第4話 監視する者
こうして、勇人は翠と交際することになった
連絡先も交換し、恋人同士としての第一歩――そのはずだった。
その夜。
部屋の照明を落とし、ベッドに腰を下ろした瞬間だった。
――ピコン。
メッセージアプリの軽い通知音が、妙に大きく響く。
『今日は驚いたでしょ。
明日から一緒に登校するよ。途中までだけど♡』
画面に浮かぶ、柔らかい文面。
「……うん」
指先で短く返す。
『うん わかった。おやすみ』
少し間を置いて、すぐに返信が来た。
『おやすみ』
続けて、写真。
画面いっぱいに映る、二人のツーショット。
翠は微笑み、勇人はどこか引きつった顔で並んでいる。
――どう見ても、恋人同士のラブラブな記念写真。
(……さっきまで、あんな地獄みたいなゲームやってた後とは思えないよな……)
「……可愛い。
ものすごく可愛いんだけど……」
呟きながら、勇人はスマホを伏せる。
「……それでもやっぱり、
翠“先生”ってのが信じられない……」
思考はそこで途切れた。
精神の耐久ゲージは、とうにゼロ。
勇人は抵抗する力もなく、泥のようにベッドへ沈み込んだ。
意識が薄れていく。
――その間も。
衣装棚の、わずかな隙間。
そこから、じっと――
**こちらを覗く“視線”**があることに、彼は気づかない。
「……はあ……はあ……はあ……」
荒い息遣い。
それは勇人のものではない。
部屋のどこかで、
闇に溶けるように、小さく、しかし確かに息づいている。
呼吸音は、ひどく近い。
けれど、姿は見えない。
まるで、部屋そのものが生き物になったかのように。
そして――
窓の外。
街灯の明かりを背に、
黒い影が、逆さに張り付いている。
よく見れば、それは――蝙蝠。
赤い小さな瞳が、カーテン越しに室内を覗き込んでいた。
勇人の呼吸が、完全に寝息へと変わる。
それを合図にしたかのように。
――バサッ。
静かな羽ばたき。
蝙蝠は夜空へ溶け、どこかへと飛び去っていった。
――次の日の朝。
澄んだ青空。
何事もなかったかのような、平穏すぎるほどの朝だった。
ピンポーン。
勇人の家のチャイムが鳴る。
わかっていた。
この時間、この呼び鈴を鳴らす人物は一人しかいない。
玄関の扉を開けると――
「おはよう」
そこに立っていたのは、翠だった。
艶やかな黒髪が朝日に照らされ、
整いすぎた顔立ちは、通りすがりの誰もが二度見するほど。
美少女。
ただそれだけで説明が済んでしまう存在が、
当たり前のように勇人の家の前に立っている。
「……おはよう」
勇人は少し遅れて、そう返す。
それだけで、胸の奥がざわついた。
――昨夜の出来事が、夢ではなかったと再確認させられる。
二人は並んで歩き出す。
朝の住宅街。
通学路は穏やかで、犬の散歩をする老人や、
自転車に乗る学生たちが、何事もなく行き交っている。
そんな中で。
「あのさ……」
勇人は、歩調を合わせながら切り出した。
「翠先生……? 翠さん……?
なんて呼べばいいかなって」
一瞬、言葉を探す。
「……恋人、なんだよね? 僕たち」
翠は、少しだけ驚いたように目を瞬かせ――
すぐに、柔らかく笑った。
「ふふ」
頬に、ほんのり朱が差す。
「年の差はあるけど……恋人なんだから」
ちらりと勇人を見上げて、
「翠って呼び捨てにして。私も、勇人って呼ぶから」
「……っ」
その言葉の距離感に、心臓が跳ねる。
「あ、あの……」
勇人は、指先をもじもじさせながら、
「……手、繋いでもいいかな?」
恐る恐る、まるで地雷原を歩くように尋ねる。
「も、もちろん……だよ」
翠は一瞬視線を逸らし、
それから、ぎこちなく手を差し出した。
「ふふ……なんか、恋人っぽくていいね」
にこやかな笑顔。
だが、耳まで真っ赤だった。
指と指が触れ、そっと絡み合う。
初々しく、ぎこちなく――
それでも、確かに恋人同士の光景。
――その様子を。
勇人の家の、二階の窓。
カーテンの、ほんのわずかな隙間から。
影が、覗いていた。
「……ぐっ……はっ……はっ……」
喉を引き裂くような、押し殺した呼吸音。
「あの……ぐっ……」
笑いとも、嗚咽ともつかない音が、布の向こうで歪む。
次の瞬間。
影は、ぬるりとカーテンの奥へ引き込まれるように消えた。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
――そして。
電線に止まっていた一羽のカラスが、その光景をじっと見下ろしていた。
黒い瞳が、不気味に光る。
バサァッ。大きく羽ばたき、空へ飛び立つ。
その行き先は、
まるで――“主人”に報告するためであるかのように。
何も知らず、手を繋いで歩く二人の背中を残して。
朝は、あまりにも静かに、始まっていた。
☆ここまで、読んでくださり、感謝いたします。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。
今後もよろしくお願いします!




