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21. 太陽の聖女(4)

 レナータ嬢とのお茶会を楽しんでから二日後。

 私は居室として与えられている客間から出ると、第三騎士団長と共に剣技大会の会場へと向かっていた。

 何故なら、私の失踪のせいで急遽延期になっていた大会が再開されるからである。

 強行軍からわずか中二日での再開はカルロにとってはコンディション的に大きく不利だけれど、向こうにも日程的都合があるだろうしそもそも延期になった原因が私達なのだから文句を言えるはずもない。

 それに、どれだけ不利であってもカルロならば必ずや優勝してくれると私は彼を信じていた。


「よろしくお願いしますね、クラスティリオン様」

「お任せを。何者が相手であろうと貴女に決して触れさせはしません」


 私の周囲には、第三騎士団長と彼に率いられた数名の騎士。

 カルロが離れている今、彼の代わりとして私を護衛してくれているのである。

 もし同盟国の正使である私の身に何かあれば、王であるエルリックの責任は重大なものだ。

 そう考えれば私の命を狙う動機を持っている人間はこの国にも決して少なくないと思われ、そう考えればカルロと互角に戦える程の強さを持つ第三騎士団長の護衛は実に心強かった。


「頼もしいですわ。それにしても、この国の料理もよいものですね」

「そうですね。口にしたことのないものばかりでしたが、なかなかに美味です」

「クラスティリオン様は何がお好きですか?」

「私は芋という野菜でしょうか。熱された際の独特の柔らかさが個人的に好みです。溶けかけた牛酪との相性も実にいい」


 気候や地理が大きく異なっているベルフェリート王国とフェーレンダール王国とでは、当然ながら宮中で饗される食事も大きく異なっている。

 どうやら、第三騎士団長は普段食べ慣れていない料理の中でもジャガバタがお気に召したらしい。


「芋でしたら、この国では広く食されているので輸入も容易なはずですわ。ベルフェリートに残っている隊員の皆様にも振る舞って差し上げては?」

「ふむ、訓練ばかりではなく時には団欒も重要。せっかくですし、異国の土産として持ち帰りましょうか」


 そんな雑談を交わしながら、私と第三騎士団長は並んで歩く。

 一歩ごとに、わずかに金属の鎧が軋む音がぎしりと聞こえた。

 私よりも彼の方がずっと背が高いので、こうして話しているとこちらが相手の顔を見上げる形になる。

 むしろ、騎士団長の顔を同じ高さから眺めたことの方が少ないかもしれない。

 ともあれ、一見女々しいとすら感じてしまうような柔和な顔立ちはどんな角度から見ても麗しいという以外の形容の言葉を持たなかった。

 中性的な顔立ちに彼が持つ剣士としての圧倒的な凄みが加わり、ただ女性的なだけではない独特の色気のようなものを醸し出しているのである。

 さすがはその純粋な強さだけではなく美貌においてもこの国にまで広く名前が響き渡る、名高きベルフェリート王国が第三騎士団長といったところだった。


「ロートリベスタ卿、この国の神殿の方々が急いで謁見したいと」


 もうすぐ馬車というところで、騎士達のうちの一人が不意に私にそう報告をしてくる。

 私の思考は、一体何の用件であるのかの答えを瞬時に導き出す。

 わざわざ神官が異国からの使者たる私を尋ねてくるような用事など、カトリーヌ女史とラファエルを和解させるために利用したこの前の日食の件以外に考えられなかった。

 そもそもこの国において、太陽に関しての天文学的知識はほとんど発展していない。

 何故かと言えば理由はごくシンプルであり、この国において太陽が神聖なものであるとされているためだ。

 要するに、神聖なものである太陽のことを人間が分析しようなど畏れ多いという理屈だった。

 先日の日食の折に、私を除いて誰もその発生を予期することが出来なかったのもそれが理由である。

 まだ市民階級が社会の中心となっていない前近代において、文化や科学技術の最先端を担うのは生活の余裕と余暇を持つ貴族階級だ。

 信仰心の薄い貴族の中には趣味の数学で太陽の食の周期を計算した者もひょっとすればいるだろうが、逆に貴族であるからこそ自らが政治的に不利になりかねない研究成果をわざわざ公表するはずもなく。

 結果として、知識という唯一無二のアドバンテージを得ることが出来た私はこの国の神の声を聞いたのだと敬虔な人々に思わせることに成功したのだった。

 そして、信仰など単なる政争の具というくらいにしか思っていない貴族とは違って神官は本気で神を信じている人種である(もっともそれは多くの平民も同じだけれど)。

 なればこそ、神意を受けた(と思われている)私のことを太陽を信仰するこの国の神殿が放ってはおかないのは当然のことだろう。

 今頃神殿の中は右に左にの大騒ぎになっているだろうと、容易に想像することが出来た。


「後にするように伝えて頂戴。私はこれから侍従の試合を見に行かねばならないの」

「かしこまりました。仰せの通りに伝えておきます」


 けれども、生憎と今の私にはカルロの試合を見に行くという非常に重要な用事がある。

 それと比較すれば、この国の神殿の都合などとりたてて優先しなければならないようなものではない。

 その場で振り返った私は報告を持ってきた騎士に対して待たせておくように告げると、まるで息をするかのように自然な第三騎士団長のエスコートのままに自前の馬車へと乗り込んだのだった。




 そして馬車が第三騎士団によって護衛されながら山岳故に起伏の激しい都の道を進んでいくと、しばらくして剣技大会が行われる会場へと到着する。

 車輪を改造してサスペンション機構を備えつけてある車内は快適であり、起伏があってもさしたる揺れを感じることはなかった。

 当然の如くにエスコートされながら馬車を降りた私が貴族専用の入り口から場内へと入り、やはり貴族専用の観客席へと姿を現すと既にかなり埋まりかけている場内が大きくざわめいた。

 恐らくは、剣技大会が今日まで延期になった元凶である私が姿を見せたためだろう。

 そういった厄介者に対するような扱いを受けることもあらかじめ想定していた私は何食わぬ顔で用意されていた以前と同じ席に腰を下ろし(この程度で動揺するようでは到底貴族などやってはいけない)、その周囲を専用の甲冑に身を包んだ第三騎士団の騎士達が陣取った。

 騎士団長の指示による、万全の警備体制である。

 周囲を見回してみるが、今日はエルリックはまだ到着していないらしい。

 何かこちらを後回しにしなければならないような急用が出来たのかもしれないが国王たる彼の臨席無くして大会の開会はあり得ない(宰相であるラファエルならば代理を務めることも可能だろうが)ので、つまりはエルリック待ちということになる。


「待たせたか?」

「はい、陛下に拝謁したいと待ち焦がれておりました」


 日食の折に求婚されていたので、出来れば顔を合わせたくなかった相手。

 しばらくするとやはり多数の護衛を伴ったエルリックが姿を現し、私の隣の席に悠然と座る。


「そうか。実は、新たな婚約話が持ち上がってな。その対応をしていた故遅くなったのだ」

「左様ですか」


 確か、我が主同様にエルリックもまだ王妃を娶っていないということで誰を迎えるかという問題を抱えていたはずだ。

 どこかの貴族家から王妃を迎えれば、必然的に外戚が生まれることになる。

 貴族達を抑え込もうとしている彼からすればそれは好ましからぬ問題だが、かといって国王の座にある以上いつまでも独身のままでいる訳にもいかない。

 恐らくだが、王妃に関してのあれこれはエルリックにとって弁慶の泣き所というかかなり頭が痛い問題なのではないだろうか。

 私もいつかは誰かと結婚しなければならないのだから他人事ではないな……などと思いつつ、私は彼の言葉に頷く。


「下らぬ提案であれば追い返すつもりだったが、今回のものは私から見てもなかなか面白い名案でな。誰だか分かるか?」

「いえ……寡聞にして貴国の貴族の方々にはあまり詳しくありませんので」


 これは嘘だ。

 本当はカトリーヌ女史とエルリックの問題に首を突っ込んだ時に誰がどちらを支援しているのかを調べさせていたのでそれなりの知識は持っているが、正直にそのことを言うメリットも無いので知らない振りをしておく。


「ならば教えてやろう。此度の縁談を持ってきたのは神殿の者どもでな。聡明なお前ならば、これで答えは分かろう?」


 にやりと形容するのがぴったりな笑みを浮かべると、椅子の背もたれに身体を預けて足を組んだエルリックは私にヒントを出す。

 幸か不幸か、彼の言う通り私の思考はそれだけのヒントから答えに到達出来る程度には明晰であり。

 この国の神殿の神官が、エルリックに神意を受け取れる私を王妃に迎えるように直訴したのだろうということが理解出来た。

 ただでさえ本人から求婚されてどうにか話をうやむやにしようとしていたというのに、余計なことを!

 思わず恨み節を言いたくなるけれど既に起きてしまったことに関して文句を言っても仕方が無いし、大事なのはここからどう対応するかだ。

 恐らくは、馬車に乗る前に神殿が伝えてきた私への用というのも私にこの国の王妃になってくれという打診だったのだろう。

 エルリックは解決困難な課題として横たわる王妃の空位問題を解決することが出来、神殿は神意を示せる(と思っている)私をこの国に留めることが出来る。

 図らずも、国王と神殿との利害関係が一致した形だった。

 しかも、ただ口先だけで求婚されたに過ぎなかった先日とは違って今回相手は神殿の要望という強い後押しを手に入れることが出来ている。

 目に見えない重みが異なっているというか、たとえ信仰が建前に過ぎずともフェーレンダール国内の反国王派の貴族達もこれに異を唱えるのは困難だろう。

 そしてそれは、以前エルリックが言っていた国書を書くという言葉が真実味を帯びるということでもある。

 国書というものが一国の正式な意志を示すものである以上、言葉による求婚と文字に記されたそれとでは重みが天と地程に違うことは言うまでもない。

 即ち、仮に国書が本当に書かれてしまったとしたら求婚を断るために相応の理由を必要とするということだ。

 同盟国の意向を正当な理由も無しに無碍にすることが出来るはずがないのだから。

 当然のことながら私はせっかく手に入れたロートリベスタ侯爵の地位を捨てる気は無いし、あの方が愛した祖国たるベルフェリート王国を離れるつもりも毛頭無い。

 そうであるからには断るための適当な理由を作らなければならないのだが……どうしたものだろうか。

 幸いなことを挙げるとすれば、同盟国とはいえ他国に先日の戦乱で大功を立てた私の身柄を渡したくないのは陛下も同じであるはずだ。

 国書が陛下の元に届けられるのがいつのことになるのかは分からないが、それまでに相談して断るのに適当な理由をでっち上げるのを手伝ってもらうのもいいかもしれない。


「そうですね。近い先、今度は貴国から使節が来訪いただけるということは」


 フル回転で思考を巡らせる私。

 必死に動揺を悟られないようにしながら、微笑みを浮かべた私はひとまず無難な言葉を返す。

 本当はこの国の神殿の者達が余計なことをしてくれたことに舌打ちでもしたい気分だったけれど、それに関しては問題の解決に信仰を利用した私にも非の一端は存在しているのでやむを得ないと渋々納得する。

 私達貴族とは違い政治的な理由では動かない、信仰上の理由によって動くのが神官という人種なのだ。


「ああ、近いうちにラファエルを送ろう。そちらの新王殿によろしく伝えておいてくれ、貴国から王妃を娶らせてもらうとな。ふむ、いずれは直接会談するのも面白そうだな」

「……陛下のお言葉、確かに我が主にお伝えしておきましょう」


 何か言葉を発する度に放たれていく特大の爆弾の数々。

 この国の宰相たるラファエルが使者として自ら持ってくるということは、国書の重みが更に増すということ。

 それ自体も溜め息を吐きたくなるような事態であるのだけれど、唐突に出てきた二人の王の直接会談という話に至っては考えるだけで憂鬱な気分になるようなものだった。

 同じ傲岸不遜な王であっても、陛下とエルリックではまたタイプが違っている。

 私の見たところ、二人の相性は相当に悪い。

 さすがに双方共に自分の立場は弁えてくれるだろうが、それでもその場の空気が相当険悪なものになることは容易に想像出来る。


「くく、お前が私のものになる日が楽しみだ。美しさ、知性、戦術眼、お前程私に相応しい女はいまい」


 椅子に悠然と腰を下ろしているエルリックが、右腕をこちらに伸ばすと私の顎をペンより重いものなど持ったことが無さそうな指先でくいと持ち上げる。

 どこまでも傲慢な言動。

 整った顔立ちに笑みを浮かべた彼のオッドアイの瞳で見つめられると、私は思わずどきりとさせられる。


「そ、それよりもそろそろ大会が始まりますわ!」


 これ以上エルリックとの会話を続けていては、更なる爆弾がいつ炸裂するか分からない。

 私は、咄嗟に話題を逸らして会話を断ち切ることを試みる。


「ふむ、お前の侍従とやらが出場するのだったか。酒の肴にでもさせてもらおう。お前も飲むがいい」


 周囲にいる従者にワインを注がせている彼が、少し面白そうに口にする。

 どうやら、上手く興味を惹いて話題を逸らすことに成功したらしい。

 安堵した私は、従者から赤ワインの注がれたグラスを受け取って唇をつける。

 そうして、私達が見下ろす先で始まった剣技大会の平民の部。

 試合が始まるとエルリックは一転して無口になり、繰り広げられる立ち合いを観戦する。

 陛下のような剣士ではなくてもやはり男性は男性、こういった戦いには血湧き肉躍るものを覚えるらしい。

 私はカルロの戦い以外には興味が無いので時折ワインのお代わりを注いでもらいながら適当に眺めていると、やがて彼の出番が訪れる。

 革の鎧を纏った姿に、客席から沸き起こる歓声。

 歓声そのものは参加者が入場する度に上がっているのだけれど、今しがたのそれはこれまでのものと比べていささか黄色い声が大きいように感じられた。

 ともあれ、騎乗したカルロと対戦相手とが向かい合う。

 一瞬彼がこちらを見たので、私は笑顔を浮かべて手を振る。

 何としても優勝してもらわねばならないけれど、カルロならば確実にそれを成し遂げてくれるだろうという確信が私にはあった。

 視線を正面に戻したカルロが腰の鞘から剣を引き抜くと、会場の空気が微妙に変化する。

 あたかも、重力の作用がわずかに強くなったかのような重い感覚。

 遠目に見物している私でさえそうなのだから、直接向かい合っている対戦相手は言うまでもない。

 目に見えて動揺を露わにしていた。

 何しろ、対峙することになった相手は第三騎士団長とすら互角に打ち合ってみせる化け物じみた剣術の腕の持ち主なのである。

 そんな剣士と対戦しなければならない相手にはわずかな同情を覚えるけれど、まあこればかりは運が悪かったと諦めてもらう他ない。

 無常にも告げられる開始の合図。

 それからカルロの勝利が告げられるまでには、五秒と時間を要さなかった。

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