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第三章 偶然という約束

 最終防衛ラインが一筋縄では抜けないと悟ってから、王国軍は大規模な進軍を控え、小競り合いを繰り返していた。


 あの礼拝堂で言葉を交わしてから、五日。


 二度目の邂逅は、本当に偶然だった。


 戦線東側。

 焼け落ちた見張り塔の跡地。


 部隊を帰還させたあと、俺はひとりで周囲の安全確認をしていた。

 煙は薄く、敵影もない。


 ――そのはずだった。


「……また、あなたですか」


 塔の影から、落ち着いた声。


 俺は小さく息を吐く。


「それは俺の台詞だと思うが」


 瓦礫の向こうから、紫紺のローブが現れる。

 銀糸のような髪が風に揺れた。


 心拍が、わずかに早くなる。


 だが、戦闘の気配はない。


「今日は嵐もありませんのに、同じ場所を選ぶとは」


「つまりこれは運命か」


「違います」


 即答だった。


「少しくらい迷ってくれてもいいだろ」


「迷う理由が見当たりません」


「心が折れそうだ」


「あなたの心は、剣より頑丈そうに見えます」


「見た目より繊細なんだぞ」


「初耳です」


「よく言われる」


「誰にです?」


「……今言った」


「自己申告は信頼性に欠けます」


「厳しいな」


 気づけば、距離は二歩ほど縮まっている。

 剣も杖も構えていない。


 それももう、不自然ではなかった。


 俺は瓦礫に腰を下ろす。


「戦闘の意思は?」


「こちらにはありません。今ここであなたと戦闘する合理性は低い」


 わずかに胸の奥が緩む。


「助かる。今日は靴が泥だらけでな。全力戦は遠慮したい」


「英雄とは思えない発言です」


「英雄だって洗濯はする」


「ご自身で?」


「……部下が」


「人任せですか」


「これでも第三軍団長だからな」


 彼女が小さく息を吐く。

 どこか柔らかい、呆れたようなため息だった。


「今日は戦況観察か?」


「ええ。それと……多少の気分転換も兼ねています」


 気分転換。


 戦場には似つかわしくない言葉だ。


「俺の観察は?」


「必要ありません」


「少しは気にしてくれてもいいだろ」


「あなたの情報は我が軍が総力を挙げて収集しています。私が改めて観察する必要はありません」


「嬉しくない評価だな」


 彼女の口元が、わずかに緩む。


「今、笑ったな」


「笑っていません」


「絶対に笑った」


「風です」


「風で口元は上がらない」


「理論上はあり得ます」


「理論で押し切るな」


 沈黙。


 だが、気まずさはない。


「生きていて何よりです」


 不意に、声が柔らかくなる。


 俺は目を細めた。


「そっちこそ。怪我もなさそうだし、前より顔色がいい」


「あなたに心配される理由はありません」


「悩める指揮官同士、だろ?」


「……そうですね」


 少し間が空く。


 彼女が一瞬、こちらを見た。


「似た立場の者として、無駄死には望みません」


「無駄かどうかの基準は?」


「あなたほどの有名人が、私を差し置いて他の兵に討たれるのは癪です」


 思わず吹き出す。


「光栄だな。『あなたの相手は部下で十分です』とか言われたら立ち直れない」


「そのような評価はしません」


「優しいな」


「事実を述べただけです」


「それを優しいって言うんだ」


 彼女が一瞬、視線を逸らす。


 その仕草を、俺は覚えてしまう。


「……今日は、本当に偶然です」


「俺もだ」


「ですが」


「うん?」


「偶然にしては、嫌ではありません」


 今度は、俺が黙る番だった。


 胸の奥が、わずかに熱を帯びる。


「俺もだ」


 思ったより素直に言葉が出た。


 彼女がわずかに目を瞬かせる。


「……軽口で流すかと思っていました」


「どういう意味だ」


「『敵にそんなことを言われる筋合いはない』と」


「言った方がよかったか?」


「その方が、らしかったかもしれません」


 肩をすくめる。


 彼女の中で、俺という存在が個性を持って刻まれているという事実を嬉しく感じてしまう。


 それに加えて、俺の中でも、思いが膨らんでいく。


 ――彼女のことを、もっと知りたい。


 そう思った時、ふと――前から気になっていた噂が頭をよぎった。


 聞くべきじゃないのかもしれない。


 だが――


「なぁ、どうして禁忌魔法を研究してるんだ?」


「紅の賢女」という異名と共に語られるカルディアの噂がある。禁忌とされている魔法、生命に関する魔法を研究しているというものだ。実験と称して人や動物を殺して回っている――そんな噂まであった。


 空気が変わる。


 彼女の視線が、わずかに伏せられた。


「……そんな質問をして、後悔しませんか?」


「後悔?」


 それほどまでに悍ましい話なのだろうか。


「理由を知れば、あなたは私を“倒すべき敵”として斬れなくなるかもしれません」


 思いがけず、俺を気遣うような声音だった。


 なるほど、知らなければ、迷わず斬れる。

 それは事実だ。


 だが。


「……それでも聞きたい」


「あんたは命を弄ぶ狂人には見えない。真実が知りたい」


 瞳が揺れる。


「……わかりました」


 少しの沈黙。話す言葉を選んでいるようだ。


「私は……怖かったのです」


「怖い?」


「人が簡単に死ぬことが」


 静かに続ける。


「昨日まで話していた人が、次の瞬間にはいない。それが本当に抗えないものなのか。魔術という力をもってしても届かないのか。それを確かめたかった」


 他人のために、死に抗う術を探しているのか。


「私は、他人の死を当然のこととして受け入れられるほど強くありませんので」


 胸の奥に引っかかる。


 この女は強い。


 それでも、自分を強いとは思っていない。


「やっぱり、狂人には見えないな」


「私の話を信じるのですか」


「嘘が言えるほど器用には見えない」


「複雑な評価ですね」


「悪い意味じゃない」


 小さく笑い合う。


 やがて彼女が立ち上がる。


「……今日は少し話しすぎました。本陣に戻ります」


「お互い、今日のことは秘密にしておこう」


「ええ」


「けど、二度あることは三度あるって言うし、俺たちはまた会うかもな」


「それは迷信です」


 即答で否定された。


「じゃあ実証してくれ」


 彼女はわずかに考え、


「……検討します」


「前向きだな」


「否定はしていないだけです」


「それを前向きって言うんだ」


 沈黙。


 けれど、どちらも立ち去らない。


 風が、焦げた塔の灰を巻き上げる。


「また戦場で会うかもしれません」


 彼女が言う。


「その前に会えたらいいな」


 俺は立ち上がる。


「明日もこの辺りを見に来る。偵察名目でな」


「堂々と約束を取り付けようとしないでください」


「偶然を演出するだけだ」


「不自然です」


「じゃあ自然に来てくれ」


 少しだけ、間。


「……考えておきます」


 彼女は反対方向へ向き直り、歩き出す。


 数歩進み、振り返らぬまま言った。


「レオン・パニス」


「なんだ」


「次に会った時も、泥だらけにならないことを願います」


 俺は笑う。


「あんたが戦う気なら、泥では済まないぞ」


「その時は、洗濯できなくなるかもしれませんね」


「困るな」


「ええ」


挿絵(By みてみん)


 やがて彼女の気配が消える。


 焼け落ちた塔の跡地に、俺ひとり。


「三度目か」


 口に出してみると、妙に現実味があった。


 俺はいつの間にか、次の再会を前提にしている。


 敵なのに。


 斬るべき相手なのに。


 それでも――


 また、明日か。


 再会を楽しみにしている自分に気づき、俺は苦笑した。

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