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2. 庭園

 私の侍従となった少年―――カルロを父から紹介されてから数ヶ月。

 特に彼自身の身の上についての説明はされなかったが、両親が交わしていた会話を聞く限りではどうやら少年は我がオーロヴィア子爵家の傍流のような家系の子供らしい。

 侍従はそういった傍流や分家などの身内の次男以降か、或いはそれらの中に適齢の男子がいなければ階級の高い使用人の息子から選ばれるのが普通だ。

 そう考えれば、彼が選ばれたのは必然なのだろう。


 侍従である者の最大の仕事は、自らが仕えている女性を護衛することだ。

 無論今のカルロはまだ六歳(少し前に本人に尋ねてみたが、やはり私と同い年らしい)なのでそのような役目は期待されていないが、それでも十代の半ばになるまでには一人で私の身の安全を確保できるような強さに成長することが求められる。

 あの日以来、彼は午前中は毎日我が領の領主軍の隊長から付きっきりで訓練を受けていた。

 今も、居室の窓から隊長に監督されながら、大人の兵士が使うのと同じ真剣を持って素振りをしている少年の姿が見える。

 腕を振り下ろす度に、その重さに引きずられて少し前方にふらつく身体。

 決して強くはなかったとはいえ私も前世では剣を使っていたことがあるので分かるのだが、真剣はかなり重い。

 成人した後の私の筋力でもあれを自在に振り回すには辛いものがあり、止むを得ず実戦では特注で作らせたレイピアのような軽い剣を佩いていたくらいなのだ。

 彼がふらついているのも当然だった。

 まだ六歳にもかかわらず真剣を持ち上げて振ってみせている辺りは、やはり男の子だということだろうか。

 私のためにそれを懸命に素振りしている彼には、労いとしていつか料理でも作ってあげようと心に決める。

 六歳の身では、危険だとのことでまだ当分厨房には立たせてもらえそうにもないが。


 そんな風に、あれ以来窓の外を眺めながら考え事をすることが多くなった私。

 少年が訓練を開始したのと時を合わせるように、母による礼節の授業が始まったのがきっかけだろうか。

 侍従、そして礼節。

 どちらも、成人した後の私の人生へとそのまま繋がるような重大なものだ。

 それが身近になった今、嫌でもこれからのことを考えさせられることになる。

 もっとも礼節に関しては比較的すぐに合格を貰うことが出来たが。

 母に合格を貰う、つまり礼節を身につけたと認められることは、即ち一人の貴族女性としてある程度一人前だと見做されるということだ。

 話が纏まったとしてもさすがに十代半ばになるまでは実際に相手方の屋敷へと嫁がされることは無いだろうが、もういつ縁談そのものは舞い込んでもおかしくない。

 まあ嫁いだところで特に行動が制限されたりすることは無いのでそれは構わないのだが、だからこそどう生きるかを考える必要があった。

 ―――思い出したくもない悲劇、前世のような結末を繰り返さないために。


 それにはまず、この国の現状を知る必要があるだろう。

 今の私の知識は当然ではあるが命を落とした瞬間、二百年前のままで終わっている。

 あの時のクーデターがどんな結末を迎えたのか、そして時を経て今の国内情勢はどうなっているのか。

 それらのことを確かめる必要があった。

 今度、書庫を探して入ってみようか。

 さすがに前世の実家にあったような巨大なものは期待できないだろうが、仮にも貴族の屋敷なのだから書庫の一つくらいはあるはずだ。

 史書にでも目を通してみよう。


 そのようなことを思索しながら、窓の外を眺める私。

 引きこもってぼうっと景色を見てばかりいるのは女としてどうなのかと思わなくもないが、まあ精神年齢はもう老婆レベルなのだから許してほしい。

 物思いを抜きにしても、この窓から見下ろす庭園は母の卓越したセンスによってとても美しいのだ。

 毎日見ているにもかかわらず、全く飽きることがない。

 これは余談だが、衣装のコーデや屋敷の内装も全て母のセンスで決められたものらしい。

 自分一人で選び組み合わせた服を着た父を一度見たことがあるが、それなりに残念だった覚えがある。

 容姿に違わない上品な雰囲気を醸し出す普段の父の装いも全て母の手によるものだと考えると、軽く尊敬の念さえ覚える。

 仮に地球に生まれていたら、彼女はきっと世界的なデザイナーになっていたことだろう。

 もしOL時代に出会っていたとしたら、間違いなく当時働いていた企業のデザイン部門にスカウトしている。

 流通部門の責任者だった私はデザイン部門の方には権限を持っていなかったが、彼らもこれほどの才能を紹介されてみすみす野に放つことはないだろう。


 そんな庭の片隅で、美しい花々には目もくれずに訓練を続けているカルロ。

 私の部屋にいる時も関心を示さないので、どうやら花に興味が全く無いらしい。

 この年代の少年であればそれも当然なのだろうが、それでもこの綺麗さを共に楽しみたいと思うのは老婆心というものだろうか。

 それなりの落差がある上に窓越しなので声は聞こえないが、ふらつきながらも懸命に剣を振るその姿を見ているとまるでここまで掛け声が届いてくるような錯覚を覚える。

 私のために頑張っているのだからなるべく見届けてあげたいと思いながら見ていると、ふと彼が剣を手放す。

 一言二言何か声を交わすと、少年が使っていた剣を持って立ち去っていく隊長。

 どうやら、訓練が終わったらしい。

 すかさず私は、留め具を外して窓を開け放ち上半身を乗り出す。


「カルロ、そこで待っていなさい!」


 そしてそう叫ぶと、私は豪奢に膨れたスカートを履いたままで出せるぎりぎりの速度で庭へと進み出した。









 どれほど頑張ろうと、所詮は六歳児の全力疾走など高が知れている。

 ましてや、豪奢なドレスを身に纏っていては尚更だ。

 先を急いだ私は後ろからメイドに見守られながら、少し息を切らせながら階段を下りて廊下を進む。

 辺境の下級貴族であるとはいえ、貴族は貴族であるため屋敷はかなり広い。

 たかが居室から庭に出るのでさえ、それなりの距離を歩かなければならなかった。

 その後もしばらく歩き続け、十分ほど掛けて庭先へと辿り着いた私。

 カルロは、まだ言いつけ通りにその場に残っている。

 白色に塗られた屋敷の外壁に背中を預けて、厳しい訓練の疲れを癒しているようだ。

 連日の訓練の中で体力が付いたのか、彼の息はもうほとんど通常のそれに戻っていた。

 上から覗いた時にはあれほど上下していた肩も、今はもう何事もなかったかのように止まっている。

 むしろ、ここまで歩いてきた私の息の方が乱れているくらいだ。

 基本的に彼はどちらかというと可愛い系の容貌なのだが、今は汗で頬に張りついた栗色の髪が不思議な色気を放っている。

 過去二回の人生の記憶を持っている内心老婆な私はともかく、仮に少年を目にしたのが同年代の普通の貴族の令嬢だったならばきっと惚れていただろう。

 さすがは、まだ幼くとも男の子ということだろうか。

 とりあえず私は、歩み寄りながら彼に声を掛けることにした。


「お疲れ様、カルロ」

「ありがとうございます、お嬢様」


 こちらを振り向き、腰を折って礼をする少年。

 最初の頃はどこかぎこちなかったそれも、今やそれなりに形になってきていた。

 ハードな運動によって頬が少し削げたことによって凛々しさのようなものがやや際立ち、初めはなよなよとしていた体格もそろそろしっかりとしてきている。

 士別れて三日なれば刮目して相待すべしという言葉が地球にはあったが、どうやら男の子の成長はとても早いらしい。

 私も負けてはいられない。

 何かが起きた時に後悔しないように、もっと自分を高めておかなくては。

 だがそれはベッドの中ででも考えればいいことだ。

 今はもっと大事なことがある。

 私は、目の前の少年に向けて尋ねる。


「もう歩ける?」

「ええ、大丈夫です」

「それなら……行くわよ、カルロ!」


 もうある程度の体力は回復しているようだったので、私は彼の陽光を受けて少し日焼けした手首を掴むと、そのまま庭園の方へと走り出した。

 咄嗟のことに驚きながらも、慌ててついてくる少年。

 侍従という特殊な立場にあり責任を背負っているとはいえ、彼はまだ六歳の子供なのだ。

 きつい訓練に耐えて頑張っているのだから、たまには歳相応に子供らしく遊ばせてあげるべきだろう。

 そして、それをさせてあげられるのは私だけだ。

 鮮やかに色付いた花壇の間を進み、複雑な生け垣の迷路の中を二人で走り抜ける。

 途中で振り向くと、彼の顔には笑みが浮かんでいた。

 いいことだ。

 てっきりメイドがずっと後をついてきているかと思っていたが、その姿は無い。

 どうやら、迷路の中で私達とはぐれたらしい。

 そしてしばらく二人で走っていると迷路を抜け、庭園の中央にある噴水の元へと辿り着いた。

 白い石材で造られたそれはかなり大規模なものであり、屋敷を挟んだ逆側からでもはっきりと視認出来るほどの高さにまで水を噴き上げている。

 春先の冷たい水滴が、縁へと腰を下ろした私達の頬を濡らした。

 しかしそれは決して嫌なものなどではなく、飛沫が作る涼やかな空気は走ったことで体温が上がっていた私にはとても快適だった。

 気温そのものは別に高くないし日差しも強くないのだが、分厚いドレスを着たままなのでやたらと暑いのだ。

 隣を見ると、カルロも心地良さそうな表情をしている。

 それを見て悪戯心が刺激された私は池の部分に左手を突っ込み、彼の首筋に水を掛けた。


「ひゃっ!?」


 まだ声変わり前の高い声で、悲鳴を上げる少年。

 反射的に背筋が仰け反り、そのことによってバランスを崩した身体が後ろに傾く。

 慌てて腕を掴んだが、考えても見れば六歳児の私が支えられるはずもない。

 次の瞬間、私達は二人して噴水の中に転落していた。

 派手に上がる飛沫。

 熱を孕んでいた皮膚に水が触れ、一気に身体が冷却される。

 冷たいには冷たいのだが、それ以上に気持ちよかった。

 水深はかなり浅いので、万が一にも溺れる心配は無い。

 いっそ、このまま二人で浸かっているのもいいかもしれない。

 そう考えていると、私と同じように沈んでいた少年が水面に姿を現した。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」

「大丈夫だから、そんなに慌てないで」


 一瞬大きく息を吸った彼は、少し血相を変えさせて私に詰め寄る。

 そのまま水中にもかかわらず土下座せんばかりの勢いのカルロを、私はどうにか押し止めた。


「それよりも、せっかくだからこのまま遊びましょ?」


 そう言って、手で水を掬って彼の顔に掛ける。

 私はカルロに歳相応に楽しく遊んでほしいのだ。

 土下座させてしまうようでは話にならない。


「ほらほら、カルロも掛け返してくれなくちゃ!」


 戸惑ったような表情を浮かべている彼を、私は促す。


「でも、お嬢様にそんな失礼なことは……」

「いいの! 遊んでくれなくちゃ寂しいわ」

「それじゃ……えい!」

「ふふっ、やったわね!」


 ようやく観念したらしく、私に水を掛けてきた彼に同じように水を掛け返す。

 思えば、厳格な家に生まれた前世の幼少期にはこのような子供らしい遊びをする機会は無かったので、こうして童心に帰って遊ぶのは日本で幼稚園児だった頃以来かもしれない。

 なかなかに楽しくて、夢中になってしまう。

 掛けては掛け返され、掛けられては掛け返す。

 そうして私達は、庭園を探し回っていたらしいメイドが追いついて来るまでずっと二人で遊んでいたのだった。


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