29. 荒野
真っ直ぐにラーゼリアの首都を目指す北路軍よりも、南に大きく迂回する形になる南路軍の方が要する時間は長くなる。
そのため、私達の方が先に王都を出立することとなっていた。
王都を発った十万の軍勢は東南に向かって進み続け、やがて国境を越える。
とはいってもそこはまだラーゼリアの西部でありまだ南部には入っていないので、ここから真っ直ぐに南へと向かい、ラーゼリア南部へと入った。
南部に入ると、畑が遥かに広がり我が国と変わらない光景だったそれまでとは異なり、周囲の様子が一変する。
気温はそれ程高い訳ではないがかなり乾燥しており、辺りを見回しても植物などはあまり見られず地面には大きな石ばかりが転がっているのだ。
砂漠気候(砂漠とは言っても一般的にイメージされるようなそれのように砂に覆い尽くされているという訳ではなく、むしろ石が多く乾燥した不毛の地といった様相なのだが)であるラーゼリア南部は降水量が少なく乾燥している上に水源に乏しいため農業には適していない。
先日のフェーレンダール王国との交渉においてあちらがこの地域に全く興味を示さなかったのも、これが原因だった。
農業に適さない地であるということは、当然農業を生業とする人々は暮らしていない。
では、そんな場所に誰が住んでいるのかといえば、それは遊牧民である。
正確には騎馬遊牧民と表現するべきだろうか、ラーゼリア南部にはそういった生活様式を持った人々が暮らしていた。
彼らは政府から雇われる形で時折前線にも出てくるのだが、地球の歴史を鑑みれば明らかであるように生まれつき馬の扱いに習熟した彼らの強さはかなりのものであり、両国の間で戦いが勃発する度に我が国の敵として猛威を振るっている。
そういった事情によりラーゼリア南部は人口密度がかなり少なく、定住しない遊牧民の他には水源の近くに都市がいくつかある程度(たとえ居住に適していなくとも国防のために都市を作る必要があったのだろう)なのだが、たとえ平時の利用者が少なくとも有事の際に軍勢が利用するという役割もあるために街道はきちんと敷設されており、その上を通って進む私達。
農作物が取れず人口が少ない地域であっても防衛のために兵を割かなければならず、そのことを考えれば一見我が国にとっても領土に組み込む利点が無いように思えるが、しかしそれに関してはどうにかすることは可能だ。
ちょうど、ベルフェリート南部には川幅が数百キロにもなるような大河が流れており、地域全体にその支流が広がって物流の背骨となっている。
そうであるならば、人工的に地面を掘って運河を建設し、大河の水をこの地域にまで引き込んでしまえばいいのだ。
無論、それこそ過去の水道橋建設や街道の敷設にも勝るとも劣らないような大事業になることは確実だが、しかし成功させればそれを水源として不毛なこの地でも農作物を育てることが出来るようになる。
農業を行うことが出来ないために人口が少なく、その二つによって価値が小さいのであり、逆に言えば農業が可能になればそれらの問題点が解決するためこの地域にも大きな価値が生まれるのだ。
これは我が国だからこそ出来る荒業であるが、極めて有効なのは確かだろう。
そのようなことを考えつつ、私は南へと続く石畳の街道の上をヴァトラの背に揺られていく。
辺りは見渡す限り荒野であり、畑などどこにも存在しない。
周囲に水源が無い上にほとんど街道を通る利用者がいない以上は当然道中には宿場町も存在しておらず、ひたすらに荒涼とした大地が広がっている。
水源が無いということは途中で水を補給することが出来ないということであり、それを見越してあらかじめ多めに水を持ってきてはいるが、このような地域を行軍することはこちらにとってもなかなかに大変だった。
気候が単に乾燥しているだけであり別に暑い訳ではないので、消費する水分がそれ程多くないのが救いだろうか。
周囲には森はおろか立ち木さえも存在していないために食事を作る際の薪も自国から運んできたものに依存せざるを得ず、野生動物もほとんどいないので肉を確保することも出来ない。
おまけにここは敵地であるために、一歩間違えれば半ば自滅のような形で壊滅してもおかしくはなかった。
それを避けるため、食料や物資の帳簿に自ら目を通して厳密に管理しておく。
あらかじめかなり多めに運んできているのでしばらくの間は保つが、敵地故に補給の当てが無いことを考えればなるべく先を急ぎたいところだ。
ラーゼリア南部に入ってから六日程が経っただろうか。
相変わらず街道以外に何も存在しない荒野の中を進み続けている私達であるが、やがて前方に遠く砂埃が見えた。
あのように遠くからでも分かるような砂埃を立てられるような存在といえばまず馬であろうし、この地域において馬といえば即ち遊牧民である。
つまり、遂に彼らが私達の迎撃に向かってきたのだろう。
一般に遊牧民の人口は農耕民と比べてずっと少ないが、それはあくまでも相対的なものであり、絶対数で言えばそれなりの人口が存在している。
例えばモンゴル帝国の誕生直後、まだモンゴル平原しか支配していなかった彼らはそれでも他国への遠征の際に五万程度の兵力(もちろん全軍が騎兵だ)を動員しているのだ。
さすがに他国の遊牧民の総人口など知る由もないが、この地域はモンゴル平原と比べても遥かに広いため、恐らくは人口は更に多いだろうし、総兵力は十万以上は確実にいるだろう。
当然いくつもの部族に分かれているだろうからその全てが一斉に来ている訳ではないだろうが、それでもそれなりの兵力ではあるはずだ。
一方でこちらは歩兵が中心であり、主に機動力の問題で正面から衝突してはまず勝てない。
そもそも、偏に騎兵とは言ってもその形態は一種類ではない。
私の麾下は機動力を重視した軽騎兵であり、一方で騎士団などは全身鎧に身を包んで防御力と突破力を重視した重騎兵である。
では遊牧民の騎兵はというと時代や場所によってどちらのパターンの場合もあるのだが、少なくとも私達が今から向かい合うことになる騎兵の場合は地球で言うモンゴル騎兵のような戦術を用いる軽騎兵だった。
こういった戦術を取る騎兵は、重騎兵に対しては滅法強い。
何故ならば、重騎兵はその重装備故に機動力がいささか落ち、遊牧民の騎兵に対して追いつくことが出来ないためだ。
彼らの用いる基本的な戦術は敵と追いつかれない程度の一定の距離と速度を保ちながら騎射で攻撃をし、追ってきたところをわざと逃げて誘い込み、伏兵で包囲して殲滅するというものである。
重騎兵を相手には決して彼らは白兵戦を行わないし、そうであるからには敵に追いつくことが出来ない重騎兵では勝つことは極めて難しいのだ。
たとえ第三騎士団を引っ張ってきたとしても、彼らに勝利出来るかといえば自信を持って頷くことは出来ない。
では、そんな相手にどうやって勝てばいいのか。
その答えは案外簡単だ。
時間が経つにつれて敵の姿は次第に大きくなり、その全貌がこちらの目に露わになってくる。
兵数はおよそ五万といったところだろうか。
数だけで言えば私達の半分に過ぎないが、しかし歩兵が走って馬に追いつけるはずもないので、正面からぶつかって勝つことはそれこそ余程綿密な罠を事前に用意しておかない限り不可能だろう。
もちろんそのようなものを準備している暇は無かったのだが、とはいえ私には十分な勝算があった。
こちらへと真っ直ぐに向かってくるのを見ながら、麾下の兵にいつでも動けるように準備を整えさせる。
遊牧民が育てている馬であり、また乗っている者達も普段着の衣服のままであり防具などはせいぜい一部に皮製のものを身につけている程度であるため、余計な重量が無くその移動速度は相当に速い。
彼らは瞬く間にこちらへと接近すると、攻撃が可能な距離へと到達する。
だが、そのぎりぎりを見計らって私はヴァトラの首を撫で、半月状に弧を描くような進路で駆け始めた。
当然私の隣にはカルロが、後ろには兵達が続いている。
そして我が騎兵は歩兵へと攻撃を仕掛けようとしていた敵の側面にぶつかるような形になった。
カルロが、兵達が剣を振るう。
私達の兵数が五千なのに対し、あちらは五万。
この場に限って言うならば、こちらの兵力は十分の一だった。
それでも、私達はそのことを気にせずに攻撃を続ける。
すると、何十秒が過ぎただろうか、然程時間が経たないうちに彼らはあっさりと壊走した。
予想通りの展開に、そのまま追撃を始める私達。
そもそも、同じ軽騎兵とは言っても私の麾下と彼らとでは根本的な部分が大きく異なっている。
こちらは軽装とはいえ防具も纏っており、これまでの戦いで散々行ってきたように白兵戦を前提とした部隊だ。
それに対して彼らは弓による騎射が基本戦術であり、正面から騎兵とぶつかり合うことは想定していない。
そして遊牧民というのはその生活故に馬に乗ることが出来るのであり、騎兵としての訓練を受けている訳ではない、謂わば戦いは彼らにとって日常である狩りなどの延長に過ぎないのだ。
故に白兵戦で本格的に戦闘を行う覚悟など彼らのほとんどは持っていない。
なので、同じ騎兵でぶつかって白兵戦に持ち込んでしまえば(もっとも、それが難しいのだが)たとえ兵数でずっと劣っていても案外簡単に勝ててしまうのだ。
敗走する敵軍への追撃を続ける私。
彼らが逃げていくとすれば伏兵が置いてある場所であろうから、せっかくだからそちらも撃破して一気に南部を制圧してしまうつもりだった。
高速での疾駆のため、目まぐるしく移り変わる視界。
とは言っても周囲は特に何も無い荒野であるのでどれだけ流れ去ったとしても特に代わり映えはないのだが、ともあれ敵の背を追って疾駆していく。
当然ながら、辺りはずっと平坦という訳ではなく場所によっては起伏も存在している。
やがて前方に岩山が見えてきたのだが、隠れやすさでも距離的(これ以上戦場から遠いと誘い出すのが難しいだろう)にも間違いなく伏兵はここに置かれていると分かった。
それなりに戦闘を積み重ねているため、ちょっとした分隊を任せることが出来る将校は育っている。
彼らに五千のうちの千ずつを率いさせて岩山に外側から回り込ませると、私は残る三千でそのまま敵の背を追い続けた。
すると、私達が差し掛かったタイミングで予想通りに岩山の陰から伏せられていた騎兵が姿を現し、こちらを包囲しようとする。
それと同時に敗走を続けていた軍勢も反転し、こちらへと向かってきた。
兵数で言えば先程以上の差があるだろう。
ひとまず、左右から迫っている軍勢は無視していい。
私は真っ直ぐに、反転した正面の部隊へと突入した。
無視する形になった左右の敵は側面や背後からこちらへと攻撃を仕掛けようとするが、しかしその前に岩山を迂回してきた千騎からの攻撃をそれぞれ受けて大混乱に陥る。
そうなれば当然、包囲出来ることを前提に反転してきた正面の敵は白兵戦ではこちらに抗することが出来ずに一方的に押されることになった。
兵数で言えばずっと少ないにもかかわらず、圧倒的なまでの優勢を保ち続ける私達。
そして五分程の後、彼らは抵抗を止めてこちらへと降伏してきたのだった。




