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10. 後夜(3)

 ウェストンの店から礼装が届いた次の日、私は王宮の廊下を歩いていた。

 ここ数日立案していた、先日併合した王国南東部の砂漠の緑化のための運河の建設計画の立案が終わったので、それについて記した書類を陛下の元へと届けるためだ。

 私が知る限りの地球の歴史においては、過去に行われた同様の政策は成功例と失敗例どちらも存在している。

 国境付近では川幅が数百キロ、水深が百メートルにも及ぶ大河は莫大な水量を湛えているとはいえ、それが目に見えて減少すれば数百年に渡り友好な関係が続いている南方諸国との間で軋轢の種となりかねない。

 それを避けるために頭の中で膨大な数の数式を並べてどれだけの水を引き込めば緑化が成功するかや、運河へと水を引き込んだ際の水流の変化等を計算し、万が一にも下流域の農業に影響を及ぼさないようにシミュレートしていた。

 問題点はもちろんそれだけではなく、運河による緑化の恩恵を受けるのは王国南東部に領地を加増された諸侯であるが、しかし運河自体は既に緑が存在する場所の諸侯の領地も通過しなければならない。

 だが、そうした諸侯にとっては運河の幅(当然一キロや二キロどころではない)の分だけ領地が狭まってしまうこととなるので、代替となる領地を王家の直轄領から割く必要もある。

 他にも本格的に南東部の緑化が進めば、古来よりかの地で暮らしている遊牧民達をどう扱うかも検討しなければならない。

 ようやくそうした問題点を考慮した上での案が出来上がったので、それらを書類に纏めてきたという訳だ。


 無論、これから陛下へと書類を届けてすぐに建設が始められる訳ではない。

 陛下の裁可を受けたら今度は誰がその責任者を務めるかや誰が人員を出すかなどが議論されることとなるし、それが終わったとしても諸侯の力がかなり強いこの国においてはたとえ王家であっても一方的にその領地に干渉することは出来ないため、運河が掘られる途上に領地を持つ家への根回しを行ったりもしなければならない。

 そうした手続きを踏む必要があるので、実際に施工出来るまでにはそれなりの日時を要するだろう。

 こればかりは、我が国が封建制の国家である以上どうしようもないことだ。


 現在、私が使っている客間ではアネットが旅の準備を始めている。

 ロートリベスタ家に与えられた領地(場所などは二百年前のそれと全く同じである)を訪れるためだ。

 先日正式にロートリベスタ家当主となった私であるが、だからこそこなさなければならない事柄が多々ある。

 そして当主となったからには領土と領民を治める必要性があるので、まずは領地の統治システムを構築していかなければならない。

 しばらくはそれに専念する必要があるだろうし、本格的に王宮へと進出するのはその後になるだろう。

 貴族の力とは、即ち領地の広さでありそこから生み出される富と兵力なのだから、当然のことだ。

 そこであらかじめ地盤を固めておかなければ、ただ広い領地と高い爵位を持っていても宝の持ち腐れであるし、王宮でも何も出来ない。

 だが、いくら家が再興されたと言っても家臣団まで二百年前のように揃っている訳ではなく、もちろん人材に関してはこれから集めていかなければならない。

 統治機構そのものはこれまで治めていた家のものをある程度流用出来るので一から構築する苦労は無いとはいえ、しかしそこで仕事をする者がいなければ存在していないのと同じである。

 もちろんそれとて全くそのまま用いることは出来ないので多々改変する必要があるだろうし、抜け道がどこにあるか分からない他人が建てた館など怖くて使えない(こちらが把握していない抜け道から暗殺者が侵入したら防ぐのが難しい)ので、領地にいる際に滞在する館も新たに建てる必要がある。

 その差配のためにも、今のうちに一度は領地を訪れておく必要があった。

 既に館の設計図は書き上げているので、これから陛下に書類を届けたら、そのまま王宮を発って領地へと向かうことになる。


「う、うわっ!?」


 そのようなことを考えながら歩いていると、ふとそのようなどこか幼い色の声が聞こえてきた。

 顔を上げると、視界の先には私の前へと進み出たらしいカルロと、時には剣を振るうその力強い腕に持ち上げられた少年の姿。

 持ち上げられながら手足をばたつかせている少年はその小柄な身体に白を基調とした精霊神殿の神官服を纏っており、身じろぎする度にサイズが大きくぶかぶかの袖や裾が宙を舞う。

 様子を観察すると、どうやら私にぶつかりそうになった少年を侍従であるカルロが接触する前に止めたらしい。


「おい、離せよ馬鹿っ! 我に無礼だぞ!」


 いやに尊大な口調と、それに似つかわしくない幼い声。

 後ろから両脇を掴まれ持ち上げられている少年は、首を背後へとひねるとその先にいるカルロを睨みつけ、相変わらず暴れ続けている。

 とはいえ、力の差が大きいためにカルロにとって少年の抵抗は全く苦になっていないようで、彼がこのまま脱出出来る見込みは無さそうだが。


「お嬢様、どう致しましょうか」

「そうね……きゃっ」


 こちらを向いて、カルロが対応を尋ねてくる。

 それに対して答えを返しかけていると、突然胸元に然程大きくはないものの衝撃が走り、思わず声を上げる私。

 咄嗟に感覚があった方に目線を遣るが、特に異常は無く首を傾げる。


「如何なさいました!?」

「……いえ、何でもないわ。それより、下ろしてやりなさい」

「畏まりました」

「ふん、どこぞの令嬢風情が我に無礼な!」


 常盤色と表現するのが適切だろうか、比喩ではなく深い緑色の髪をした少年。

 私の言葉に頷いたカルロが少年の歳相応な小柄な身体を床に下ろすと、下ろされた彼はそう口にして一瞬こちらを睨んでからふいと顔を背ける。


「こら、このお方はロートリベスタ侯爵様だぞ!」

「い、痛い痛い!」


 すると、怒ったカルロに頭を拳でぐりぐりとされ、涙目になって痛みに悶える少年。

 どうにか逃れた彼はカルロから距離を取りつつも、しかしなおも恨めしげにこちらを睨んでいた。

 散々暴れたためか肩を上下させながら息を乱しており、今しがたカルロに攻撃された箇所を手で押さえている。


「その辺りにしておきなさい、カルロ。それで、貴方は?」


 カルロを傍へと呼び戻すと、私は少年へとそう尋ねる。

 言うまでもなく、サフィーナとなってからは一度も精霊神殿を訪れたことがないのでこの少年との面識は無い。

 服装からして精霊神殿の関係者だということは分かるのだが。


「ふふん、よくぞ訊いたな! 我はエミーネ・チェリク、水の精霊デュミネシスの化身だ!」


 名を尋ねられた少年―――エミーネはつい先程までの不機嫌など吹き飛んだようで、腰に手を当てて胸を張った堂々とした態度でこちらへとそう名乗りを返す。

 とはいえ、それはいささか反応に困るような内容だったので、どう言葉を返したものかと束の間逡巡する私。

 私の知る限り、少なくとも彼が口にした水精霊デュミネシスの実在に関しては精霊を祀る当の精霊神殿の神官達ですら信じていなかったはずだ。

 ましてや、その化身を名乗るなどと。

 意図や事情が分からず困惑して思考に耽りかけていると、私の正面、即ちこの子が歩いてきたらしい方向から白地に薄緑の神官服を纏った女性が近付いてくるのが見えた。

 状況から見て、十中八九エミーネを探しに来たのだろう。


「ああもう、せっかく退屈な部屋から抜け出したのにお前らのせいで追いつかれたじゃないか! まったく……」


 それにやはり気付いたようで、不満げな視線をこちらへと向ける彼。

 恐らく、この少年は見習いとして神官長一行の随員として同行してきたのだが、部屋で待機しているのが退屈でこっそり抜け出してきたのだろう。

 そして廊下を走って遠くまで離れようとしている最中に私と遭遇し、衝突しそうになったためにカルロに止められたということらしい。


「見つけたわよ、エミーネ。ここは王宮なんだから騒いでは駄目だと言ったでしょう」

「ふん、デュミネシスの化身たる我が退屈するなどあっちゃいけないことだ」

「また貴方はそのようなおかしなことを……。貴女はロートリベスタ侯爵様とお見受け致します。エミーネが非礼を致したようで申し訳ございません。どうか私に免じてお許しいただけませんでしょうか」


 開き直ったようにそう嘯く少年の言葉に溜め息を吐いた女性が、こちらを向き直って頭を下げる。

 年齢は二十歳過ぎくらいだろうか。

 ゆったりとした神官服に身を包んでいるので細部までは窺うことが出来ないが、その身長は百六十センチの半ばを超えていると思われるくらいに女性としては長身であり、黒い前髪が少しかかる大人びた顔立ちは唇に差された彩やかな色の紅に引き立てられて艶やかな印象を感じさせる。

 彼女の反応から察するに、どうやら神殿でのエミーネの発言の扱いは私が予想したものと変わらないらしい。


「陛下が即位なされためでたき月を、無用な騒動で汚すのは私としても本位ではありません。此度は見逃しましょう」


 私としては、別に怒っている訳ではないので構わない。

 だが周囲に他に目撃者がいないとはいえここが王宮の廊下という公の場であり、当主としてロートリベスタ家の威信を背負っている以上は、客観的に見て非礼な少年の行為を受けてただ許すとだけ言う訳にもいかない。

 当事者である少年一人が相手であったり、ここが例えば誰かの館などの私的な場所であったならば適当に流すことも出来るが、当事者ではない上に少年と同じ精霊神殿の関係者が居合わせているとなっては、何かしらの理由をつけなければ侯爵家の威信に関わってしまうのだ。

 そこで、陛下の即位を理由として挙げておくことにした。

 向こうとて穏便に終わらせたいのだ、お互いの求めるものが同じである以上、これならば事を穏便に収めつつも貴族としての体面を保つことが出来るだろう。


「御礼申し上げます。このエリーチェ・アルリール、侯爵様のご慈悲に心よりの感謝を」


 彼女がそう言って再び頭を下げると、互いの暗黙の了解で今しがたまでのことについての話題はそれで終えることとなる。

 こういった駆け引きを出来るということはエリーチェというこの女性は恐らく貴族との会話に慣れているのだろうし、そこから精霊神殿において彼女がどのような仕事をしているのかもおよそ想像することが出来た。


「それでは、そろそろ失礼させていただきます。侯爵様、もし神殿においでになられる機がございましたら、可能な限りの便宜を図らせていただきますわ」

「ふふ……ありがとう。きっと、そのような機会は無いと思うけれど」


 人によるだろうが、少なくとも今の私には精霊神殿を訪れる用件など無いし、その必要性も無い。

 それは提案したエリーチェ自身も薄々察していたようで、苦笑のような表情を浮かべた彼女は最後に礼をして、少年を連れて立ち去っていく。

 その背中を見送りつつ、私は再び陛下の執務室を目指して歩き始めたのだった。


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