緩慢な地獄
ピクシブにも掲載
何もかもが嫌になって自殺をするが、そのたびにうんざりする朝に連れ戻される。
ループから逃れ、緩慢な地獄から彼女はどこへいくのか?
緩慢な地獄
1
確かに死んだと思ったのに、目の前には日常が広がっていた。
朝、不愉快に威圧的な高い声に起こされて、食事をとって学校へと行く。
ぼんやりと、知り合いに会わずに行きたいのに、今日は近所の年寄り二人に声をかけられた。
こっちが急いでいるということを二人はまるで無視している。おかげで遅刻した。
級友たちと無駄話をする。
面倒くさい。でも、のけ者にされるのも不愉快。テレビの話は苦行。
疲れて、家に帰る。
不愉快な甲高い声が私に言う。
「自分の洗濯物ぐらい自分で畳みなさい」
自分の洗濯物を畳んだら、自分のしかやってくれないと怒るくせに。
この女が階段を上る足音さえ不愉快だ。
いらいらする。
不愉快・不愉快・不愉快。
自分の部屋に入ると、カッターで紙を切り裂いて遊ぶ。何度も何度も、執拗に。
これをやると気が落ち着く。
部屋の模様替えをした。
あの女はうるさい。人が自分の部屋をどう使おうと勝手だろうに、もう何度目だ? ああしろ、こうしろと言ってきたのは?
こうした方が絶対いいのに、なんでやらないのかしら、馬鹿な子とあの女にせせら笑われてるのもしゃくだから模様替えをした。大きな本棚を二つ、重たいパイプベッドを一つ、机と飾り棚を一人で動かした。
そういえば、ベッドは一人で作った。
飾られた人形。私が買ってきたのに、あの女が名前をつけた。
部屋が気持ち悪い。
落ち着かない。
なんで私の部屋なのに、こんな風な家具配置になってるんだ?
ああ、嫌だ。
不快感ばかりが募る。
慢性的に、緩慢に。
積み重ねられる。
白いもやもやした澱がふわふわと重なって、いつのまにか、堅く厚くなって、白いと思っていたそれは実は脂肪に似たトウモロコシみたいな色で。
綺麗な部分を塗り固めて、汚染していく。
この前は誕生日を忘れられた。
今度の誕生日は、覚えていてくれたけれど、ケーキもなかった。弟は毎年覚えていてもらえているのに。
ああ、嫌だ嫌だ。
なんで死ねない?
剃刀で喉を確かに掻ききったはずなのに。
起きたら夢だった。
そして、この日常の繰り返した。
緩慢な鬱の日常。
唐突に死にたくさせる。たくさんの嫌な言葉。
食い物を減らしてから、ずいぶん気分に波が出てきた。自己嫌悪から、自分を罵倒する。死んじまえと他人ごとのように言ってみたり、人を殺したくなったり。
五キロ落とした。
太ってる。みっともないと、あの女と弟に言われてきたから、ちょっと痩せてみた。
後半は無茶なやり方をしたと思う。
そんな風に痩せた私に、あの女は言った。
「やればできるじゃないの」
リバウンドするかもしれないという危惧で、食事量を戻せない私にそう言うのだ。
むかついた。
「次は顔痩せと足痩せね」
笑いたくなった。
心底不愉快になった。
ああそうか。そうか。顔を痩せて、足を痩せたら、次はどこを矯正すればいいんでしょうかねえ? どうすりゃ、あんたのお気に召しますか?
しまいには顔を整形手術して、胸にシリコン入れて、体重を二〇キロ近くにまで落とせとでも言う気か?
「そんな格好で、外に出て、よく恥ずかしくないわね」
余計な御世話だっていうんだよ!
ああ、もう面倒くさい。
また首を切ろう。今度は死ねるだろう。
痛いより、熱い。
血がフローリングを汚していく。
この部屋、私の部屋なんか大嫌いだから、もういい。汚れて、完全に真っ黒くなってしまえ。
大嫌いだ、こんな部屋。
大嫌いだ、こんな私。
死ね死ね死ね死ね死ね。
何度も何度も剃刀を首に押し当てて引く。
血がぬめって、剃刀がうまく喉に当たらなくなってきた。使い捨てだから、切れ味が落ちたみたいだ。
ぬるり。
血溜まりを足が滑る。
がちり。
剃刀は首の骨に当たった。
2
確かに死んだと思ったのに、目の前には日常が広がっていた。
朝、不愉快に威圧的な高い声に起こされて、食事をとって学校へと行く。
ぼんやりと、知り合いに会わずに行きたいのに、今日は近所の年寄り二人に声をかけられた。
学校にはなんとか遅刻をしないですんだけれど、忘れ物をした。
取りに返された。
あの女が帰って来た私に向かって言う。
「なんで昨日のうちにちゃんと用意しておかなかったの?」
死んだつもりだったからだよ。
でもこの喉には傷も残ってない。夢だったらしい。
この女と顔を合わせているのも不愉快だ。
腹は、減らない。喉も乾かない。
「それから、靴。ちゃんとはじっこに寄せてよね。出すのは一足だけにしてくれない?」
父さんや弟にはそんな注文はつけないくせに。弟の靴なんか、二足も出てる。一足履いてってるから、三足も出しっぱなしなのに、二足しか出していない私が怒られる。
「とっとと行って」
今日こそ、喉を切ろう・・・・・・。
死ぬんだ。
あいつがしても怒られないのに、私がすると怒られる。なら、あいつが絶対しないことをしよう。たぶん、やらないことをしよう。
自分の部屋に駆け上がる。
引き出しから使い捨て剃刀を取り出す。
死ね死ね死ね死ね死ね。
何度も何度も剃刀を首に押し当てて引く。
血がぬめって、剃刀がうまく喉に当たらなくなってきた。使い捨てだから、切れ味が落ちたみたいだ。
ぬるり。
血溜まりを足が滑る。
がちり。
剃刀は首の骨に当たった。
3
確かに死んだと思ったのに、目の前には日常が広がっていた。
朝、不愉快に威圧的な高い声に起こされて、食事をとって学校へと行く。
ぼんやりと、知り合いに会わずに行きたいのに、今日は近所の年寄り二人に声をかけられた。
こっちが急いでいるということを二人はまるで無視している。おかげで遅刻した。
学校が終わって、家に帰らねばにらない。
面倒だ。なんで、私は家に帰る?
私は繁華街を夜遅くまで歩いた。
女と会った。
娼婦だった。知らない女。でも、懐かしい感じがした。
薄汚い闇に生える、真っ赤なルージュ。短いスカート。濃い化粧。
「ああ、お仲間ね」
どう? と、誘われた。
でも、女同士だからやめておく。
家に帰ればまた自責が沸いた。
おきまりの行動。
何度も何度も剃刀を首に押し当てて引く。
死ね死ね死ね死ね死ね。
血がぬめって、剃刀がうまく喉に当たらなくなってきた。使い捨てだから、切れ味が落ちたみたいだ。
ぬるり。
血溜まりを足が滑る。
がちり。
剃刀は首の骨に当たった。
最期の思考はつまらないこと。
死ぬんなら、あのお仲間の女に誘われてやりゃあよかった。
4
いつもの朝!
不快な声。
私は学校へは行かない。
そのまま繁華街へ行く。
女。あの女はどこ?
すぐに見つかった。
彼女は婉然と笑う。荒んだ、目。
蠱惑的な赤い唇。
昼日中にあってさえ、彼女は夜の住人。
「ここは緩慢な地獄。永遠に自責し続ける、悪夢の責め苦」
細い腕が私の首へと絡みついた。
「私も、ここへ落ちた。変化のほとんどない日常。繰り返され、ゆっくりと蓄積されていく苦しさ。それに厭きたの、私。だから、もつとちゃんとした、冷水みたいなもっとはっきりとした地獄に落ちることにしたの」
それが娼婦になった理由なの?
「あなたも、どう?」
自分で一番、軽蔑しているような人種に堕ちて、体をぼろぼろにしていく。ああ、でもそれは。
きっと、たぶん、楽なんだ。
毎夜、首に剃刀を当てるより、よほど。
毎朝、あの声で起こされるよりよほど。
5
夜の街で私は繰り返す。
見知らぬ男たち相手の売春。
客は皆、影みたいだ。冷たくて、汚濁の塊みたいにぶよぶよしている。個性がない。
与えられる痛み。苦痛。
でも、その理由はあまりにも明確で、安心する。
苦しいのは当たり前。つらいのは当たり前。
逃げる先などなくたって。
もう剃刀は使わない。
腐っていく体を抱いて、私は生きてる。
死のうなんてしない。死ねない身だとわかったからじゃない。
「永遠の楽園ってこんな感じなのかもしれないわ」
女は言う。
「ただ、記憶された楽しい日々を繰り返しているだけに過ぎないのかも。私たちには、そんな楽しい日々はなかったのだけれど」
緩慢な地獄で、彼女はどぎつい赤のミニスカートを翻して、軽快に踊る。
ヒールがコンクリートで奏でるアップテンポのリズム。
「地獄にいる私も、あなたも。天国という永遠の楽園にいるその誰かも、もしかしたらもう一種の記憶装置、残留思念みたいなものに過ぎないのかもね」
手がさしのべられる。
私は彼女の手を取る。
一緒に踊る。
ビルディングの屋上で。
柵などない、きわどいへりで。
ネオンが下方できらめいて、きたなくて綺麗。
ここは地獄。
緩慢な、永遠の地獄。
「ねえ、堕ちるってどんな気持ち?」
女は笑う。
「じゃあ、首を切るってどうなの?」
「痛いより、熱い感じがするわ」
「怖いと感じるよりも、胃のあたりが気持ち悪いの」
二人で踊り、笑う。
足を踏み外して堕ちれば、いつもの朝に戻るだけ。
ここは。
今はたぶん、ちょっとだけ、緩慢な楽園。
2001・6・5・火曜日とあるので、25年前作品
このころにはもう、「風俗枠」で出した翼の論文の基礎があるのか。
『母親からの性的虐待を受けた娘が児童売春する確率の高さについて』
まあちなみに、『ネグレストおよび児童虐待を行う親が、幼児期に見せる行動について』の方がやばいが。。。




