休んでおけ。あまり無理はするなよ」
「殿下のお心遣い、誠に痛み入ります」
最後にそう口にして礼をすると、私は立ち上がり退出する。
扉のすぐ外に控えていたカルロと合流すると、往路と同じように遡って階段を下り、一つ下の三階へと向かう。
廊下を歩いていてもそれなりの喧騒が耳に届いた一階や二階とは異なり、住人がいないために静寂に包まれている中を右に曲がり、三つ程先にある扉が私に与えられた居室の入り口だ。
扉の前で立ち止まった私の前に進み出たカルロが鍵を差し込んで開錠すると、そのまま彼の手によって開かれた扉を潜り室内に入る。
「お帰りなさい、お嬢様。大活躍だったみたいだね」
「ありがとう。貴方も上手く情報を取り纏めてくれたわ」
すると玄関先、私から見て正面の壁に背を預けるようにして男物の制服を身につけたクララが待っており、こちらにそう話し掛けてきた。
レールシェリエに残って各地の情報を取り纏めるように命じたのは私であるし、当然彼は私のものも含めて戦闘の経過を全て把握しているのだ。
私は偵察の結果だけではなく他の戦線の現況についての報告も密偵達から受けており、電話やテレビといった通信機器が無い以上当然それなりのタイムラグはあるにしろ、それでも可能な限り最新の情報を入手することが出来ているのは彼のおかげだった。
「これからどうする? 何か食べるなら食事を運ばせる手配は済ませてあるからすぐに食べられるし、このまま眠るなら寝台を整えておいたからすぐに寝られるよ」
「お疲れ様。気を使わせてしまって悪いわね」
「俺はここで待ってただけだし、少しでもお嬢様の役に立ちたいなって思ってさ」
一応名目上において私も含めた貴族達はこの執政府を訪問している客人という立場であるが、故に現代の地球とは異なりここに勤めているメイドが部屋に入ってベッドメイクをしたりすることはない。
何故ならばこの国において貴族とは実際に自らの領地を統治する領主であるために当然他の貴族の屋敷に招かれている最中でも実務をしなければならない場面が出てくることになり、そこに屋敷側のメイドが室内に入っては一種のスパイ行為のようになってしまう危険性があるためだ。
そのため、貴族が入った後の客室の掃除やベッドメイクは客である貴族の側が雇ったメイドが行うのが慣例となっており、それは王家のものである王宮や直轄領の執政府においても変わらない。
別に今の私は領地を持っている訳でもないし、まだこの世界には無い知識や設計図などに関しても全て頭の中に入っていて紙に書き出したりはしていないので見られて困るものなど特に無く、屋敷側のメイドにやってもらっても問題は無いのだが、慣例なのだから仕方がない。
そしてアネットに彼女にしか出来ないことをしてもらっているためにここに私側のメイドはおらず、別に私が不在にもかかわらずその期間中毎日ベッドメイクがされても意味が無いので特に命じてはいなかったのだが、どうやら気を利かせてやっておいてくれたらしかった。
「そうね……。まずは風呂に入ろうかしら。それから眠ることにするわ」
私はクララにそう言葉を返す。
自ら戦った訳ではないとはいえ身を騎馬隊の中において戦場を駆けたのだから、巻き上げられた砂埃で髪やドレスが汚れてしまっているのだ。
「二人とも、明日の夕方まで休暇よ。休むなり街に出るなり、好きにしていなさい。……ああクララ、これを補給の責任者に渡しておいて頂戴」
そして底の硬い乗馬靴を脱ぎながら後ろを振り向いて彼らにそう伝えると、私はクララにあらかじめ書いておいた紙を手渡し、今しがた脱いだ靴を揃えてから左手にある浴室の方へと向かっていく。
扉を開けて中に入るとすぐ右側の天井から紐が下がってされており、これを引いて合図をすると一階にある給湯室で常に沸かされている湯が汲み上げられ、ここまで届く仕組みになっている。
私は身につけていた正装のドレスなどを全て脱いで足元にある籠に入れ、結っていた髪を解くと微かな肌寒さを覚えながら奥へと進み、壁の上部に開けられた穴から注ぎ床を打つ温かな湯を肩から浴び始めたのだった。
翌日の夕方、ヴァトラの背に身体を預けた私は予定通りに集まった二千の兵と共に広場を出発して港へと向かい、ルヴジェントへと向かうために兵員輸送船に乗り込む。
弱い波に揺られながらしばらく進んで、空が暗くなった頃には目的地に到着した私達は、敢えて兵舎を素通りして街の外に出る。
兵達の中には兵舎に泊まらずに夜間行軍をするのかとやや不満そうな者がいるのが分かるが、それにも構わずに街から離れた場所にまでしばらく進むと全軍を停止させ、振り返る。
「さあ、野営と焚き火の準備をしなさい。今夜は酒宴よ」
不満のためにあまり士気が高くなかった兵達は、私の言葉を聞いて一気に気分を高揚させ、大きな歓声を上げる。
わざわざ街の外まで来たのも、二千の兵を一箇所に集めて宴をすることなど街中では到底不可能だったためだ。
気力に満ち溢れた兵達は瞬く間に野営用の天幕を組み立てて焚き火の準備までも終わらせ、輜重の中からあらかじめ補給責任者に伝えて用意しておいた大量の酒樽や肉などを取り出していく。
彼らが各々いくつも点された焚き火の周りに腰を下ろしたのを確認すると、私とカルロも兵達と共に中央付近の焚き火を囲む。
「さあ、貴方達も飲むといいわ。今宵は思う存分楽しみなさい」
「あ、ありがとうございます!」
同じ火を囲う兵達に話し掛けながら、担当の兵によってウォッカが入ったジョッキが配られていくのを受け取って飲んでいると、焚き火で肉が焼かれる香りが煙と共に周囲に漂う。
肉は塩と香料で味付けをしただけのシンプルな調理だが、肉の品質がいいためにとても美味なのだ。
ちょうどいい頃合いになると私は肉を適当に皿に取り分けて周囲の兵に配り、最後に自らも箸を取って肉を口に含む。
噛むと同時に内部から肉汁が溢れて味覚を刺激し、そしてまるで溶けるように柔らかな舌触りが食欲を満足させる。
兵達も、今までに口にしたことがないような味に目を見開いて驚いていたり、喜んでくれているようだ。
「ああ、ついてこなくても大丈夫よ。貴方も楽しんでいなさい」
そして私が立ち上がると、いつものようについてこようとしたカルロをそう言って止める。
彼は戦場でその並外れた武勇を示しているために兵達からも尊敬を受けているらしく、積極的に周囲の者達から話し掛けられているようだった。
一度そこから離れ、途中で酒を運んでいた兵からウォッカで満たされたジョッキを受け取りながら適当に他の焚き火を見回っていると、どこも大騒ぎしながら盛り上がっている。
周囲に充満した肉の香りに釣られるようにその中の一つへと私は近付く。
「貴方達も楽しんでいて?」
「おお、サフィーナ様! 俺達こんな美味い肉なんて初めて食いましたぜ!」
「それはよかった。肉も酒も存分に用意してあるから、好きなだけ口にするといいわ」
輪に入ってきた私の問いに答え、満面の笑みで言葉を返してくる兵達。
水路を利用するので輸送が容易いこともありあらかじめかなりの量を用意させておいたので、二千人で思う存分に食べたとしても肉も酒も足りなくなることはまずないだろう。
私は手を伸ばし、自らの皿に火で焼かれていた肉を取って口に含み、その味わいに舌鼓を打つ。
酒による酔いと場の雰囲気のためか、気後れすることなくこちらに話し掛けてくる兵達を見て、どうやら私の目論見は成功したらしいと考える。
わざわざ出立の時間をずらしたりしてまでこのような催しをしたのは、兵達の気分を高めるためだ。
初めにいた千人は事前にきちんと訓練が出来ていたが、しかし捕虜から軍勢に加えた残りの千人についてはきちんと訓練が出来ていないし、悠長に訓練している時間も無い。
なので軍勢としての連携を千人の時のように取るのは難しいのだが、練度が不足しているならその分は勢いで補うしかなく、故にこうして皆で楽しむことで士気を高めているのだ。
その後もしばらく肉の味を楽しんでいた私がこれで十七杯目になるウォッカを飲み干すと、それを見た兵達から歓声が上がる。
やはり、こういった場において酒をどれだけ飲めるかで盛り上がるのはどこの世界でも同じなのだ。
そしてそろそろカルロのところに戻ろうと思い立ち上がり、次のジョッキを受け取ると、元の場所では彼が集まってきたらしい兵に囲まれていた。
人望が厚いのはいいことだ、と思いつつ近付くと、私の存在に気付いた彼らが左右に避けて私を通してくれる。
「あ、サフィーナ様が来てしまったようですな。残念、俺達はそろそろ退散致しますぜ」
「お、おい! 私とお嬢様はそんな」
「カルロ、貴方は随分と慕われているようね」
にやりとした兵にそう言われ、何やらいきなり慌て始めるカルロ。
そんな彼の様子に首を傾げつつも、私はそう話し掛ける。
「さて、私を護ってくれた貴方のことも労わなくてはね。ありがとう、カルロ」
「勿体ないお言葉です、お嬢様」
カルロは酒にもかなり強いので、それなりには飲んでいるようだが全く酔っている様子が見られない。
共に酒を飲み交わすのはいつ以来だろうか、と思いつつ、私は彼と二人で酒宴が終わるまで話していたのだった。




