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第9話 ワードローブと謎の少女

 ――その時だった。


「待ちなさいよ」

 凛とした声が、トンネルの奥に響き渡る。


 怒号と恐怖で歪んでいた空気が、一瞬で凍りついた。


 カミラが、ぴたりと動きを止める。


 勇人の襟首を掴んでいた手が、わずかに緩む。



 闇の向こうから、ゆっくりと現れたのは――



 黒髪の美少女だった。


 見覚えは、ない。


 とんがり帽子。

 ハロウィンの絵本から飛び出してきたような、ゴシック調のロングコート。


 髪は左右で二つに結ばれ、揺れるたびに人形のような整った輪郭が際立つ。


 幼さと冷酷さが、奇妙に同居した顔立ち。



 少女は一歩前に出ると、

 迷いなく杖を――カミラへ突きつけた。


「その人を放しなさい。吸血鬼め!!」

 言葉と同時に、空間が震えた。


「あ゛……?」

 カミラの顔が歪む。


 舌打ち混じりに勇人を放り投げると、


 ゆっくりと少女の方へ向き直った。


「なんだ、てめえ……やんのか?」

 まるでチンピラのような口調。


 だが、赤い瞳は獣のそれだった。


「ふん。あんたごとき吸血鬼、敵じゃないわ」



 少女がそう言い放つと――


 宙に、魔法陣がいくつも展開された。


 円。三角。古代文字。

 重なり合う術式が、空気を灼く。



「……はっ」

 カミラが、低く笑った。


「なめられたもんだな。この三下魔女が」


 次の瞬間。


 闇が、彼女を包み込む。


 制服は霧散し、

 現れたのは黒のボンテージのような戦装束。



 背中から――


 破れた大きな翼が二枚、ばさりと広がる。



 空気が、悲鳴を上げた。


 それを見た勇人は、完全に腰を抜かした。



 カミラは一瞬だけ、勇人を振り返る。


「いいか。

 そこで待ってろ。逃げんじゃねえぞ」



 言い捨てると――



 跳んだ。


 否、跳躍という言葉では足りない。


 地面が砕け、影が弾丸のように少女へ迫る。



 だが。


「――焼き尽くしなさい」

 魔女の声と同時に、

 複数の魔法陣が業火を解き放つ。



 炎が、カミラを包む。



 だが――


「甘ぇ!!」


 炎を突っ切り、

 伸びた爪が魔女を引き裂こうとした――



 その瞬間。



 ――カキンッ!!


 火花が散った。


 カミラの爪は、何かに阻まれていた。



「……くっ!?」


 魔女の手にあったのは――


 二本の出刃包丁。


「……おい」

 カミラが、目を見開く。



「魔女っつったら、杖じゃねえのかよ……」


(嘘だろ……

 人間が、俺の攻撃を受け止めただと……?)

 内心の動揺を隠しきれない。



「ふん」

 魔女は冷たく笑った。


「これはね。魔界製の特注品」


 次の瞬間、

 少女は踏み込んだ。


「――あんたを、ナマスにしてあげる」


 包丁が、閃く。


 連撃。


 鋭く、正確。


 刃が空を裂き、

 時折カミラの髪を切り、頬を掠める。



「チッ……!」

 カミラは後退するしかなかった。



「信じられねえ……

 人間が……ここまで……!」


 だが、次の瞬間。


「……でもな」

 カミラの体が、再び闇に包まれる。



「いいぜ。久しぶりに、本気で行くか」



「ぐわあああああああああ!!」

 悲鳴とも咆哮ともつかぬ声。



 爪がさらに巨大化し、

 頭部から――禍々しい角が二本、突き出す。


 翼はさらに肥大し、

 衣装は真紅へと変貌。


 赤い瞳が、闇夜を照らした。


「いいぜ……すげえ楽しい……」


 牙を剥き、

 愉悦に歪んだ笑み。


「ふふふ……」


「……似合ってるじゃない」



 魔女は一歩も引かない。



 ――だが、その瞬間。



 少女の足元に、転移陣が展開された。


 光が、渦を巻く。


 勇人の足元にも、同じ紋様。



「……なっ!?」

 カミラが気づいた時には遅い。


「また今度ね」

 魔女は、勇人の腕を掴む。


「今日はここまで」


「くっ……しまった!!」

 だが、もう止められない。



 転移陣が眩く輝き――


 二人の姿を包み込む。


 次の瞬間。


 光は弾け、二人の姿は消えた。


 残されたのは、

 破壊された地面と、

 怒りに震える吸血鬼だけ。




「あいつ……何者なんだ」

 森の奥、月明かりすら届かぬ闇の中で、カミラの声が低く漏れた。



「……まあいい」

 赤い瞳が細められる。


「今度会った時は……逃がさねえ」

 その呟きは、夜気に溶け、

 木々のざわめきに紛れて――静かに、消えていった。





 一方。


 眩い光の中で、勇人は宙に浮いていた。


 否、浮いているというより――


 抱え込まれている。


 魔女は勇人を逃がさぬよう、

 両腕でしっかりと包み込み、胸元へ引き寄せていた。



 転移陣の光が、脈打つように明滅し、

 やがて、ゆっくりと収束していく。



 足元の感触が戻る。


 畳。


 見慣れた天井。


 散らかった机。


「……ここは……」

 勇人は、呆然と呟いた。



「僕の……部屋……?」


「そうだね」


 すぐ傍で、柔らかな声が返る。


「私達の部屋だね」


 意味深な言い方だった。


 勇人は、ぞくりと背筋を震わせる。


「あ、あはは……なんか助かったよ。ありがとう」



 精一杯、平静を装って言うと――


「うん、いいよ。いいよ」


 魔女は、あまりにもあっさり頷いた。


「当然でしょ」

 まるで、

 勇人を助けるのが前提であるかのように。


「じゃあ……もう遅いし。

 少ししたら朝だから……」


 勇人はそう言って、距離を取ろうとする。


「今日は……ここまでで……」



「うん」

 魔女は微笑んだ。


 その笑顔は、優しくて、

 けれど――どこか歪んでいる。



「ありがとう。ほんとに」


 そう言って背を向けた瞬間――



 ぎゅっ。


「――っ!?」

 魔女が、突然勇人に抱きついた。


 強く、逃げ場がないほど。


「これからも、任せておいて」

 耳元で、囁く。


「君のこと……いつでも見てるから」

 声は甘い。


 だが、ぞっとするほど断定的だった。


 魔女の口元が、愉悦に歪む。

「いつでも。どんな時でも……ね?」


「ふふふ……ふふふふ」

 その笑い声は、

 まるで子守歌のようで――


 同時に、逃れられぬ呪いの宣告だった。



 そして彼女は、ふいっと体を離すと、

 部屋の隅にある大きな観音開きのワードローブへ向かう。



 ぎぃ……と扉を開き、

 中の闇を覗き込む。


「じゃあ……またね」

 にこやかに手を振り、

 何のためらいもなく、中へ入った。



 扉が――



 ゆっくりと閉じる。



 ……数秒。

 勇人は、恐る恐る近づき、

 再びワードローブの扉を開けた。



 ――そこには。


 服と、ハンガーと、

 普通のワードローブしかなかった。



「…………」


 沈黙。



「なんなんだーーーーーーー!!」


 勇人の悲鳴が、

 静かな部屋に虚しく響き渡る。




☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。


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